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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
中年期~憎しみと苦しみの螺旋
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生き残り

~承前






 それは、鎧袖一触ですら無かった。

 統制の取れていない騎兵など、動きの悪い木偶の坊と一緒だ。


 大きく旋回機動を行った近衛騎兵の一撃は、賊徒鼠賊の隊列を粉砕した。

 彼等はちりぢりになって逃げだし、多くの騎兵が小隊単位となって追跡した。


 どれ程訓練を重ねても、騎兵の弱点は手綱を握る左側と背面だ。

 馬に乗って逃走を図る者は、嫌でのその弱点を晒す事になる。

 母衣を重ねて矢を躱す事も出来ぬ騎兵など、ただの動く的でしか無かった。


「どうだ?」


 丘の上で流れを追っていたカリオンは、厳しい表情で眼下を睥睨した。

 多くの沢や斜面が同胞の血に染まっているのを、苦々しげに見ていた。


「まぁ、問題はないでしょう。所詮はこの程度と言う所でしょうか」


 涼しい顔をしてウォークはそう言い放った。

 感情を煽られた者達は、客観的な視点を失っていたのだろう。

 或いは、暴走した感情により冷静さを欠いていたのかも知れない。


 だが。


 ――あれは救えた命だ……


 あのキツネの介入が無ければ、彼等は蜂起を起こさなかった筈。

 蹶起に逸り、軽はずみな行為には及ばなかったかもしれない。


「ただ……フレミナ一門との和解する為の……まぁ……」


 涼しい顔をしていたウォークは暗く沈んだ声でポツリと漏らした。

 怪訝な顔になったカリオンは、やや固い声で応えた。


「なんだ。はっきり言え」

「……ル・ガル安定の為の必要経費と言うには犠牲が多くなりましたね」


 カリオン政権で行ったル・ガル安定化政策の、その犠牲者だと遠回しに言った。


「そうだな……まぁ、やむを得ないと言ってはいけない数だ」


 小さなメモ書きを見つつ、カリオンも率直にそれを認めた。

 各連隊の長が伝令を走らせ、各集団の戦果と犠牲とが報告されてくる。

 そして、その戦果の中には錚々たる面々の名前が混じっていた。


「公爵五家の衛星貴族が多数含まれていますね。多くは伯爵級ですが、レオン家一門と北方系一門の中の侯爵も数名含まれています――」


 侯爵は主家たる公爵家の本筋と直接の血縁関係のみとなる一門だ。

 そこには本来、国家の根幹を担う人材が多数含まれていた。


 だが、ル・ガル総合大学の開校と卒業生の現場投入がそれに暗い蔭を落とした。

 軍務にあって華々しい戦果を挙げ、名声を得て出世する道は事実上途絶えた。

 太陽王の方針として、戦争よりも経済的な発展を選択したからだ。


 ならば次の道は国家経営の主幹となる事にある。


 しかし、その幹を形作るべき人材が、これからどんどん送り出されてくる。

 最先端の知識と考え方とを身に付けた青雲の若者が世に出てくるのだ。


「――彼等の落ち着く先が必要です」


 ウォークの言った言葉はカリオンもよく解っていた。

 自分の口を突いて出た通り、忠誠無き武人など武装強盗その物だ。

 己の欲望のみを叶えるべく奔走する連中など、害悪でしか無い。


 そして悪い事に、その欲望の解消を図る集団が飢えている。

 生きる事自体を目的とする武装強盗は越境窃盗団よりも性質が悪い。


 ――ん?


 カリオンの脳裏にふと良からぬ考えが浮かんだ。

 ただ、それを行うには少々良識や良心が痛むのだが……


「いっそ、彼等に私掠許可証でも発行するか」

「……許可証を持たぬ交易隊を襲わせるのですか?」


 それは、かつてエルムが提案した行為の国家行為化だ。

 ル・ガルと交易する為の商隊に許可証を売るのだ。

 許可証は毎月更新される形にし、上納金を払わせる。


 その許可証を持たぬ商隊は襲って奪って皆殺しにして良し。


 交易を求める国家や商人は、嫌でも許可証を更新しようとするだろう。

 ただし、その私掠行為よりも高値で雇われた場合には、全てが一斉に牙を剥く。

 そんな諸刃の剣を許容出来るかどうかに掛かっているのだった。


 ――――報告いたします!


 返り血を浴びた伝令が馬で駆けてきて、カリオンの前で跪いた。

 カリオンは『ご苦労』と声を掛け報告を待った。


 ――――鼠賊は統制を失い散開して逃げております

 ――――現在各方面で追跡活動を継続中です

 ――――なお……


 伝令は1つ間を開けてから深呼吸していた。

 馬上で走り続けたのだろうから、息が切れているのだ。


 ――――現時点で約300名のヒトを保護しました

 ――――未だ100名程度のヒトを捜索しております


 その報告にカリオンは表情を緩め『そうか』と漏らした。

 だが、伝令の表情は硬いままで、緊張した声音で続けた。


 ――――保護したヒトの中に重傷者が50名近くおります

 ――――おそらく半数が……明日の朝までに……


 報告の言葉が段々と小さくなり、尻すぼみになって消えた。

 柔らかだったカリオンの表情が怒りに硬くなったのが見えたのだ。


「重傷者も歩かせていたと……言うのか?」


 カリオンの言葉に『はい』と手短に応えた伝令は、首を振りながら言った。


 ――――歩けない者は馬に引きずられておりました

 ――――もはやどうにもならぬ者は……


「解った。ご苦労だった」


 その光景が目に見えるようで、カリオンはただただ溜息をこぼした。

 茅街から延々と引きずられてくる間に絶命した者もいるだろう。

 虫の息で収容されたヒトの一部は、その場で楽にされたのかも知れない。


 ヒトを疎ましいと思った者達が行った凄惨な措置。

 ただ簡単に殺すのでは無く、ジワジワとなぶり殺しにした非情の措置。

 そこまで痛めつける理由が分からないのだ。


「そこまでされて尚……戦いを回避したというのでしょうか」


 ウォークは怪訝な顔になってカリオンに言った。

 出来れば戦いたくない。そんなスタンスだったヒトは多い。


 時には意を決し、命を賭して戦わねばならないものだ。

 だが、その中に本気で戦う事を避ける者が居たらしい。

 例え殺される事になっても戦う事を拒否する心理は、全く理解出来ないものだ。


「……まぁ、おおかた――」


 肩をすぼめ、ウォークはウンザリ気味な顔になって言った。


「――自分以外の誰かが殺されているうちは……戦闘反対なのかも知れませんね」


 戦いたくない心理の奥底に潜むものは誰にも解らない。

 だが、客観的に見れば一つ解る事がある。

 絶対不変の真理として、他人の痛みなど幾らでも我慢出来るというものだ。


 自分以外の誰かが不利益を被り、被害に遭い、仮に死ぬ事になったとしても。

 その火の粉が自分に降り掛からない限り、誰だって声高権高に叫べるものだ。

 平和の意義だの博愛の精神だのと、たいそう立派な人間を演じられるもの。


 総じてこの手の人間は、まず自分が当事者になろうとはしない。

 当事者にならないが為に、他人を利用し、危険な場に差し出し、様子を見る。

 自分自身が絶対安全な環境にある限り、人間はいつでも神のように博愛主義だ。


「……だろうなぁ」


 辛そうな声音でカリオンもそう零した。

 自分以外の多くを犠牲に差し出し、相手が満足してくれるならそれで良い。

 平和主義者と呼ばれる人々の多くは、当事者になる事を最大限回避する。


 思えばカリオンも、そう言った卑怯な者達を幾つも見てきた。

 ただ、敬愛する父ゼルと同じヒトは、そんな卑怯をしないと思い込みたいのだ。


「まぁいずれにせよ、生き残りは全てか――


 何かを言いかけたカリオン。

 ウォークがそちらに聞き耳を立てた時、伝令がやって来た。


 ――――陛下!

 ――――陛下!

 ――――ヒトの生き残りに……


 馬上なのに肩で息をする伝令は、腰のポーチから竹の水入れを出して飲んだ。


 ――――お見苦しいところを!


「よい。して、報告は何だ?」


 苦笑いしつつも続きを求めたカリオン。

 伝令は胸を張って応えた。


 ――――生き残りのヒトの集団を見つけました!

 ――――茅街自治団のギンとタカと思われます!


 その報告にカリオンとウォークがハモって応えた。


 「『何だと!』」


 ――――間もなくここへ来るでしょう!

 ――――しばらくお待ちを!


 再び掛けていった伝令を見送り、カリオンは首を傾げた。

 今までの報告では茅街の中枢は根こそぎ破壊されたはずだが……


「とりあえずは時系列に沿っての流れを聞き出したいですね」


 ウォークは前向きなスタンスでそう言った。

 茅街が襲われた時系列に、改善点があると踏んだのだ。


「そうだな……それに、街の住民がどうなったのかもな」


 カリオンはあくまでヒトの保護を忘れた訳では無かった。

 しかし、事ここにおよに及び、最終的にはル・ガルを何とかせねばならない。

 イヌの国が安定し、初めてヒトの保護を行う余力があるのだ。


 ――――いったいどうなったというのだ……


 溜息混じりにウンザリとしていたカリオン。

 ややあってその場に幾人かのヒトがやって来た。

 イヌの騎兵に引率されたその姿は、マントを羽織っただけだった。


「2人とも無事で何よりだ」


 カリオンはまず2人の無事を祝った。

 その言葉にギンとタカが顔を見合わせ苦笑いだ。


「お恥ずかしい所をお見せいたします」

「見苦しい限りです」


 恐縮する2人はカリオンの前で片膝を付いた。


「怪我も疲労もあるだろうから簡潔に問うが……一体何があったのだ。街はどうなった。街に生き残りは居るか?」


 茅街はどのように襲われたのか?

 カリオンは真っ直ぐにそれを問うた。そして、街の様子を聞かねばならない。


 ギンとタカは戸惑ったようにして首を捻った。

 何をどう言って良いのか思案したというのが実情だろう。

 ややあってギンは観念した様に重い口を開いた。


「先日夕刻、街の中に1人の男が入って参りました。最初は細身なヒトの男かと思ったのですが、よく見ればそれはキツネの女だったのです。ややあって今度は別の道から丸々と肥えた者が入ってきて、恐らくはタヌキかと思われますが……」


 ギンの報告を黙って聞くカリオンは、険しい表情になっていた。

 街に入ってきたのがキツネの女という時点で、悪い予感しか無い。


 およそキツネの一族は知恵が回り、頭の回転が異常に良い。

 抜け目なく振る舞うネコなどを手玉に取れるのはキツネだけだ。


 そんなキツネが絡んでいる。

 もはやそれだけで頭痛の種と言って良い事だった。

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