偽の王
~承前
検非違使とはおよそ無敵の存在のはずだった。
その実力は、騎兵百人を敵に回しても問題ないと言える。
だが、ヒデトは真剣な表情で平和的解決を訴えていた。
話し合いによる解決なと、ただの画餅に過ぎないはずなのに……だ。
――他人のフリ?
カリオンの表情が僅かに曇った。
ヒデトはあくまでヒトの代表というスタンスだった。
「……で、偽者だのなんだのと――」
カリオンの声がいよいよ剣呑になってきた。
それこそ、その言葉を聞くウォークやドレイクが顔色を変える程に。
「――何か根拠でも……あるのか?」
言葉は時に武器となり、人を殺す凶器ともなる。
相手の心を粉砕して、再起不能にするのだ。
「そ……」
北方種の男は言葉に詰まってワナワナと震えた。
その首から提げる首輪状の個人識別章にはマラートの文字があった。
「リヴァノフ卿。余はそなたの家になにか迷惑を掛けたかね」
カリオンがそう言ったとき、ウォークやドレイクは一斉に個人章を見た。
マラート・マルコヴィチ・リヴァノフと書かれたそこには、牙の紋章があった。
リヴァノフ一門と言えば北方山岳地帯の雄だ。
雪と氷に閉ざされる季節を物ともせず、白銀の峰を越えた一族。
彼等はたびたびフレミナ一門とのいざこざを起こしてきた。
言うなれば、イヌとオオカミの主導権争いの先頭にいた一門だ。
そんな彼等にとって、カリオンの存在が迷惑かと言えば……
「我がリヴァノフ一門の問題では無い!」
マラートは迷いを振り切るように大声で言った。
吹雪き荒れる氷雪の平原を駆けた一族なのだ。
声の大きさには自信があるし定評もある。
「始祖帝ノーリ以来、ル・ガルの国是はイヌの安寧である!」
マラートの声に武装集団の間から『そうだ!』の声が上がる。
そして、それに混じり『今すぐやめろ!』とヤジが飛ぶ。
マラートはその声を手で制しながら続けて叫んだ。
胸を張り、自信を持った声で……だ。
「だが、この偽の王はイヌに徒なすオオカミと和睦し、我が国を焼き払ったネコを滅ぼす事もせず!! ただただ惰眠を貪るばかりでイヌの為に働こうとしない!」
『ワー!』と歓声が上がり、『その通りだ!』と声が飛ぶ。
沸き起こるそれらの声に混じり、『偽者!』と騒ぐ。
だが、その声にドレイクが言い返した。
「……結果としてル・ガルは安定したぞ――」
呆れた様子で漏らしたその言葉には、溜息のトッピングがあった。
「――君らはいったい、王の何を見ているのだ?」
心底小馬鹿にするドレイクの言葉にマラートは『うるさい!』と叫んだ。
「うるさい! うるさいわ!」
その姿を一言で表現するなら、それはもう『キチガイ』以外に無い様子だ。
目を見開き、口から泡だった唾を飛ばし、メチャクチャな声で喚く姿。
「偽の王のお友達は結構だな! 覚えめでたく立身出世か! 収賄だろうが!」
……はぁ?
ドレイクは返す言葉が無かった。
いや、正確に言えば、呆れて言葉が無かった。
要するに負け組がみせる嫉妬と羨望だ。
そして、出世の夢を絶たれた貧乏人が見せるヤッカミ。
世の中の不公平に対する、どうしようも無い怒りと無力感。
全ての責任が王に収斂するように、世界への不満も王へ収斂する。
その声が集まって束になって、そしてこのザマだった。
「戦が無ければ人が死ぬ事も無い。父の帰りを待つ子等の願いはいつの時代も同じであろう」
呆れた様子でこぼすドレイク。
だが、マラートはワナワナと震えながら言った。
「戦の有る無しでは無いのだ!」
……あれ?
言っている事の一貫性が無い。
それは、感情論で喚くだけの無能者が見せる典型的な姿だ。
「……要するに感情論か」
そう。結局はここなのだ。
上手く行かない。
気に食わない。
あいつが悪い。
それらのネガティブな感情が自体を拗らせ解決を難しくする。
要するに、マラート達は王が邪魔なのだ。
そして、事態が悪化したとしても憎悪の感情を受け止めてくれれば良い。
そんな子供じみた思考回路の発露として、彼等は徒党を組んでいた。
自分達の思うようにならない現実に対しての、醒めきったクーデターだ。
「感情論なんかでは無い! 我等の熱い意志だ!」
……あぁ
だめだな……
ドレイクはウォークと顔を見合わせ心底嫌な顔をした。
もはや当人も自分が何を言っているのか解ってない。
どれ程馬鹿な事を言っているのか理解していない。
「馬鹿の相手は疲れる……」
ウォークはボソリと呟いて首を振った。
その姿がマラートのプライドを傷つけたのか、突然大声で叫んだ。
今までで一番大きな声だった。
「戦が無ければ我々は出世出来ない! それどころか家の維持も出来ない!!
アチコチから『そうだそうだ!』の声が上がり、ややあって隣の男が叫んだ。
ボルボン家の一門と思われる、真っ白い体毛な小柄の男だった。
その首にはクロヴィスと書かれた識別章があった。
「戦が無いだけならまだしも、王は軍を解体し! 縮小し! 我等から禄すらも奪おうとしている! イヌを虐げる王など王とは呼べぬ!」
クロヴィスに続き猛闘種の男が言った。
その首輪に書かれた名はアーヴェイだった。
「そもそもイヌの都を焼き払った忌むべき魔法を取り込むとは何事か! ル・ガル国軍は艱難辛苦を乗り越える精兵だ! それを……魔法なんかに頼るとは!」
一体何を言いたいのか、カリオンは混乱した。
だが、その向こうにある物は理解していた。
前夜遅くに緊急開催されたリリスの会議室で聞いていたのだ。
リリスはその莫大な魔力を使い、武装勢力の接近を警告していた。
そして、彼等とは話し合いの余地など無い事を言っていた。
――彼等の主義主張はメチャクチャよ
――行動に一貫した思想なんか全くないから
――要するにあなたが嫌いなの
――それが全ての種発点
――単なるヤッカミよ
リリスが言った言葉が全てだった。
本来であれば社会の底辺であるべきマダラが王位に就いた。
それだけでも腹立たしい者は多いのだ。
ル・ガルが絶望的に階級分けされた社会である事は言うまでも無い。
その中で、頂点と言うべき太陽王のポストにマダラがいる。
如何なる言葉を使ったとしても、その事実それ自体が腹立たしいのだ。
だからこそ彼等は思う。
カリオンが嫌いだ。
カリオンが王であるなど何かの間違いだ。
カリオンで無ければ太陽王が誰だって良い。
マダラでさえ無ければ誰でも良い。
血統と家柄が全てのル・ガル社会で、雑巾色の雑種よりも下の存在。
全ての面で差別の対象となるマダラが太陽王になったのだ。
優良血統出身である……と言うだけで他に取り柄の無い者には酷な話だった。
「……何故にシュサ帝は死んだのだ?」
黙って話を聞いていたカリオンは、ふとそこから切りだした。
マラート以下3人は一瞬だけびくりと震えていた。
「お前が国軍を弱体化させたからだ!」
……え?
流石のカリオンも咄嗟に言葉が出なかった。
時系列的におかしい話を真顔で大声を張り上げて叫ぶ。
その異常さを当人が全く気が付いていない。
「余はシュサ帝と並んで馬で駆けた事すらないぞ?」
カリオンは呆れた声で言った。
だが、その返答は支離滅裂ッぷりが加速していた。
「やかましい! そんな話は聞きたくないわ! だいたい――」
マラートは拳を振り上げて叫んだ。
何とも表現しようのない、完全な異常者の姿だった。
「魔法が出来ぬ者は軍を去らねばならないだろ!」
――へぇ……
呆れ果てたドレイクとウォークは、既に馬から下りていた。
普通に話を聞くのが馬鹿馬鹿しくなり始めたのだ。
「用兵や戦術は時代に応じて変化する。変化に対応出来ねばル・ガルは滅びる。余はその為に『そんな事はどうだって良いんだよ!クソがぁぁぁ!!!!』
マラートはデタラメな声で叫んだ。
「嫌なんだよ! 嫌なんだ! 嫌! お前が嫌なんだよ!」
カリオンを指さして叫ぶマラート。
それは、2歳児が見せる魔のイヤイヤ期を大人がやっているだけだ。
「言いたい事はそれだけか?」
馬から下りていたウォークは小弓を取りだし矢を番えた。
そして、素早く弓を引き絞ると、警告無しでパッと放った。
キュン!と音を立てて飛んだ矢はマラートの喉を貫き声を潰した。
「黙って聞いていれば延々と子供の駄々を喚いて……」
「……全くだな。侍従長の言う通りだ」
ドリーは抜き身の剣をクロヴィスに向けて言った。
「ボルボン家は太陽王に弓引くと考えて良いな?」
スペンサー家を預かるドレイクの言葉は重要な意味を持つ。
つまりは、枢密院がボルボン家を切り捨てる可能性について言及したのだ。
だが……
「ボルボン家では無い。弓引くのはイヌ自身だ――」
クロヴィスは馬上からドレイクを指さして言うのだった。
「――見ろ! この偽の王はイヌでは無くヒトを大事にしている。マダラの王など所詮この程度だ。我等はそんな者を王とは呼びたくない。それだけだ」