話し合いによる解決
「来ましたね……」
ウォークは身震いしながら言った。
ガルディブルク郊外にある広大な草原地域は、本来ならビッグストン練兵場だ。
騎兵や歩兵など、様々な兵科が自由に駆け巡って平面機動を学ぶ場所。
その演習場と言うべき草原地帯は、緩やかな地形的うねりを持っている。
丘と言うには些か低い、盛り上がった場所の上。
カリオンはウォークとドレイクを従え、馬上にあった。
……それは、前日早朝の事だった
――――陛下!
まだ寝ぼけ眼のカリオンをウォークが叩き起こした。
カリオンとサンドラの寝室にノック無しで入れるのはウォークだけだ。
まだ寝息を立てていたサンドラまで起こしたウォークの声だったが……
――これは……
それは、ドス黒く変色したカリオンの馬上マントだった。
前日、イヴァンに託したマントは、カリオンの名代の証だった。
威力偵察に出る彼の背には、このマントがあったはずだ。
――――茅街を出た武装集団は明日にでもここへ到着するそうです
ウォークは震える声でそう説明した。
そして、折りたたまれたマントを広げて見せた。
夥しい数の矢の痕と、そして斬られた痕があった。
――――イヴァン殿は重傷とのこと
――――武装勢力が預かっていると……
ウォークの報告にカリオンは顔色を変えた。
激しい怒りと落胆とがない交ぜになっていた。
――合戦の仕度をせよ
――余が直接出向く……
――ガルディブルク郊外で迎え撃つぞ
そのカリオンの命に王都中が大騒ぎになった。
近衛師団も各連隊も一斉に動き出した。
太陽王と共に戦い、馬で走る。
それ以上の名誉はル・ガルには無かった。
――――ただの一撃で滅ぼしてしまいましょう……
ウォークですらも前のめりに入れ込む怒りようだった。
そして一夜が明け、国軍は賊徒を迎え撃つべく待ち構えていたのだった。
「……何という事だ」
ドレイクが吐き捨てたその言葉は、心底忌々しいと言わんばかりの物だった。
3人が見ているのは、丘と丘の谷間を流れる川沿いの道を行く者達だ。
隊列の先頭にいるのは、ブルーグレーの毛並みを持つ北方種の大男。
そのやや後方にいるのは、スペンサー家の一門と思われる猛闘種。
わずかに間を開けて続くのは、純白の毛並みをしたボルボン一門の男だった。
様々な血統一門の垣根を越えた連合軍状態の騎兵たち。
だが、問題はそこでは無かった。
「ドレイク……」
カリオンは静かな怒りを込めて呟いた。
その言葉にドレイクが弾かれたような顔になっていた。
「準備は万端です」
「……よろしい」
カリオンの右手が頭上にかざされ、ヒョイと前に倒された。
それと同時、丘のやや後方に控えていた近衛騎兵団の騎兵がラッパを吹いた。
合戦開始のラッパが鳴らされ、続いて今度は全騎行動開始を告げるラッパだ。
一瞬の間を置いて、大音声の歓呼が鳴り響き、行軍してきた者達は足を止めた。
彼等が見上げたのは、丘の上に勢揃いした近衛騎兵の集団だった。
――――我等が太陽王に歓呼三唱!!
ドレイクが大声を張り上げた。
それは、彼が夢にまで見たシーンだった。
かつて、カリオンの丞相だったジョージが行ったもの。
アレを自分もやりたい!と、心から願ったのだ。
――――ラァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!
――――ラァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!
――――ラァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!
丘に揃った近衛騎兵が一斉に鬨を上げた。
耳を劈くその声は、武装集団の足を止めるのに充分な威力だった。
――――――――帝國歴392年 3月 22日 午後
ガルディブルク郊外 ビッグストン演習場付近
統制の取れた近衛騎兵の動きは、そこらの騎兵ではマネの出来ない物だ。
足の止まった彼等を見下ろすドレイクは、更に声を上げた。
――――王に弓引く逆徒を滅ぼせ!
ドレイクの野太い声に続き、騎兵たちの鬨が続く。
三度の唱和に続き、ドレイクはさらに兵を煽った。
――――輪を乱す鼠賊を我等の蹄に掛けよ!
地響きを伴うような三唱が轟いた。
それは、文字通りに轟いたのだ。
丘の上を見上げる武装集団は見た。
正面の丘に陣取る近衛師団に続き、東の丘にスペンサー家の東方集団が現れた。
そして、その向かいの西側には、レオン家の西方騎兵団が姿を現した。
これだけで少なくとも5万規模の騎兵団なのは間違い無い。
しかし、それに続き丘と丘の間の沢筋から歩兵団が現れた。
長弓と弩弓を持った投射集団は、弓を頭上に掲げていた。
――――天網恢々!
――――全て討ち滅ぼせ!
全軍の兵士が一斉に叫び声を上げた。
鬨の声は遠くガルディブルクにも伝わった。
城のバルコニーに出てその声を聞いたサンドラは表情を曇らせる。
カリオンに付き従い、エルムも出撃していたのだ。
「……エルムが羨ましい」
ボソリと呟いたのはガルムだった。
長い髪を後で束ね、羽の付いた幅広帽を被っているガルム。
黒尽くめな男装の麗人姿で母サンドラの隣に立つ彼は、腰の剣を確かめた。
馬上コートの中、ぴっちりしたシャツ越しに豊かな胸が見えた。
「あなたは留守番なさい」
「……はい」
憂鬱な表情で遠くを見るガルム。
サンドラはただただ、カリオンとエルムの無事を祈った。
王都までやって来た武装集団と一戦交える……
そう宣言してガルディブルクを出撃したカリオン。
太陽王直卒の総戦力は、8万を超えていた。
「ドレイク」
「心得ております」
カリオンが指さした先、足を止めた武装集団の先頭グループにヒトの姿がある。
彼等は茅街で捕虜となったヒトなのだろう。ただ、問題はその扱いだ。
先頭集団の最前列。
一団を率いる馬の鞍から長いロープが延びている。
そのロープはやや後方のヒトの所まで延びていた。
「アレが……博愛精神を持つべき騎士のやる事か……」
普段から冷静なウォークですらもブチ切れそうなその姿。
それは、男も女も裸に剥かれ、手首まで拘束される首枷が嵌められていた。
ロープはその首枷に通されていて、馬の後に10人程度ずつ繋がれている。
「ドレイク」
「はっ!」
怒り心頭なカリオンは、奥歯をギリギリと鳴らしながらドレイクを見た。
血走っているかのようなその眼差しには、狂気染みた殺気があった。
「あの男は生け捕りにしろ」
「……畏まりました」
「必ず余の前につれて参れ。良いな」
ドレイクは恭しく頭を下げ、自らの胸の前で左右の拳をぶつけ音を鳴らした。
命に代えて必ずや……を意味する近いの仕草。
それを見届けたカリオンは、右手を大きく挙げて全員の視線を集めた。
周囲の丘に陣取る者達が一斉に駆け出そうとする中、カリオンの声が響いた。
「全員抜刀!」
周囲から一斉に風を切る音が聞こえる。
大量の戦太刀が引き抜かれ、翳されていた。
「掛かれ!」
カリオンの叫び越えと同時、腕が勢いよく振り下ろされた。
丘に陣取っていた近衛騎兵は直接その声を聞いて駆け出した。
広大な草原の中に騎兵たちの叫び声が響き渡る。
「行きましたね」
「あぁ」
ウォークとカリオンはそのシーンを眺めていた。
出来ることなら自分自身がその先頭に立ちたかったカリオンだ。
偉大な武帝であったシュサの血が嫌でも騒ぐのだ。
だが。
「……やむを得ませんね」
ウォークは忸怩たる表情になってぼやいた。
多くの騎兵が襲い掛かっていく中、武装集団の先頭にいた男が馬を降りた。
そして、馬の蔵に引っかけてあった太刀を抜くと、頭上に翳し叫んだ。
「何と言っているのだ?」
「さぁ。ここには聞こえません」
「この状況ではな」
丘の上のカリオンに聞こえてくるのは、大地を蹴る蹄の音のみだ。
近衛騎兵の叫び越えと大地が鳴り響く蹄の音。
そんな中では1人の人間がどれ程叫んだとて、声など聞こえる物では無い。
だが、音は通らずとも光は通る。つまり、姿は見えるのだ。
先頭にいた北方種の男は振り返り、一番近くに居たヒトの綱を切った。
綱を切られたのは、どうやらヒトの女の様だ。
ヨロヨロ数歩進み出て、立ち止まった。
何が起きるんだ?と訝しがったカリオンだが……
「馬鹿な!」
カリオンがそう叫んだ瞬間だった。
その北方種のイヌはヒトの女を後から袈裟懸けに斬った。
巨大なブロードソードによる一撃は、動体を完全に両断していた。
「なんて事を!」
グルグルと喉を鳴らしたウォークは、弾かれるように馬に乗ると駆け出した。
カリオンの側近中の側近であるウォークのスタンドプレー。
だが、それをカリオンが咎める事は一切無い。
ウォークは衝撃で行き足を落とした近衛騎兵を追い越し先頭に立った。
流れるように華麗な仕草で剣を抜き、一気に北方種の男に迫った。
「騎兵の面汚しめ!」
空を切る凄まじい音が響き、ウォークの振り下ろした剣が迫る。
だが、その刃が北方種の男に迫る直前、誰かが叫んだ。
「ちょっと待って!」
――なに!
驚いたウォークは剣を肩に乗せ真横を駆け抜けた。
叫んだのは首枷に拘束されたヒトだった。
――ヒデトか!
ウォークも何度か面識を持っているヒデトは、ナオの息子だ。
そして、検非違使の中でも指折りの実力派の筈。
「聞け! 偽の王の腰巾着!」
北方種の男が大声で叫んだ。
何とも荒々しい声だが、発音は典雅だった。
「偽の王とは聞き捨てならん!」
ウォークの後方からやって来たドレイクが男に斬り掛かった。
だが、その前に立ちはだかったのは、首枷のはまったヒトの列だった。
「どけ!」
ドレイクが大声で叫んだ。
だが、その返答は意外な物だった。
「待って! 剣を収めて話を聞いてくれ!」
ロープで繋がれた裸のヒトが何人も間に立ちはだかった。
それが何を意味するのかは解らないが、少なくとも騎兵たちは速度を落とした。
ややあって、全体が停止し草原に静寂が戻ってきた。
「頼むから話を聞いてくれ!」
ヒトの男が叫んだ。
その声を聞いたウォークは、やや離れた所に馬を進めてきた。
草原中の耳目が集まり始めた中、ヒトのヒデトが叫んだ。
「父ナオは争乱を止める為に命を落としました。我々は争乱を望みません」
……はぁ?
検非違使であるヒデトが何とも腰抜けな事を言い出した。
ウォークは呆れた表情でヒデトを見ていた。
何を腑抜けた事を言っているんだ?と、そんな表情だ。
「後方にはヒトの男女約300名が繋がれています」
ヒデトでは無い別の男が叫んだ。
誰だっけ?と真剣に考えたウォークは、検非違使のヤスアキだと思い出す。
「我等は戦闘を止める為に望んでここに来ました。どうか話を聞いて下さい」
ヤスアキは真剣な表情でそう言った。
冷静になって見れば、首枷に拘束されているのは検非違使ばかりだ。
彼等は自らの武力を棄てて騒乱を止めに掛かっているのだろう。
「……まず、彼等を解放し、まともな処遇をせよ。話はそれからだ」
ウォークは厳しい表情のまま北方種の男に言った。
だが、その北方種の男は呆れた表情で言い返してきた。
「ヒトを囲う街を極秘に造り、1人で儲けていた偽の王の腰巾着――」
その男はウォークを指さすと大声で言った。
「――お前も偽者だろう! イヌならぬ他の種族だろう! イヌに化けただけの偽者め! 正体を現せ!」
ウォークに歩み寄ったドレイクは不思議そうな顔になっていた。
何を言いだしたのかもそうだが、ここに居てヒトの壁になったのは検非違使だ。
後方にいると言うヒトは、恐らく普通のヒトだろう。
彼等を助ける為に、検非違使は身をはっているのかも知れない。
「何を言いたいのか良く解らんが、寝言はそれだけか」
唐突に威厳のある声が響き、そこにカリオンがやって来た。
ヒデトとヤスアキの姿を見つけ、怪訝な表情だ。
「どうか……話し合いによる解決をお願いします。ヒトが捕らわれているのです」
真剣な表情でそう訴えたヒデト。
今にも泣きそうな顔になったヒデトは、真っ直ぐにカリオンを見ていた。
伊達や酔狂では無い……と、カリオンはそう判断せざるを得なかった。