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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
中年期~憎しみと苦しみの螺旋
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祖国戦争前夜

~承前






 誰一人として言葉を発する事が無かった。

 その『降伏』と言う言葉のインパクトが強すぎたのだ。


 何より、街に突入した武装集団の規模が問題だ。

 数千人と言う事は、ボルボン家本拠のソティスに居る者全てだろう。

 ル・ガルの国軍は周辺都市に分散して散在するのが普通なのだ。


「ソティス駐屯の兵全てをそっくり動員したとでも言うのか……」


 さしものルイも髭を震わせて驚いている。

 かつては自らも所属したボルボン家麾下にある騎兵団だ。

 勇猛果敢で質実剛健を旨とする、精鋭集団の筈だ。


 その騎兵団がヒトの皆殺しに加担している……


「やはり、あの男は家に入れるべきではありませんでしたね」


 ジャンヌの言葉にルイは力なく首肯した。

 ドサリと音を立てて腰を下ろした椅子の上で、首を振りながら呟いた。


「商人が信奉するのは……信義でも礼節でもなく……ただ、銭のみか……」


 重苦しい空気が室内に蟠り、皆が鉛を飲んだように押し黙った。

 そんな中、ふと気が付いたようにジャンヌは言った。


「で、その武装集団はそれからどうなったの?」


 純白の体毛をかすかに震わせ、悔しさを滲ませたジャンヌ。

 一度は信を置き、後を託した男に裏切られたのだ。


 デュ・バリー自体はカリオンに斬られて果てていた。

 しかし、その妻マリは生きている。そして恐らくは弔い合戦に及んでいる。


「それが……」


 ウォークは一瞬口ごもった後、室内をグルリと見回した。

 全ての視線が集まっているこの場では、さしものウォークもうろたえた。


 ただ、話をしない事には、事態は進まないのだ。

 ひとつ息を吐いてからウォークは言った。


「街に残っていた連絡要員5名のうち、王とに辿り付いたのは2名のみ。残りは道中で追撃され果てたようです。従いまして『その後は不明か……』


 長距離で意思の疎通を図れるようなデバイスは、この世界には無い。

 日中の連絡は伝令が全てで、光通信は夜間で無ければ使えない。

 しかも、その夜間通信をするにしても、途中に中継所が必要だ。


 打つ手なし……


 その現実がカリオンに重く圧し掛かった。

 不思議と怒りに我を忘れるような事は無かった。

 ある意味、どこか覚悟を決めていたのだ。


 ――リリスの言ったとおりか……


 こうなると今すぐリリスと話をしたくなる。

 彼女の持つ千里眼の能力で状況を判断して欲しくなる。

 王都から遠く離れた茅街の状況は、ここからでは窺い知ること等出来ないのだ。


 ――どうしたものか……


 激しい逡巡をどうにも出来ず、カリオンは混乱した。

 だが、その姿は公爵たちには違う様に映ったらしい。


「陛下」


 イヴァンは静かに切り出した。


「手前の配下を引きつれ北方へ参りましょう」

「……威力偵察か?」

「そうです」


 北方系の一族は血統的に遠乗りを苦にしない。

 馬さえ潰れなければ、一晩で100リーグを走りきると言われている。

 寒さに耐える厚い皮下脂肪と屈強な骨格は、馬上でのスタミナに繋がっていた。


「我ら一門、まだまだこの陽気では意気軒昂です。手前自らが陛下の耳目となり、事態を確かめてまいりましょう」


 イヴァンは胸を張ってそう言った。

 カリオンの脳内に浮かび上がったのは、時間稼ぎだった。


 武装集団が茅街を襲った理由は解らない。

 だが、ヒトが連れ出され売られる事態は歓迎しない。

 ならば、ここはイヴァンを送り込むのが上策……


「解った」


 カリオンは馬上マントの留め金を外し、まだ埃の残るマントを下ろした。

 太陽の紋章が描かれたそのマントは、馬軍にあって個人を特定するものだ。


「イヴァン。そなたは余の代理だ――」


 マントを畳む事無くイヴァンの肩に掛けたカリオン。

 イヴァンは精一杯引きつった顔で震えた。


「――茅街の様子を伺い、可能であれば武装集団を殲滅せよ」

「……つっ 謹んで拝命いたします。この命に代えまして『ならん!』


 震えるイヴァンに対し、カリオンは一瞬だけ声を荒げた。

 その手を震える肩に添え、笑みを浮かべて言った。


「荷の勝る敵だとわかれば、潔く撤収し情報を持ち帰れ。余は――」


 カリオンの目がドリーを捉えた。

 羨望の目でイヴァンを見ていたドレイクは、ハッとして背筋を伸ばした。


「ドレイクらの騎兵が支度整い次第、全てを率いて茅街を目指す」

「では……」


 イヴァンの任務は何よりも重いものになった。

 それは、合戦に及ぶ前の重要な戦力偵察だ。


 鎧袖一触に蹴散らすことなど容易いだろうが、それは周到な準備あってのこと。

 上空から戦場を確かめる術など無い平面戦闘の時代なのだ。

 事前偵察は途轍もなく重要な意味を持つ。


 ただ、この場合の『情報を持ち帰れ』が異なる意味を持つのは明らかだ。


 ――――敵の正体を見極めよ


 カリオンの言った言葉の本質はここにある。

 重要な局面にあることなど、今さら言われなくとも良く分かっている。


 茅街を攻め立てる側が何者なのか。

 それが国内勢力であれば何とかなるのだろう。

 だがもし、仮にその集団が他国の武装集団だった場合……


 鼠賊討伐や反逆の徒の粛清ではなくなるのだ。


 場合によっては第6時祖国戦争に突入する。

 ネコやキツネやトラと言った種族が混じっていた場合は、自体が複雑になる。

 街を攻め立てて追い出し、その後を追っての追撃戦になる可能性がある。


 そして彼等がその本拠となる地域まで攻め続け、場合によっては……


「……貴卿の任務は果てしなく重い。解るな?」

「もちろんであります」


 カリオンが手渡したマントの意味。

 果てしなく重いその任務にイヴァンは武者震いを始めた。


「必ずやご期待に応えて見せましょうぞ」

「あぁ。貴卿の手腕に期待している」


 カリオンの言に背筋を伸ばしたイヴァンは、眩い物でも見るかのようしている。

 そして、自らの右拳を右側頭部へ殴りつけるように当てて敬礼した。


「……必ず生きて帰ってきてくれ」

「畏まりました」


 イヴァンはその足で部屋を出ていった。

 いつか何処かで見たような気がするシーンだとカリオンは思った。

 ただ、その実に触れぬよう思考を切り替え、グルリと室内を見回した。


「ドリー。騎兵団の支度を急がせろ」

「畏まりましてございます陛下」


 ドレイクは飛び出すように部屋を出ていき、城下の参謀本部へと向かった。

 室内に残ったルイとアブーは顔を見合わせてから首肯する。


「では、我らも支度を始めます」

「歩兵団は荷物を減らし速度を取ります故、兵站に付いてのご配慮を」


 アブーは歩兵団が速度を取る事を宣言した。

 兵は拙速を尊ぶが、歩兵ですらも駆け足での移動を図るのだろう。


 もともと彼ら南方種は、気候的に厳しいところを移動するのに適応している。

 それ故に、こんな無茶も出来るのだが……


「では、その兵站は我らで受け持とう」


 話を聞いていたポール・グラハム・レオンは、最後に残った役を引き受けた。

 王都からそれほど離れていないレオン家の本拠メチータが重要な役を追う。


「あぁ、頼む。余は近衛師団の出動を命ずる。明日には全てが動き始めるだろう」

「それでは、陛下はそれまでご休憩を。後は引き受けます」


 ウォークが場を〆るようにそう言った。

 ただ、休憩はこの場合はちょっと意味が違う。


 一眠りするならリリスと話も出来るだろう。

 つまり、情報収集をしてくれ……と、ウォークは言外に伝えたのだった。


「……そうだな。まずは一眠りするか。昨夜は徹夜だった」


 軽い調子でそう応えたカリオン。

 だが、私室へと戻り身軽な格好になると、やはり疲れは出る。

 女官たちが身の回りを片付け終る頃、サンドラがやって来た。


「疲れてるね」

「あぁ」


 ソファーの上でグッタリするカリオンの姿は、もはや老人にも見える。

 決してそんな歳ではない筈なのだが、サンドラにはそう見えるのだ。


「疲れているのにこんな話で申し訳ないけど……」


 何かを切り出そうとしたサンドラだが、カリオンはそのサンドラの手を引いた。

 抱き寄せられる形になったが、それに付いてサンドラは何も言わずにいた。


 本当はリリスを抱き寄せたいのだろう。何となくだがそれは分かっている。

 しかし、城の奥深くで息を潜めるリリス故にそれも出来ない。

 寡婦と言う訳ではないが、会えない辛さは身を斬るより辛い。


「すまん。ちょっとだけこうさせてくれ」


 サンドラはそこにカリオンの孤独を見た。

 そして、その孤独の隙間を自分が埋めていると言う事に妙な満足感を持った。


 思えばこのサンドラは、常に城の中でリリスと比べられている。

 死者は失敗しないとフレミナでは言うのだが、解っていても人は比べるのだ。


 城のスタッフでもリリスが城の地下にいる事を知る者は少ない。

 常に100人以上の城詰めが居るなかで、恐らく10人と居ないだろう。

 それ以外の、リリスは死んだものと思っている者は、ある意味で面倒な存在だ。


 理想の女性像として偶像化されてしまったリリスと対比される運命(さだめ)

 だが、サンドラはまだ生きているし、辛い時にはくじける事もある。

 弱音を吐き、誰かに辛く当ってしまう時だって一切ではない。


 ――――リリス様はこんな事しない……


 言葉にしないだけで、そう思う者は余りに多い。

 そんな者達からの有形無形なプレッシャーと戦っているのだ。


「……好きなだけ」


 サンドラは手を伸ばし、カリオンの頭を抱かかえて自分の胸に顔を埋めさせた。

 柔らかな感触にカリオンはサンドラの母性を感じ、心がフッと緩むのを感じた。


「太陽王は修羅の道ぞ……」

「歴代の王は誰だって、時には弱音を吐いたのよ」

「……そうだな」


 思えば祖父シュサ帝の集めた女たちは、誰もが皆つらい星の持ち主だった。

 そんな女たちは自らの庇護者であるシュサ帝に尽くしていた。


 逆に言えばそれは、シュサ帝が太陽王の重責を下ろせる場だったのだろう。

 時には一人の男に返り、本音をこぼしてストレス解消したかったのだろう。

 今のカリオンにはそれが嫌と言うほど解った。


「で、さっき何を言おうとした?」


 30秒足らずな沈黙を挟み、カリオンはそれを問うた。

 もっとこの時が続けば……とサンドラは願っていたのだが。


「……リリスが言うにはね」


 それは、先日の事だった。

 夢の中で善後策を話し合った時、リリスは茅街を攻めた後が見えないと言った。

 様々な可能性が同時に存在していて、はっきりとしたビジョンが見えないのだ。


 ただ、ひとつだけハッキリしているのは、ヒトは全滅しないと言うこと。

 そして、恐らくはいつか見たあのキツネの陰陽師が糸引いている事。


 この時、リリスは初めて恐ろしいと言う言葉を口にした。

 強気で勝気で能天気なところがあるリリスが……だ。


「信じられないな」

「でしょ」


 ほの暗い勝利の余韻を感じ、サンドラはニヤリと笑った。

 何時もリリスの次だった自分が、今は太陽王の寵愛を独占している。

 それは、否定出来ない女の性でもあった。


「手を誤ると、酷い事になるって」

「あぁ。それは承知している」


 カリオンは小さく溜息をこぼし、ぼやいた。


「正直、茅街でデュ・バリーを斬るべきではなかった」

「生かしておかれるのですか?」

「あぁ。生かしておいて黒幕を吐かせるべきだった」


 やっちまった……

 そんな表情のカリオンは肩を竦めて言った。


「父上が良く言っていた。死体は黒幕を吐かないと」

「でも、夢の中で……」


 リリスはデュ・バリーの魂を捉え、夢の中で尋問していた。

 それ故に対処が定まったとも言える。

 だが、逆に言えば公に出来ない情報でもあるのだ。


「手の内を明かされようとしているのかも……しれんな」


 カリオンは危惧している事の本質をついに漏らした。

 腹心の部下にすらも秘密を作っている太陽王を暴こうとしている。


 部下から疑われるように。

 不都合な真実が明るみに出てしまうように。

 その様に追い込まれている。


「歓迎しない事態ね」

「あぁ」


 短く応えたサンドラの言葉に、更に短い言葉を返したカリオン。

 ただ、そんな危惧は往々にして真実になってしまう。

 そして、カリオンは人生最大の窮地を迎える事になる。


 だが、少なくともこの時はまだ、平穏だった。

 荒れ狂う大波がカリオンの足元を浚うまで、もう時間はなかった……

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