茅街の命運
~承前
「本当に……これで良かったのですか?」
ヴァルターは怪訝な調子でそう問うた。
茅街から王都へと続く細い街道は、検非違使以外に通る者の無い獣道だった。
王都を出発してから既に2週間が経過し、留守を預かるウォークも限界らしい。
少々手荒な行為をしてでも王都へ帰還を……と、連絡があった。
もはや王府を空け続けるのは問題だと言う事だ。
「……ガルディブルクでも何かが起きている可能性がある」
カリオンは硬い声音でそう応えてヴァルターを見た。
鋭い眼差しに気圧され、一瞬だけ視線をそらす。
だが、再び気を入れてカリオンを見たヴァルターは言った。
「茅街が再び襲われかねません」
2度の侵入者は何とか撃退した。
ボルボン家からの横槍とでも言うのだろうか。
2度目の侵入者は純粋なリベンジャーだった。
こうなると3度目の危険性を考慮せねばならない。
だが、あのデュ・バリー率いた商才集団が深入りするとは思えない。
利が無いとなれば手控えるのが商人の基本なのだ。
「……それも考慮したが、いったい何処の誰がどんな利を求めて街を襲うのだ」
「それは……――」
カリオンの応えにヴァルターは言葉を詰まらせる。
確かに商人ならば利のために行動するだろう。
だが、2度目の侵入者は純粋な暴力集団だったとヴァルターは感じていた。
「――純粋に街を滅ぼすのが目的では?」
ヴァルターの言葉にカリオンは苦笑いを浮かべた。
確かにその可能性はあると考慮したし、想定の範疇だった。
だが、想定できたとして、では実際にどう対処するのだ?と。
突き詰めて考えれば、結局はそこに行き着くのだった。
「その場合、どう対処する?」
カリオンは嗾けるようにそう問うた。
太陽王の直卒する僅か50人の親衛隊と、ヒトの闘争団。
その両方を合わせても100人に満たないのだ。
だが、3度目の正直で攻め掛かる側は、もっと人を用意するだろう。
それこそ、本当に数に頼んで壮絶に攻め掛かるだろう。
カリオンが戦えと言えば、親衛隊は死ぬのを厭わず戦う筈。
だが、それでも至れる結末は見えているのだ。
「……見捨てるのですか?」
やや抗議がましい口調でヴァルターは言った。
それに対し、カリオンは溜息混じりに返答を返した。
「見捨てはしない。その為に一刻も早く王都へと戻り、国軍を率いて出撃する」
「……え?」
カリオンの意外な言葉にヴァルターは驚いた。
国軍を率いると言う事は、少なくとも近衛連隊を動かすと言う事だ。
王都に常駐する近衛連隊は4個連隊からなっている。
総勢で1万を軽く越える2個師団規模の精鋭集団は王府直轄集団だ。
各方面に展開する方面軍は各公爵家などが管理運営している独立軍でもある。
統帥権は王にあるが、王の一存で動かすわけにはいかないのだ。
故に、カリオンが直接動かせるのは2個師団規模の近衛連隊だけだった。
「まさか……ボルボン家と事を構えようと……」
「バカを申すな。ボルボン家はクリスに再度預ける。今のボルボン家を差配する集団を排除するだけだ」
カリオンは馬上でそう説明した。
ヴァルターは唖然としたままだが、カリオンは遠慮無く続けた。
「ヒデトの言葉を聞いただろう?」
その言葉にヴァルターは首肯する。
ギンから不手際を指摘されたナオは、否定出来ず項垂れた。
その姿を見ていたヒデトは、胸を張って言ったのだった。
――――街に侵入する賊徒は自分が排除する
――――如何なる者が相手でも全て死んでもらう
――――だから結果論で責めないでくれ
ギンに向かって強い口調で言ったヒデト。
あくまで冷静に言ったつもりだったが、その姿には殺気が混じっていた。
覚醒者の中でも特段に実力を持つ流浪人のヒデトだ。
ギンがどれ程に腕の立つ剣士であっても、敵うわけが無い相手だった。
――――自分は街に残る
――――1000人でも2000人でも掛かってくれば良い
――――全て……この手で
ヒデトは器用に右腕だけ覚醒させ、右手を拳にしてギンに見せた。
その拳には幾多の傷が残り、凄惨な修羅場をイメージさせた。
「ああ言われてしまっては、ギンやタカも納得せざるを得ませんね」
ヴァルターは何処か呆れながらそう言った。
ヒデトは気迫と覚悟を示して完璧にその場を支配したのだ。
どちらかと言えばナオは口下手で細かい説明が苦手だった。
それを補って余りあるのが、ナオの息子ヒデトだった。
純粋な傍観者的視点で言えば、将来が楽しみな若者だ。
「まぁ、いずれにせよ、王都へ急ぐぞ」
「ヤボール!」
馬上のカリオンは常歩から速歩へと馬の速度を上げた。
鞍上での上下運動を伴う速歩は両脚の負担が大きい。
だが、その移動速度がほぼ倍になる上に馬はそれ程疲れない。
騎兵に求められる要件のひとつでもある体力の錬成は、ここにも意味があった。
「ヒデトだけでは無い。近日中にイワオも戻って来る手筈だ。他にも歴戦の検非違使が50人は揃う。師団規模の侵入者とも互角に戦うだろう」
カリオンは空を見上げながらそう言った。
それが願望である事など解りきった事だった。
「せいぜい期待しましょう」
ヴァルターはあくまで不安げだった。
あの侵入した賊徒のデタラメッぷりが気になったのだ。
斬られて尚立ち上がり自爆を選んだあの賊は何者だったのか。
自爆する刹那に見たその姿に、生気は一切無かった。
まるで死体が立ち上がりその場で自爆するような姿……
死して尚戦おうと覚悟を決めたような、純粋な闘争心。
それならば一向に構わない。死にきるまで殺せば良いだけだ。
一度斬って死なぬなら二度斬れば良い。
三度四度と斬って死なぬなら捻り潰せば良い。
それでも死なぬなら焼き殺すなりすれば良い。
血を流す以上は死ぬ筈なのだ。
死した者は起きあがらないし、動く事も無い。
最初から死んでいない限りは……
「……言いたい事は解るさ――」
カリオンはヴァルターの本音を読み取った。
認めたくは無い現実がカリオンにも重くのし掛かっていた。
「――死体は殺せないからな」
あの賊徒は誰かに操られているのでは無いか。
そしてそれは、あのキツネの陰陽師ではないか。
どうしてもそれを確かめねばならないのだからこそ、カリオンは先を急ぐ。
その実態を知っているであろう、ウィルケアルヴェルティの言葉が要るのだ。
「御意」
手短に応えたヴァルターは、後続の親衛隊に速度を上げるサインを出す。
いつの間にか馬の足は速歩から駈歩に上がっていた。
――――同じ頃
王都ガルディブルク中心部。
ミタラスに聳えるインカルウシ上の城内は、極限の緊張状態だった。
王の執務室は2週にわたって主不在の状態となっている。
留守を預かる侍従長ウォークは今にもブチ切れ寸前で連日過ごしていた。
王の裁可を必要とする案件はさほど多くは無いが、逆に言えば重要な案件だ。
仮にウォークがそれを代理で裁可したとして、問題となれば後が面倒だ。
故に、可能な限り先延ばしにしてきた案件も多く、ウォークは胃の痛い日々だ。
そして、精神的に追い込まれれば不眠を訴えるようなるのは世の常と言える。
この日もウォークは王執務室の侍従席に座り、各方面の報告書を読んでいた。
幸いにして王の裁可を必要とする案件は無いが、軽い問題でもない。
川の水争いや街道沿いに忽然と現れる盗賊の問題。
昨期の税収に関する最終報告書の修正案。
全ての重責を1人で背負っている太陽王の苦労を誰もが実感するシーン。
そんな状況にあって、ウォークは執務机の上で頬杖をついて眠ってしまった。
慢性的睡眠不足から来る、抗いきれない睡魔だった。
――――ウォークさま……
――――お休みだわ……
城の女官達は音を立てないように執務室へと入り、コーヒーを置いていく。
中年に差し掛かったとは言え、ウォーク自身まだまだ若いつもりでいる。
だが、実際には慢性疲労と精神的なストレスで全身を病み始めていた。
そんな状況でこの災難染みたプレッシャーなのだ。
スヤスヤと寝息を立てているウォークを誰もが遠巻きに見ている。
だが、そんなウォークの意識は眠ってなど居なかった。
この城にいる限り、眠るなど出来ない事なのだった。
「……エディが帰ってくるよ」
「やっとですか……」
リリスの招いた夢の中、嬉しそうなリリスの言葉にウォークは本音をこぼした。
その姿を見ながらクスクスと笑っているサンドラは、自分の寝室で昼寝中だ。
「ですが……ボルボン家は気になりますね」
「……そうよね」
サンドラの心配げな言葉にリリスも相槌を打った。
その姿は、見る者が見れば在りし日のユーラとレイラだった。
同じ問題に2人で対処する表裏一体の妻の姿。
ウォークがカリオンの懐刀だとすれば、妻2人は知恵袋だった。
「クリス・ボルボンから話を聞くべきね」
「彼女が何処まで知っているかって話よね」
対処の仕方を提案するサンドラにリリスが懸念を示す。
だが、そんなリリスに異なる視点を示した。
「……どちらかと言えば」
「なに?」
「どこまで知っていたか……じゃないかしらね」
フランクな様子で意見を交わす2人。
そんなリリスとサンドラを前にウォークが言った。
「まずは話を聞いてみましょう。その上で、何処まで把握していたのかや、デュ・バリーの台頭を許した背景を探らねばなりません」
探らねばならない……
その言葉の意味は嫌と言う程に解っていた。
この短期で完全にソティスを支配下に置いた手法や手腕だ。
それを知る事は非情に重要な意味を持っている。
第二第三の事案を発生させる前に対処せねばならないと言う事だ。
そしてその実は、つまりはあのキツネ対策でもある。
間違い無く横槍を入れてきているであろう存在をどう御するか。
それこそが重要なのだった。
「ただねぇ……」
表情を曇らせリリスは切り出した。
「どうしたの?」
「うん……たぶん……間に合わない」
その掴み所の無い会話にウォークは表情を変えた。
リリスの能力はますます磨きが掛かり、3年程度の未来透視も可能になった。
彼女は自らの能力で常に未来を見ていて、時には頭を抱える案件を指摘する。
そんなリリスが言った『間に合わない』は、常に最悪の予測を持たせてしまう。
不安定で複数要因の絡む事は、同時進行でふたつの夢を見るようなものだ。
だが、ほぼ確定している事態の進行は、安定したビジョンを与えるもの。
この時、リリスが見ていたのは茅街になだれ込む軍勢だった。
「やはり……炎上は避けられませんか」
ウォークは自体の推移を正確に予測し、リリスのビジョンを当てて見せた。
リリスは首肯を返し、サンドラは悲しげな表情になる。
「……近衛師団に召集を掛けておきます」
「そうね。きっとエディはそのまま出て行くよ。でも……」
うーんと唸りながらリリスは腕を組んで思案した。
彼女が見ている未来透視の先に映るものは何だろうとウォークは考えた。
「そうだね。今から考えても始まらないから――」
ニコリと笑ったリリスはサンドラを見てからウォークを見た。
ウォークは思わず背筋を伸ばしていた。
「――まずはしっかり対策しましょう。嫌がらせと遅滞活動も充分意味があるし」
そこまで聞いて、察しの悪いサンドラも『あぁ……』と合点した。
茅街に賊徒がなだれ込むのは既定路線なのだ。
その上でリリスはカリオンの役に立つ事を考えている。
凄いなぁと感心しつつ、サンドラも己の出来る事を考え始めた。
「……エルムは役に立ってくれたかしら」
「それは問題無さそうよ」
サンドラの心配にリリスが映像を見せた。
王都へと急ぐカリオンのすぐ脇、エルムが見事な乗馬フォームで走っていた。