最初の友達
リンゴを受け取ったカリオンはすきっ腹で飢えていた。
まるで貪る様にリンゴを齧りつくしたカリオンだが、それを見届けたたジョンはリンゴに続き、肉を挟んだパンを放り投げた。カリオンは遠慮なくそれを食べつつ、ジョンを案じ口を開く。
「気を使われるのは嬉しいけど、君が処罰されるんじゃないか?」
「だからなんだよ」
「食堂から食料を持ち出すのは厳禁なのに」
「テメーが空きっ腹だと喧嘩できねーだろ?」
「そういう部分は至って真面目だね。レオン伯は」
「だから家名は付けんなよ。やっと家から出られたんだ。レオンなんかウンザリだ」
サラッと凄い事を言ったジョン。
カリオンは薄ら笑いでその姿を見た。
「お互い、面倒な家に生まれちゃったらしいな」
「全くだ」
「一つ提案だ」
「んだよ」
「僕の事はカリオンと呼んで欲しい。そうしてくれれば、君をジョンと呼ぶ事にする」
真面目な顔で言ったカリオンに対し、ジョンは短く『はっ!』と笑って床へ唾を吐いた。
「そのお坊ちゃま気取りが鼻に付くんだよ!」
座って居たジョンはカリオンに飛びかかった。律儀にもパンを食べ終わった後だった。左手を逆手にしてカリオンの襟を掴み、逃げ道を塞いでから右頬へ拳の一撃をいれたジョン。
頭を強く振られカリオンは一瞬意識が薄れるが、二発目の一撃を左手で抑えジョンの腹へ膝を入れた。的がデカいだけに軽く飛び上がった関係で、ジョンのみぞおちには重い一撃が入った。
「騎士道に悖ると思わないか? 殴る前に口上が要るだろ」
「へっ! そんなもんクソ喰らえだ!」
カリオンの襟を離したジョンは低く構えてカリオンに襲い掛かる。
だが、カリオンもまた低く構えて待ち構えた。
至近距離からの殴り合いはガードをせずに力一杯のドツキあいだ。
騒ぎを聞きつけ候補生達が部屋を飛び出してきた。
校外へ出ている四年生が帰ってくる前だ。
学生寮の中は自習中の一年、二年生と、監督中の不機嫌な三年生ばかり。
オマケに、日中の乱闘で一方的にカリオンにやられた者も居る。
意趣返しとばかりジョンの側から襲い掛かるのだが。
「雑魚が邪魔すんじゃねー!」
カリオンに殴りかかったその腕をカリオン自身に止められた同級生は、後ろからジョンの蹴りを受け階段を転げ落ちていった。一瞬唖然とした同僚生達だが、どこにでも空気を読めない奴が居るもので、ジョンとカリオンの乱闘を止めに入るフリをしてカリオンを殴った三年生の後頭部をジョンがフルパワーで殴りつけた。
「たいへん申し訳ありません上官殿!」
頭を深く下げ謝ったジョン。上級生は上官であるからして無礼は許されない。
だが、身体を起こしながら地を這うようなアッパーを三年生の腹に叩き込んだ。
その強烈な一撃に気を失い掛けた三年生をカリオンが投げ飛ばし、そのままの勢いでジョンへ襲い掛かる。
シウニノンチュ時代。五輪男が教えた柔術は、この世界に無い接近格闘技だ。
武道を嗜む警察官ならば剣道と同時に柔道を使うのはある意味当然と言える。そして、技術体系としての知識がこの世界に無い以上、対処的な戦闘手段しかジョンには残されていない。
それ故、全く受け身を取れないまま、ジョンは寮の堅い床へ叩きつけられた。
ただ、五輪男の教えた柔術の関節技を、カリオンは基本的に使わない事にしている。
あれは余りに痛くて、そして敵意を生む。
故にカリオンはすぐさま立ち上がり、ジョンが戦闘モードになるのを待った。
「ボンボンの癖にやるなぁ!」
「てめーにゃ言われたくねー!」
「ジョートーだぜ! このやろう!」
これ幸いと乱闘に参加した雑魚を共同で排除しつつ、カリオンとジョンの戦いは続いた。
その騒ぎを指導室で聞いていたロイエンタール伯とカウリの二人は、呆れた表情を浮かべつつも笑っていた。
「元気が良いですな。卿の甥っ子は」
「十五の小僧だ。あれ位やって普通だろ」
「その通りですな」
「あの子はいずれ王になるだろう。だから、今の内に色々経験した方がいい」
学内に響く怒号と罵声。
だが、しばらくして静かになった。
「おや? 静かになりましたな」
「おっかない先輩のお帰りかもしれん」
笑って天井を見上げたカウリ達二人のイメージの先。
寮内の廊下に死屍累々と並ぶ寮友達のなかで、カリオンとジョンの二人は直立不動で固まっていた。
「おい、ジョン。カリオン。これはどういう事だ?」
もの凄い不機嫌な顔でカリオンとジョンの襟倉を掴んでいる四年生がいた。
慌て飛び起き、報告しようとした三年生をフルパワーで殴りつけ、再び床に沈めた後で胸を踏みつける。
「お前は無様に死んだ役だろうが。死体がしゃべるな。あぁ? どうなんだ?」
「その通りであります」
再びカリオンとジョンの髪を掴んだ四年生は、酒臭い息で二人を睨み付けた。
盛り場で美味い酒を飲んできて上機嫌だった筈なのに、場合によっては寮の中を徹底的に家捜ししなきゃならない事になる。
週末で安息日と言う事もあって、こんな夜は寮の指導教官だって飲んでいる筈だ。
だが、やりたくも無い家捜しに付き合わされる教官は当然機嫌が悪くなる。
それが容易に想像つくだけに、ポシフコーも機嫌が悪くなると言う寸法だった。
一年間、完全にかごの鳥となるポーシリと違い、ポシフコーは外出しようが酒を飲もうが、女を買って朝まで頑張ろうが一切指導は入らない。
ポシフコーは『やるべき時にやるべき事をキッチリとやる』と、そう教育を完了された状態だと認識されているからだ。
それ故に、ポーシリが騒ぎを起こしてポシフコーの指導に問題があるとなった場合、色々と不都合が生じる事になる。
「いま俺が知りてーのは、なんでこんなザマかってことだ。今夜出た晩飯の献立でも明日の課業の事でもねぇ。それとも何か? 寮内に不審者でも出たってんじゃねーだろうな」
割と強かに酔ってるらしいポシフコーは、カリオンとジョンに向かって『上手く収めろ』と言わんばかりに言い出した。そんな空気を読んで上手く立ち回る事も士官には必要とされる事だ。カリオンは胸を張って大声で報告を始めた。
「正体不明の侵入者により寮内が荒らされたため、自分とジョンの二名で確保を試みたのですが逃がしました」
話を合わせろと言う目でジョンを見たカリオン。
ジョンは甚だ不承不承に話を合わせた。
「寮友の多くが伸びて居たため、それが邪魔で足場が悪く、乱戦で押し負けました。不徳の極みであります」
やたらに不機嫌な四年生だが、周辺で伸びている幾人かの寮生をつかみ上げ話を聞いている。
「おい。いま俺が聞いた話は……本当か?」
「ほっ! 本当であります」
「……そうか。本当か」
ポシフコーは念入りに釘を刺した。
士官に嘘は許されない。不正も許されない。
また、他人の不正を看過し嘘の片棒を担ぐ事も許されない。
つまり、カリオンとジョンは嘘を付いてない。
寮友がそう言うんだから間違いない。
時には上手く立ち回り、事態を丸く収めて物事を前進させる必要がある。
世の中とは奇麗事だけじゃ回らないし、汚れ役を引き受ける人間も必要だ。
士官というのは理不尽の極みを丸呑みする強さも要求されるのだった。
「全くお前ら揃いも揃って使えねーな」
「「申し訳ありません!」」
カリオンとジョンはハモって答えた。
ポシフコーは怪訝に見ているのだが。
「カリオン! ジョン! 二人とも別荘で一晩過ごせ! 残りは寮内を片付けろ! 五分以内だ。五分後に連隊長の臨検を受ける。掛かれ!」
床に伸びていた寮生が起き上がって寮内を片付け始めた。
そんな中、カリオンはジョンと営倉へ向かった。
学生寮スラングに言う所の別荘とは、反省部屋とも呼ばれる営倉だった。
ひと一人入って座れば身動きの取れない狭い部屋の中で、壁に向かって反省するのだ。
幾つもある営倉の中へ座ったカリオン。隣にはジョンが入った。
「おめー なかなかやるじゃねーか」
「営倉でしゃべんなよ。明日も別荘になる」
「ビビッてんじゃねーぜ!」
「びびってなんかないさ。ただ、寝るならラックの方が良いだろ?」
ヘッ!と笑ったジョン。
隣の営倉でカリオンも笑った。
「俺の事はカリオンって呼べよ」
「じゃぁ俺の事はジョニーって呼べ」
「なぜジョニー?」
「地元じゃ無頼で通ってた。無頼のジョニーって二つ名があったんだよ」
「まるでギャングだな」
「似たようなもんさ」
楽しそうにフンッ!と鼻で笑ったカリオン。
その仕草にジョニーが再着火しかけた。
「おいカリオン! てめー 笑いやがったな?」
「あぁ、笑った笑った。超おもしれー」
「んだと!」
「そういうのも楽しそうだな」
「あぁ?」
いよいよ剣呑なジョニーの様子に、もう一度カリオンが笑った。
「俺さ、八歳の時に初陣だったんだ。色々あって、地元じゃ越境窃盗団とか野党団を追っ払ったり皆殺しにするのに走り回った。だから幼年学校も禄に行ってないし、勉強も禄にしていない。遊びに行く暇も無かった。毎日馬術の練習して、親から格闘技の指導を受けて、大人の騎士と剣で戦ってた。そんな毎日だった。だけど、十五になってやっと自由になったんだ。学校へ行けるってだけで嬉しかった。でもさ、全然自由じゃねーって最近気が付いたよ。家に居たほうがまだ楽だった」
カリオンの本音にジョンは二の句を付けず黙ってしまった。
思わず息を呑んだと言うべきだろうか。
自分が地元の不良グループに入って肩で風を切っていた頃、カリオンは領民の為に危険な場所を走り回り、肩で風を切るのでは無く、レイピアで盗賊を斬っていたのだ。
そして、いま話をしている少年は間違いなく太陽王シュサの孫だ。
自分の生まれ育った家なんか比較にならないくらいの超名門の御曹司だ。
「どーりで成績優秀な訳だぜ。そもそもカリオンの馬術は教師顔負けじゃねーかよ」
「そりゃしょうが無いよ。荒れ地を全力疾走とか散々やったから」
「俺は俺で結構面倒な育ち方をしたと思ってたけど、おめーにゃかないそーにねぇ」
「勝ち負けとか関係ないだろ?」
「そりゃそうだが」
「なぁ、ジョニー」
「あ?」
その受け答えがいちいち剣呑なジョン。だけど、基本的にジョンは裏表がない。
言いたい事はそのまま全てを言うし、その責任から逃げる事もない。
無頼だの不良だのと言っているが、この男は基本的に不器用なくらい真っ直ぐなのだ。
そんなジョンをカリオンは最初から嫌いではなかった。
「俺のことはエイダって読んでくれ」
「……おめー そりゃ真名だろ?」
「そうだよ。だから俺の諱はエだ。フルネームで言うとカリオン・エ・アージンだ」
「そんな名前で呼べる訳がねぇだろ。ふざけんな」
「良いんだよ。俺が良いって言ってんだから良いんだ」
「……よし、分かった。んじゃ、こうしようぜ」
ジョニーの言葉に耳を傾けるカリオン。
ちょっと間をおいてジョニーは隣の営倉にいる少年へ手を伸ばした。
「エディ。今日からよろしくな」
「……それ良いな」
僅かな隙間から伸びてきたジョニーの拳へカリオンは拳をあわせた。そして、二人の会話は遅くまで続いた。ジョンが世に拗ねる理由も、カリオンがかなり世間知らずで怖いもの知らずな訳も、全部洗いざらい喋って笑いあった。
根深いマダラ差別を自力で跳ね返しつつあるカリオンだ。営倉監督に付いていた指導教官は全部聞いて居たのだが、高鼾の猿芝居で聞かなかったことにしておいた。
同世代の友人がいないカリオンにとって、この学校は最高の場所になりつつあった。