薩摩のジロー死す
~承前
――間に合え!
カリオンはただひたすらにそれを念じていた。
伝令に導かれ走る闇の中、ジローの笑顔を思い浮かべていた。
思えばこの茅街が発展したのはジローの功績だった。
調整力に優れ、全てをドンと受け止める度量の大きさはジローの美点だ。
ヒトの間の諸問題を上手く解決し、波風を立てぬよう上手くやってきた。
……きっと、ヒトの世界では苦労した男だろう。
難しい立場に立って、折れぬ相手を前に交渉を積み重ねたのだろう。
抜群の集中力と、相手を飲み込む包容力。
その二つを武器にして、ジローは利害調整に奔走していた。
だからこそ、様々な立場の人が集るこの街で推しも押されもせぬ立場になった。
事実上の、街の代表。
ジローを評する者は、口を揃えてそう言った。
己を勘定に入れず、ただただ、街の利益だけを求めた。
そしてそれは、要するにヒトの利益だった。
この街に生きて暮らすヒトの為に……
そんなジローを無為に死なせる事は、明確な損失だ。
計り知れないほどの損失になるのが目に見えていた。
だからこそ、カリオンは先を急いでいたのだ。
ただ、その人集りが視界に入ったとき、手遅れの文字が思い浮かんでいた。
努力は報われぬ物だが、せめて何かしらの労いは……と、そう思った。
「ジロー! 大丈夫か!」
開口第一声にカリオンはそう言った。
夥しい惨劇があったらしい現場だ。
ボルボン家の縁者と思しき者達の死体が片隅に積上げられている。
その傍ら。十重二十重に取り囲んだヒトの中心にジローはいた。
下腹部を大きく切り裂かれ、腸がこぼれ落ちていた。
「おぉ! そんわっぜか声は……」
痛みを感じさせない表情のジローは、胸の前で合掌した。
今まさに事切れようとしている様子だが、あくまで穏やかな表情だった。
激痛と失血で朦朧としているのに、ジローは笑みさえ浮かばていた。
取り囲んでいる幾人ものヒトに、何事かの指示を出しているのだろう。
そんなジローは声の方に顔を向け言った。
「ごやっけさぁ…… ござした……」
もう息が続かないのか、弱々しい言葉が流れた。
笑みを浮かべているジローだが、その姿は痛々しいを通り越していた。
「ジロー これを飲め」
カリオンの声を聞き、人集りの輪が解ける。
その輪を割って入ったカリオンは、その傍らへとやって来た。
ヴァルターに使ったエリクサーを懐から取り出し、栓を抜いていた。
だが……
「よか……」
ジローの口へとエリクサーを運ぼうとしたカリオン。
だが、その手をジローは圧し戻してしまった。
「――もうよかよ……」
ジローは延命を拒否した。
カリオンは驚いて言葉を失った。
封を切り飲ませるまでは、効くかどうかが解らない代物だ。
ただ、この状況においては、飲ませる以外の選択肢は無い。
今にも消えそうな命の炎を永らえさせる奇跡の魔法薬。
しかし、その魂に価値無しと薬が判断した時、効果は完全に消えうせる。
『魂の選り草』
そう名付けたらしいかつての大魔導師は、その判別を天命と評した……
「おいは十分…… 生きもした……」
「ジロー」
「これからを生きるにせ達にとって置いてくいやんせ……」
ジローは満面の笑みを浮かべそう言った。
そして、消え入りそうな声で漏らした。
「ナオどんに…… ナオどんに……」
ジローの目から光が消えていく。
過去、幾度もそれを見てきたカリオンは解っていた。
死に行く者が見せるその姿は、生ける者へのメッセージなのだ。
「ジロー」
穏やかな声でカリオンは名を呼んだ。
ジローの目に僅かながらも光りが戻った。
「カリオンさぁ……あいがともさげした」
目を閉じて満足そうに笑ったジローは、自分の腹をまさぐった。
何をしているのかと全員が思う中、懐から取りだした物をカリオンへと渡した。
それは、丸い円の中に十字がはめ込まれた飾り物だった。
「おぃの……
何事かを呟くジローの言葉は、もはや弱々しすぎて聞き取れなかった。
傍らにいたギンはジローの口元に耳を当てて声を聞いた。
「解った。解った。王にはそう伝える……」
ギンが幾度も頷く中、ナオがそこへやって来た。
今まさに事切れんとしているジローの傍らに入り込んだ。
「ジローさん。決着はあの世でな」
ナオの声が聞こえたのだろうか。
ジローはニコリと笑い、そのまま息絶えた。
ガックリと項垂れたナオは『勝ち逃げかよ……』と漏らした。
2人の間に何があったのかは解らない。
ただ、少なくとも穏やかな関係では無かったのだろう。
決着という穏やかならぬ言葉が出てカリオンは僅かに表情を変える。
ただ、その実を聞こうとしたその前に、ギンが静かに切り出した。
「ジローさんの遺言です」
ギンはジローの手から飾り物を取ってカリオンへと差し出した。
象嵌技法で作られたそれは、見事な出来映えだった。
「葬式不要、戒名無用、死者は弔いにより生者の手を煩わせる事を恥とするものなりと。ただし、自分の墓にはこれを飾ってくれと、そう言い遺されました」
島津十字の描かれたその象嵌は、ジローの身の由来を雄弁に語った。
どこから来た何者なのかを物語る象嵌の出来映えにナオは息を呑む。
拵えた職人が『どうだ?』と自信たっぷりに聞いてきそうな仕上がり。
その美しさにカリオンは息を呑んだ。
「よろしい。確かに預かろう」
ギンの手から象嵌を預かり、カリオンは懐へとそれをしまった。
元々そこに入っていたものは、ヴァルターに使ったエリクサーだ。
封切りしたエリクサーの効力は長くて6時間。
実際は1時間程度と言われている。
「ヴァルター! このエリクサーで助けられる者を全て助けよ!」
「御意!」
カリオンの手からエリクサーを預かったヴァルターは、そのまま駆けだした。
そんなシーンを見ていたナオは、辺りの死体を確かめ始めた。
ヒトの死体も多数転がっているが、やはり剣士の死体が多い。
街の中で暴れ回った彼等の多くがカリオンらの手によって粛正されている。
その死体の中で、まだ何とか生きている者をナオは見つけた。
「ギンさん、この剣士に薬を分けてやれないだろうか」
「……バカ言ってんじゃねぇ! 敵だろ!」
斬り込んできた敵にも情けを掛けようとするナオの姿勢にギンが腹を立てる。
ただ、それでもナオは諦めなかった。いや、諦めるとかそう言う問題では無い。
助けられる命は敵でも助ける。
そんなナオの姿勢は、敵味方のハッキリしているギンに取っては完全な偽善だ。
敵には容赦無く、味方には何処までも寛大に。公正公平がギンの基本理念だ。
だが……
「敵は敵ですが……真の尊敬は憎悪の中から産まれるものです」
それを綺麗事と笑うのは容易いのだろう。
だが、それでもナオはエリクサーを求めた。
助けられる者を助ける為の努力だった。
「ナオさん……あんた何処までヒトを馬鹿にすれば気が済むんだ」
「バカにしてるつもりは無い。ただ、目の前に死に掛けの人が居たら救うだろ」
「敵に掛ける情けなんか不要だろ!」
ナオは首を振りながら言った。
「恨み骨髄な敵にも情けを掛けるから信用されるんじゃ無いですか?」
話し合いは平行線でしか無い。
主義主張と理念の衝突は、折れる要素が一切無いのだ。
それでもナオは声を上げていた。
命を救う事に関し、ナオは誰よりも真剣だった。
そして、分け隔てなく接する姿勢には些かの矛盾も無かった。
「……相容れないな」
ギンはそれ以上の言葉を吐く事無く、まだ望みのあるヒトを探し始めた。
そんなシーンを見ていたボルボン家の剣士は、朦朧とする意識の中で言った。
「ヒトも……一筋縄では無いんだな」
「申し訳在りません」
「良いんだ」
楽しかったよ……と、そう呟いてボルボン家の剣士は死んだ。
深い溜息をこぼしながらナオは項垂れて嘆いた。
ただ、問題はそこから先だった。
街の中に残っている剣士を掃討せねばならない。
それは、重武装した騎兵ですらも危険な仕事だった。
――死人が出るな……
そう直感したカリオンだが、直後にタカがヒトを幾人か連れて出発していった。
街の中をきれいにする作業は、安全の担保に他ならなかった。
「なんでそんなに殺し合うんだよ……」
嘆きの言葉を口にしたナオは、天を仰いで苦悶の表情だった。