ヴァルター復活!
~承前
寝静まった街の向こうから悲鳴と怒号と絶叫と、そして断末魔が聞こえる。
その声を努めて無視し、カリオンは闇を走っていた。
ナオが肩を貸すヴァルターの様態は刻々と悪化している。
もはや、一刻の猶予も無いのは自明だった。
だが……
――いつの間にか茅街も広くなったな……
カリオンはそんな感慨に耽っていた。
初期も初期の茅街は、陵へと通じる一本道の左右に5棟ずつしか家が無かった。
ゼル陵へと続く道は、街道とは名ばかりの獣道レベルだった。
そんな道でも、国費の投入で整備が進めば立派な道となる。
そして、今やこの街道は立派な幹線道路となり、栄えている。
街道の左右だけで無く縦の大通りと横筋がそれぞれ7本ずつを数える。
びっしりと建ち並び続く家々は、すべてヒトの住処だ。
ル・ガルだけで無く、ガルディアラ大陸全土からヒトを集めた街なのだ。
既に人口は1000人に手が届きそうな数だった。
「陛下!」
ナオは闇の中で声を抑えてカリオンを呼んだ。
肩を貸しているヴァルターの異変を感じ取ったのだ。
その呼吸はすでに虫の息で、今にも息絶えそうだ。
せめて最後は身取らせよう……と、そう思ったのだった。
「……ナオ。そこに止まれ」
「はっ!」
足を止めヴァルターを地面へと寝かせたナオ。
カリオンは再びエリクサーを取り出した。
効くかどうかは微妙だが、それでももう一度試してみる価値はある。
効けば助かるし、効かねば死ぬだけだ。
畢竟、最後は運なのだから、やってみるしか無い。
カリオン自身、運の良さには自身があるが、配下は……
「陛下……どうか捨て置きください…… どうか御身大事に」
弱り切ったヴァルターは、それでも意地で笑みを浮かべた。
その笑みが何とも男らしく、潔く、カリオンは唇を噛んだ。
「……戯けたことを申すな。そなたも余の大切な同胞ぞ」
先ほどとは違うエリクサーの封を切ったカリオン。
その瓶を手にヴァルターの言葉を遮り、再度エリクサーを流し込んだ。
途端にゲホゲホと蒸せ出したヴァルターは、再び何かを吐いた。
ただ、前回と違い、今回はドス黒い液体だ。
効いた!とカリオンは確信する。
案の定、ヴァルターの目に力が戻った。
「よろしい!」
カリオンは嬉しそうに言った。無意識レベルで尻尾が振れだした。
イヌの生理反応故に、やむを得ない部分がある。
だが、その直後にヴァルターが叫んだ。
「陛下! 後ろに!」
その声に弾かれ、カリオンは剣を抜いて振り返った。
幾人ものボルボン家剣士が追い付いていて、一斉に斬りかかってきた。
恐らくはナオの声に反応したのだろう。
何とも仕事熱心だと呆れるしか無かった。
何故なら、彼等はすべからく、斬られる為に集まってくる……
「逃さん!」
剣士達は見敵必殺の姿勢で襲い掛かってくる。
その剣を難なく払い、カリオンは舞う様に剣を振った。
カリオンの剣は次々と剣士を切り裂き、絶命せしめた。
流れるように、舞うように、全てが流動的な剣だった。
それこそ、ナオをして、並みの腕ではないと痛感させる太刀筋だった。
「なかなかしつこいな」
8人目を斬ったところでカリオンはそうぼやいた。
少なくとも100人200人の単位でこの街に侵入しているらしい。
「先を急ぎましょう」
ヴァルターは移動を提案し、カリオンは首肯とともに走り出した。
次々と追い付く剣士を斬りながら進む一行は、検非違使本部を目指して走った。
入り組んだ路地の奥や細い小道の奥からも濁った絶叫が聞こえる。
その声を無視するのも居心地の悪い話だ。
ただ、現状では正直どうしようもない。
どうしようも無い状況で無理に対応すれば、こちらが斬り負けかねない。
実際、ガルディアラでも屈指の剣士が3人も居るのだが……
――ん?
カリオンの鼻が何かの臭いを捉えた。
血生臭いその臭いは、検非違使本部から漂ってくる。
「陛下……」
訝しがった表情で足を止めたヴァルター。
共に走るナオを立ち止まった。
「……やっちまったのか?」
ひとまち全部斬り殺す作戦なのだろうか。
黒尽くめの剣士達は、手当たり次第にヒトを斬った。
それだけでなく、燃え残った家に放火して歩いていた。
家が燃えればヒトは外に飛び出さざるを得ない。
男が飛び出てきたときには迷わず斬り、女が出たら、その場で組み伏せていた。
――――ギャーギャー喚くな!
――――すぐ終わらぁ!
――――ははは!
炎に追われ飛び出てきた女の服を切り裂き、裸にしてはその場で犯している。
幼長関係無しに、男は皆殺しで女は生け捕りらしかった。
そして、その結果として、文字通りに足の踏み場もない惨状だった。
死屍累々に積み重なるそれは、すべてヒトの死体だった。
つい先程まで共に笑い酒を酌み交わしていたヒトの死体。
女の泣き叫ぶ声と男の笑い声。
母親を呼ぶ幼児が何かを叫び、その声がフッと消えた。
その光景にカリオンの精神が沸騰した。
「ヴァルター!」
グルグルと喉を鳴らしながらカリオンは震えた。
怒りと憎しみとがない交ぜになり、心が沸騰した。
「はっ!」
ヴァルターは片膝を付いて命を待った。
だが、その耳に届いたのは、地の底から響く魔王の声だった。
眠らない子供達に語って聞かせる寝物語の一節。
地の底には暴虐の限りを尽くす魔王が住んでいる。
ネチネチとイビリ殺す魔女が住んでいる。
言う事を聞かず眠らない悪い子は、魔王に捕まり魔女に攻められる……
その物語に出てくる魔王は、聞いただけで気絶するような恐ろしい声なのだ。
父母が語って聞かせるときは、出来る限り低い声を出すもの。
そんな声だとヴァルターは思っていた。
「アレが見えるか?」
「勿論であります」
よろしい……と首肯したカリオン。
だが、次の瞬間には『掛かれ』のジェスチャーだ。
「浸入せし賊徒の全てを鏖殺せよ! 1人たりとも生かしておくな!」
怒りに溢れるカリオンは、今にも覚醒モードに入りそうだ。
この場にそれを止める者は居ないし、秘密を知る者も居ない。
故に、カリオンは殊更に自己制御を求められるのだが……
「御意!」
不敗のヴァルターは一言だけそう答えた。
それ以外の言葉は必要なかった。
敵にすらも情を掛ける太陽王が皆殺しを命じたのだ。
それを聞いたのなら、実行あるのみ。
ヴァルターは闇の中を駆けていった。
「なんだてめぇ!」
名誉ある騎士の言葉とは思えない声が響く。
だが、その誰何の声に続きは無かった。
聞こえるのは風を切る剣の音と、ヴァルターの息継ぎのみ。
その剣が闇に翻る度、こもった断末魔が漏れた。
「ばっ! 化け物だ!」
ヒトの女を組み伏せていた黒尽くめの剣士が叫んだ。
だが、次の瞬間には首が刎ねられていた。
何処の賊徒だ?と思えるような剣士達も、さすがにこれには怯んだ。
数に頼んで襲い掛かるも、その全てが無駄だった。それこそ一方的に斬られた。
腕に覚えのある国軍の剣士達から選ばれた、僅か50人の親衛隊剣士。
その親衛隊の頂点にあるヴァルターの技量は、まさに異次元だった。
眺めていたナオは、つくづくとバケモノだと思わざるを得なかった。
「……何も言わなくていい。ただ、枯れて腐る草のように死ね」
ヴァルターの渋い声が闇に響く。
酷い断末魔と錯乱気味の絶叫とがミックスされ、通りに響いた。
その声が響く都度、ヴァルターは場所を変えながら斬って歩いた。
太陽王から命じられたたったひとつの命。
賊徒鏖殺の任務を果たし、ヴァルターはカリオンの元へ戻ってきた。
「ご苦労。遺体を埋葬したいところだが、コッチが先だ」
カリオンは辺りを確かめ、まだ碌に火の手が上がっていない地域を目指した。
1人でも多くのヒトを救済する事が何よりも大事だった。
「クソッ! 奴らの目的は何だ?」
珍しく荒々しい言葉を吐いたカリオン。
それを取り巻く親衛隊騎士達は、びくりと身体を震わせていた。
「まずは賊徒を殲滅し『賊徒を捕虜に出来ないだろうか』え?」
ヴァルターの言葉に被せるようにナオはそう言った。
あくまで話し合いでの解決を目指すのは、少々不思議だった。
ただ、現状では火の粉を避けねばならない。
次々と街に侵入する賊徒は、文字通りに皆殺しの勢いだ。
「ナオ……もはや是非も無い」
「……ですが」
闇の中で剣を振るヴァルターをチラリと見たナオは、静かに言った。
その声音は、心根の奥底の優しさを伝えるものだった。
「争わずに済むのなら、それに越した事は……」
ナオが徹底した平和主義者で有る事はわかっていた。
だが、ここまで徹底する男だとは到底思わなかった。
カリオンはナオの持つ優しさや博愛の心を感じ取った。
それはきっと、厳しい環境で生きてきた者達特有の文化なのだろう。
「それは間違い無いんだがな――」
カリオンは僅かに俯き気味になって言った。
もはや手遅れである事を、きっぱりと言い切るように。
「――血塗られた道でしか無いのだ」
まだまだ語って聞かせたい事は多々あった。
だが、検非違使中央本部前に集まり始めた剣士は軽く100人を越えた。
「……でも」
唇を噛んで悔しがるナオ。
そんなところにヒトの伝令がやって来た。
何処かで見た事があるな……と、カリオンはそう思った。
「ジロー負傷! もう助かる見込みは在りません」
「なんだと!」
「どうか、事切れる前に最後にお言葉を」
よろしい……と、小さく呟き、カリオンは歩き始めた。
鉄火場の続く街の中はアチコチに死体があった。
その酷い光景を見つつ、一体何が目的か?と、ただただ、訝しがるのだった。