夜襲
~承前
茅街へ到着して四日目の夜。
街の住人は総力を挙げて太陽王の送別会を開いた。
燃え残った家々から残された食料をかき集め、街の住人達はご馳走を並べた。
美食で通る太陽王カリオンだ。その舌の鋭さは誤魔化しが効かない。
それこそ、王城のキッチンへはル・ガルじゅうから最高の食材が集ってくる。
国内最高レベルのコックが拵える食事は、嫌でも舌を鋭くするのだ。
そんな太陽王への心尽くしな品々は、ヒトの世界の絶品料理だった。
――――どうかまたお越し下さい
ジローは平の言葉でそう惜別した。
基本的に茅街は王ですらもタッチしない街だ。
この街はあくまでヒトの自治する街。
カリオンはその様に線を引き、王府にも徹底させてきた。
ウォークを頂点とする王府の面々は訝しがりつつも、王の方針を受け入れた。
何故ならそれは『ヒトの世界の政治を見たい』という王の要望だからだった。
他でも無い太陽王がそう言うのなら、王府は黙って見ているしか無い。
茅街自体がひとつの実験場であり、またシミュレーションの場だ。
カリオン自身そんなつもりでは無いが、少なくとも周囲はそう見ていた。
――そなたらが合議の果てに導き出した結論であれば尊重する
カリオンはそう約束した。
仮にヒトの話し合いで『独立国になりたい』と言うなら、それも受け入れる。
太陽王の空手形というわけでは無いと、カリオンは念を押した。
ただし、そこに王に厳しさが加わらないわけでは無い。
独立国と言うからには自分の身は自分で守らねばならない。
戦にならぬよう自衛する安全保障だけでは無い。
食料を始めとする生活物資の数々を自力調達する事。
それが出来て、初めてひとつの独立国となれる。
種族毎に国家を形作るこの世界にあっては、それこそが鉄の掟と言える条件だ。
出来ません! 出来ません! 何とかして下さい!
そんな泣き言を並べる種族国家など、何処かの属国としか見なされない。
ル・ガルの保護国として独立するのなら、自治都市の立場に甘んじろ。
それは、カリオンなりの優しさかも知れなかった。
――ナオ。そなたもだ
カリオンは全体への配慮を忘れなかった。
街の住人の大半が平穏を望む中、ナオを穏健派の顔としていた。
――意見の衝突は良い
――だが分裂は良くない
それが『我慢しろ』と言う意味である事は言うまでも無い。
ただ、理不尽な事に対する抵抗は、ある程度までは許容する。
許容はするが、それも限度がある。
そこを見極めろ……とカリオンは言ったのだった。
そして、その深夜。
事態は動いた。
突如としてドンッ!ドンッ!とカリオンの部屋のドアがノックされた。
いや、ノックと言うより殴ったというほうが正しい事態だろう。
ドアの向こうからは幾人もの男達の気配があった。
「陛下! お休みの所を申し訳在りません! 御免!」
唐突にドアを開けて入ってきたのはヴァルターだった。
抜き身の剣を持って部屋に入った彼は、肩で息をしていた。
「……あぁ。解っている」
カリオンは既に目覚めていた。
臨時の御座所となっていた室内で、既に野戦向けの服を着ていた。
「来客だろ?」
軽い調子でそう言ったカリオンだが、ヴァルターは焦っていた。
剣の先には鮮血が滴っており、戦闘に及んだ事が見て取れた。
「余も出るぞ。ヒトの避難は進んでいるか?」
「御意!」
ヴァルターは部屋を飛び出して茅街の大通りへと出た。
その後を続いていったカリオンが大通へと出ると、一斉に矢が降ってきた。
「まったく……雨とはついてないな」
グッと腰を落としたカリオンは、一気に前進する事を選んだ。
通りにいたのは全身黒尽くめの兵士達だった。
正体不明な集団のシルエットは間違い無くイヌ。
そして、そんな彼等の胸にはボルボン家を示す太陽マークがあった。
「ボルボン家の者か!」
鋭く叫んだヴァルターは、弓隊の側面から斬り掛かった。
驚くべき剣捌きを見せた彼は、一瞬にして24名を惨殺していた。
普通、並の人間を3人も斬れば、刃先に脂が残って切れ味は落ちる物だ。
しかし、ヴァルターはその問題を回避する為、首だけを正確に斬っていた。
脊椎動物である以上、頸椎には重要神経が集中しているのだ。
そして、そこを経たれれば戦闘どころか立つ事すら出来ない。
2足歩行生物最大の弱点こそが首なのだった。
「よろしい。さて……」
カリオンも剣を抜き放った。
手入れの行き届いた剣先に月の鈍い光りが宿った。
「お命頂戴仕る!」
「同胞の仇!」
「偽の王は要らない!」
口々に叫びながら、ボルボン家の剣士が斬り掛かってきた。
その全てを難なく斬り倒しながら、カリオンは大通を進んだ。
「まったくまぁ……――」
吐き捨てるように悪態をこぼしたカリオン。
その脳裏には、つい先ほど顔を合わせたリリスが居た。
街の住人の送別会を終えた後、カリオンは夢の中でリリスと話したのだ。
「――リリスの言う通りだ」
カリオンの夢に強引に介入してきたリリスは、危険を告げた。
茅街へ向かって正体不明の一団が駆けていると伝えたのだ。
――――絶対碌な事じゃ無いよ
――――だって武装してるもの
警戒や緊張とは無縁のリリスは、どこか楽しそうに言った。
この程度の事で遅れを取るようなカリオンでは無いと信頼しきっていた。
――まぁ、上手くやるさ
――見ていてくれ
カリオンも軽い調子でそう応えた。
目覚めた時には身体も重いが、グッと気を入れればそれも忘れる。
睡眠不足は後で効いてくるのだが、それでも気合いを入れて着替えた。
――父上……
窓の外。
街を見守る小高い丘にはすでに巨木が根付いていた。
遠くに見えるそれは、ゼルとリリスの母レイラの眠る陵だ。
――上手く切り抜けて見せますよ
――ご心配には及びません
カリオンは胸の内でそう呟いた。
部屋の中に蟠っていた黒い煙状の何かがスッと消えた。
ゼルが心配してきてくれたんだ……と、カリオンはそう勝手に解釈していた。
そして、ヴァルターが部屋にやって来て、カリオンは戦闘開始を知った。
「陛下!」
通りの反対辺りからヒトの一団が走ってきた。
その先頭にいたのはジローだった。
――――ヒト風情が邪魔をする……『チェストォォォ!!!!!』
ジローの刃が一瞬だけ煌めいた。
次の瞬間、ジローの前に立ちはだかったイヌが縦に真っ二つに斬れた。
「ッセイ!」
鋭い気迫を感じさせる声が聞こえた。
ジローに続きギンがやって来た。
「お怪我無くて幸いにごわんど!」
既に老境な筈のジローは、走ってきたにも拘わらず息が上がっていなかった。
後ろに居たギンやタカは肩で息をしているのだが。
「あぁ。余は親衛隊と共に居たのでな」
太刀を振って血糊を払ったカリオンは、振り返って辺りを見た。
遠巻きに囲む剣士は50人からの集団だった。
「検非違使本部を目指す。行くぞ」
手短にそう言うと、カリオンは全く気負い無く歩き始めた。
その左右にジローとヴァルターが付き、後方にギンとタカが付いた。
W字型の陣形だが、カリオンは一歩半程前に進んでいた。
「えぇい!」
裂帛の猿叫で剣士が斬り掛かってきた。
だが、その剣先がカリオンに届く前に首が刎ねられた。
鋭く一歩踏み出し、そのまま横薙ぎに剣を払ったカリオン。
剣士は二の腕から先と首を切り落とされ、痙攣して果てた。
「続け続け!」
次々と剣士が斬り掛かってくる状況で、カリオンは剣を振り続けた。
その剣捌きはギンやタカをして別の次元だと思わせる者だった。
一瞬のきらめきが収まると、確実に数人が死んでいた。
太陽王はその正面に立ちはだかった剣士を確実に斬って行く。
左右から邪魔に入る剣士はジローとヴァルターが処理した。
後方へ回り込む輩はギンとタカの守備範囲だ。
「中々しつこいな」
凡そ20人目を斬った辺りで、カリオンはそうこぼした。
正直、そろそろ諦めてくれるとありがたいのだが……とも思った。
「陛下! 遅れましてございます!」
一瞬だけ自らの思考へ落ちていたカリオンはナオの声で我に返った。
剣を抜かずにやって来たナオは、王の前で片膝を付いた。
「お怪我が無くて何よりです」
心底ホットしたような表情のナオ。
そんなナオに向かい、カリオンは遠慮無く軽口を叩いた。
「基本、余は無敵ゆえ心配は不要だ。ま、そろそろ飽きた頃だがな」
周囲には新手となる剣士が集まり始めていた。
それぞれが襲い掛かってくるのだが、ヴァルター以下4人が全部切り捨てた。
「侵入者に話を聞いてみては如何でしょうか」
ナオはあくまで穏便な話を解決を提案した。
既に惨殺したいが幾つも転がっている状態だが……
「ナオどん! そいはもう手遅れじゃっど!」
チェストの掛け声と共に7人目を斬ったジローが叫んだ。
その後を受け、タカが言った。
「まずは現状を切り抜けねば! 気持ちは分かりますが!」
あまり人を斬りたくないと言わんばかりのナオ。
だが、もはやどうしようも無い所まで来ていた。
「まずは生き残ろう。余の親衛隊はまだ死者が出ていない」
気が付けば親衛隊の面々が集まっていた。
およそ30名程の彼等は、全員が抜刀状態でカリオンを囲んでいた。
「ボルボン家の剣士に使者が多数出ています。このままでは憎しみの連鎖が……」
ナオが何を危惧しているのかはカリオンにも解った。
一方的な理由で襲い掛かってきた彼等だが、この次はただの復讐になる。
そして、理由が付いたときの剣士はだいたい手強いものだ。
「……所詮血塗られた道だ」
ヴァルターは冷静な声でそう言った。
既に30名以上を斬っていた彼は、返り血で真っ赤だった。
通りの片隅に積み上げられた消防用水の水桶を被り、その血を流す。
身体を震わせ水を切れば、再び戦闘態勢となった。
「ナオ。まずは検非違使本部へ」
カリオンは再び歩き始めた。
その周囲にいる親衛隊は、カリオンの動きに合わせ動いた。
次々と襲い掛かってくるボルボン家の剣士は、既に100人単位になり始めた。
「一体何名がここへ来たと言うのだ」
少々腹立たしげな言葉を吐き、カリオンは辺りを確かめた。
まだまだ後から現れるボルボン家の剣士達は、意気軒昂に襲い掛かってくる。
だが、その時カリオンは気付いてしまった。
襲い掛かってくる剣士達に全く生気がない事に……だ。
――ん?
眉間に皺を寄せたカリオンは、襲い掛かってきた剣士を凝視した。
ヴァルターが斬りそうに成ったので、思わず一気に進み出た程だった。
「陛下!」
「構うな!」
ヴァルターの悲鳴染みた声にそう叫び返したカリオン。
握りしめた剣をグッと振り抜き、剣士の両腕を切り落とした。
「グエッ!」
真正面から蹴り飛ばし、地面へと蹲らせた。
だが、その身体は弾かれるように起きあがった。
理外の動きを見せたその剣士は、腕も無いのにカリオンへと襲い掛かってきた。
「愚か!」
横薙ぎに剣を振り抜いたヴァルターは、短く『あっ!』と叫んだ。
剣の柄に鈍い手応えを感じたのだ。そして、次の瞬間にはカリオンの前に立つ。
どんな理屈かカラクリかは解らないが、ヴァルターは確信したのだ。
この剣士がカリオンを道連れに自爆するのだ……と。
「自爆す――
バンッ!ともドンッ!とも付かない音がし、両腕を失った剣士が弾けた。
体内に爆薬でも仕込まねば出来ない芸当だったが、問題はそこでは無い。
「ヴァルター!」
不敗のヴァルターと呼ばれた剣士がその場に片膝を付いた。
至近距離で爆発の衝撃を受ければ、内臓にダメージが残る。
衝撃波によるダメージは全臓器の同時多重不全を招く。
そしてそれは、逃れる事の出来ない死へのカウントダウンだ。
「これを飲め!」
駆け寄ってヴァルターの口にエリクサーを流し込んだカリオン。
ビクリと身体を震わせたヴァルターは、ジタバタと暴れた後で血を吐いた。
真っ黒なドロドロの血では無く、鮮血状のさらさらとしたものだ。
未だかつてカリオンはこんなシーンを見た事が無かった。
――効かぬのか?
流石のカリオンも焦るのだが、ヴァルターは首を振って強引に立ち上がった。
一口程度のエリクサーは治らない重傷では無いかと訝しがったのだが。
「カリオンさぁ! ヴァルターさぁを早う本部へ!」
ジローは周囲の剣士を斬りながらそう叫んだ。
同じタイミングでギンもタカも叫んでいた。
「ナオさん!」
「陛下とヴァルター殿を早く!
一瞬だけ初動の遅れたナオだが、『承知!』の声と共に動き出した。
そして、ヴァルターに肩を貸して検非違使本部へと急いだ。
「しっかりしろヴァルター!」
「……かすりき……ずです……よ」
力無く笑ったヴァルターは、今にも気を失いそうだった。
エリクサーの効かない重傷だが、それでもまだ生きていた。
検非違使本部までの道程を随分と遠く感じながら、カリオンは通りを走った。
なんとかしてこの窮地を脱さねばと、そればかりを考えていた。