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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
中年期~憎しみと苦しみの螺旋
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ナオとジロー

~承前






 ギンの言葉を遮った声。その声の主はナオだった。

 少しばかり離れた所に居た彼は、迷いの無い足取りで歩み寄った。

 そして、カリオンを挟み、ジロー達の居並ぶ反対側にやって来た。


 その立ち姿には一分の隙も無い。


 今まさにここで喧嘩でも始まりそうな、そんな空気のナオ。

 その双眸には怒りを噛み殺した激情の色があった。


「一言の弁明も無く一方的に糾弾するのは人倫に悖る行為では?」


 カリオンの向こうにいるジローに向け、ナオはまさに喧嘩腰で言った。

 気迫溢れる物言いに、カリオンは内心で唸った。


 常に冷静沈着で氷のような男だと思っていたナオ。

 だが、その内に秘めた闘争心はジローたち3人に決して劣らない。


「李下に冠を正さずと言うとおり、怪しまれる事はしないものだ」


 ナオの物言いに噛み付いたのはタカだった。

 まるで抜き身の太刀のような、そんな鋭い空気を纏い、タカは続けた。


「だが、ナオさんのやっている事は余りにおかしい」

「おかしくなんか無い。必要とされる人材を必要とされる所に送り込んでいる」

「送り込んでい『帰って来もはん。そいは送り込むちうより棄民じゃっど』


 平伏していたジローは地面に正座し、真正面にナオを見て言った。

 何ごとかを反論しようとしたタカの言葉を遮ったジローの姿にも気迫があった。


「棄民などではない。ヒトが役に立つ事がわかれば大事にされる。そうなれば至る結末は一緒だ」

「そいはおかしか。とっけんなでじにされっども――」


 少し興奮し掛けたジローは自分の胸をバンと叩き、ひとつ息を吐いた。


「――すんもはん。言い直す。どれほど大事にされようと、鵜飼の鵜は所詮鵜でごわす。ないごて……なんでナオどんはそれでも良かと思う?」


 いま起きているのは価値観の衝突だ。

 カリオンは黙って事態の推移を見守る事にした。


 ナオとジローが戦わせているのは、ヒトの身の扱いだ。

 どれ程大事にされていても、奴隷は所詮奴隷。

 生きるも死ぬも相手の手の中にある身分をジローらは良しとしない。


 だが、ナオはどうやら違うようだ。


「……単純に飼われるだけなど願い下げだ。だが、この世界の一部として役に立てるのであれば、それは存在価値を認められたことと等しいのでは? その家なり地域なりに貢献し、実力で存在意義を認められれば尊重もしてくれましょう」


 例え奴隷であっても、そこに暮らして行けるならそれでよい。

 むしろ、価値ある存在として扱われれば、奴隷でも良い。

 この世界においてヒトがヒトであり続けるには、相当な苦労が伴うのだろう。


 ならば、飼われた存在でいる方がマシと言う考え方なのかも知れない。

 きっとおそらく、ナオは相当な苦労を積み重ねたはずだ。

 その思い出したくも無い日々の苦い記憶が、いまのナオを突き動かしている。


 何となくだが、カリオンはそれを思った。

 そしてその向こうに、父ゼルの過ごした焼けるような焦燥感の日々を思った。


「だからと言って、太陽王の集めたヒトを勝手に送り出して良いと言う事は無い」


 タカは鋭い口調で叱責するように言った。

 その言葉は一切の逃げを許さない強烈な一撃だ。


「送り出したのではない。穏健派の中で話し合った結果だ」

「そんなもの単なる言葉遊びでしかない!」


 劇昂したタカは叫ぶように言った。

 だが、負けない程の声音でナオはスパッと言い放った。


「戦っても勝てぬ相手に戦いを挑む事は全く生産性が無い! 不毛なんだよ!」

「なんだと!」


 グッと奥歯を噛んだタカは斜に構えて叫んだ。


「戦の要諦は勝ち負けに非ず! 勝てずとも意地を見せねばならん時がある!」

「それは誰の要諦か! 争って死ぬるより泥をすすってでも生きるべきだ!」

「何を言うか!」


 地面をドンと踏んだタカは身を乗り出して言った。


「これから生まれてくる子供達の為に!」

「全て死に絶えるまで戦えば全滅するだろ! 次の世代は誰が産むんだ!」

「この街がある限り! 覚醒した子等が健在である限り負けはしない!」


 大声で言い合う二人を眺めながら、カリオンはふと思った。

 全く異なる価値観の衝突こそが戦いの本質であると。

 そして、その差異は話し合いなどでは決して埋まらないのだと。


「ナオどん」


 ジローは落ち着いた声音で言った。


「カリオンさぁの御前にごわす。タカどんも」


 劇昂した二人の言い合いにジローは顔を顰めた。

 太陽王の前で口論をするなど無礼にも程があると嗜めた。


「……確かに、ナオどんの言う事も解りもす。じゃっど、あたいらは奴隷に非ず。資産に非ず。ヒトもまた生き物ちこつ、解らせねばなりもはん――」


 ジローはカリオンに正対し、胸を張って言った。


「――王があたいらを人扱いしち下さるんなら、おいはどこまでも王に付いて行きもす。この世ば制服しちゃるなら、あたいは先駆けでも何でもやりもす。カリオンさぁがおいが為に死ねと言われるなら、あたいは笑って死にもす」


 ジローはそこで黙って頭を下げた。


「どうか……こん街んなかんこつ、あたいらに一任して……頂きたく存じます」


 カリオンは黙って考えた。

 ジローが何をするのかを思い浮かばなかったからだ。


「一任したとして、そなたはどうするのだ」

「はい」


 カリオンの問いかけにジローは頭を上げた。


「まず、ヒトがこん街から出んでも……済むようにしたいと」


 その核心部を聞きたいのだが、ジローは慎重に言葉を選んでいた。

 どうしてもお国訛りが抜けないのだから、どうしようもない。


「実際、どうするのだ?」

「街からヒトを連れ出すもんを……全部……斬りもす。おいが斬りもす」


 ジローはいたって真面目な顔でそう言った。

 そこに冗談や笑い話の介入する余地など無い。

 生粋の戦士であるジローは、よろしいと言われればやる男だ。


「あい解った。だが、一つ条件を付ける」


 ジローだけでなくギンやタカがジッとカリオンを見た。

 もちろん、ナオも総毛だった様な顔で見ていた。


「ヒトを連れ出す者を斬る事は許す。だが、ヒトがヒトを斬る事は何があっても許さん。もし……ヒトがヒトを斬ったなら、その斬った者は余が直接斬って棄てる」


 ギンとタカは明確に落胆の色を示した。

 だが、ジローだけは満面の笑みだった。


「……良か。良かど。あいがともさげした。カリオンさぁのお言葉。しかとおいが胸にしまいもす。仮においがカリオンさぁに斬られる事になっても――」


 ニコリと笑っていたジローは、その笑みのままナオを見た。


「――おいは本望にごわす。太陽王に斬られて死ぬる栄誉なこつ、おいがモンには勿体なか。じゃっど、あの世で待つおいが家族に良か土産話が出来もした」


 ウンウンと何度も首肯しながら、『良か……良かよ』と呟くジロー。

 その思考回路はカリオンですらも全く理解不能だった。


「ジローさん……あんた……」


 タカは驚いた表情でジローを見ていた。

 それは、自分の命を差し出してでもナオの首を取ると言う宣言だ。


 少なくとも協議会の首魁としてジローは不動の地位を築いている。

 言うなれば、この茅街を自治する上での表向き最高責任者だ。


 そんなジローが命を差し出すと言うのだから、これは相当な思いなのだろう。


 ――この男は……


 カリオンも腹の中で唸っていた。

 何より、価値観の相違はジロー達の側にもある事をカリオンは知った。

 ヒトは全てが一枚岩の集まりというわけでは無いようだ。


 この差はどこにあるのだろうか?と思案に暮れるが、その答えは見えなかった。


「……おいの首ひとつで獅子身中の虫ば斬れるなら、そいは安かこっちゃ」


 驚いているタカやギンに向かい、ジローは豪快に笑って見せた。

 小太りという程では無いが、少なくとも体格は良く恰幅も良いジローだ。

 その姿には何とも言えない頼もしさがあった。


「児孫のために美田を買わずと言いもそ」


 笑ったままナオを見たジロー。ナオは僅かに身構えた。

 楽しそうに笑っていても、その目は笑っていなかった。

 殺意の光りを炯々と放ち続けるその眼差しは、ナオを打ち据えた。


「じゃっど、未来の子供達のこつ考えっと、それが一番良かよ。なんもなか。おいの命差し出すなど容易かこっちゃ」


 ナオは半歩ほど後退し、太刀の鍔に左手の指を掛けた。

 まだ二足半の間合いがあるので、居合いで抜いても一足には斬れない。


 だいたい、その間合いの間にはカリオンが立っているのだ。

 全部承知で陣取った場所ではあるが、ナオは己の読み違えを知った。

 ジローは迷わずやる……と覚悟を決めた。


「斬りますか? 私を」


 低い声でナオが言った。

 ジローは僅かに首を傾げてから、半分息を吸って絞った。


「斬っても良かか?」

「……意味のある死ならば甘受しましょう」

「カリオンさぁの意向を無視すれば、おいが粛正しもっそ」


 身動ぎひとつせず、ジローはジッとナオを見ていた。


「こん街は王のご慈悲の具現化した街ち。この街の輪ば乱すんは、王の御心ば乱すんと同じち。ほいどん、あたいはそれは好かんと――」


 ジローの手が太刀に添えられた

 居合いで抜けば一気に斬りかかれる距離かも知れない。


 もう二歩か三歩後で口上を述べるべきだったとナオは後悔した。

 だが、現実にはもう手遅れで、この場での対処を図るしか無い。


 ――チッ……


 内心で舌打ちしたナオは僅かに腰を浮かせ、すぐに後方へ飛べる姿勢になった。

 斬り掛かってきた場合、初太刀をどう受けてやれば安全かを考えた。

 そして、その後にくる返しの太刀をどう流すかのシミュレーションだ。


 いくつかのパターンを考慮した結果、導き出された答えは無理だった。

 ならば、斬り掛かってきた瞬間にカウンター狙いしかないが……


「――こん街はこれからもヒトを受け入れる。その邪魔をするなら。受け入れたヒトを外へと誘い出すなら。それは明確な裏切りち」


 ジローの言葉を聞いていたナオの顔付きが変わる。

 もはや戦闘は不可避だと覚悟を決めた。


「裏切ってる訳じゃ無いが……――」


 ナオは意を決しカリオンの目の前で太刀を抜いた。

 居合いで切り結ぶには相手が悪いと思ったのだ。


「――わかり合えないなら仕方が無い。その喧嘩、受けて立ちましょう」


 スッと立ち上がったナオは、そのままの勢いで後方へと下がった。

 ジローと言えば街で最強と謳われる試合抜きの達人だ。

 強い相手は初太刀で殺すのが原則なのだから、一の太刀をどう躱すかを考えた。


「良かど。話が早かね」


 ジローは鍔に手を掛けて太刀を半分引き抜いた。

 驚く程小さい唾の付いたその姿は、俗に薩摩拵えと呼ばれるものだった。


「ジロー。まずは余の話を聞け」


 カリオンは文字通り一触即発の状態だったその場を収める算段を考えた。

 様々な検証を一瞬のうちにやったのだが、出てきた結論はひとつだ。


「余はこの茅街をヒトの街にしたいと思う。従って、ヒトはヒトが必要とする場を守って欲しい。それは解ろう。だがな、それと同時にもう一つ――」


 ジローを見ていたカリオンは、振り返るようにしてナオを見た。


「――ヒトが争う姿は見たくない。例えそれが余への忠誠心から出たものであっても……だ」


 カリオンの本音が漏れたその言葉は、ナオやギンやタカの胸を叩いた。

 だが、ただ1人だけ、全く違う反応をジローが見せた。


「王のご厚情に泥ばヒッ被せる者は、ヒトの手で排除『ならん!』


 カリオンは強く叫び、同時に太刀を抜いてジローの首を刎ねに掛かった。

 ギンやタカだけで無くナオですらも『あっ!』と叫びかけた。


「ジロー。もしそなたがこのナオを斬ったなら、余はこの街を潰す。その後の事がどうなろうと知った事では無い。何処へでも好きな所へ流れると良い」


 その抜刀の速さと正確さはその場にいた4人のヒトの完全な慮外だった。

 通常であればカウンターで太刀を返すジローが身動きひとつとれなかった。

 後の先を取るとまで呼ばれた太刀行きの速さだが、それを軽く上回っていた。


「ジロー。もう一度言っておくぞ。ナオを斬るな。良いな? ここで誓えぬならお前をここから追放する。不服なら余に斬り掛かるなり、何処へでも好きな所へ行くなり好きにせよ」


 地面に正座していたジローはカリオンをジッと見上げ、口中で言葉を練った。

 時間がゆっくりと流れるような錯覚を感じつつ、誰もがジローの返答を待った。


「……御意。全ては太陽王の御命のまま」


 ジローは折れざるを得なかった。

 それほどまでにカリオンは真剣だった。


 ただ、一部始終を見ていたナオだけが、何とも据わりの悪い思いだった。


「……太陽王陛下のご厚情、まことにありがたく思っております。この胸中の一念は一点の曇りもございません。私と息子とを暖かく迎え入れてくれた王への感謝の念は、如何なる言葉でも説明出来ません」


 澱みの無い言葉でそう言ったナオはその場に膝立ちとなった。

 そして、グッと顎を引き、頭を下げる形になってみせた。

 誰もが息を呑むそれは、首を落とされる罪人の姿であった。


「天地神明に誓い、一天万乗なる太陽王に剣向けるつもりなどございませぬ」


 何の迷いも無く、ナオはそうハッキリと言った。

 その双眼には迷いの色など一切無く、ただただ、澄んだ湖のように黒かった。


「……そうか」


 カリオンはそれ以上の言葉が無かった。

 ただ、信ずるしか無いと、そう思ったのだ。


 思えばこのナオという人物は、保護した時点でおかしかった。

 まだ幼い息子を連れ、ただ1人で中原の荒れ地を横断しようとしていた。


 恐らく北方の荒れた地帯から南下してきたのだろう。

 岩とコケばかりの荒れ地を真っ直ぐに歩いてきたナオは、驚く程の荷物だった。

 少なく見積もっても20人分はあろうかという日用品などだ。


 道中で食糧を補給出来ない荒れ地の中を歩いてきた筈のナオ。

 だが、その姿は健康その物だった。

 その息子ヒデトが荒れ地の中の数少ない獣を捕っていたのだ。


 ――流浪人の親子……


 ヒデトの母親が誰なのか?

 何度か見ているヒデトの覚醒した姿は、トラとライオンの真ん中位に見える。

 流浪人が発生する微妙な条件を満たして産まれて来たヒデトは可能性の塊だ。


「私は……この身に流れる血の一滴に至るまで、太陽王の不利となる事をしたくは無い……と、そう考えておりまする。勝手にヒトを連れ出した件につきましては、如何なる始末をも甘受いたします。ですが、ただ一度……ただ一度だけ……弁明させて頂きたく存じます」


 ジローから少し離れた場所でナオは再び地面に膝を付いた。

 あまりに真剣なその様子に、カリオンはまだ聞いてない裏がある事を知った。


 ――謀られたか?


 ジローを筆頭とする自治協議会の三巨頭は、少なくとも嘘はついてない。

 カリオンを通じて相手を見ている筈のリリスが嘘を見抜くからだ。

 だからといって本当の事を言っているとも限らないのだから難しい。


 晴れているか?の問いに対し、雨は降ってないと答えるようなものだ。

 実際には薄曇りかも知れないし、或いは降る一歩前のドン曇りかも知れない。

 晴れてないのでは無く雨は降ってない。それは嘘では無いが真実でも無い。


 この僅かな隙間を見落とすと、結局は悲劇に繋がるのだった。

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