仲間割れ
~承前
フワリと目を開けたカリオンは、薄暗い所にいた。
燃え残った茅街の中の店舗にいて、椅子に腰掛け眠っていたようだった。
街の中は焦げ臭いにおいが立ちこめていて、各所でまだ消火活動が続いていた。
正直、どれ位の者が犠牲になったか把握出来ない状況だ。
苛立っていたカリオンは、デュ・バリーを問い詰める事を優先していたのだった。
「陛下」
静かな声でヴァルターが訊ねる。
その声にカリオンは事態の変化を知った。
「……余はどれ位寝ていた?」
「およそ半刻かと」
「そうか……」
灯りの落ちた食堂の奥深く。
椅子に座り頬杖を突いたままカリオンは意識を手放していた。
いや、実際には狙ってそれをやったのだが、辺りには単に寝落ちだと思わせた。
話をすれば面倒だし、ドレイク辺りが聞きつければ参加させろと言い出すはず。
極論すれば、夢の中はリリスと逢い引き出来る唯一無二の場所なのだ。
故に、カリオンは努めてそれを秘匿していたし、全員がそれを理解していた。
「で、どうだ?」
「それが……」
ヴァルターは右手を外へと指し示し、状況を見て欲しいとそんなポーズだ。
軽く首肯して立ち上がったカリオンは、右手に太刀を持って外へと出た。
眩い光に目を細めるが、その光の中でヒトが1人、地べたに平伏していた。
「ジロー! 無事だったか!」
「太陽王陛下のお越し。かたじけなく……」
辿々しい言葉の理由はカリオンもよく解っている。
ジローは産まれた地の言葉がこの世界の言葉とは大きく違うようだった。
最初は意思の疎通にも苦労し、他の者の通訳があってやっと話が出来た。
「平伏せずとも良い。黒組以外はどうなった?」
「……わかりもはん」
解らない。
それ位の意味は解る。だが、その後の言葉が問題だった。
「じゃっど、あんギンもタカも街んにせば……――
そこから先、何を言っているのかカリオンは全く理解出来ない。
ただ、断片的に理解出来る単語を聞き継げば、おおよその意味は解る。
銀組を率いるギンこと銀治郎や緋組を率いるタカこと和貴は外出中だった。
街の中で育まれる子供達を連れ、出掛けていたようだ。
覚醒者は街には1人も居らず、郊外で演習中だった。
要するに、街中は平和で覚醒前な子供達の稽古や勉強に勤しんでいた……と。
『にせ』とはジローの故郷の言葉で若者を意味する。
その若者を育てる為、協議会の重鎮たちは努めて稽古をしていた。
そしてそれは、もはや老境に差し掛かったジローの楽しみだったのだろう。
「……そうか。しかし、街は酷い有様だな」
困った様な表情でカリオンはジローを見た。
叱責するつもりでは無く、あくまで軽口のような空気をまとってだ。
だが、ジローは肩を落とし俯くしか無かった。
「なさけなか……どうする事も出来もはんかった……」
再び難解なジローの言葉が続き、カリオンは必死で言葉を理解しようと努める。
おおよそ言いたい事を理解し、街に何が起きたのかを理解した。
まず、最初に入ってきたのはボルボン家の使者だった。
その使者はジローを含めた茅街の協議会に対し、ヒトの派遣を要請した。
実際の話として、ソティス周辺の荒れ地を再興させる知恵が必要だったのだ。
ボルボン家の古い記録の中に落ちて来たヒトの知恵が役立ったと記されている。
それに倣い、ボルボン家の先代当主であるクリスがヒトを頼ったらしい。
それからというもの。ボルボン家は定期的にヒトを集めに来ていたようだ。
だが……
「おいら協議会もこげんこつなるたぁ……あのっさぁ……なんとんしれんやぁ」
その単語を理解しきれず首を傾げたカリオン。
どういう意味だ?と問う前にジローはハッとした表情で頭を下げた。
「カリオンさぁ……すんもはん。あたいは言葉がわろて」
まだまだ薩摩言葉の抜けない長治郎の姿に、カリオンは遠い日の父ゼルを思う。
ヒトの世界の常識とこの世界のそれとを前に、どう両立させるかで苦しんだ。
「よい。気にする事は無い。こちらで理解する」
「……すんもはん」
その一言を呟き、ジローは頭を下げていた。
そんなタイミングで遠くから人の声が聞こえ、カリオンは辺りを見た。
声の主を探して顔を向けてみれば、そこに居たのはギンとタカだった。
「遅れました!」
「申し訳ございませぬ」
足音を立てて走ってきた2人は、カリオンの前で平伏し敬意を示した。
だが、肩で息をしている様を見れば、相当遠くから走ってきた事が解る。
「陛下のお手を煩わせ申し訳在りませぬ」
口火を切ったようにギンが喋り始めた。
独特のイントネーションなギンの言葉はジローとはまた少し違うようだ。
ヒトの世界の広さを垣間見るカリオンは、ただ黙って報告を聞いた。
曰く、街外れで覚醒したばかりの子供らを鍛えていたらしいのだが……
「ボルボン家の使者が毎回5人か6人ずつ連れ出してまして、どこへ行ったか教えて欲しいと言い続けてきたんですけど、毎回毎回、我等も知らないの一言で……」
そこから切り出された話は、カリオンをして驚天動地のものだった。
曰く、街から出て行くヒトの行方は知れず、追跡も出来なかった。
稀には幼いヒトを連れ出すケースもあったらしく、涙の別れがあったとか。
「あい解った。ボルボン家の者を締め上げ吐かせよう。ただ、その行方はおおよその見当を付けてある。場合によっては――」
腕を組んだカリオンは溜息をひとつこぼしてから言った。
重い口調で切り出したその言葉に、全員が表情を硬くした。
「――キツネの国と全面戦争になる。だが、やむを得ない。1人残らず根切りしてくれよう。後顧の憂いを絶つなら……それしか無い」
カリオンの見せた姿勢はヒトの保護に本気だと言うものだった。
それ自体が信用や信頼に繋がるものなのだが、タカは少々怪訝な顔だった。
キツネと事を構えるとカリオンが言う以上、連れ出されたヒトはキツネの国だ。
王はそれを知っていて黙認していた可能性があるのだ……と、疑惑の目だ。
「……我らもそれに参加しましょう」
静かな口調でそう切り出したタカは、地面へと視線を落とし呟いた。
カリオンとギンの会話に割って入ったタカは、悲壮な覚悟を語った。
「自由は与えられるモノではなく掴み取るもの。例えこの身が砕けるとも――」
グッと握り締めた拳を見つめ、タカは毅然とした口調で続けた。
そこに見える強烈な自負心や自尊心と言ったものは、全員が我が事に感じた。
「――必ず実力で掴み取って我々のモノとせねばならない。歓迎しない者が居るなら、それを押さえ込んででも成さねばならない」
カリオンは首肯しつつ『その通りだな』と漏らす。
与えられたモノは剥ぎ取られる可能性があるのだ。
相手の意思や心をへし折ってでも奪い取らねばならない物がある。
よしんば奪い取れ無くとも、命懸けでそれに当らねばならない時がある。
容易く支配できる相手に与えられる自由などたかが知れている。
徹底的に抵抗し、命よりも大切な物があるのだと相手に思い知らせる。
自主独立の要とは、いつの時代もどんな世界でもこれに尽きる。
だが、タカの吐いたその言葉にはどうやら別の意味があるらしい。
タカは隣に居たギンに目配せし、何かの了解を求めた。
そのギンは一つ息を吐き、『……そうだな』と呟く。
何が起きているのだ?と、カリオンは訝しげに見ている。
その眼前、タカの言葉に首肯を返したギンは、返す刀でジローに目配せした。
僅かな機微でしかないが、しかしながらそこには強い意味がある。
「……しゃあね。ほいどん。かりおんさぁ――
相変わらず理解出来ない言葉が続き、カリオンも困ったような顔になる。
ただ、それを聞くギンは、ウムウムと首肯している。
会話として意味は通じているらしいのだから、後は待つだけだ。
「いま、ジローも承諾したんですが、どうしてもこれはお耳に入れておかねばなりません。と言うのも実は……」
ギンがそう切り出したとき、タカは俯いて頭を降り始めた。
非情にネガティブな事なのだろうと思ったのだが、まずは聞くしかない。
「遠慮なく申せ」
如何なる話をも聞こうじゃないか……
そのスタンスで待っているカリオンだが、ギンは単刀直入な一言を吐いた。
「ナオは内通者の可能性があります」
流石のカリオンもその言葉にしばらくの沈黙を保った。
流浪者の父であるナオは、自分の生き方を堅持していた。
ただ、そのやり方は他のヒトをして『あいつは一国者だ』と言われていた。
諸国を歩いたことの無い者は、他所の流儀を知らず自国の流儀のみに生きる。
故に、頑固一徹な生き方を一国者と言う……と、カリオンはそう教えられた。
つまり、ナオは他人の意見に耳を貸さず、己の決めた生き方を堅持するのだ。
ある意味では不器用で敵ばかり作る生き方なのだろう。
だが、それでもナオは自分の生き方を変える事はしなかった。
その為、とにかくナオは誤解を受けやすい。
「ナオ……あんさぁは……」
ジローの顔付きが変わった。少なくともネガティブな表情だった。
素性の知れないナオはどこの組にも属していない一匹狼だ。
その実態は、流浪者と呼ばれる存在の父親だった。
流浪者。
それはこの世界の何処かで産まれ育った覚醒者の中で特殊な境遇を指す。
覚醒したが暴走する事も無く、自分をしっかり保ったまま実力を付けた存在。
そんな子供を持ったナオは、どういう訳か組織を徹底的に嫌った。
不思議な縁でこの茅街に辿り着いた後も、ナオは不思議な生き方を選んでいた。
息子を検非違使に参加させる事無く、常に手近に置いて鍛えていた。
カリオン自信がそれを不問としたのだが、色々と軋轢があるのは間違いない。
ただ、王の方針は絶対であり、ヒトの自治に任せ役職は強要はしない方針だ。
色々と細波のような衝突はあるようだが……
「何かあったのか?」
カリオンがそれを問うたとき、ジローは言葉を飲み込み黙ってしまった。
何かしらの上奏をしたかったのだろうが、そもそも言葉が不自由なのだ。
ジローはその言葉の齟齬による衝突を恐れ、普段から口数は少ない。
故に、これは少し話を聞かねばなるまいとカリオンは思う。
ジローが語れぬならば、お前が言え……とタカを見たカリオン。
タカは一つ深呼吸してから言った。
「従来より、ボルボン家の使者によるヒトの連れ出しが在りましたが、我々はそれを拒むべく幾度か拒否を通告しました。ですが、その都度にナオは独自に人選し、勝手に街から連れ出して引き渡しておりました」
出来れば秘匿しておきたかった事なのかも知れない……
カリオンはそんな印象を持って話を聞いていた。
ヒトと言う種族の持つ奥ゆかしさや控え目さは、時に更なる問題を引き起こす。
今回の件とて、もっと早くに解っていれば……とカリオンは思うのだが。
――――陛下のお手を煩わせ……
ギンの言ったその言葉にヒトの側の感覚の全てが詰まっている。
つまり、介入を歓迎しないのは勿論だが、それ以上に彼等は思っている。
純粋な赤心からの、厄介を掛ける事への謝罪と不甲斐なさを恥じている。
「……そうか」
カリオンは二つの意味でそれに首肯した。
王の耳に入れば、どうしたって問題解決に動くはず。
それを自らの恥とする彼等は、内々に処理する事を考えたのだろう。
何故なら、ル・ガルの国内ですらも微妙なバランスで成り立っているのだ。
王は各方面に気を使い、それぞれの勢力間闘争が過熱しないよう注意している。
だが、この話を耳に入れれば、間違い無く問題解決に強権を振るう。
その結果、それぞれの勢力全てがヒトに対しての圧を強めるだろう。
やっと掴んだささやかな自由だ。奪われたくないし穏便に対処したい。
ならばそれを我慢し、表に漏れないように処理するのが得策というものだろう。
大方、ナオはそんな思考だろうかとカリオンは考察を重ねた。
だが……
「ナオどんは……――
ジローの顔付きが変わった。
勝負に出る顔だとカリオンは直感した。
ただ、そうは言ってもジローの言いたい事など半分も理解出来ない。
その言葉が終る頃を待ち、ギンに向かって『なんと言ったのだ?』問うた。
「要約すれば……恥ずかしながらこの街で生きるヒトの社会のゴタゴタにございます。と言うのも――」
ギンはひとつ息を吐いて目を瞑り、心にグッと力を入れて目を開いた。
「――この街に暮らすヒトは二つの集団が存在します」
カリオンの表情がスッと変わった。
それまでは穏やかに話を聞いていたはずなのに、今は政治家の顔になった。
渋い声音で『二つとは?』と問うたカリオン。
その身が放つ威と迫力にギンは明らかに気圧された。
だが、ここで怯んでいては事態は解決出来ない。
「死を恐れず戦って、それで実力で独立しようとする者。もう一つは、例え死ぬ事になっても服従する事なく、穏やかな抵抗で独立しようとする者にございます」
カリオンは圧し黙って考察を進めた。
記憶のどこかにその話があったはずだと思い出していたのだ。
そして、その思索の積み重ねの果てに、カリオンはハッと思い出した。
――――これはヒトの世界の話だが……
遠い日、ビッグストンの居残り授業の中で父ゼルが語った言葉。
ヒトの世界にあったと言う自主独立を求めた人々の物語だ。
民族自決と言う言葉の元に世界中が争った時代がヒトの世界にはあった。
新たな兵器と新たな戦術により夥しい犠牲を払って戦争をしたらしい。
血で血を洗うと言う慣用表現そのものに、数千万の犠牲を払って戦争は終った。
だが、その戦争は次の戦争の序章に過ぎなかったらしい……
一晩で十万が焼き殺された都市があったらしい。
一瞬で二十万が蒸発した神の力が行使されたらしい。
そして、その闘争は多くの独裁者を産んだ。
ただ、皮肉な事に、勝利した側の方が残忍であった。
その独裁者たちは政治的闘争の勝利だけが必要だったのだ。
兵士など畑で取ると豪語し、三千万の国民を見殺しにした者も居る位だった。
――――お前はそうなるなよ
ゼルが懇々と言い聞かせたその言葉は、いまもカリオンの中に生きていた。
だが、あくまで闘争を選ぶ者も確実に居るのだとゼルは言い残していた。
駄目で元々なのは重々承知しているが、それでも戦って死にたい者達だ。
「我ら3人は主戦派に属し、若者を鍛え、臥薪胆嘗の時を過ごしてでも――」
ギンが切り出したその言葉は、カリオンの表情を硬くするのに十分だった。
理屈ではなく肌感覚として、そこに戦いの臭いを感じた。
そしてそれは、相手を斬り倒してでも前進使用とする意思……
「――それこそ、子や孫やその先の子孫達の時代には、我々が如何なる種族や人種に左右されず生きられるように、その為に喜んで死のうと」
奥歯をグッと噛んでカリオンは言葉を聞いた。
どこか血生臭い、達観した死生観がそこにあった。
つまり、自分達が死ぬ事に抵抗を見せないのだ。
もっと言えば、それは必要な犠牲だと、コストだと割り切る姿。
だが、逆説的に言えば、累々と死を積み重ねた以上は後戻りが出来ない。
必ず目的を達するという強い信念や執念レベルで覚悟する闘争だ。
「つまり、ナオはその逆と言う事か?」
「仰せの通りでございます」
「ふむ……」
顎をさすりながらカリオンは考えた。
父ゼルの教えてくれた事を思いだしたのだ。
「非暴力・非服従という戦術だな」
「その通りです。ただ、最後の1人まで死にきる可能性がある以上……」
ギンはこの3人が恐れている事態の核心を漏らした。
最終的にヒトが必要ないと判断されたなら、非暴力非服従では効果が無い。
「……なる程な。つまり、ナオは役に立つ事で根絶やしにならぬと踏んだのか」
カリオンが指摘したその言葉に3人は渋い表情だ。
実際、そんなに甘いものじゃ無い事など誰だって知っている。
従順さを失ったヒトなど、まとめて根切りしてしまえばいい。
突き詰めれば、落ちものであるヒトなど、またいつか落っこちてくるだろう。
大切なのはヒトが従順な使役奴隷である事と、歩く資産で有る事だった
そして実際、イヌだけで無く多くの種族国家が同じ事を考えていた。
つまり、従順さが無くなってしまえば、ヒトなど何の魅力も無いと言う事だ。
「ただの綺麗事に過ぎませぬ。やはり戦って勝ち取るのが正道かと」
胸を張ってそう言ったギンは、チラリとタカに目をやった。
お前が言えと態度で示し、ギンはスッと半歩ほど下がった。
マジかよ……と一瞬だけ渋い顔になったタカは、一つ息を吐いて言った。
「理想とする目的点がいくら一緒でも、犠牲を払い続けるのは歓迎しかねると言う事です。そして、太古の昔から未来永劫、如何なる世界線へ飛んだとしても、絶対不変の定理として存在するのは、ただひとつ。つまり、数は力です」
……そうか
3人組が何を危惧しているのか?の、その本質をカリオンはここで理解した。
つまり、非暴力かつ非服従を貫いてヒトの数が減っていくのが困るのだ。
「つまり、ナオをどうすれば良いのだ?」
カリオンは逆にそれを問うた。
この3人がどうしたいのかが解らないからだ。
「逆徒として糾弾したいと存じます。つきましては『ちょっと待ってくれ』
カリオンに対し希望を述べたギン。
だが、そのギンの言葉に被せるように、誰かの言葉がそこに響いた。