緊急会議
~承前
断続的に苦しげなうめき声が続く中、冷徹な女の声が響く。
その声の主はリリスで、呻いているのはデュ・バリーだ。
彼等は今、リリスの夢の中に居た。
次元の魔女とふたつ名を持つに至ったリリス特製の尋問コーナーだ。
そして、その中ではル・ガルの最高評議会な面々が尋問に当たっていた。
言うまでも無く、リリスの夢に招かれたカリオン陣営の面々だった。
「で、貴様はあの薬で何人の子をこの世に送り出したのだ?」
それはカリオン自らが直々に尋問する声だった。
リリスの術により捉えられたデュ・バリーの魂は、冥途へ旅立てずにいた。
肉の身体から抜け落ちた魂は、この世にいるだけで塗炭の苦しみだ。
苦しみにもがきながら、懇願するように漂っている。
そんなデュの存在をリリスは逃がさないでいた。
この世界にいるだけで苦しむ以上、それ自体が拷問だった。
「わからない……わからない……」
全く素直さを見せなかったデュだが、リリスは術を駆使して痛めつけられた。
拷問の現場に立ったとき、男よりも女の方がよほど苦しい責め苦を思いつく。
人口に膾炙するとおりの事を、リリスは嬉々として実行していた。
その結果としてだろうか、彼の魂は朧気な姿になり始めている。
魂それ自体が削られ、その存在そのものが希薄になり始めている。
こうなると、もはや輪廻すら出来なくなってしまうらしいのだとか。
――――へぇ……
――――やり過ぎるとこうなるんだね
何とも楽しそうにそう言ったリリスだが、もはやデュは向こうが透けていた。
リリスはパチンと指をスナップさせ、新たに何らかの術を走らせる。
するとどうだ。朧気になり始めていたデュの姿はスッと元に戻った。
――――そう簡単に死ねると思わない事ね
それがどれ程に厳しい一言かは考えるまでも無い。
生殺与奪の全てを握られると言うが、既に死んでいるのに逃げられないのだ。
水の中へ引きずり込まれもがくように、デュの魂は死なして欲しいと懇願する。
だが、その願いを一笑に付し、リリスは冷たい声で言った。
如何なる望みも潰えるような絶望の言葉だった。
――――王の問いに全て答えたならね
――――考えてあげても良いわよ?
全てはリリスの掌の上。
絶望的なその事実を前に、デュの魂は絶望の淵に立っていた。
――――いったい誰を庇っているの?
――――あなたはもう死んでるんだから、この世の事など忘れなさい
それはカリオンを挟んでリリスの反対側に座るサンドラの言葉だった。
太陽王を支える女たちの中でリリスと表裏一体になりつつある彼女。
思えばこの10年程は、話をしなくとも何を考えているのかが解るレベルだ。
リリスが招く夢の世界に入れる者達は皆思う。
このふたりの王妃の無聊を囲えば、それは大変な事態になるのだと……
「何故解らないのだ?」
デュの回答に対しカリオンは更に追及の手を伸ばす。
事態を正確に把握し、それについて対処を考える。
それこそが最も重要な事だった。
「私の手を離れたものの行方など気にした事は無い」
ある意味でそれは商人の鏡なのだろう。デュが拘るのは、商と利と信用だ。
死して尚、商売相手の信を気にする辺りは、まことにあっぱれだ。
だが、カリオンにしてみればそれは困る事態だ。
その行方についてキチンと把握せねばならないのだが……
「では、誰に売ったのだ?」
僅かに朧気な姿のデュは、首を左右に振るばかりで言葉を発しない。
リリスはそんな振る舞いにムッとしたらしく、手を伸ばしてグッと握った。
「ギャァァァァァ!!!!!!」
断末魔のような声が響き、デュの身体が大きく歪んだ。
煙のようにフニャフニャと曲がるその姿は、生者とは思えなかった。
「まだ解らないようね」
握った手をグッと捻ったリリス。
その行為と同時にデュは再び濁った絶叫をあげた。
リリスはニヤリと笑い、おぼろげな姿のデュに火をつけた。
「アァァァァァ!!!」
どれ程に焼かれても死ぬことすら出来ない。
そんな状態のデュは激しく燃える状態だった。
「そろそろ良いかしらね」
ウフフと笑ったリリスは暗闇に向かって手招きした。
するとどうだ。その暗闇の中からボロボロの姿になったシャイラが現れた。
その姿は魂自体が長年の苦しみで疲弊しているのだと皆が思う姿だ。
「叔母上様? ご馳走を用意しましたよ。生き胆をどうぞ召し上がれ♪」
楽しそうな声でそう言ったリリス。
両目を皮ひもで縫い合わされたシャイラは這うようにしてデュへと取り付く。
そして、鋭い爪を突き立てて腹を割くと、その肝臓を齧り始めた。
「グァァァァァァ!!!!!!」
それは、今まででもっとも酷い悲鳴だった。
断末魔の絶叫と言うには余りに酷い声だ。
心の弱い者が聞けば、それだけで卒倒しかねない酷い声。
だが、そんな状態でもデュは逃げられずにいた。
「殺して! 殺してくだされ! お願いです! 殺してくだ……」
ピチャピチャと音を立てて生き胆を喰らったシャイラの姿が少しマシになった。
リリスは僅かに首をかしげ『言う気になった?』と尋ねた。
だが、デュは相変わらず『わからない……』と呟く。
「叔母上様。もっと食べて良いですよ」
再び指をパチンとスナップさせると、奇麗に無くなった筈の肝臓が再生した。
丸々と膨らんだ肝臓を前に、シャイラは舌なめずりしながらニヤリと笑った。
そして、真っ赤な血を舐めるように舌を這わせ、そのまま齧り付いた。
「ギッ!! ギャァ! ギャァァァァ! アァ! アァ! アァァァァァァ!!」
おぼろげなその身体をバタバタと震わせてデュは痛みに苦しむ。
腕を組んで眺めていたカリオンは『少々やかましいな』とぼやく。
「じゃぁ、静かにしようか」
再びパチンとスナップさせると、デュの濁った絶叫がフッとやんだ。
音自体が失われたのか、激しい痛みにのた打ち回る姿だけが見えた。
「さて、ヒトの子供たちはどこへ売られたんだろうな」
腕を組んだままのカリオンは、低い声でそう思案した。
そんなカリオンに対し、トウリが訝しがるように言った。
「軍の関係者か、さもなくばネコかトラ辺りの関係機関かも知れないな」
随分と遠くへ出ているらしいトウリは、茅街ではないところから来ていた。
そんな姿を見ていたジョニーが思案を重ねるように言う。
「トウリは今どこにいるんだ? そこらで手掛かりはつかめないのか?」
無遠慮でよく言えばフランクな物言いのジョニー。
トウリはそれに怒る事も無く、返答した。
「今現在はネコの国の割と深いところにいる。森の中で夜待ち中だけど……」
その言葉が終る前、話しに割って入ったオクルカが漏らした。
遠くプルクシュポールからやって来た彼は、フレミナ魔導院を指揮していた。
「水盤で行方を追っているが、どこにも姿が見えない。かなりの腕利きが探しているが、この世界のどこにも痕跡が無い」
その言葉にカリオンが顔色を変える。
痕跡が無いと言う事は、既に死んだ可能性がある。
そして、もう一つの可能性は、ヒトの世界へ行ったかも知れないと言うこと。
あのヒトの武装集団は自在に世界を転移するらしい。
ならば、それにつられて何処か違う世界へ行ったかも知れない。
「……そろそろ教えてくれても良いんじゃないか?」
カリオンは冷たい口調でそう言いつつ、リリスへと目配せした。
リリスは何かを吹き飛ばすように、デュへ向かってフッと吹いた。
直後、さっきまで音の無かったデュ・バリーの絶叫が再開された。
「叔母上様? お腹一杯になったかしら?」
クククと笑ったリリスの笑みが恐ろしいほどだ。
先程までの、あのボロ布のようなシャイラは若く瑞々しい姿になっていた。
小さな声で『どう言う事だ?』と尋ねたカリオン。
リリスも小さな声で言った。
「デュの魂それ自体を食べたのよ。魂それ自体を削られるんだから苦しいよ」
その言葉にカリオンはニヤリと笑う。
シャイラに命そのものを吸われたのか、デュはみすぼらしい老人の姿だ。
「どうだ? そろそろ教えてくれ。お前の売り渡したヒトはどこへ行ったのだ」
カリオンの言葉はあくまで穏やかだった。
ただ、その穏やかな言葉こそが本当に恐ろしいのだと誰もが知っている。
烈火の如き怒れる姿よりも頭脳をめぐらせる姿の方が余程怖いもの。
なぜなら、怒り任せではなく最大限の効率で事を成すべく冷静に考えるから。
「……解らないが、キツネの仲買に売り渡した」
デュがそう呟いた時、全員がピクリと反応した。
情報担当と言うべきアレックスが表情を厳しくしながら呟く。
――――…………キツネだと?」
それが何を意味するのかは言うまでも無い。
今はもう魔法大国となりつつあるル・ガルだが、キツネの国には手を出せない。
余りに強力な結界と常識はずれな魔法操作により、全ての諜報が妨害される。
その全てが全員の知るあの七尾のキツネに結びついた。
「……あいつか?」
怪訝な声音でジョニーは呟く。
その向かいにいたオクルカは黙って首肯した。
「キツネの仲買とは如何なる者だ?」
カリオンは厳しい声音で更に問うた。
その問いに対し、デュは震える声で言った。
「定期的にソティスを訪れてはヒトをこちらの言い値で買って行った――」
ビクビクと何かに怯えるように言うデュは、頭を抱えて震えている。
それが何を意味するのかはともかく、余りに異常な姿だと皆が思った。
「――キツネの国でヒトを大量に養殖しているらしい」
……養殖
リリスは心底嫌そうな調子でそう呟いた。
ただ、その直後に異変は起きた。
「ギャッ! ギャァァ! やっ! やめてくだされ! お許しくださ――」
デュが突然何かを叫んだかと思うと、そのおぼろげな姿が燃え上がった。
リリスは小さく『え?』と漏らし咄嗟に手を伸ばすものの、その火は消えない。
「うそ……」
首をかしげるリリスの前、デュの姿は激しく燃え上がる炎となった。
夢の中だというのに熱を感じる程に燃え上がるデュ・バリー。
その炎が収まったとき、その中から妖艶な姿のキツネが姿を現した。
白銀に輝く七尾の尻尾を持つ、赤袴姿な女だった。
「勝手に邪魔をするぞえ。もてなしは不要じゃ。苦しゅう無い」
甲高い声でヒッヒッヒと笑ったキツネは、大きく裂けた口を開いた。
生理的に恐怖心と嫌悪感とを想起させるおぞましい姿だ。
「妾の僕もお喋りが過ぎるぞえ。教えてやるのはここまでじゃ。後は自力で調べるが良い。幾らでもやってまいれ」
再び甲高い声でヒッヒッヒと笑い声が響いた。
誰もが苦虫を噛み潰したような顔になったが、カリオンは黙って睨んでいた。
「イヌとヒトの重なりとは珍しいのぉ あの男の後塵を拝するとは何とも屈辱じゃで邪魔をするぞよ。お主の存在が妾には不快に過ぎる」
カリオンを指さして不機嫌そうにそう言った七尾のキツネ。
だが、すぐさまオクルカが動き、腰の黒太刀を抜いて斬りかかった。
「バケモノめ!」
斬った者の魂そのものを吸い込んでしまうと言う魔剣。
その黒太刀で斬られれば、カサナリですらも死ぬと言う。
「ヒャァ! 危ない代物を持っておるのぉ」
あくまで余裕のある姿を崩さないそのキツネは、再び燃える炎に戻っていった。
――――妾はキツネの国におる
――――夢では無く術を使って参れ
――――だたし生きて帰れるとは努々思わぬ事じゃ
――――お主らをひねり潰す事など……
――――容易いゆえなぁ……
気が付けばデュ・バリーの姿が完全に無くなっていた。
逃げられた。或いは、完全な証拠隠滅を図られた。
その悔しさにリリスが震えた。
「……忌々しい」
ボソッと呟いたカリオンは、苦虫を噛み潰したようにしていた。
腕を組んだままの姿だが、その姿には緊張感が漂っていた。
「おぃエディ」
ジョニーも剣呑な調子で声を掛ける。
だが、カリオンは黙って首肯してから応えた。
「解ってるさ…… ネコの国の次に…… 滅ぼしてやる」
カリオンの目に狂気の色が混じった。
その姿をリリスとサンドラが見ていた。
「まずはあの街を何とかしないといけませんね」
サンドラは冷静な口調でそう言った。
それに首肯しながらリリスも相槌を打った。
「そうね。イワオとコトリは何処に行ったのかしらね」
そう。
本来ならあの程度の連中など相手にならない戦力が茅街には居る筈だ。
それこそ、イワオひとりで完膚無きまでに鏖殺出来なければおかしい。
「あぁ。それなんだが――」
トウリは困った様な表情で肩をすぼめて言った。
「――イワオとコトリの2人は俺と一緒にネコの国奥深くに居る。ネコの国のヒトを飼っておく施設に潜入中だ」
事も無げに言ったトウリだが、カリオンは絶句していた。
飼っておくと言えば聞こえは良いが、要するに繁殖……授産施設だ。
ヒトの子を取って流通させる為のものだろう。
そうで無くともヒトの子供は高く売れる。
愛玩用であったり、或いは純粋な労働力としての奴隷であったり……だ。
故に各国とも非公式ながらその手の施設を持っているのは間違い無い。
だが。
「こんな事は言いたくないが……」
「あぁ。解ってる言いたい事は百も承知している。危険なのは認識している」
イワオとコトリの正体を飲み込んでいるトウリだ。
カリオンが何を言いたいのかは聞くまでも無い事だった。
「そもそも、潜入しようと言い出したのはコト『何故止めなかった』
トウリの言葉を遮り、カリオンはピシャリと言い放った。
ご機嫌は斜め45度を通り越していた。
「カリオンが怒るのももっともだが、どうやらこの施設の中に例の魔法薬があるらしいのを突き止めた。コトリはヒトの経産婦という事で、ネコの側もそれなりに期待したらしく、イワオ共々スッと中に入れたんだよ」
検非違使の地道な活動により導き出された魔法薬の行方。
それを回収する為にコトリは危険な橋を渡っているらしい。
到底承伏出来ぬ話ではあるが、それでも受け入れざるを得ない。
そもそも、魔法薬の回収を念頭に置いたのはカリオンだからだ。
「……安全は担保出来るのか?」
カリオンの声音が剣呑だと皆が思った。
この夢の中は嫌でも本音が出てしまう環境だ。
それ故、全員がカリオンの危惧を理解していた。
「安全とは言いがたいが、これ以上確実な方法で中に魔法薬がある可動化を確かめて潜入する手段は他に無い。それに、実はもう一つ重要な案件があって――」
トウリはカリオンの威に怯む事無く言葉を返し続けた。
それは、ある意味でトウリの至った達観の成せる業だった。
「――もしかしたらここにリサの娘が居るかも知れない」
その一言でカリオンの纏う空気がスッと変わった。
息を呑み『続けろ』と言わんばかりの目でトウリを見てた。
「出所不明のヒトの娘を保護したと言う話がそもそもの発端なんだ。話を持ってきたのはフィエンの街にいるエゼキエーレで、彼の情報に因れば年の頃や姿格好がリサの娘リナにそっくりなんだ。それ故か、コトリは強硬に潜入を主張した」
……あぁ
カリオンの表情にそんな色が浮かぶ。コトリは責任を感じているのだろう。
敬愛する父ゼルこと五輪男の遺児でもあるリサを何処か粗末に扱っていた。
それはきっと、後からコトリの心の中で、どんどんと重くなっていったのだ。
「……解った。潜入の件は不問にする。ただし、中でコトリが孕ませられないよう最善の注意を払ってくれ。タロウだって胤違いの兄弟は欲しくなかろう」
カリオンは自らが纏っていた空気の詫びをするように軽口を叩いた。
だが、その軽口の対する返答は、カリオンをして絶句させるものだった。
「あぁ、それは心配ない。既にコトリとイワオの子が入っている。それ故にスッと収まったと言う部分もあるからな」
相変わらずトウリはそう言う部分が弱い。
誰もがそう思うのだが、当人は気にしていない。
「その関係でコトリとイワオは常に一緒に居るはずだ。もしかしたらイワオは他のヒトの女に胤を付けているかも知れない。それについては……まぁ、大目に見てやってくれ。その子等もコッチで責任もって回収するがな」
軽い調子のままトウリはそう言った。
だが、その中に含まれた新たな命の話は、リリスとサンドラを笑顔にさせた。
「解った解った。とりあえずコトリを頼む。俺には大事な妹だからな」
「あぁ。解ってるよ。同じヘマは二回しないさ」
その会話の直後、カリオンは夢の中からフッと居なくなった。
現実に呼び戻され目を覚ましたので、ログアウトした形だった。
ただ、イワオとコトリの間の子供の話は全員を笑顔にさせた。
いつの時代に在っても、新しい命は祝福されるのだった。