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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
中年期~憎しみと苦しみの螺旋
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闇を突いて

~承前






 ソティスから西へ10リーグ。

 墨を流したような闇の中を騎兵の一団が駆けていく。

 乾いた荒れ地を彼等が駆けると、蹴り上げられた砂塵が星明りにきらめいた。


 ただ、その騎兵たちは顔色を変えて走っている。

 彼等を率いる男は、後も振り返らずに駆けていたからだ。


「急げ! 急ぐんだ!!」


 カリオンは怒声混じりの声をあげて一団の先頭にいた。

 その直後には顔色を悪くしたタロウが続いている。

 彼等は夜を突いて西を目指していた。


 ソティスから西へ向かえば、そこは茅町。

 カリオンが肝煎りで拵えたヒトの街だ。


 茅街へ続くゼルの道は最低限の整備がなされ、人々の往来を可能にしていた。

 街道沿いには駅逓拠点が約5リーグ毎に設置され、希望すれば馬を借りられる。


 その駅逓を辿りつつ、馬群は夜の闇を駆けていた。

 光通信により、各駅逓拠点では替え馬が用意されている状態だった。


「父上。少し速度を落としては!」

「ならん! 落伍した者は蹄の跡を追ってまいれ!」


 漆黒の闇のなか、カリオンは完全なギャロップ体勢だった。

 月の無い夜は視界も悪く、こんな時は慎重な前進を図るのが普通だ。


 だが、カリオンはそんな夜を走っていた。

 その耳に聞こえるのは、あのノーリの鐘の音だった。


 ――鐘よ導け!

 ――我が父の元へ!


 そう強く念じたカリオンの耳に、あの金の音が蘇ったのだ。

 父の教えに従い、闇の中で音を頼りにカリオンは駆けた。

 誰もが驚く様な真っ直ぐな駆け道だった。






 ――およそ6時間前






 宙を斬ったカリオンの手刀は、マリの中に居た何かを斬った。

 姿からすればキツネに間違いないが、その正体はキツネとは程遠いものだろう。

 正気を取り戻したマリは、最初はキョトンとして事態を飲み込めないでいた。


 だが、ややあってマリは何かを思いだしたのだろう。

 突然声を上げて泣き叫び、それが落ち着くと今度は室内をウロウロ歩き回った。

 恨みがましい眼差しでカリオンを見ながら、どう取り繕うかを考えた。

 要するに、どう誤魔化しこの場を切り抜けるかを考えたのだ。


 ただ、その課程でやはりマリは何か恐ろしいものを思い出したようだ。

 痛々しい程の憔悴と狼狽を繰り返し、マリは終始混乱していた。


 しかし、だからと言って労る言葉など無い。

 カリオンは正気に返ったマリを詰問し続けた。


「デュは何処に居る?」


 マリの夫デュの所在を問い、わからないと繰り返すマリを攻め立てた。

 だが、どうしてもマリは口を割らない上に、『解らないんです』を繰り返す。

 流石のカリオンも打つ手無しと匙を投げたくなり出した。


 そして、押してもダメなら引いてみな?を試すしか無いと思っていた。

 つまりは、バリー家の商売の中身について、正直に答えろと質問し始めたのだ。


「公爵家を事実上買い取る程に随分と儲けたようだが、そなたらは何を売っているのだ? 余が知る限り、国内産業でそれだけの利を得られる物は無い」


 公爵家を買い取る程に利を挙げて、大きく商いを行うバリー商会の正体。

 その実情をカリオンは吐かせたかったのだろう。


 もはや国王と公爵家当主の会話では無い。

 これは間違い無く、取り調べの場だと皆が思った。


「余も興味があるのだ。そなたらの幅広く儲けの大きい商売の中身についてだ。非合法な商売をしているとの噂を余も耳にしている」


 その噂の出所は、王都へと上がったマリー・ボルボンだ。

 彼女は蛇蝎の如くにデュ・バリーを毛嫌いした。

 『あんな商人上がりの野卑な男が公爵だなんて』と吐き捨てる程にだ。


 少なくともボルボン家はイヌの社会が誕生した頃から貴族だったはず。

 古い伝統と格式を今に伝え、護るべき社会文化を支えるパトロンであった。

 だが、デュ・バリーにはそんな姿勢が欠片も無かったのだ。


 人の心根は顔に出ると言うが、デュ・バリーという男はとにかく野卑だった。

 儲かるなら何でも商う。利の為なら他人の靴でも平気で舐める。

 その顔を見れば、10人が10人、顔を顰める悪人面だった。


 ただ、それでも国民である以上はカリオンにとって庇護するべき国民だ。

 その商売の中身について話を聞いておきたいと思っても、おかしい事では無い。

 だが、カリオンの質問に答えたマリの何気ない一言で明らかに空気が変わった。


「……儲かるなら何でも扱い売りさばくのが商人です」


 商売とは決して罷業では無いはず。そんな事はカリオンだってよく解っている。

 だが、そんな小売業であっても、そこには必ず分別が付いて回るもの。

 行儀の悪い振る舞いや行いは批判されたり呆れられたりして当然だ。


 しかし、カリオンが態度を変えたのは、その中身の問題だった。

 マリが吐いた言葉は、カリオンを激怒させるのに充分だったのだ。

 それは、マリが迂闊に喋った夫デュの商う内容だった。


「そなたら夫婦は何を商っているのだ?なぜにこの様な利を上げるのだ?」

「国外からの引き合いに対し、夫はそれを売る事で利を得ました……」


 マリが告白したのは公爵の不逮捕特権を使いかき集めたデュの商品だ。

 ル・ガル国外から求められる様々な物を、強引な手段で買い集めたのだ。


 栄えるル・ガルにおいてはそれなりに値の張るものばかり。

 逆に言えば、国外の諸地域では喉から手が出るほど欲しいものばかり。

 それらを買い集めたデュは、国外に法外な値段で売り捌いていたのだ。


「それは……不逮捕特権で許されることだと思っているのか?」


 低く轟くような声音でカリオンは言った。

 それほどにマリの語った内容が問題だったのだ。

 主に商っていたものは、精製された真銀の塊や加工前の鋼などだ。


 砂鉄などから生成された玉鋼と呼ばれる高純度の鉄は途轍もなく高価だった。

 だが、それはまだ実際の話として大した問題ではなかったのだ。


 マリの口から出たのは、本来国家管理とされる品々だ。

 高度な多段練成行程を必要とするエリクサーなどの魔法薬。

 そして、その話の続きに出てきたのが、王の秘薬と呼ばれる魔法薬だった。


「そなた。それを国外に持ち出すことは律に触れると知っての事か?」


 カリオンの発した言葉にマリは明らかな狼狽を見せた。

 先程までの演技染みたような姿はもう無い。

 街の暗がりに立っている私娼の様な酷い顔だった。


 俗に死んだ魚の目と呼ばれる生気の無い顔。

 不健康で不健全な日々を送っているのだろう。

 その姿は窶れきっていた。


「答えよ! 全部承知で行っていたのか!」


 きつく問い詰めるカリオンにマリは震える声で答えた。


「勿論です。ただ、夫は危険を犯す事も無くなったとも……」


 その一言にカリオンの顔色が変わった。

 先程までよりさらに悪化したのだ。


 こうなった場合、下手に取り繕うのは傷を広げるだけ。

 素直に言ってしまうのが賢明だ。


 なにせそもそも公爵には特権が多い。

 法を踏み越える緊急措置もある程度までは許される。

 ならばマリはここで斬られないための措置を取ったのだ。


 それ程までにカリオンの顔色が険しかった。


「……夫は宝の山を見つけたと、そう言ってました」

「宝……だと?」


 ゴクリと喉を鳴らすカリオン。

 このル・ガルを含め世界に流通するもので最も高価なもの。

 最大の利益をもたらす商品をカリオンは思いついたのだ。


「……えぇ。こちらの言い値で売れるものだそうです」


 マリは歯の根が噛み合わない程に震えながらそう応えた。

 その時点でカリオンは確信し、さらに問い詰めた。


「それはなんだ? 余の禁令を破ったのか?」


 だが、それに対する返答は、頭を左右に降りながらの沈黙だった。

 まるで叱られる子供のようなマリの姿に、エルムは小さくため息を吐く。


 そして、どう思う?と意見を求めるように隣の関タロウへ視線を向けた。

 だが、タロウは不自然な緊張をみせ、マリをジッと凝視していた。


「そなたら…… まさかとは思うが茅街に手を出してはおらぬだろうな?」


 カリオンの声は地獄の魔王もかくやの状態だ。

 心の弱いものが聞けば、それだけで恐慌状態に陥るだろう。


 グッと手を握りしめて立つカリオンは、鋭い眼差しでマリを見つめる。

 その眼差しに射貫かれたマリは、今にも口から心臓が飛び出しそうだ。


「二度は聞かぬぞ。心して答えよ…… 答えなければ肯定したものと捉える」


 先に逃げ道を塞ぎ、カリオンは激しい怒りを内包した声で言った。

 一言一句に注意を払わねば、悲惨な結末を迎えるのだと誰もが思う……


「そなたら夫婦は…… 茅街のヒトを売っているのか? 魔法薬と合わせて」


 父カリオンの言った言葉でエルムはやっと全体像が繋がった。

 ヒトにあの魔法薬を飲ませて交われば、魔を宿した子が産まれる。

 その子は恐るべき力を持っていて、戦えば大変な事になる。


 先に王都で起きた争乱は、その魔を宿した子の暴走だった。

 少なくとも軍の内部ではそう結論づけられていた。

 レガルド卿が何処かからか入手したバケモノの暴走だ。


 それがただの詭弁である事など、誰でも知っている。

 だが、王自ら魔導によりバケモノを始末してしまった以上、真相は闇の中。


 つまり、これからその闇を解明しなければならないのだが……


「答えよ!!」


 カリオンは叫ぶように言った。

 その声音にマリはビクッと身体を震わせた。

 目玉がこぼれ落ちそうな程に目を見開き、ガタガタと震えていた。


「どうなのだ!!」


 その姿を見ればエルムにも回答が見えた。

 真実は『はい』なのだろう。だが、それを言う事は出来ない。

 認めれば間違い無くここで斬られる。答えなければ同じく斬られる。

 そして、否定しつつも後で虚偽と解れば、もっと悲惨な方法で死ぬ。


 どっちにしろ助かる道は無く、あとは許しを得るしかない。

 ただし、安い貴族や商人達のように金の力で押し切る事は不可能。


 詰み……


 マリはその結論に達し、言い逃れの手段を考える事すら放棄した。

 あとはもう、大人しく斬られるしか無い。故にやる事は一つ。

 全ての秘密を墓の仲間で持っていく事だ。


 もっとも、そう簡単に死ねる訳では無い事をマリは知らないでいたのだが……


「どっ! どうかっ! お許しくだ……さい……」


 マリは突然その場にひれ伏すように蹲った。

 いわゆる土下座状態になったその姿に、誰もが固唾を飲み込み息を潜める。


 だが、それもやむを得ないのだ。

 すぐ近くにいたエルムの目は捉えていた。

 父カリオンの身体の周囲が歪んで見える事に。


 全ての怒りをグッと堪えて事態の確認を行っている。

 何が起きたのかを確認せねば、その後の対処が出来ないからだ。

 だが……


「ひとつ聞く」


 怒りに震える声を半ば強引に押し潰し、カリオンは低い声で言った。


「そなたらが茅街から連れ出したヒトは……命乞いをしなかったか?」


 それが死刑宣告である事は間違い無い。

 自分の行いの結果として、同じ罰を受ける事になる。

 罪と罰は等しくあるべきだと言うのがこの世界の常識だ。


「それは……」


 それを重々承知しているからこそ、マリも言葉に詰まる。

 答えないわけにはいかないが、答えればジ・エンド。

 そして、答えなくともジ・エンド。


「どうなのだ?」


 カリオンは左手をヴァルターへと伸ばし、手首を振って『寄こせ』の姿だ。

 ヴァルターは音も無くスッと歩み寄り、黙って剣の柄を差し出した。

 その柄をしかと握ったカリオンは、一歩踏み出して剣を抜いた。

 白銀に輝く刃には、恐慌状態となったマリが映る。


「……父上。黒幕を聞くべくべきでは」


 エルムは助け船を出すつもりでそう言った。

 だが、カリオンは視線ひとつ向ける事無くそれに応えた。


「その必要は無い。裏で糸引くのがキツネだと解っている以上――」


 ゾクリと背筋を寒くしたエルム。

 極限までの怒りを噛み殺すカリオンの姿に思わず震える。


「――あとはキツネを滅ぼすだけだ」


 カリオンは静かな声でそう言った。

 そこには万の決意を込めた燃えるような怒りがあった。


 ただ、その言葉にピクリと反応したのはマリだった。

 僅かでは無いその狼狽から、デュ・バリーの顧客の正体が知れた。

 誰だってえさ箱に手を突っ込まれればいい顔はしないものだ。


「……そうか、そなたらはキツネにヒトを売っていたのか」

「いえッ! そんな事は決して!」


 カリオンの言葉を必死に否定したマリ。

 己の罪状をこれ以上なくハッキリと語ってしまう姿に、エルムはウンザリだ。


「……どうかお許しを!」


 ひれ伏したマリは、ズルズルと後退し壁際に下がっていく。

 薄暗い地下室の床は吐瀉物や汚物の混じった汚らしい状態だった。


 正体が抜けるまで快楽に溺れさせ、その中で相手の魂を縛る禁術。

 抜け殻のようになった者を意のままに操る術は、魔術ですら無い。

 この地下室がその舞台であった事はすぐにわかるのだ。


 カリオンは己の至らなさを恥じた。

 最初の一瞬、あの中庭で顔を合わせた時に何かの術を掛けられたのだ。

 故に、この地下室に入るまで気が付かなかった。


 この独特の臭いで我に返ったカリオンは、その鼻が覚えていたのだ。

 それは、フィエンの街のエゼキエーレの館で嗅いだ臭い。

 人の感覚を狂わし、幻覚や勝手な思い込みを引き起こす臭い。


 つまり、色街の中で交わる男と女が合歓の末に果てる為の媚薬の臭いだった。


「どうか…… どうか……」


 ズルズルと壁際に下がって行くマリを見ながら、カリオンは気が付いた。

 こんな事をしている場合では無いのだと言う事に。


「そなたの仕置きは後で考える。ヴァルター。馬を仕度しろ。茅街へ走る」


 カリオンは踵を返し地下室から駆け上がった。

 地上へと出れば、荒れ果てたソティス城の中庭で兵士達が女と乱れていた。

 全裸のまま城の中を歩く女たちの顔には生気がなく、男達は獣の様だ。


 ――なんなんだ……


 中庭の真ん中辺りでカリオンを待っていた親衛隊が一斉に剣を捧げる。

 それに首肯を返したあと、両手を広げカリオンは小さく指示を出した。


 ――――全部始末しろ


 僅か半刻の間に乱れきった兵士達を粛正した親衛隊の剣士達。

 それを見届けたカリオンは、愛馬に跨がると叫んだ。


「これより夜を徹し茅街へと駆ける! 全員気を抜くな!」


 野太い返答を聞きつつ、カリオンは最初にソティス城を飛び出した。

 西へと向かって走る馬上にあって、その胸のウチでカリオンは呟いていた。


 ――鐘よ導け!

 ――我が父の元へ!

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