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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
中年期~憎しみと苦しみの螺旋
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九尾を目指すキツネ

~承前






 唖然とするも若い男の生理的な反応を示したエルム。

 隣を見ればタロウも唖然としつつ、元気にテントが起きあがっていた。


 ――マジかよ!


 どう反応して良いものか解らず、助けを求めるように父カリオンを見るエルム。

 だが、そのカリオンの手はマリに導かれ、豪華な衣装を解こうとしていた。


「なるほどな。面白い趣向だが……その前にちと訊ねるぞ?」


 カリオンはスケベオヤジのようなニヤケ面でそう切り出した。

 ただ、その目が一切笑ってないのをエルムは気が付いていた。


「なんですの?」


 甘い吐息のような声音でマリはそう応えた。

 その顎に指を添え、ツイッと持ち上げて唇を突き出させたカリオン。

 マリはされるがままに受け入れ、そしてキスをねだる仕草だ。


「余は内密に王都を経ったはずだが……なぜ余の来訪を知っていたのだ?」


 カリオンは真正面から斬り込んでいった。

 そのやり方は、まるで槍の穂先を揃えて突撃する騎兵だとエルムは思った。


「……陛下はご存知でしょうけど――」


 艶めかしい仕草で近くのグラスを取ったマリは、一口飲んでから続けた。


「――私は……ジャンヌの名を頂けませんでしたの」


 先代のジャンヌであるマリー・クリス・ボルボンはジャンヌの名を与えなかった。

 公爵という肩書き以上に大切なジャンヌの名は、イヌの貴族の頂点を意味する。


「それがどうかしたのか?」


 カリオンは続きをせがむように相槌を打つ。

 マリは僅かに不機嫌そうな表情になって言った。


「ボルボン家を再興させようと夫は沢山お金を使いましたのに……酷い仕打ちだと思いませんこと?」


 カリオンは応える代わりにニヤリと笑った。

 その笑みを見て取ったマリは、まるで釣れたと喜ぶように笑った。


「私は……自分の力でジャンヌの名を得ねばなりませんの。ですから――」


 マリの手が艶めかしくカリオンの股に延びていった。

 そして、愛おしそうに撫でながら、甘い声で言った。


「陛下の御胤をいただけませんことかしらと……指を折って日を数え、時を待ちましたの。私は……ノーリに抱かれた最初のジャンヌと同じように……」


 ソファーの背に身を預けるカリオンにもたれ掛かり、マリは甘えて見せた。

 ノーリに統一王の即位を認めたボルボン家のジャンヌはシャルルを産んだ。

 それは、ノーリの庶子でありボルボン家とアージン家の血が交わった証だ。


 以来、アージンの血筋はボルボン家の中に残り、代を重ねている。

 そして、長女が跡を取るとジャンヌの名を受け継ぎ、ボルボン家は栄えてきた。


「なる程な。つまり、新たなジャンヌになるのか」


 良く解りましたね……とそう言わんばかりに上目遣いでマリは頷く。

 だが、その眼差しを受けていたカリオンの表情が僅かに変わった。

 おそらく、それはエルムしか気が付かない程度の変化だろう。


 ――やばい……


 一瞬、エルムの背筋に電撃が走った。

 それは、父カリオンが纏う空気の変化だった。


 基本的には怒りと言う感情を滅多に見せる事が無い。

 だが、カリオンとてひとりの人間なのだから、時には怒る事もある。

 但しそれは、家族の中だけの姿であり、親しい間柄の者達ばかりの時のみだ。


 迂闊に怒り狂う姿を見せれば、それだけで国内に粛清の嵐が吹きかねない。

 カリオンの持つ巨大な権力に従う者達は、その中で王の歓心を買いたいのだ。


 だからこそ、カリオンは努めて感情をフラットに保ってきた。

 そんなカリオンが見せた、ごく僅かな変化……


「そうですの……ですから……」


 マリの手が自らの衣服を緩め始めた。

 その内側に秘められた身体は、肉付き良く柔らかさを感じさせるものだった。

 ただ、その手をグッと握ったカリオンは、柔らかな声で言った。


「ところで、そなたの夫デュ・バリーは何処に居る?」


 あくまで静かな声音を使い、カリオンはそれを訊ねた。

 マリは一瞬だけ驚いた様な仕草を見せたが……


「自分の不貞を夫に見せたい妻などおりませぬわ」

「では、そなたは不貞を知りつつ余を誘っているのか?」


 僅かにカリオンの声音がキツクなった。

 問い詰めるような鋭い声音では無いものの、それは先ほどまでとは大きく違う。

 極々僅かな機微だが、マリはそれを聡く読み取った。


「……夫も承知の事ですの」


 手短に応えたマリ。

 だが、『ほぉ』と一言だけ応えたカリオンの纏う空気が一変した。


「ならばもう一度訊ねるが……デュ・バリーは何処に居る?」

「そんなに怖い顔をしないで下さいまし。私は『何処に居ると聞いているのだ』


 マリの顎に触れていたカリオンの指が、そのまま顎を捉えた。

 馬上にあって手綱を握り、長柄の槍を掴む大きな手だ。

 その指に秘められた力はならば、女の顎を握り潰す事など容易い。


「そなた、余を謀ってはおらぬだろうな?」


 カリオンの発した言葉には恐るべき力があった。

 グッと凄みを増し、王の纏う空気に威が混じった。


「まっ…… まさか…… そんな事は…… ございませんのよ…… 本当に……」


 明らかな狼狽を見せているマリは、カリオンの威に圧されはじめた。

 だが、それでも見せる艶めかしい姿は、文字通りプロの娼婦だった。


「ならば今すぐにそなたの夫を呼べ。ここへだ」


 ゾクリとするような声音でそう言ったカリオン。

 マリは震え上がるような仕草を見せたのだが、すぐに落ち着きを取り戻した。


 極々僅かな間ではあったが、それでもマリは精神的に立ち直った。

 エルムはそこにマリの内面の強さを見た。

 だが、すぐにその見立ての間違いを知った。


「夫は……残念ながらここには居りませんの」


 嘯くようにそう言ったマリの顔には、先ほどの狼狽や恐れの色が無い。

 それはまるで安物の化粧道具で顔を作った踊り子のようだと思う程だ。


「では、どこへ行ったと言うのだ。余の留守を狙って王都にでも上がったのか?」


 カリオンの声音に鋭い棘が混じり始めた。

 それは、相手を殺す為に抜かれた鋭剣のように鋭いものだ。


 エルムやタロウすらも狼狽するカリオンの姿勢。

 しかし、ヴァルターだけはその実に気付いた。


 ――王は験されている……


 マリの狼狽がまるで引き潮のように消えたのはヴァルターも気付いた。

 まるで書籍のページが次の項へ捲られるかのように……だ。


 今この時に王の前に居る女は、先ほどまでのマリとは纏う空気すら違う。

 安い娼婦のような空気の下に隠してあった、詐欺師の様な気持ち悪さだ。


「王都には……先代がおりますわ」


 マリはどこか嫌そうな面持ちでそう言った。

 いや、それは吐き棄てたと……まるで小汚いゴミでも、捨てたような状態だ。

 蛇蝎の如くに嫌う様子。そこに見え隠れする感情はネガティブだ。


「そうだな。今のマリーは枢密院議長だ」

「あんな女……」


 一瞬、マリの表情が醜く歪んだ。

 丸められた紙屑のように表情をクシャリと撓め、剣呑な空気になった。


「そなたは余の忠臣をあんな女と呼ぶのか?」


 ますます鋭くなったカリオンの言葉に部屋の空気までが変わった。

 タロウやエルムの辺りに居た裸の女たちが顔色を変え始めた。

 その、明確な警戒の様子にエルムは内心が戦闘モードになった。


 実戦を経験しているわけでは無いが、ビッグストンで鍛えられているのだ。

 グッと心を入れたエルムの表情に精悍さが加わった。


 だが、そんなエルムの心に冷水をぶっ掛ける様な言葉が聞こえた。

 その言葉を発したのはマリだった。


「猊下そんなに恐ろしいお顔をされませんよう……怖いですわ」


 カリオンの胸板に手を這わせ、科を作って甘えてみせるマリ。

 その手をカッと握ったカリオンは、低く轟く声音で言った。


「些事は良い。デュをここへ呼べ。話はそれからだ」


 カリオンはソファーの背に預けた身を起こした。

 それに煽られ、マリの身体が起きあがる。


 いよいよ抜き差しならぬ状況だとヴァルターが察した。

 そして、部屋の隅に立っていた彼は太刀差しを閂に変えた。


 ――――かかれ!


 その声を聞くや否や、ヴァルターはまるで猟犬のように飛びかかるだろう。

 カリオン親衛隊最強の肩書きを持つ抜刀騎士は、常に帯剣し王の傍らにある。


 彼等は常に王の敵を斬る事のみを求められ、何人であろうと斬るのだ。

 例えそれが不逮捕特権を持つ公爵家の当主であろうと……だ。


 ――やばいな……


 気が付けばエルムもタロウも元気なテントが小さく畳まれていた。

 そして、ソファーの上で僅かに前傾姿勢となり両足の爪先に力を入れた。

 ヴァルターが動くと同時、ふたりともそれを支援する腹づもりだ。


 エルムは邪魔にならないように部屋の隅へ飛び退く姿勢。

 そしてタロウはエルムを掴んで部屋の隅へと投げるつもりだった。

 ふたりが思った手順は奇妙な一致を見せた。


「……夫は――」


 マリは観念したように小さな声で切り出した。

 となりの部屋から聞こえる内緒話の様な声に皆が耳を澄ませた。

 一言一句聞き漏らすまいと精神を集中させたエルムは、妙な感覚を得た。


 ただ、その感覚の正体を探る前にマリが遂に観念した。


「――商隊を率いて出掛けましたの」

「商隊……だと?」

「えぇ。何でも宝の山を見つけた……と、そう言ってましたわ」


 酷い鳴き声を山並みに響かせる山鳥の様に、マリは濁った声でそう言った。

 ケラケラと嗤うその言い方に、エルムの中にあった何かがプツリと切れた。


「ほう。して、それは何だ?」

「私……生憎聞かされておりませんの」

「なる程な……」


 マリの手を掴んでいた手がパッと離され、そのまま今度はマリの首を掴んだ。

 まるで締められる鶏のようにグエッと声を漏らし、マリはその手を掴んだ。


「あくまで余を謀るならそれも良いだろう。だが、相応の報いは受けさせるぞ」

「お離し下さいませ! お離し……グッ! グエッ!」

「そなた。この程度で余を謀れると思ったのか? 随分と舐められたモノだ」


 掴んでいたマリの首を解き、カリオンはグッと力を入れて両手を広げた。

 エルムにはそれがまるで鳳凰の翼のように見えた。

 そして、その広げられた両手がカッと光ったようにも見えた。


「こんなモノ……」


 カリオンはカッと目を見開き、マリを睨み付けた。

 地の底の亡者叫ぶ悲鳴染みた声でマリが痛みを叫んだ。

 瞬間『やかましい!』とカリオンが叫んだような気がした。


 ただ、全てを見ていたエルムは、まるで全身の生皮を剥がれる痛みを感じた。

 余りの痛みに声を上げる事も出来ず、エルムは黙ってそれを見るしか無かった。


 修羅の如き表情のカリオンは、大鳥の羽ばたきのように両手を叩いた。

 何かが弾けるような音が聞こえ、同時にマリが弾き飛ぶ様に立ち上がった。

 そして、室内が眩い程にパッと光り、エルムは驚いて目を閉じた。


 反射的なその対応に思わず恥ずかしさを覚えた。

 本来は王宮騎士である自分が目を閉じた。

 それは、最後のガードである自分の責任の放棄だった。


 ただ、己を恥じつつ目を開けた時には、そんな事など些事に過ぎなかった。

 視界にあるのは暗く湿った地下室だった。


 ――えっ?


 それ以上の言葉が無く、鼻を突く独特の臭いに表情を歪めた。


「エルム。タロウも覚えておけ。これは安い私娼窟で焚く魔香の臭いだ」


 カリオンは若いふたりに『周りを見ろ』と腕を振って見せた。

 改めて辺りを見た時、そこに居た裸の女は驚く程の醜女ばかりだった。


 ガサガサの肌に艶は無く、貧相にやせ衰えたその身体はまるで業病者だ。

 だらりと垂れ下がった死んだタコのような乳房から嫌な臭いが漂っていた。


「マリ。お前の正体はなんだ?」


 カリオンは両腕を突き出すように伸ばした。

 その両手はマリに触れ無かったが、馬車にでもぶつかった様にマリは飛んだ。

 薄暗い地下室の床に転げていったマリは、まるで夢遊病のように立ち上がった。


 ――まるで幽霊(レイス)だ……


 そんなものなど見た事も無いが、講談師の語る怪談話の一節を思い出した。

 朧気な立ち姿のそれは、焦点の定まらぬ胡乱な目つきでいるそうだ。

 風に揺れる旗のように力の無い身体だが、不思議と崩れる事は無い。


 そして、そのレイスが発する言葉は、生ける者を羨む呪詛だと言う。

 光の射さぬ暗がり穴の奥から聞こえてくる呪いの言葉。

 まだ生ける者を取り殺し、その命を吸い取ってレイスはこの世に蠢くとか。


 起きて泣く子を怖がらせる寝物語の中にその対処が出てくる。

 目と耳を塞いで心を閉ざすのだ。エルムは咄嗟にそれを取ろうとした。

 だが、目の前に居るカリオンはグッと力を入れた右腕をマリに向けていた。


「さぁ、正体を現せ。余を謀る愚か者め」


 顎を引き、三白眼でマリを睨むカリオン。

 発せられるその言葉には、敵を撃ち据えてやる力がこもった。


「……ヒヒヒ」


 甲高い笑い声が漏れた。心の毀れた女の声だ。

 背筋に冷たいものが流れ、エルムは心魂を冷やした。


 ふと隣を見れば、タロウは唖然とした表情でグッと奥歯を噛んでいる。

 ヴァルターは剣の柄をグッと握りしめ、鋭い三白眼で睨んでいる。

 共に何か見えぬものと闘うような、そんな姿だった。


「よくぞ我が術を見破ったのぉ…… 褒めてくれようぞ」


 薄い灯りの中に浮かび上がった姿はマリだが、その影は似ても似つかぬ姿だ。

 ふくよかなラインを見せるその影には、幾本もの尻尾の影が見えた。


 ――キツネだ!


 エルムは直感でそう理解した。

 ビッグストンの中にキツネの国からの国費留学生が居たのだ。

 そのキツネの言うには、キツネの国の中におかしな集団が居るという。


 姿こそキツネだが、その中身は全く異なる存在なのだそうだ。

 神代の時代からこの世界にいて、神の御技を伝えるのだという。

 彼等は神に近づくために、恐るべき秘術を研究しているのだとか。


 それは、不老不死では無く、大きく若返り修行し直せる凄まじい秘術。

 そして若返る都度に尻尾が増えていき、9尾となって神に召されるのだそうだ。


 同じキツネが『禁断の秘術』と呼ぶ文字通りの禁断の技。

 その使い手があのマリの中に居るのだった。


「……お前。あの時のキツネか!」

「よく覚えておったのぉ。イヌはネコよりも愚かと思ったが……」


 マリの中のキツネは再びヒヒヒヒと甲高い声で嗤った。

 何とも腹立たしいその嗤い声は、エルムの心を随分とささくれ立たせた。


「何が目的だ」

「聞かれてハイそうですかと答えるバカじゃ無いんだよ。覚えてお――」


 その続きを言おうとした時、カリオンは手刀を真上からスッと振り下ろした。

 グッと踏み込んだその瞬間に、エルムは間違い無く鋭い刃を見た。


 何が起きたのかは分からないし、父カリオンが何をしたのかもわからない。

 だが、次の瞬間にはマリが驚きの表情を浮かべ、そして苦悶に表情を歪めた。


「まさかここまでやるとはのぉ……」


 マリは口から酷い臭いのする灰色のものを吐き出した。

 据えた臭いの混ざるその液体は、石の床にこぼれシューシューと音を立てた。

 白い煙を放って消えていくそれは、何か得体の知れない酸だとエルムは思った。


「ここまでの芸を見せたのじゃ、1つ教えて進ぜよう――」


 わざわざ1つ間を開けて、キツネは勿体ぶった言い方をした。

 相手を小馬鹿にするように振る舞うその姿は、底意地の悪い小姑のそれだった。


「――我等が探すのは淦玉じゃ。淦は余計なものと言う意味じゃ。棄てても良い垢と一緒じゃ。それを持つものをわらわは探しておる。見つけたならわらわに差し出すが良い。さすればそなたの願いをひとつ叶えよう。ヒヒヒ……期待しておるぞ」


 そう言ったきり、マリはその場にガクリと崩れた。

 何が起きたのかを理解出来ず、エルムは父カリオンを見た。

 だが、そのカリオンを見た瞬間、小さくヒッと声を漏らした。


 本気で怒れる姿をしたカリオンは、腕を組んで仁王立ちしていた。

 奥歯をグッと噛みしめ怒りを噛み殺すその姿は、見る者を奮わせた。


「陛下……」


 ヴァルターがそっと声を掛け、カリオンは我を取り戻した。

 ただ、その状態で尚、怒りに我を忘れそうだった。


「……あぁ。大事ない。ご苦労だった」


 ヴァルターの肩をポンと叩き、カリオンは歩き出した。

 このソティスの城もまた、勝手知ったる状態なのだった。

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