成金の悪趣味
~承前
「なんだか……妙ですね」
最初にその異変に気が付いたのはタロウだった。
夕暮れのソティスへ入城した太陽王は、市民の大歓声に迎えられていた。
自然発生的にル・ガル国歌が歌われ、螺旋を描く木洩れ日の旗が風に揺れた。
5代目太陽王を示すその旗は、カリオンを識別する軍旗だ。
つまり、太陽王はここに有りと皆に知らせるためのモノだった。
だが、そもそもこの遠征はごく私的なモノだったはず。
今回の来訪は市民には伏せられ、非公式かつ極秘な訪問だった。
つまり、お忍びと言う事で事前連絡無しにこっそり入城するはずだったのに……
「……そうだね。何で知っているんだろう?」
エルムも腕を組んで思案した。
太陽王と面識が無ければ、一市民がカリオンに気が付くはずも無い。
身形やお付きの者達を見て判断出来る程、知識があるとも思えない。
それに、威厳ある王の衣装と言うにはほど遠い姿だ。
気楽な乗馬衣装な上に太刀どころかレイピアすら腰に佩ていない丸腰。
タロウとエルムの他に親衛隊であるヴァルターが居るものの、余りに不用心だ。
「心配しすぎても事態は改善しない。流れには乗るモノだ」
あくまで鷹揚とした姿勢を崩さないカリオンは、そのままソティスを進んだ。
多くの市民が行幸だ!行幸だ!と叫びながら通りの左右に並んだ、
その間をカリオンは悠然と通り過ぎていった。
「ありがとう。ありがとう。諸君らの歓迎を余は嬉しく思う。ありがとう」
市民の歓声に応えるのも太陽王の義務。
その姿を見ていたエルムは、常に鷹揚としている父の姿勢に何かを学んだ。
エルムはまだ知名度も無く、ただのお付きの1人としか見られていない。
それ故に一番近くで王のあり方を学べるのだ。
――凄いな……
落ち着き払った父カリオンの姿勢は、周囲に安心と落ち着きをもたらす。
そしてそれは、市民達にル・ガルの盤石を教えている。
しかし、そんな国民の中に微妙な敵意が混じっていた。
言葉では表現出来ぬレベルでの違和感なのだろう。
だが、確実にそれがあるのだとタロウは気が付いていた。
「なぁキャリー」
「ん?」
「なんかさぁ……」
周囲に気取られぬよう、慎重に辺りを確かめてからタロウは言った。
「目つきの悪いのが混じってね?」
「……そうか?」
エルムは見るとは無しに辺りを見回して状況を確かめた。
するとどうだ。今まで気が付かなかった眼差しの者が随分と混じっていた。
悪意という程では無いが、それでも確実に敵意の籠もった眼差し。
恨みや憎しみを感じさせる、険の立った鋭い眼差し。
「……あるな」
エルムもやっとそれに気が付いた。
三白眼でカリオンを見る眼差しは、まるで工作員の様にも見える。
「あとでベギューを問い詰めてみるか……」
聞くとは無しに話を聞いていたカリオンも、辺りへ手を振りながらそれを見た。
そして、どうしたものかと思案していたふたりへカリオンがそう囁いた。
カリオンの言ったベギューとは、現在のボルボン家を預かる当代当主だ。
枢密院でカリオンを輔弼するボルボン家のふたりは代替わりして久しい。
即位から約70年が経過し、帝國老人倶楽部の面々も続々とリタイヤしている。
最初の老人倶楽部メンバーだったジャンヌとシャルルはとうに遠行している。
その後釜に座ったのは当主ジャンヌの実娘マリー。
ただ、そのマリーはジャンヌ死去に伴い、夫ルイと枢密院に上った。
問題は、その後釜だった。
「ベギューって……あのマリ・デュ・バリー・ベギュー?」
エルムは確かめる様にそう言った。
現在のボルボン家当主は先代当主クリスの姪にあたる女だ。
ただ、その血縁関係は限りなく薄いと言われている。
マリ・ド・ノブレス・エクセリアス・ラ・バリー・ベギュー・ボルボン
そう。現在の当主マリはジャンヌもソレイユも名乗っていない。
本来ならばボルボン家を預かる女公爵はジャンヌを代々名乗る筈なのだ。
そもそも、先代マリー・クリスティーナ・ボルボンは、ジャンヌの実子。
そして、その配偶者であり力の管理者たるフェリペを名乗ったのはルイ。
ジャンヌに指名されたマリーは当主の責務を勤め上げ、枢密院へと昇格した。
だが、その際に当主の座を譲った相手マリはクリスの人選では無かった。
それ故、クリスはマリに対し、ジャンヌの名を名乗る事は許さなかった。
ジャンヌの名が欲しくば、領民からの声に応えよと注文を付けていた。
この行為に対し、カリオンが口を挟む事は無いし、実際は出来なかった。
太陽王は公爵家への極力干渉を控え、それぞれの家のやり方や伝統を尊重する。
それはノーリを支えた5公爵家への特別待遇であり、紳士協定だった。
帝國老人倶楽部を立ち上げた際、各公爵は急遽世代交代を行った。
だがそれは、まだ若い太陽王カリオンからのお願いに過ぎなかった。
老人達は世話になったシュサ帝の手前もあってそれに協力したのだ。
つまり、クリスは実力でジャンヌの名を勝ち取れと条件を付けた。
イヌの民衆が等しく支えるラ・ソレイユに相応しい人間である事を求めたのだ。
すなわち、その時点でマリはジャンヌを名乗るだけの名声が無かった……
「実力さえ在れば……良いのだがな」
微妙な言い回しでカリオンは遠回しに懸念を示した。
一般にはマダム・デュ・バリーと呼ばれる現当主には、黒い噂が絶えない。
そして、それ以上に困った問題がある。
彼女の夫で有り、実質的にボルボン家を支えている公爵デュ・バリーだ。
そもそもは先代フェリペでるルイの財布と呼ばれた切れ者の男だった。
だが、その実はソティスに根を下ろしていた極道者であり高利貸しだ。
貴族ではなく平民ですら無い、商人にすら嫌われる卑しい階層の出身だった。
だが、類い希な交渉術でメキメキと頭角を現したバリーは立身出世した。
そして、そのまま事実上の滅び家であったボルボン家の衛星貴族に食い込んだ。
街の無責任な噂では、多額の借財を棒引きにする代わりに養子となったらしい。
つまり、ボルボン家の血筋を持つ家を背乗りし、貴族階級に食い込んだのだ。
そうやって子爵の座を勝ち取ると、今度はソティス城へと食い込む。
莫大な資金力でボルボン家の財政を支援し始めたのだ。
こうなれば、もはやその支援の手を切る事は難しい。
公爵家とて財政的に余裕が有るわけでは無いのだ。
こうして、デュ・バリーは事実上ボルボン家を乗っ取っていた。
そのデュ・バリーが押し込んだのがマリ・ベギューだった。
ボルボン家を金で買った男と市民から陰口をたたかれるデュ・バリー。
そのデュ・バリーが飼っていた、何処の馬の骨とも解らぬ私娼マリ・ベギュー。
実際にはデュ・バリーの命で誰とでもベッドを共にした、ただの売春婦。
そんなふたりが、今のボルボン家を差配していた。
――だから父上は……
カリオンの示した深謀遠慮にエルムは内心で唸った。
公式報告書を読んで頭を抱えたカリオンは、茅街を目指す事になった。
だが、その道すがらに選んだのは、非公式ルートと言う事でゼルの道だった。
そして、ゼルの道を辿るためにはソティスを通らねばならない。
ソティスを訪れるに当たり、カリオンは街の実情を見ようとしていたのだ。
そうすれば、デュ・バリーの正体を確かめられると考えた。
――場合によっては公爵家と一戦を構える……
それが槍を合わせ太刀を戦わせる戦乱でない事は言うまでも無い。
強力な政治的闘争なのだが、それをする事でカリオンは確かめたかったのだ。
事実上のポッと出なデュ・バリーの才覚の正体。
ジョニーから聞いていた、あの九尾を目指すキツネの介入がどうかを……だ。
「さて、ソティス城だ。抜かるなよ?」
市民に手を振りながら、カリオンはソティス城の正門を潜った。
大歓声だった市民の声は小さくなり、やがて落胆の呟きが聞こえてきた。
その声を背に受けながら、カリオンは馬を下りて城へと入って行く。
城の中には大量の儀仗兵が並び、太陽王の旗が幾つもはためいている。
ただ、その儀仗兵の数が余りに多いのに、エルムは違和感を覚えた。
そして……
――父上は丸腰だ!
良からぬ噂を信じるならば、この場でこの儀仗兵が敵に回ってもおかしくない。
実際に武装しているのは、エルムを含めた親衛隊20名程度だ。
――これはやばいな……
無意識に太刀の位置を確かめたエルムは、カリオンの馬の手綱を受けた。
馬喰紛いなポジションだが、ここで無ければ正体がばれる。
マリとデュ・バリーはエルムの顔を知っている筈だった。
「これはこれは! 太陽王猊下!」
中庭で待っていたマリー・べギューは、わざわざカリオンに歩み寄って行った。
本来は太陽王から臣下である公爵家の元へ歩み寄るのが慣例のはずだ。
その態とらしい歓迎の振る舞いに、エルムは鼻白むのだが……
「ソティスへのご光臨。多くの市民を代表し歓迎いたします!」
カリオンの手を取るように城へと導くマリ。
剣捧げの姿勢のまま、多くの儀仗兵がその様子を見ていた。
「まてまて。そう慌てずとも良い」
一歩足を止めて振り返ったカリオンは、中庭に整列した儀仗兵を見た。
そのどれもが緊張の面持ちで太陽王を見ていた。
「中々の精兵じゃないか」
「あぁ! 他ならぬ太陽王のお言葉を賜った! あぁ、なんという……」
大袈裟でオーバーなリアクションを示す姿は、悪趣味な田舎者丸出しだ。
そしてなにより、公爵家は太陽王に対し公式に文句を言える立場。
そんな公爵家を預かる者が、太陽王に謙るなど本来はあり得ない。
――こんなものか……
エルムはそんな印象を持った。
要するに、立身出世する為なら何でもする貧しい階層の真実だ。
大家大人に取り入るためなら、喜んで足をなめるのだろう。
「誇りじゃ腹は膨れないぜ?」
何となく苦々しい表情だったエルムに対し、タロウはボソリと呟いた。
若干の驚きとウンザリ気味な表情でタロウを見たエルム。
そんなエルムにタロウが笑った。
「キャリには見えなかったモンがあんのさ。この世の底辺の真実だ」
「……見えなかったって言ったってよぉ」
「仕方ねぇよ。キャリは王子様だ。俺らとは違うンだ」
それが何を意味するのかをエルムはよくわかっていた。
マダラは酷い差別の対象だが、そのマダラにすら差別されるのがヒト。
何に我も無く、ただただヒトと言うだけでとにかく酷い扱いだ。
「……ヒトって大変だな」
「だからさ……」
なにかを言いかけてタロウはそこから先の言葉を飲み込んだ。
まだエルムは茅街を知らない筈。それ故に、そこから先を言うのは憚られた。
ただ、実際にはそれ以上の事態が目の前で発生していた。
カリオンの手を取るマリ、科を作って太陽王を誘っていた。
「もうよろしいでしょう? 陛下を歓待せよと夫にも言われておりますの。他ならぬ太陽王猊下にご満足いただけますように……」
それはまるで伸びをする猫の様に、どこから見ても艶めかしい動きだ。
一瞬だけ金属のぶつかり合う音が聞こえ、エルムは目だけで辺りを確かめた。
やや離れた位置にいたヴァルターが剣の抜け留めを外していた。
――ハンスおじさん……
ヴァルターは今にも走って行ってマリの首を落としそうなほどだ。
だが、当のマリはコケティッシュな眼差しでカリオンを見ていた。
「さぁどうぞ。こちらへお越しください」
僅かに開いた口をむけ、その唇にペロリと舌を這わせたマリ。
色街で一夜の夢を売る娼婦のように、何とも煽情的な姿だ。
それを見ていたエルムは、心底嫌そうにタロウを見た。
タロウはその視線に肩を揺すって応え、賛意を示した。
ただ、そんなものなど悪夢の入口に過ぎない事を二人は知る事になる。
マリは太陽王の手を引いて応接の間に誘い、その後ろを二人は歩く。
タロウとエルムの後ろにはヴァルターが従い、4人だけが広間へと入った。
そこは、一言でいえば悪趣味のみを純粋に培養したような部屋だった。
「しばらく来ぬウチに……随分と装いが変わったようだな」
さすがのカリオンも呆れて言葉が無かった。
独特の香りが漂うその部屋には、巨大と呼ぶレベルのソファーしかない。
どこか殺風景であり寒々しい印象をもってもおかしくない状態だ。
あの、落ち着いた設えの調度品に囲まれた歴史を感じさせる部屋はもう無い。
そこにあるのはケバケバしい金や銀に彩られた、悪趣味な部屋。
言い換えれば、ぽっと出の成金らしい解りやすい贅沢を極めた部屋。
無駄に豪華なだけで、そこには職人の心意気も何も無い物ばかり。
確かに金は掛かっているだろうが、歴史も伝統も感じさせないものばかりだ。
――あぁ……
――なるほど……
エルムは内心で独りごちた。
ガルディブルクを出発する前、ボルボン夫婦に言われた言葉を思い出したのだ。
――――あのなり上がり者を良く御覧なさい
――――人としてやってはいけない事が何故いけないのか
――――それを良く分かるでしょう
それ以上の言葉が無かったクリス・ジャンヌは、心底嫌そうな顔を隠していた。
ただ、忸怩たるその想いは、上品な微笑の中に滲み出ていた。
――確かにこれでは……
まだ若いエルムですらもウンザリとするような成金趣味。
幾世代にもわたって大切に手入れされ使われてきた調度品はひとつも無い。
「以前の御部屋は使い古しな物ばかりだった辛気臭い所でしたでしょぉ? ですから、夫が高価な調度品を買い集めまして、今はやっと少しマシになりましたの」
それは、貧しい階層にある者の宿痾かも知れない。
本当の上質や価値とは何かを知らぬ者が見せる愚かな選択。
権勢と資金力とを誇る為だけに物を買い集め、それを見せびらかす。
それにより貧しい者達からの声を集める事で自尊心を満たす。
物があれば幸福。煌びやかであれば幸福。人々から羨ましがられれば幸福。
そんな愚かな尺度でしか世界を測れぬ貧しい者に、政治は無理なのだろう。
本当に大切なものがこの世界にはあって、それは得てして目には見えぬのだ。
もちろん、味も臭いもなく、手にすらも触れられないものなのだ。
ただただ、そこに存在するだけの、ただの概念でしかないもの。
だがそれは、絶対に忘れてはいけないものなのだった。
「他ならぬ太陽王陛下のご来臨に当たり、山海の珍味美食を取り揃えさせました。お口に合いますでしょうか」
ウフフと笑いながらマリは両手を叩いて合図を送った。
ややあって応接の間が開き、夕日の差し込む室内に幾人もの女達が入ってきた。
全ての女が手に手に大きな器を持ち、その中には贅を尽くした料理が並ぶ。
だが、タロウもエルムも驚いたのは、その料理ではなく女たちだった。
笑いながら入ってきた女たちは、まだ寒い時期にも関わらず、ほぼ裸だ。
そのどれもが豊かな胸をはだけさせ、素足のまま室内にやって来た。
――嘘だろ……
状況を飲み込めず、エルムは思わず息を呑んだ。
ただ、そうは言ってもまだ若いエルムやタロウだ。
内心で焦りつつも、身体の方はムクリと生理的反応を示した。
「さぁ、皆様に御奉仕なさい」
マリの言葉が室内に流れると同時、女達が一斉に動き出した。
豪華なソファーに座っていたエルムやタロウの周りに侍り、料理を並べ始めた。
そのどれもが驚くほどの美形で、ソファーに座る若い二人に科を作っていた。