思い悩む日々
静まりかえった室内に紙を捲る音だけが響く。
サラリサラリと響くその音は、ページを捲る指の動きに連動した。
提出された報告書は7冊で、合計330ページに及ぶ。
もはや一つの文学と呼ぶべき存在となった報告書は、王の懸案事項ばかりだ。
閣議の無い土曜日の午前中。カリオンは公務抜きに執務室の中に居た。
その報告書を読みながら、眉間に皺を寄せ険しい表情だった。
「…………ふぅ」
小さく息をこぼし、水差しから水を注ぐ。
喉を鳴らして嚥下すると、再びそのページを捲り始めた。
報告書をまとめたのは、王府の情報セクションだ。
――――市民生活に動揺は見られない
やけにその一文が目に付き、カリオンは改めてその項を読み直す。
城下に現れたバケモノは、ホザンが変化したモノだったはず。
だが、その姿を見た多くの市民は、ホザンだとは気付いていないようだ。
正体不明のバケモノが姿を現し、王府機関の魔導関係者が退治した。
その一連の過程について、王府は新聞各社を通じ市民に事情を説明していた。
――――バケモノの登場をある程度予測していた
――――太陽王は事前に魔導に携わる者を呼び寄せていた
――――バケモノは何処かの秘密結社による代物らしい
――――王府各機関は総力を挙げて正体を探っている
要約すればこんな所だ。
だがそれでも、疑り深い者は必ず居るもの。
公式発表の裏側にある真実を知りたいと願う者は多いのだ。
しかし、そんな心配を余所に、王都は落ち着いていた。
他でも無い太陽王がそう言うなら……と、丸呑みしている状態だった。
「……………………」
言葉にはしないが、カリオンはそれを安堵していた。
貴族とは本来、市民を保護するべき立場の存在であるはず。
だが、最近は貴族=特権階級と勘違いする愚か者が多い。
ル・ガル成立の頃、多くの貴族家は市民を保護し国家安寧を願った。
そんな頃から幾星霜。気が付けば貴族は市民を支配する側になっていた。
故に、カリオンはホザンの一件を本気で危惧した。
――市民達が貴族階級を敵と見なすのでは?
多くの市民達が、貴族=悪と見なすかも知れない。
そして、市民が力を結集し、体勢を打ち倒そうとするかも知れない。
ヒトの世界にあった革命と呼ばれる体勢の変化。
それ自体、カリオンは全く意に介していない。
市民が求めるなら、それもまたル・ガルの歴史となるであろうと達観している。
だが、国体の弱体化を他国に、ことネコやキツネにつけ込まれるかも知れない。
結果的にイヌが世界の奴隷に逆戻りし、貧しい生活となるかも知れない。
掴んだ者を手放すのは勇気が要る事。
だがこの場合は、やっと掴んだ安寧と安心とを手放す事に成るかも知れない。
そして、最終的に困るのは国民。況んや要するに、多くのイヌたちだ。
一握りの急進的な者達が、後先考えずに先走った結果を危惧するのだった。
――まぁ……
――問題無いか……
実際の話として城下ミタラス島内で完結した争乱だ。
王都ガルディブルクは広大で、島内以外の者は争乱すら知らぬ者も居る。
市民の動揺は無さそうだと言う事で、王府調査局は心配無用と結論付けた。
「……問題はこっちか」
別の報告書に書かれているのは、西部草原地帯を分割する貴族家の動向だ。
レオン一派の中にあって主家に従う一派はさほど問題無い。
だが、レオン一門の中の非主流派には、反王家の傾向が散見される。
――……ポールを詰問するか
レオンの家を預かるポール・グラハム・レオンは、非主流派の出身だ。
主家であるジョン・セオドア・レオンが指名したのは傍流も傍流の男だった。
主家とは一線を画し、地元に根を下ろして活動する貴族家。
実際の話として、その中身は任侠一家その物だ。
地場産業を取り仕切るマフィア。
マフィアはまさしくファミリーであり、ファミリーは血の結束だ。
裏切り者は凄惨な方法で粛正され、一門は固く団結していた。
――――レオン家内部にあって謀反の可能性があるのは……
余り目にしたくない文言が並んでいるが、その理由は察しが付く。
元気で陽気でパーティー好きな社交的一門なのだ。
それに掛かる経費は洒落にならないのだろう。
迂闊な事をすれば国内が再び争乱状態となる。
絶妙に難しいさじ加減を求められ、カリオンの頭痛の種は尽きる事が無かった。
――――――――帝國歴392年 1月 25日 午前中
ガルディブルク城 太陽王執務室
出来れば穏便に事を片付けたいと願うのだが、弱腰では舐められる。
つまり、毅然とした態度と対応が必要なのだとカリオンは理解している。
ただ、西方はともかく東方が問題だ。
別の報告書ではスペンサー家についての報告が成されていた。
猛闘種と呼ばれる一門の彼らは、とにかく喧嘩ッ早い。
もとより戦う事に特化した血統である彼らの懐柔は骨を折るだろう。
そして、概ねこの地域はカリオンが予測した通りの現状だった。
立ち行かなくなった小貴族各家は、所領を掛けて決闘を繰り返している。
負けた家はパッと消滅し、強い者だけが生き残る現状だった。
ただそれは、スペンサー一門だけではない。
山岳地帯を根城とする北方の一門。王都周辺を本拠とする南方の一門。
この二つも大なり小なり同じような事を繰り返している。
強い者が一門を率いる文化の一族にとって、決闘による現状解決は抵抗が無い。
地方貴族は着々と飢え乾きつつあり、各貴族家は限界を迎えつつある。
遠くノーリの時代から増え続けた衛星貴族の家が多すぎるのだ。
何処かで淘汰整理しなければ必ず破綻する。
だが、貴族家を取り潰すには大義名分が要る。
分かりやすく言えば、王家に刃向かう者から潰していけば良い。
「…………出来るわけが無い」
この300年に渡り王家を支えてきた歴代の忠臣一門だらけ。
そんな彼等を適当な理由で取り潰すわけにも行かない。
故に、ウィリアム・レガルドの戦死は好都合だった。
――いっそ、派手に戦をするか……
カリオンの脳裏に大陸統一戦争などという物騒な案が浮かび上がった。
各貴族家に責任範囲を割り当て、そのエリアを責任持って平定せよ……だ。
任務が達成できなかった衛星貴族家は容赦無く取り潰す。
そして、任務を達成した貴族家に恩賞として与える。
王家の懐は何も痛まない名案だ。
だが……
「バカだな……俺も……」
己の愚かな妄想を鼻で笑い、最後の報告書に手を掛けた。
検非違使の紋章が陽刻されたその報告書は、筆記責任者の名が無かった。
――兄貴……
内心でボソリと独りごちたカリオンは、静かにページを捲った。
だが、その最初の項で己の見当違いを知った。これを書いたのはコトリだった。
女性独特の柔らかい文字で筆記された内容は、カリオンの表情を曇らせた。
――そうか……
報告書の中でコトリは不手際を詫びていた。
その報告を出すのに、どれ程の勇気が必要だっただろうかとカリオンは思った。
何故なら、その報告書の内容は行方知れずなリサの娘の一件だったからだ。
――――各方面からの聞き取り調査による足取りの追跡
そう切り出されたリサの旅路はこうだ。
まず、およそ20年ほど前、検非違使は演習をかねて出撃した。
人煙稀な荒野へと出向き、覚醒体同士による派手な戦闘を行なった。
この際、目撃者が発見され、口封じのため茅街へと連行した。
捕まったのはイヌの商人で、ゼルの道を辿り茅街へと出向く途中だったらしい。
その商人の男はあくまで客人として連行されたが、事実上の拉致監禁だ。
通常の対応では受付嬢である理沙が対応する事になっている。
そして、通常の手順に従い、検非違使の頓所でもある施設へ収容された。
ここまではなんら問題が無かったようだ。
だが、そもそも理沙はヒトの検非違使と出来ていたらしい。
半ば同棲中だったようで、そうなれば愛を確かめ合う事もあっただろう。
子をなす事は無かったようだが、それなりに上手く行っていたようだ。
そんな理沙がイヌの連衡者に部屋へと行った時、事件は起きたらしい。
イヌの商人は眠り薬を持っていて、何らかの手段でそれを理沙に飲ませた。
恐らくは脱出する為の算段だったのだろう。
だが、その時にその商人はつい出来心だろうか、理沙に手を出した。
そして、眠っている理沙を相手に、事に及んでいたのだろう。
理沙と同棲中だったらしいヒトの検非違使はソレに気が付いた。
そして、後は推して知るべしの結果なようだ。
イヌの商人は完全に闇へと葬られ、始めから無かった事にされた。
ただ、どうやら理沙この時に妊娠したらしい。
イヌよりも長い妊娠期間を経て、理沙は女児を出産した。
驚くほど母に似た姿の娘だったようだ。
困った事にこの情報はトウリや案主の耳には入らなかったらしい。
恐らく、理沙と同棲中だった男が握り潰したのだろう。
確証は無いが、少なくとも検非違使上層部が相当気を使う存在の理沙だ。
実際には言うにいえなかったのかも知れないが……
「……困ったもんだな」
顎をさすって思案を重ね、カリオンはページをめくった。
その後の流れはだいたい把握しているとおりだ。
娘はリナと名付けられ、順調に育っていた。ヒトの男も相当可愛がったようだ。
顔を見られなかったのが残念だが、この数年はララの件で気を揉んでいた。
故に、実際にはそれほど余裕が無かった事は間違いない。
そんなリナが3歳になる頃、理沙は何の前触れも無く死亡した。
いつもと同じように床へと入り、そのまま眠ったらしい。
翌朝、起きない母親を揺すったリナは、父親を呼んだ。
その時点で理沙は完全に死去していた。
凡そ40年の生涯を唐突に閉じた理沙は、ゼル稜に葬られた。
そしてリナはそのまま検非違使の中で成長し、美しく育ったようだ。
「……遭うべきだったな」
僅かに後悔の言葉を漏らしたカリオンは、再び文字を追った。
リナは22歳となり、覚醒体であるヒトの男と出来たらしい。
狭い街の中で男女が共にいれば、恋に落ちるのは簡単なことだ。
リナはやはり受付嬢の仕事をしていたようだ。
その仕事の一環で、時には連絡要因として各所へ出向く事もあったらしい。
ただ、ある日の午後、ゼル稜の母の墓へと参った際、そこで行方が途絶えた。
往路では幾人もの検非違使に目撃されている。
ゼル稜は茅街の東側にあり、その陵の近くには警備詰所もある。
リナは警備の検非違使にも目撃されていた。
ただ、そこからの帰り道の消息が不明なのだ。
「……どういう事だ」
やや不機嫌そうに首を捻ったカリオン。
眉間の皺を深くしつつページをめくった時、チッと舌打ちをしていた。
昨年の秋頃、検非違使本拠とも言うべき茅街に、あのヒトの集団が現れた。
この50年近く、全く目撃情報の無かった、ヒトの武装集団だ。
――まったく……
忌々しげな呟きを漏らし、カリオンはそれを読み進めた。
検非違使の者達は、そのヒトの武装集団と言葉を交わしたようだ。
「なん……だと?」
言葉が通じたらしく、そのヒトの武装集団は様々な情報を出してくれた。
曰く、演習のためにここへ来たと言うこと。そして、彼らは異なる世界の住人。
「まさか……な……」
父ゼルがそうであったように、彼らはヒトの世界からやって来た可能性がある。
しかも彼らは、演習を終えて帰る事が出来るのだ。
もしこれが事実なら、父ゼルとその妻レイラが居ない事が悔やまれる。
ヒトの世界へと帰還できるのであれば、万難を排してそれを行なったのに……
――――彼らは我々よりも数段進んだ技術を持っている
――――そして彼らは我々を架空の存在だと思っている
――――想像上の存在か若しくは夢の中に居る存在
――――つまり……
唖然とするカリオンは言葉が無かった。
彼らヒトの武装集団は、我々を殺したりする事に何の抵抗も無いのだ。
事実、モノは試しに……と覚醒体の姿で挑んだ検非違使が居たらしい。
だが、その隊員は一撃で身体を吹き飛ばされ即死したと言う。
魔術や導術ではない何らかの手段だったらしいが、正体は不明との事。
そして、その結果として茅街全体がパニック状態となってしまった。
リナはその騒乱の中で誰の目からも見失われたとの事だった。
「なんと言う事だ……」
昨年秋といえば、ララの件で検非違使が多忙を極めていた頃だ。
つまり、ララの件が早めに片付いていれば、リナは失われずに済んだ。
茅街の中に検非違使の主力がそっくり不在の時だったのだからやむを得ない。
「行くしかないか……」
カリオンは茅街へ行くしかないと覚悟を決めた。
ララの件は一段落し、来年夏にはエルムもビッグストンを卒業だ。
ヒトの武装集団の事もあるのだから、ここは上手く切り抜けねばならない。
頭痛の種は多々あるが、各個撃破が肝要だろう。
なにより、リナを見つけねば、父ゼルにあわせる顔がない。
「……誰ぞあるか」
執務室の外で控えている侍従団を呼びつつ、カリオンは算段を始めた。
茅街へと向かい、目的を果たし、1ヶ月程度で帰ってくる作戦だ。
――――お呼びでありますか?
「あぁ。ウォークとブルを呼んでくれ」
――――畏まりました
報告書を片付けキャビネットに収めたあと、小さな魔術封印を行なう。
大学で研究される魔術の体系化は、こんな小さな魔術の普及に役立っている。
まだまだ先は長いが、やがてル・ガルは魔法大国となるだろう。
それも、小さなことだが生活の役に立つ便利な魔法だ。
「ふぅ……」
小さく息を吐き、目を閉じて意識を集中する。
心と存在が空中へ溶けていく感覚となり、カリオンの意識は世界を見た。
時々ふと、父ゼルの存在を感じる事もあるのだが、いま探しているのは別だ。
――どこに居るんだろうな……
顔も見たことの無いリナを思い描き、カリオンは世界を彷徨った。
ただ、これだけの能力を持っていても、未来は見えないのだった。
ル・ガル帝國興亡記
<中年期 乱世の胎動>の章
―了―
<中年期 憎しみと苦しみの螺旋>へと続く