成人~元服の義
その日。
シウニノンチュのチャシは秋祭りを終えた空虚な空気が漂っていた。
祭りの後の寂しさは、その祭が華やかであるほどに落差となってしまう。
街に暮らし通りを行く人々の表情は、何となく暗く冴えない。
……もうすぐ冬がやって来る
毎日雪かきに追われる暮らしが来るのだ。
朝起きて雪かき。昼間のウチに雪かき。夕方に雪かき寝る前に雪かき。
朝から晩まで。雪の多い日には夜中まで雪かきに終われる日々。
一面の銀世界に喜ぶのは子供のうちだけだ。
大人になればその膨大な作業量を思い浮かべ、どうしても滅入ってしまう。
だが、その陰鬱な気分は、思わぬゲストの登場で僅かに払拭された。
王都からシウニノンチュのチャシへ、カウリがやって来たのだ。
街外れでリリスと分かれてから、早くも七年の月日が過ぎていた……
「叔父上! ご無沙汰しております! 長旅お疲れ様でした!」
明るい声で出迎えたエイダ。
太陽王シュサの側近として政治に戦にと忙しく駆け回っていたカウリも、ここシウニノンチュへ来るのは七年ぶりだった。
エイダは既に十五歳となっていて、今年は、元服することになっている。
つまり、帝王シュサの公孫として公式に立太子しなければならない。
そんな節目の年だからこそ、カウリと共にリリスが来たのかと期待したのだった。
だがこの日。カウリは僅かな供を連れた極私的な来訪だ。。
期待外れにガッカリとしているエイダをカウリは冷やかす。
「どうした? 待ち人来たらずか。お前から出向いたらどうだ?」
「でも、王都は遠すぎます」
「じゃぁワシがお膳立てしてやろう。まぁ、楽しみにしていろ」
エイダの頭をグリグリといじり、楽しそうに笑うカウリの表情は明るい。
「まずは立太子の試練だ。なに、お前なら出来るさ」
エイダの元服は、実は一筋縄ではいかない部分があった。
太陽王の継承権は王子や王孫と言うだけで持てるものでは無い。
それを持つにふさわしい人物であると証明する必要があるのだ。
だから、エイダは究極の試練に立ち向かう必要がある。
エイダ自身。その話を聞いてから既に一年が経過している。
若いなりに悩み、恐怖に震え、そして、それを自分で克服しなければならない。
「……やっぱり怖いです」
「そりゃ仕方が無い。だが、その恐怖を乗り越えなければな。それに」
「それに?」
「試練を乗り越えた者は、皆自身に溢れた素晴らしい人間になる」
すっかり成長しカウリと背が幾らも変わらないエイダ。
マダラの姿ではあるが黒耀種のイヌらしいガッシリとした筋肉質な身体だ。
だが、心はまだ子供だ。恐怖に震え、落ち込んでいる。
元服の一年前に話を聞き、『儀式』を行うかどうか自分で決めねばならない。
そして、その儀式までの一年間を恐怖に震えながら過ごすのだ。
「そんな落ち込むな。お前にとってもいい話をもってきたんだぞ?」
実はこの日。
カウリはエイダにとって青天の霹靂とも言える話を持って来たのだった。
不思議な顔をしているエイダを他所にカウリはゼルとノダに話を切り出した。
「今年でエイダも元服だ。騎士叙勲もするのだろ?」
「あぁ。これも大人だ。一人前の騎士として立たねばならない」
ゼルはカウリの話に何かを察しているようだ。
エイラはまだピンときてないようだが。
カウリは上質な封筒から一通の書状を取り出す。
太陽王を示すウォータークラウンの紋章が入った、ル・ガルでも中々見ない上質な紙だ。
それは、王都にある王立兵学校の入校許可証。
貴族の子弟に教育を施し、騎士士官として任官するための専門教育機関。
帝國軍の士官学校へ入校する為の、重要な書類だった。
「貴族子弟枠で入校許可を取って来た。エイダを兵学校へ送り込もう」
「おいおい、あの子はマダラだぞ。兵学校が務まるもんか」
驚くノダ。ゼルも驚き、そして、呆れた。
だが、カウリは勝手に盛り上がっていた。
「いいか? そもそもアージンの家系は尚武の一門だ。シュサ帝だって戦場を駆け巡っているし、統一王ノーリだって最前線を好まれた。俺たちにはそのアージンの血が流れているのさ。だからこそエイダには必要なんだ」
「そりゃそうだが、だからと言って『イイから聞けって!』
ゼルの向かいに腰を下ろしたカウリは書類をテーブルへ並べた。
王立兵学校の胸甲槍騎兵科は士官養成学科の中でも花形中の花形だ。
多くの部下を率い戦場で先頭を切って駆ける英雄と言って良い。
勇気と度胸と人望と、そして何より運の強さが求められる。
ノダとカウリにとっては希望とも言えるエイダの存在故だ。
ここからじっくり育てたいのは共通した認識なのだが。
「エイダはマダラというだけで、能力的には下手な騎士にヒケを取らない実力だ」
「それがどうした?」
露骨な不快感を示したゼルにカウリが笑う。
五輪男は、ここに至るまでにも何度かそんな差別的な不快感を感じてた。
ヒトだからと言う事では無くマダラだからと言うだけであれこれと言われるのだ。
まだまだ純粋な人間であるエイダをそんな所へは送り込みたくない。
だが、カウリの考えはその正反対だった。
「将来、マダラの社会進出を推進するなら、エイダはここで頑張らなきゃいけない」
「まぁそれは否定しないが、なんでまたそれが兵学校なんだ」
「鉄は熱いうちに打てと言うが、どうせ打つなら最高の環境が良いだろう」
ゼルに続きノダも不思議そうだ。
カウリは勝手にヒートアップして、話を続けている。
「あの子は騎兵として、騎士として、何より王族士官ととして兵士の先頭に立たねばならない」
「そうしてあの子に何の得がある?」
「あの子はきっと太陽王になるだろう」
「……お前がそれを言うか?」
訝しがるように笑みを浮かべるゼル。
カウリは薄ら笑いでそれを見ていた。
何かを企んでいるぞ?とノダもそれを見ているのだが。
「ワシの息子は太陽王には……ちょっと足らん」
「そうか?」
「あぁ。ワシが言うのもなんだが、あの子は直情径行過ぎる。もうちょっと思慮深くなければな」
少しだけため息の交じるカウリは羨ましそうにノダを見た。
ゼルはそんなカウリをジッと見ている。
「騎士を束ねる者として。貴族を束ねる者として。エイダには王道を歩ませたい」
「そんなこと言ってるが、ようは王都で手元に置きたいだけだろ」
「まぁ、本音はそこにもあるのだがな。ゼルが太陽王を目指すには少々遅すぎる。マダラだって王になれるさ。それを証明させたいんだよ」
否定しないカウリは、グラスのワインを一口飲んで一息はいた。
「明日の騎士叙勲を終えたらそのまま王都へ連れて行きたい」
「随分と急だな」
「そりゃそうだ。兵学校は十月からだ。その前に支度がいる。善は急げというだろ?」
大人達の思惑を黙って聞いていたエイダだが、その胸の内はまだ見ぬ王都を夢見ていた。
なにより、王都へ行けばリリスがいる。その事にエイダは胸を膨らませていた。
「エイダ。お前はどう思う?」
「うーん……」
「本音を言えよ? お前が歩もうとしている人生なんだ」
ゼルはエイダに本音を求めた。包容力のある大きな笑みがゼルに溢れた。
そんな五輪男の表情に、ならばとエイダも本音を漏らした。
「王都を見てみたいし、シュサじぃにも会いたい。リリスにも会いたい。シウニノンチュ以外を見てみたい」
目を輝かせたエイダにゼルは力なく苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。
「決まりだな」
してやったりの表情になったカウリ。
ゼルとエイラは寂しそうではあるが、逞しく育ちつつある息子に目を細めてもいる。
「エイダ。先に言っておくが、けっして甘い所じゃないぞ」
カウリはエイダに対し、非常に厳しい表情で話を切りだした。
ビッグストン王立兵学校。それは統一王ノーリの時代に開校したル・ガル最古の大学だ。
ル・ガル全土から志願してきた平民出身の少年達と、ル・ガルを支える貴族の子弟を集め、高度な専門教育を施す四年制の最高学府。様々な種族から一芸に秀でた教官を揃え、一学年四百名に対し教官の数が五百人にも及ぶ手厚い教育体制が特徴だった。
「百人の士官候補生が居たら卒業出来るのは六十人だ。三人に一人は必ず脱落する。兵学校の卒業生は少尉として任官する筈だが、その残り二人のウチ一人は士官では無く准士官として任官し、手柄を積み立て士官へ昇進する。最初から上席士官として卒業出来るのは百人のウチ五人か多くて十人だ。お前はその十人に入って当然という評価で行くんだ。卒業してすぐに中尉へ任官される特別生だ。まわりの期待は激しいなんてもんじゃ無いし、邪魔も入るし、それに、貴族士官へ玉の輿狙いの狡猾な女達が沢山居る。そんな場所なんだ。何より、勉強が一番厳しい。馬鹿じゃ授業に付いて行くだけで精一杯だろう」
実はこのビッグストン王立兵学校、イヌに混じりキツネやトラやクマと言った比較的イヌと友好度の高い種族の若者が学内に在籍していた。一定の学力と授業について行ける体力さえあれば、如何なる種族でも挑戦する事が出来た。そう。『挑戦』なのだ。
「そんな場所に放り込まれるお前はアージン一族である事を証明せねばならない。学校内の講師補佐や施設担当にワシの領地の出身者が居るから多少は根回しを出来る」
そんな所へ貴族子弟枠と言うシード選手としてカリオンを送り込もうと言っているカウリ。環境の厳しさだけで無く、マダラは嫌でも風当たりが強い。それらを全部承知の上で、入学試験免除。基礎教練免除。十月一日の入校式へ無条件で参加できる超特別待遇で行こうとしているのだ。
「だが、最後の最後で必要なのはお前のやる気と努力と向上心だ。決して遊びに行く訳じゃ無い。それを忘れるんじゃ無いぞ。兵学校は、士官学校は新兵訓練所じゃないんだ。国民兵を束ね責任を持って指揮し勝利へ導く使命を帯びた士官を養成する所だ。それを忘れるな。絶対に忘れるな。卒業する時まで決してな」
段々と青くなり始めたエイダ。だがカウリは構う事無く続けた。
エイダは静かに頷いた。カウリも満足そうに頷いた。
人間の持つ暗がりの部分。汚い部分。
人を妬み恨み、足を引っ張って破滅させてやりたいと思う底知れぬ悪意。
そんな所へ放り込んで大丈夫だろうか?と親ならば気になるだろう。
だからこそ、カウリは放り込みたいと思っていた。
長らく母親のスカートの中。父親の背の後ろで育ってきた温室育ちのエイダだ。
そんなエイダをカウリはカウリなりに心配していた。
――――翌日
シウニノンチゥの大聖堂に集まった凡そ二十人の少年達。
みな一様に緊張するなか、エイダは一人目立って並んでいた。
多くの少年が紅や紺や紫のマントを左肩に掛けて、腰には儀礼用のレイピアを下げているのだが、エイダは漆黒のマントを羽織り、白銀に輝く太刀を腰へ佩いている。
その両方がシュサ帝のお下がりか下賜品だ。
まわりの少年達が目を丸くするのは仕方が無い。
この少年達は満十五歳となったものばかり。
元服の儀を行う一環として、騎士となるべく叙勲宣誓を行うのだ。
もちろんエイダも例外では無い。
王太子として帝王シュサの代理を勤めるノダは、その居並ぶ少年達の中でも一人存在感を増しているエイダを頼もしげに見ていた。
――――いい男に育ったぞゼル。ワタラとエイラのお陰だ
齢僅か八才で初陣を経験し、それから七年の間も父五輪男を補佐してシウニノンチュを走り回ったエイダ。同じ歳の子ども達が幼年学校の基礎教練で行軍を習っているとき、エイダは既に馬を駆って戦場を走っていた。
筋金入りの英才教育を施した父ゼルは、従来の定石など頭から無視する軍略家であり、様々な局面で『勝つこと』のみに拘る常勝将軍だった。
その薫陶を受けたエイダは、定石や常識に捕らわれない自由な発想の戦いを幾つもしていた。だからこそゼルは、その考えが矯正されてしまう士官学校を嫌ったと言う部分もあるのだが……
大聖堂のホールに並んだ少年達は、片膝を付いて儀式を始めた。
聖水を持つ聖導騎士は居並ぶ少年達に射水している。
「神の恩寵が皆にありますように」
そんな言葉を掛けながら、霊的儀式を行った聖水を浴びせかけていた。
見る見ると顔付きが変わっていくのが見える。
少年達はいま確実に、大人の階段を登りつつあった。
その後、純白の面帯をつけた神官達が大聖堂へ並んだ。
騎士となる少年一人一人に専属が付き、騎士の名誉と義務とを神に誓うべく誓言を述べる手伝いにつくのだ。
「我々は一人の騎士として、自らが信じる神に自らの名と名誉の全てを掛け誓います。国家騎士として任官した我々は、国家と国民の為に、常に最善を尽くし、この身果てるまで戦います……
静かに呟く白い面帯をつけた神官は若き騎士の卵へ祝詞を授ける。
その騎士の卵たちは揃った声で、自らが信じる神へ騎士の誓いを立てるのだった。
貴族の家に生まれ貴族の義務を果たすべく騎士となる少年達は、それぞれの家門における守護神を持っている。光の神を支える火土水風いずれかの神だ。
それぞれの家門を守護する神に誓いを立て、永久に忠誠を誓う主を宣言する。大聖堂の中で誓いを立てる騎士ならば、家門を守護する神に誓う以上、忠誠を誓うのは光の神だ。
そしてそれは、太陽王の守護神。
大聖堂に居並ぶ騎士の卵が目指すのは、国家騎士団の最高位。聖導騎士なのだからすなわち、この少年達は全てが太陽王に忠誠を誓う事になる。
その荘厳なシーンをエイダは見ていた。口の中がカラカラに乾くほどの緊張を伴って。多くの少年達と違いエイダはたった一人で騎士宣誓を行わなければ行けない。
アージンの血統に連なるエイダは、最高神である光の神に直接騎士宣誓を行い、その加護をいただけるか否かを証明しなければならないのだ。遍く地上を照らす太陽そのものに誓いを立てようとしている少年は、大聖堂の中で『その時』を待った。
やがて谷間の街に正午がやってくる。大聖堂の大鐘楼にある小さな戸が開かれた。
その小さな窓から射し込む光は大聖堂の大ホールに光の柱を作った。
ホールの中央に描かれた太陽の紋章にはウォータークラウンが描かれている。
神の授けた王冠は澄んだ水の上にのみ現れる。
そしてそれはすぐに消え、何度でも現れるのだ。
人の目には見えない光の神の御手が、大聖堂へ注がれた。
「汝、神の使途よ。神は常にそなたと共にある。神は常にそなたを見ておられる。神は常にそなたに進むべき道を照らし賜う。神の愛は常にそなたに注がれる。そなたは我等が同胞の為に神の導きを聞き、その愛と正義とを示し続けよ。神はそなたと共にある。常に。常に。常に」
大神官のブリーチに続きノダが光の柱を避けエイダの前に立った。
エイダは腰に履いた太刀を抜き、その柄を神に捧げ片膝を床へと付いた。
「主の御手は万民を照らし、主の愛は全ての魂を導き賜う。わたくしは主の導きを得て、万民を導く代理足らんと生きる事をここに誓うものなり。この手と身体に力ある限り、神の教えに従い、弱きを助け、邪な強きを挫き、同胞の生命と財産を護るために生きられる事を誓願します。光と闇と火土水風の四神にこの生命を賭けて誓います」
全てを聴き届けたノダは懐から小瓶を取り出す。
それが何であるかを、エイダはちゃんと聞いていた。
祖父シュサも叔父ノダもそれをやったと聞いていた。
そして、風呂の中でその証を見ていた。
エイダの人生で最大の賭けが始まった。
「我が誓いの証を、いま、ここに!」
一人叫んだエイダ。
大聖堂へ並んだ騎士となる少年達を前に、エイダは自分の胸に太刀を突き立てた。
話を聞いてなかった少年達が悲鳴にもにた声を上げる中、痛みに歪む顔でエイダは叔父ノダを見た。ノダはその太刀を引き抜き、そして小瓶の中身をエイダの口へと流し込む。
苦くて酸っぱい最悪の味を感じたエイダは真っ赤な血を吐き出して死を免れた。
エリクサーを使った死と再生の儀式は王族だけに義務付けられたものだった。
何段階もの複雑な魔法処理と複数の素材の混合撹拌を経て精製されるエリクサーは、どれほど慎重に作られたとて一定の確率で不良品が発生する。しかも恐ろしい事に、飲んでみるまで不良品かどうかはわからない。
超稀少な魔洸石を砕いて混ぜ込んだガラス瓶に納められたらエリクサーは、瓶の封を切ってしまうと効果が抜けてしまうのだから試すわけにはいかないのだ。そして、まだまだ研究途上のエリクサーは、体質的に全く受け付けない人間が居る。
ロットによりその効能に差が出てしまう事も多いエリクサーは、それが効く効かないかは博打となってしまう。つまり、人の生き死には最後には神の御手に委ねられてしまうのだった。
だからこそ。
運の強さを証明するためにエイダは厳しい試練を乗り越えねば成らなかった。
大聖堂の中に割れんばかりね拍手と歓声が沸き起こる。
自らの心臓を捧げてでも誓いを果たすと宣言したエイダは、この時正式にノーリ一族の男子として、王位継承者を名乗ることを許された。飲んでみるまで効くか効かないか分からないエリクサーだ。その効能でエイダは死を免れたのだから、その類い希な『選ばれし存在』であることは間違いない。
「神の使途。アージンの子よ」
大神官はエイダを一度立たせ、そして再び光の柱の中に跪かせた。
「神の光は常にそなたを照らす」
大鐘楼の戸から零れ落ちる光がエイダの衣服を輝かせた。
その中にマダラの少年が立っているシーンを、皆は黙って見ていた。
「今日この日より、そなたの名乗る名をなんと申す」
元服したエイダは名を改め諱を持つ事を許される。
それは、その子が育つ課程で使っていた名を秘匿する独特の習慣によるものだ。
幼名の事を真名とも言い、その人間の魂へ直接命じられる鍵と解釈されるからだ。
それ故に諱で相手を呼ぶ事は非常に失礼な事とされている。
特定の存在の諱を語ってよいのは、親か主君のみである。
だから逆に言えば、諱を持つ事は非常にステータスな事なのだ。
また、その人間がどういう存在かを意味する最も分かりやすい記号でもある。
アージンの血統で諱を持つ者は、幼名の最初の一文字を名乗るケースが多い。
統一王ノーリ・ウ・アージンの幼名はウレタ。
トゥリ・レ・アージンの幼名はレイダ。
シュサ・ダ・アージンの幼名はダリム。
そして、諱を許されたエイダの新しい名は。
「私は、騎士、カリオン・エ・アージンと申します」
「よろしい。いま神はそなたの名を聞き届けた」
皆が見守る若き騎士は、王宮騎士団の一員であることを示す深紅の腰帯を大神官から渡された。それは帝王シュサの親衛隊であり、次期太陽王を目指す王家の者にとって政治を学ぶ場でもあった。エイダはその帯へ太刀を刺し、騎士として常に武装する権利を認められたのだった。その全ては帝王を護るために。
「騎士カリオン」
「はい!」
力強く応えたエイダは大ホールの真ん中で再び剣を抜き放ち、そして神に剣を捧げた。
「我らイヌは神の使徒である。そなたはその使徒長の一人である」
「はいっ!」
「温かき光が共にあらん事を祈る」
大一番を終えたエイダは、一度太刀を払ってから鞘に収めた。
そのエイダの周りへノダやカウリがやってきた。
「良い儀であった。ご苦労」
「はい。ありがとうございました」
ノダの労いにエイダは感謝を述べた。
「大一番だったな。だが、乗越えられて良かった。心配したんだ」
「叔父上様。ありがとうございました。あと、よろしくお願いします」
感極まって涙ぐんだカウリの言葉に、エイダは謝辞を添えつつ、新たな旅立ちの導きを頼んだ。騎士として、士官として。なにより、国を導く王家の男として。まだまだ修行せねばならない。
「……良くやった」
「父上……」
大ホールの中に最後に現れたのはゼルだった。
エイダの儀式が終わり光の柱が消えた後だった。
大聖堂の神官たちは、皆姿を消していた。
そんな中、騎士の宣誓を終えたエイダをゼルは抱きしめた。
「ここからがお前の人生だ。お前の人生はお前だけのものだ。常に強く生きろ。常に正しく生きろ。常に美しく生きろ」
「はい」
「エイダ……では無いな」
抱きしめていたエイダを一度離して、その顔をまじまじと見たゼル。
「カリオン」
「はいっ!」
ゼルはもう一度強く抱きしめ、耳元で密やかに囁いた。
「ヒトの世界ではこう言うんだ。ゴッド・ブレス・ユー。神の息吹がそなたを護りますように……と」
ノダから一人ずつ手渡される黄色い腰帯を巻いた騎士の卵達は、光の消えた大ホールの中で静かに話をするゼルとカリオンを見ていた。
ふと、カリオンはその騎士の卵達の中に、王都ガルディブルクへ行く者が何人居るのだろうか?と、そんな事を思った。
カリオン十五歳の秋。
新しい人生が始まった。
ビッグストン王立兵学校について
ここを目指す少年達はル・ガルはもとより、ガル・ディ・アラ全土から志願してくる。その競争倍率は三百倍にも達する事もしばしばで、学力や体力に問題が無くとも成績順の上位五百名までしか入学候補生と認められない。
故に、成績的に問題が無く、また、体力的にどれほど秀でていても、順位が届かなければ泣く泣く断念するか補欠登録するかを選ぶ事に成る。殊に平民出身で士官を目指す者の場合、一定以上の社会階級にある人間の推薦状が必要と言う事もあり厳しい戦いとなる。
また、入試に合格しただけでは入学生『候補』という扱いでしか無い。五月の試験に合格し通知を受け取った学生達は入学に向けて先ず自己トレーニングを始める。腕立て伏せや腹筋やマラソンと言った体力錬成を念入りに行う。そして七月一日の朝。初めてビッグストンの門を通るのだ。
だが、実は本当の試練がここから始まる。士官候補生の候補五百人に対し、寮の収容能力は四百人しかない。つまり、嫌でも百人は脱落する事になる。十月一日から始まる学生生活の前に、入学候補生達は三ヶ月に渡って厳しい学校生活について行くべく、徹底的に鍛え上げられる地獄の十二週間が始まるのだ。
この夏の試練を乗り越えられず、自己判断で脱落を申請した者は二度と入学候補生になる事は許されない。酷い怪我や病気でドクターストップが掛かった場合のみ、快復した翌年に一度だけ再挑戦が認められる。
全世界から集まってくる候補達だが、入学枠四百人を割り込む事もしばしばだ。その様な欠員が出たとき、補欠として登録された候補生がそこに参加するのだが、十二週間の訓練はだんだんとギアを上げて行くことになる。
だから、途中参加の補欠者は本当に辛い試練を乗越える事になる。補欠者を鍛える民間組織へ登録し、候補生と同じメニューで十二週間を暮らす補欠者が居るのも事実だ。
そんな厳しい試練の夏を生き延び、入学許可を取り消されなかった者のみが入学を許される、選び抜かれたエリートの中のエリートの学校。落第は即放校。品行不良などでも即放校。厳しい環境こそが人を鍛えると言う伝統を持つ、職業軍人養成機関。それこそがビッグストン王立兵学校だった。
ビッグストン王立兵学校 入校許可の流れ。
1 入学候補生基準
・社会福祉番号を持っていること。
社会福祉番号はトゥリ帝の時代に始まった基礎教育義務と福祉医療を受ける担保で、出生届を国家機関へ出した時に、国民台帳へ記載され発行される。その人間が死ぬまで付いて回る個人認識コードとなる。
・ル・ガル市民権(国籍)を所有している男性であること。
国籍は親のどちらかがル・ガル国民で、ル・ガル国内で産まれれば取得できる。両親とも外国人の場合は出身国家による身分保障(国費留学推薦)が必要。
・入学年度の十月一日付で満十五歳以上二十歳未満であること。
戸籍管理の弱い国家などでは証明する事が割りと難しい。
・未婚である事。扶養家族のないこと。
・過去に父親になった経験のないこと。
・品行方正な人物であること。(有罪者・犯罪者禁止)
有罪評定を受けたものや収監経験があるものは絶対ダメ。
国家警察などから追跡されている犯罪者とその組織団体に関連のある人物もダメ。
概ね身持ちの固い人間であることが重要。
・卒業後に軍役を拒否する信条、宗教などを持たないこと。
どうしても軍役拒否したい場合は死ぬしかない。
これを満たす者は次の書類選考に移る。
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2 書類審査要綱
・基礎教育幼年学校(六年間)を卒業し、高等教育学校(四年間)を終えている者。
・高等教育過程において、全成績評定平均四以上。
・九年間を通して重大な怪我を除き病欠十日以内。
・所属高等学校体育教師立会いの下
・懸垂 十回/ 三分
・腹筋 百回/ 五分
・腕立て伏せ 百回/ 八分
・スクワット 百回/ 五分
・一リーグ走 十二分以内
・全工程を四十五分以内に完了すること
体育教師のサインが入った成績証明が必須で、不正を行った教師は有罪。
書類審査で弾かれなかった者は、推薦状をもらう為に地域貴族を奔走する。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
3 推薦書類
・侯爵家以下の社会階級者は地域管轄貴族のうち伯爵以上の推薦状が必要。
伯爵家の男子が入学を目指す場合、推薦状を五通以上発給する義務を持つ。
爵位持ちの子が有利になる様に挑戦者を絞らないようにするための措置。
ただし、伯爵家はトータル二十通以内。侯爵で三十通。公爵は五十通以内とされる。
推薦書類を貰うには貴族面接が必須であり、貴族は人物評定書を書く義務を持つ。
なお、この人物評定に嘘や虚偽があった場合、貴族剥奪など厳しい措置もある。
・特別入学許可制度。
大公家と公爵五家は子弟枠を持っており、どんなバカでも無条件で入学できる。
ただし、入学した後で成績基準が進級に満たない場合は問答無用で放校となる。
学費を完納し自分の名前が書ければ卒業出来るとか噂される、どっかの国のFラン大学とは訳が違う。
・下士官推薦制度
高等教育学校卒業者で国軍へ志願し三年間軍役に付いた者のうち
・品行方正で階級を三つ以上上げたもの
・特殊技能(馬術/偵察術/工科術/弓術/通信術)を極めて高水準で取得したもの
・名誉除隊資格を得て、尚且つ、予備役編入に志願したもの
・人物評定において士官向きであると現役士官三名以上の推薦を受けたもの
このような人間は下士官から士官へ昇格するべく特別推薦を受ける。
ただし、肉体的には全く問題なくとも勉学で付いていけないケースがある。
その為、夏季特訓過程において、専任講師が五人以上付き猛勉強に励む。
ここまで来て問題が無い場合、五月末日までに『入学許可』の通知が来る。
ただし『本当に大変』なのはここから。
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4 七月一日 一斉登校
夏の盛りの七月一日。王立兵学校の門は朝五時に開く。
全国から集まってくる入学許可を持った候補生が校庭に並ぶ事になる。
毎年平均五百人が候補生として集まり、実際に入学できるのは四百人。
卒業までたどり着くのは多くても三百人程度で、二百人を切る事も珍しくない。
七月一日より九月二十九日までの三ヶ月間。一切休み無く夏季特訓が始まる。
入学基準体力測定をやり直し、尚且つ、期間中は朝夕二回、同じ事をする。
なお、七月一日から在校生は夏季休業に入っていて不在な為、通称ホテル寮へ入る。
・初日入校式(入学式では無い)
『入校宣誓! 我々は誇りあるル・ガル士官を目指し、如何なる艱難辛苦をも乗り越え、気力体力知力を練成し、国家と国民を脅かす全てのものに立ち向かう強い存在となるべく遥かな高みを目指す士官候補生として、この四年間の全てを捧げ、自らの名誉にかけて努力し続ける事を誓います! ル・ガル万歳!』
(イヌ以外の種族はル・ガル万歳を免除される)
七月中
・軍隊生活基礎(行進/行軍/整列/敬礼/受け答え)
・寮生活知識(部屋割り/階級制度/洗濯方法/入浴方法/食事方法/清掃術)
・体力練成(入学審査体力基準を朝夕行う)
八月中
・軍隊生活応用(馬房手入れ/馬手入れ/用具手入れ)
・寮生活審査開始(ラック手入れ/寝具手入れ/衣服手入れ)
・体力練成(基準体力を元に成績を付け始める)
・八月より成績評定が始まり、審査を受ける。
九月中
・在校生が帰ってくるため、成績上位者より各寮へ分散
・特別入学者は成績に関係なくバラック寮を指定される
・入学後に備え授業の仕組み等を学ぶ
・在校上級生との共同生活が始まり、室内検閲が始まる
・上級生のうち新三年生辺りから徹底的に『指導』される事になる
・この辺りから入学辞退者が一気に出始める
・夏季特訓過程最終日九月三十日
やっと入学式。ただし、夏季実務訓練で各駐屯地や国軍基地などで現役に散々と絞られてきた上級生は概ねご機嫌斜めであり、その指導は夏季特訓よりもギアが一段二段と上がってより厳しく……(以下略)