謀反8
~承前
「なぁ! これはどう言う事だよ! あんたが呼んだんだろ! えぇ!」
その襟倉をガシッと掴み、ジョニーは大きな声で叫んだ
何かを隠しているのがアリアリと見える姿だった。
「なんぜこのバケモノがヒトの子供なんだよ? え? しかも、アンタを守ってたな。こりゃ一体どう言う事だ? 知ってる事を全部教えてくれや!」
怒り狂った姿を見せてはいるが、その全ては計算ずくの演技だった。
鬼の形相になっているジョニーは、半分死に掛けのホザンに迫っていた。
今にも絶命しそうな姿だが、それでも不敵な笑みを浮かべていた。
「おぃ……セオドアの倅よ……」
それは、ジョニーの知るホザンの声ではなかった。
何かもっと違う、根本的に種族の異なる者が言っているような声音だ。
「……てめぇ」
「以前、警告した筈だぞ?」
ホザンはニヤリと笑ってそう言った。
何が楽しいのか、愉悦に大きく顔を歪め、大口を開いて笑った。
「お主も魔導に手を染めたが、いずれその身を焼き滅ぼすほどの災厄がそなたに訪れる。それは、あの存在自体がありえない者達の起こすことだと言ったはずだ。お主は取り殺されるぞぇ……」
ジョニーの表情にゾクリとした警戒と恐怖が浮かんだ。
夢中術の中で見た、あの7尾のキツネの声だと気が付いたのだ。
「キツネ……か」
「お主がそれを知る必要は無い」
ケケケ……
それは、イヌがこぼすような笑い声ではなかった。
キツネかタヌキか、もっと狡賢い種族か、そんな笑い声だ。
ジョニーは思わずカッとなり、力一杯にホザンの腹を殴った。
ホザンの口を借りる何かは、ケケケと笑い続けている。
だが、怒りに任せ2発目を殴った時、なにか真っ黒いものを吐き出した。
「なっ!」
なんだこれは……と言いかけ、ジョニーはそれ以上言葉にならなかった。
それは、名状し難い形をし、ウネウネと動く黒い塊だ。
同時にそれは、見るもの全てに生理的な嫌悪感を持たせるものだ。
「なんだこれは……」
快復したブルもそれを見て言葉を失う。
握りこぶしほどのサイズでしかない、気色の悪い存在。
その黒い塊はやや細長くなったように見えた。
先端がクチャリと開き、まるで口の様になった。
――――その身を焼き滅ぼす災厄は目の前ぞ
――――あの王はイヌの王ではなくバケモノの王
――――お主はそのバケモノに取り殺されるぞぇ
再びケケケと笑い出したその口は、程なくしてドロリと解けた。
そして鼻を塞ぎたくなるような膿臭を放った。
全員が思わず鼻を押さえるほどの悪臭は、胸を悪くするようなものだ。
その直後、ホザンは猛烈に咳き込みながら大量に血を吐き、虫の息になった。
まともに呼吸が出来ないような状態になり、間もなく痙攣し始めた。
――やばい!
これが死の兆候で無くて何なのか?
ジョニーは慌てて矢を引き抜こうとしたが、石壁に刺さって抜けない状態だ。
どんな力で刺したんだ?と訝しがりつつ、予備のエリクサーを取りだした。
実際に飲ませるまで効果があるかどうか解らない代物だ。
高級将校ともなれば、常に違うロットの予備を持って歩くのが普通だった。
「まだ死ぬんじゃねぇ!」
グイと頭を上に向け、その口の中にエリクサーを流し込む。
ホザンは無抵抗にそれを嚥下しようとして、喉を動かした。
だが……
「ゲホッ!」
再び大量の血と一緒にエリクサーを吐き出した。
肩を震わせて息をしながら、咳き込み続けている。
「てんめぇ!」
「……逃げろ」
唐突に妙な事を言い出したホザン。
ジョニーは『はぁ?』と抜けた声を出す。
だが、ホザンはまるで憑き物が落ちたようになって言った。
「速く逃げろ……ワシがワシで無くなる前に」
痙攣するように息をするホザンは、舌を長く伸ばして空気を貪る。
だが、その身体がガタガタと痙攣し始めるに至り、ジョニーは顔色を変えた。
ホザンの身体がミリミリと音を立てて膨らみ始めたのだ。
「セオドアの倅よ…… レオン家に取り次げ…… 青いオオカミに気をつけろ」
「……おぃ! ちょっと待て! なんだそりゃ!」
「青いオオカミだ……あれはオオカミじゃない……」
意味の通じぬ言葉を吐きながらも、ホザンはガタガタと痙攣し始めた。
ただ、その痙攣は筋肉の脈動では無く、膨張が原因だった。
まるで小さな木の実が大きく膨らむように、ホザンが膨らんでいく。
それと同時、その身体を突き刺していた矢が引き抜かれ、床に落ちた。
「ワシが間違っていた……あの男は危険すぎる……あいつは獅子身中の虫」
ホザンの身体はまるで風船のように丸く膨らんでいた。
風船と違うのは、その内側が全て肉だという事だ。
ミリミリと音を立てて膨らんでいく姿に、ジョニーは息を呑んだ。
それと同時、ホザンの身体に剣を突きたてた。
中身が空気ならパンクすると思ったのだ。だが……
「真まで肉だぜ!」
大声で『全員退避!』を叫び、ジョニーはしんがりとなって店を飛び出た。
一体何が起きたのか、想像も付かない状態のジョニーは振り返った。
店内でますます膨張しているホザンは、店の窓や扉の柱が食い込む程だ。
「セオドアの倅よ。一度しか言わぬからよく聞け。軍の内部にオオカミやネコと通じている勢力がある。ネコともオオカミともつかぬ未知の存在を崇める者達だ。奴らはル・ガルを呪い殺すつもりぞ。お前は奴らに飲み込まれる……な……」
ホザンの言葉がそこで途切れた。
それと同時。店の入っていた3階建ての建物がガラガラと音を立てて崩れた。
様々な死体や証拠を抱えたままだ。だが……
「嘘だろ……」
その瓦礫を払いのけ現れたのは、巨大なバケモノだった。
覚醒者としては大きなサイズのイワオやコトリを遙かに凌ぐサイズだ。
「ブル! ブル! 全員後退させろ! コイツは手におえねぇ!」
ジョニーが叫ぶと同時、ブルは一斉に後退を始めた。
親衛隊騎士や近衛騎兵が距離を取りつつ警戒する。
ただそれは、警戒と言うよりも眺めると言う方が正確だった。
「なんなんだ…… コイツは」
ジョニーがそう漏らすのもやむを得ないだろう。
名状しがたき異形の存在。ジョニーをしてそう表現するのが精一杯だ。
人の姿をする2足歩行のバケモノだが、その表面はまるで溶けたチーズの様だ。
ヌラヌラと光るその表面は、潜在的に嫌悪感を抱くものだった。
そして、その顔はイヌでもネコでもなく、およそ生物とは思えぬもの。
真っ平らな仮面のようになっていて、そこにボンヤリと暗い黒丸があるだけ。
なんとなくそこが目だとは解るのだが、正直、近づきたくない。
「コイツは一体何なんだよ!」
ジョニーは再び何かを詠唱した。
建物が崩れる音と化け物が歩く音。
その2つが響く中の詠唱だ。
「フンッ!」
再び光り出した槍の穂先をジョニーが振り抜いた。
ただ、再び放たれた光る礫は、先ほどよりも随分と小さい。
魔法の詠唱と使用に慣れていないジョニーの限界だ。
「くそっ! もっと練習しとくんだった!」
例えそれがそれ程に簡便化されたものであっても、必要なのは練習だ。
繰り返し繰り返し練習し、無意識レベルでそれが出来るように成って一人前。
そして、どんな条件でも一定の威力を持って支えるようになる事。
どうやらそれが、『覚える』と言う事の神髄のようだ。
だが……
「とにかく後退しろ! 城下広場に防衛線を引け! 王城に近づけるな!」
ジョニーの指示は単純だ。
純粋なまでにカリオンへの敵意を示したのだから、王城へ行くと思ったのだ。
「連隊長閣下! どうやって防ぎますか!」
手近にいた士官がそれを問うた。ジョニーだって解決策が有るわけじゃ無い。
だが、正直に言えば並の戦力でどうにか成りそうな相手でもない。
先ほどは簡単に斃せた覚醒者とも違うのだ。
「どうやってって…… 俺にもわからねぇ」
ジョニーは素直にそれを言った。
ただ、パッと思い付く手段はひとつしかない。
「まずはひっくり返して機動力を奪う。その後はタコ殴りだ」
基本となる戦術はひとつしかなく、もはやそれ以外にどうしようも無い。
ジョニーは心の何処かで祈っていた。それしか出来なかった。
カリオンに対し、『何とかしてくれ』と、そう願うのだった。