謀反4
~承前
「覚悟は良いですか?」
ウォークは静かな調子でそう言った。
ただ、その返答を聞く前に軽く顎をしゃくって見せた。
――――やれ……
誰もが解るその姿に、イワオとコトリが一瞬だけ視線を交わした。
そこにどんな会話があったのかは解らないが、先に動いたのはイワオだった。
「こういった催し物は……普通なら王城や専門の駐屯地までご足労を願うモノなんですけどね、外でもない御館様ですから、今日は特別な出張公演ですよ」
イワオは一歩前に歩み出て、折れているホザンの足を摘まんだ。
引っ張り上げるのか?とホザンが抵抗する素振りを見せたのだが……
「これが最後の機会です。ご協力願えませんか? 軍の内部にいる反王権勢力に付いて、教えてください」
ウォークは最後のチャンスを与えた。
きっとレオン卿やリリス様は手緩いと叱責すると思った。
アレックス様あたりは、ため息でもこぼしながら愚痴ると想像が付いた。
だが、それでもウォークには恩義があったのだ。
貧しい階層から引き上げていただいた、大恩ある人物だからだ。
しかし、そのホザンは限界まで瞳を見開いき、禍々しい覚醒体を見ていた。
その圧倒的な力と容赦の無さは、ホザンも良くわかっていた。
「やめろ!」
ホザンは急速に悪化する自分の扱いにひどく混乱した。
そして、たどり着くであろう結末に恐慌状態となる。
「ワシは貴族ぞ! 侯爵ぞ! 何をしておるのだ! 軽々しく触れるな!」
悲鳴に近い叫び声を上げるホザン。
ウォークは表情を変える事無く言った。
「まるでブタの叫び声だな…… 構わない。やれ……」
ウォークは冷たい声でそう言った。
イワオはグッと力を込め、紙玉でも握りつぶすように右足首を握り潰した。
言語にならない絶叫とボキリともグシャリとも付かない鈍い音が店内に響く。
断末魔の濁った絶叫を上げt、ホザンは痛みに撃ち震えた。
そして、その声がふっと途切れ、痛みの余り失神した。
だが、その激痛は気絶すらも覚醒させるものだった。
その激痛に失神し、叫びながら痛みに目を覚ますサイクルを繰り返した。
まるで定期的に鳴るサイレンの様に叫び、失神を繰り返したのだ。
様々な思考が頭の中を駆け抜け、混乱しつつ絶望した。
「やめてくれ……」
悲痛な声を上げ、ホザンは赦しを請うた。
少なくとも、侯爵家にある一般的な貴族の頂点なのだ。
初代太陽王に連なる公爵家を除けば、侯爵は特別な存在の筈だ。
そんな自分が無様な姿を曝し、痛みに叫んでいる。
あり得る筈も無い光景に、ホザンは『何故だ?』を繰り返した。
「さて、まずはこれから伺いましょう。ここで絶命した覚醒体は、どこで入手したのですかな?」
一般客の居なくなった店内で、初めてウォークは覚醒体の名称を口にした。
ウォークも最初から知っていたのか!とホザンは初めて気が付いた。
「お前も知っていたのか!」
痛みに呻きながらもホザンはそう言った。
その言葉にウォークは殊更残念そうな顔になる。
正直に言えば、この程度の事で口を割るとは思っていない。
つまり、ウォークにしてみれば、それはただの手続きのようなものだ。
その問いに対する返事を待つ事なく、ウォークはホザンを指差し首肯した。
もっと痛めつけろと指示を出すその姿に、ホザンの表情が歪む。
しかし、それでイワオが手を抜く事はない。
握り潰した右の足首を摘まみ上げ、ありえない方向へ無造作に曲げた。
ゴキゴキ・ベキリと、凡そ人体の発するものとは思えない音が響いた。
ホザンは肺中の空気を全て吐き出しきり、貪るように空気を吸って再び叫ぶ。
「大人しく……吐いた方が御身の為ですよ」
「――……だまれ!」
ウォークの言葉に濁った絶叫を返したホザン。
その双眸には純粋な憎しみだけがあった。
「ワシが世界を変えるのだ。ワシらがル・ガルを救うのだ!」
……あぁ
……これはダメだ
その眼差しを見たウォークは溜息をひとつこぼし、『やれ』と手を振った。
コクリと僅かに頷いたイワオは、足首の次に脛の骨をへし折った。
ボキリと凄まじい音を発し、右の脛の骨が折れた。
その折れた部分をグッと握り、メキメキと凄まじい音が響いた。
その都度にホザンは叫び、脳髄で弾ける激痛に身体を振るわせた。
「人の意志など痛みと苦しみで簡単に折れるものですが……」
イワオが次に手を掛けたのは膝だった。
逆さまに吊るしたまま、膝をありえない方向へと折り曲げた。
人の膝には様々な腱が走っていて、それらは曲がる方向を規制している。
その腱が引きちぎれる方向に折り曲げられるのは、常識外れの痛みを発する。
叫び続けたホザンの喉は、既にガラガラ声になっていて聞き取りにくい状態だ。
だが、まだ声を出せるなら重畳とばかりに、イワオは折れた膝を握った。
自身の全体重が掛かった膝関節は、ボキッと音を立てて十字靭帯が切れた。
「痛みに叫ぶだけ損ですよ。そりゃぁ……仲間を白状しないと言うのは見上げた精神だと思いますし、侯爵家の当主を務めた方ならば流石の評価となるのですが」
淡々とした口調でホザンに言葉を投げかけるウォーク。
その言葉はホザンの精神に火を付けるものばかりだ。
しかし、最後にはその精神を折り、屈服させねばならない。
「どうします?」
まだ続けるか?とイワオは問うた。
痛みの余りにショック死する事もあるのだ。
だが、ウォークは表情を全く変える事無く言った。
僅かに首を傾げ、生ゴミでも見るような醒め切った眼差しでホザンを見ながら。
「ワシは死んでも喋らん! さぁ、早くやれ! 殺せ!」
「……そうですか。ならば……足は2本あります。もう一本行きましょうか」
激痛と絶叫に痙攣するホザンだが、まだ意識はしっかりしていた。
いっそ狂ってしまった方がどれ程楽だろうか?とすら思った。
ただ、逆さまに吊るされたホザンは、その頭から血が抜ける事など無い。
失血死しないよう折るのだから、拷問慣れしていると変な所で感心した。
「畏まりました」
イワオは短くそう返し、今度は左の足首をへし折った。
まるで中々切れない草の蔓をねじるようにして、グリグリと足首を回した。
その足がありえないほうへ向く都度に、ホザンは絶叫を発している。
逆さまに吊るされたその下には涙とよだれと脂汗が溜まり始めた。
「やめてくれ……」
叫び続けて酸素の足りなくなった身体が痙攣する。
しかし、そんな事をお構いなしに、イワオは左脛をへし折り、膝をも折った。
両脚が完全に使い物にならなくなった時点で、イワオは手を離した。
頭からドサリと床へ落ち、酷い痙攣と身体の震えにホザンは吐いていた。
酷い臭いのする吐瀉物まみれとなったが、その折れた足をイワオは踏みつけた。
獣の絶叫の如き声が響き、身体中に電撃が走ったようにホザンは暴れた。
「もう一度伺いますが……協力者を全て教えていただけますかな?」
ウォークは優しげな声音でそう問い掛けた。
ニコリと笑った好青年の姿で……だ。
だが、ホザンは首を振るばかりだ。
絶対に言わないとアピールしながら『殺せ……』と漏らす。
「意地を張っても無駄なだけなんですけどねぇ……」
ボソリと呟いたウォークは、ゴソゴソと懐をまさぐった。
客の居なくなった店内のテーブルに置かれたのはエリクサーの小瓶だ。
ホザンはそこに絶望を見た。
正体が抜けるまで激痛に曝されても絶対に死ねない。
エリクサーが持つ奇跡の回復力は、こんな時には絶望の種となる。
死の淵まで落ちた者を一発で全快させる魔法薬。
ここではその魔法薬自体が、ひとつの拷問だった。
狂ってしまわない限り、情報を守るすべは無い。
そして文字通りな死の苦しみを、何度も味わう事になる。
「死ぬギリギリまで痛めつけろ。大丈夫だ。死にはしない……」
ウォークはホザンに囁くように言った。
言葉で責めるその効果は、身体ではなく心を削るのだ。
そして、どれ程に精神的な強さを持つ者でも、ジワジワと蝕まれていく。
人の心を折るのは、激痛ではなく希望の芽を潰す絶望だ。
希望さえあれば人はかなりの苦痛に耐える事が出来る。
逆に言えば、絶望は人を殺す。
どれ程に強い人間であっても、絶望に殺されるのだった。
「馬鹿な…… このワシが……」
ホザンはまだ自由になる手を使い、懐から何かを出した。
ウォークは最初、それが何かしらの証拠だと思った。
若しくは、秘密結社の象徴的なものだ。
だが、そんな期待も虚しく、ホザンはそれを口に咥えた。
それは毒だと皆が思ったのだが、実際には笛だった。
可聴域帯よりもはるかに高い音を発し、笛が鳴り響いた。
「ウッ!」
イワオとコトリが思わず耳を塞いだ。
並みのイヌでは聞き取れない波長の音を発し、その音が街へと響いた。