謀反3
~承前
「なん……だと!」
驚きの余りにそんな言葉を漏らしたホザン。
彼の見上げるイワオには恐ろしいほどの迫力がある。
筋肉は大きく盛り上がり、その頭には左右へ突き出て折れ天を突く角があった。
そんなイワオがゆらりと動いた。
実際にはかなりの高速だが、総身が大きいのでゆっくりに見えるのだ。
巨木の如き腕が轟音を立てて振りぬかれ、飛び掛った覚醒体は吹き飛ばされた。
ピンポン球が宙を舞うように吹っ飛び、血飛沫が飛び散った。
「グフッ!」
イワオに殴られた覚醒体は、凄まじい勢いで壁へと叩きつけられた。
そして、身体中の穴と言う穴から血を吹き出し、ドサリと音を立て落ちた。
その覚醒体は、ガタガタと痙攣した後で絶命した。
「……死にたい奴から掛かって来い」
イワオの声が響くと同時、今度はホザンがガタガタと震えだした。
信じられない!と白目をむくようにしている。
「馬鹿な! なぜだ! なぜお前は意識がある!」
ホザンの目が大きく見開かれる。
イワオを指差しながら、大声で喚いた。
「ここまでどれほど苦労したか! このバケモノどもを手懐けるだけで……」
何かを言いかけたホザンだが、その前にイワオが踏み込んでいた。
低い姿勢から叩き込まれた拳は強烈な一撃だった。
イワオはホザンの脇にいた覚醒体をふたりまとめて殴った。
ホザンよりも巨躯であったその覚醒体は、身体をくの字に曲げて吹き飛んだ。
その強烈な打撃は、激突の段階で脊椎を完全に破壊していた。
起き上がれなくなった覚醒体目掛けイワオがジャンプする。
そして、その頭目掛け、スタンピングを決めた。
「さぁ、残り1人だ。どうすんだ?」
訓練を積まない覚醒体は血に酔い、力に酔い、手が付けられなくなる。
そんな状態でなお手懐けるには、一体どんな手を使ったのだろうか……
アレコレと思案したイワオだが、僅かに油断した瞬間、覚醒体は逃げ出した。
天井の高い食堂ではあるが、入り口はそれほど大きくない。
その出入り口を殴りつけ、建物の外に出ようとしたのだが……
「話は終ってないのよ?」
建物の外にいたのは、純白の毛並みをした覚醒体だった。
ホザンが驚くとほぼ同じタイミングで、その覚醒体が拳を叩き込んだ。
返り血を奇麗に落としてきたコトリは、僅かに遅れて到着したのだった。
「お待たせ。演し物には間に合ったかしら?」
「あぁ。ここからが佳境だな」
「それは良かった」
女性らしいしなやかな肢体を純白の毛並みに包んだ巨躯のオオカミだ。
漆黒のミノタウロス状態なイワオとコントラストを見せるコトリが笑った。
その向こうでは、コトリに殴られた覚醒体が絶命したらしい。
スッと覚醒状態を解消したその男は、まだ若いヒトの男だった。
ただ、その首には国軍の徽章が描かれた札が下がっていた。
コトリはまるでそれが首輪に見えていた。
「さて、では少々、お話をお聞かせください。ホザン様」
冷え切った秋風のような声音でウォークは言った。
その纏う空気を一言でいえば、凍てついた氷原だった。
ウォーク・グリーン。
彼は王府機関の全てを預かる男だ。
そのカリオン政権の要石たる男が本気を見せた。
問題諸事はまずウォークの掌中に納まり、手に余す時は王の決裁を仰ぐ。
そんな流れがこの30年の間に完成していて、それで上手く回っていた。
言うなれば、シュサ帝に仕えた宰相カウリ・アージンのポジション。
公爵家にある者では無いため、最重要ポストの肩書きを得る事は無理だろう。
だが、公式に宰相の座にあるドレイクよりも掌握案件の幅は広いのだ。
そしてなにより、当の宰相が王府長官に相談するのが普通だった。
「貴様もあのマダラの狗に成り下がったか……」
「なんとでもお呼びください。単に解釈の問題です」
冷徹な官吏としての空気を身に纏う彼は、遠慮なくそう言い切った。
そんな余裕ある姿にホザンは再び劇昂仕掛けるのだが……
「まず伺いますが、その……バケモノ達。どこで入手されましたか?」
ウォークは覚醒者名のを全部承知でバケモノと表現した。
辺りに散らばる凄惨な死体を横目に、ウォークは殊更冷たい言葉を発した。
その眼差しはまるで氷の様に冷たくあった。
――さて……
ウォークの脳内に導き出されるのは、必要な情報を得るための手順だ。
その思考を整理する為にウォークは僅かな距離を歩いた。
石床を踏みしめる靴音が大袈裟に響き、まだ店内にいる客たちは緊張を知った。
「いや、その前に一般の方は外に出ていただきたい。宜しいか?」
ニコニコとした笑みを浮かべ、ウォークは店内をグルリと見回した。
急に態度を豹変させた高級官僚に、ホザンは憎悪の眼差しを向けた。
「……お前には礼儀というモノをもう一度教育せねばならんな」
かつての手駒に追い詰められている現状は、ホザンを殊更に憤慨させた。
忸怩たる心境をどうする事も出来ず、今にも暴れ出しそうな様子だ。
ただ、少なくともホザンが覚醒する事は100%無い。
仮にそれを行なったとしても、ここには検非違使最強のカードが二枚ある。
その心の余裕が、ウォークの表情に笑みとなってあふれ出ていた。
「……ん? ……あぁ、そうか! これは失礼しました。仮にもかつての主君相手に尊大な態度をとるべきではありませんな。確かに礼を失しておりました」
心から申し訳ないと言わんばかりの顔になり、ウォークは胸に手を当てた。
大貴族の家に奉公する者として相応しい態度と振る舞いを見せたのだ。
「小官は太陽王カリオン陛下の麾下。王府の一切を預かる長官、ウォーク・グリーンと申します。手前の君主たるカリオン・アージンの名において、貴卿に幾つかお話を伺いたい。ご協力いただけますな?」
その慇懃無礼な振る舞いに、ホザンは怒りの余り毛を逆立てて身を震わせた。
思わず殴り掛かりそうになったのだろうか、拳を握り締め一歩踏み出しかけた。
だが、その僅かな刹那にコトリが動いた。
まるでハエでも払うかのようなコトリの裏拳は、ホザンを吹き飛ばした。
その容赦の無い一撃は、ホザンを壁際へと追いやり、強かに頭を打ちつけた。
咄嗟に立ち上がろうとしたのか、ホザンはグッと足に力の入れた。
「ギャッ!」
激痛に顔をゆがめ、ホザンは呻いた。
コトリの裏拳によりその脚は折れてしまったらしい。
苦痛の呻きをあげ床に蹲り、折れている辺りを忌々しげに触った。。
「……ふんっ! まだまだ意気軒昂とは嘘じゃないようですな」
「黙れこわっぱが!」
聞くに耐えない悪態交じりの呻き声をあげ、ホザンはウォークを睨み付けた。
だが、そのウォークは怨嗟の眼差しを涼しい顔でやり過ごしている。
ニヤニヤと小馬鹿にするような笑みを交え、その無様な姿を見ていた。
それは、相手をなじる億万の言葉よりも、ホザンを益々怒りに駆り立てた。
ただただ無言で見ているウォークの姿こそが、怒りの根源だった。
かつてはル・ガルにその名を轟かせた大貴族。
ウォークはそんなホザンの姿をしばらく無言で眺めやっていた。
「老いましたな…… 御館様も……」
ウォーク独りごちるように呟くと、ホザンの眼の前に歩み寄った。
その表情は先ほどのあの微笑の欠片も残っていない。
痛みと屈辱に呻きながら蹲るホザンの肩に手を乗せ、ウォークは静かに言った。
それは、まるで悪魔が冥府の底から囁きかけるような声音だった。
「かつての御館様は聡明かつ慧眼溢れるお方でした。世界を俯瞰的に眺め、いま何が起きていて何が必要なのかを、自分を勘定に入れず勘案される方でしたね。ですがいまは――」
ウォークの表情が哀しみと苦痛に歪んだ。
「――なんと情けない御姿か『――――…………黙れ』
憎しみの篭った純粋な敵意を交え、ホザンはそう漏らした。
ただそれは、ウォークの心に残っていた、最後の逡巡を消し去った。
「そうですか…… 解りました」
振り返ってイワオとコトリのところへ戻ったウォークは言った。
極々シンプルで簡単な表現ながら、なによりも絶望を覚える言葉だった。
「あなたが何者なのか。一体何をしようとしているのか。全て自供していただきます。おとなしく協力し、洗い浚いの情報を素直に言っていただけるなら、或いは王も寛大な処置をなさるでしょう。ですが、それが嫌なら気が変るまで……地獄を見る事になります。理解出来ますね?」
ウォークの言葉はまるで魔王の宣告だった。
ホザンは苦痛と恐怖に表情を歪めた。
腕を組んで様子を伺うイワオ。その隣には腰に手を当てて立っているコトリ。
共に覚醒体の姿のまま、冷たい眼差しでホザンを見ていた。
「……ふざけるな。平民風情が思いあがりおって……」
短いホザンの返答に、ウォークは眉ひとつ動かさなかった。
全ては想定内だと言わんばかりに、顔色一つ変えていない。
「……そうか。そうですか。解りました。実に……残念です」
ウォークは左右に立つ覚醒体に目配せした。
その僅かな機微にイワオは肩を回し始め、コトリは上体をストレッチした。
「我々も暇じゃないので、手早く白状してもらう為には少々手荒な事も致し方ありません。非協力的なのは仕方がありませんが、途中で気が変わったなら遠慮なく言って下さい。出来れば……絶命される前にお話いただけるとありがたいですね」
それは、遠まわしな死刑宣告そのものだ。
ウォークの顔は表情らしきものが一切無い能面な状態だ。
そして、ただただ冷たい眼差しでホザンを見下ろしていた。