謀反1
~承前
ホザン・レガルド
この男は、かつて王の剣と呼ばれたシュサ帝の近衛騎兵の1人だった。
大陸を縦横無尽に駆け回った偉大な武帝の御楯衆と呼ばれた存在。
側近中の側近として、王のそばに常に従い、王を守る役だ。
そんな王の剣の中でも、ホザンは間違い無く指折りの男だった。
国軍騎兵となって勇壮に馬を駆るのは、ル・ガルの少年達に共通する夢だ。
そんな少年達に『憧れる男は?』と問えば、誰もが最初にその名を挙げた。
剛毅無双な武偏の男。巨躯で百人力な国士無双の男。
ル・ガル西方を所領とするレオン一門の中で、公爵当主ですらも一目置く存在。
稀代の武偏者としてその名を轟かせたホザンも、既に引退して久しい筈だ……
「ウォーク。この男を知っているな?」
「はい、もちろんです」
そもそも、ウィリアムより先にウォークを見つけたのがこのホザンなのだ。
息子ウィリアムを可愛がったホザンは、その側近としてウォークを教育した。
ビッグストンへと送り込み、場数を踏ませ、危険な橋を幾度も渡らせていた。
その全ては、将来のレガルド家に必要だと思ったからだ。
だが……
――さてさて
――参ったな……
カリオンは対応策を思案しつつも水晶玉の中をまずは見ていた。
食堂の中で腰を抜かしているルチアーノの前には覚醒体が4人も現れたのだ。
「ウォーク。周辺に展開する国軍に非常呼集を掛けろ」
振り返って声を出したカリオン。
ウォークがすぐさま手下の者を呼び出し、王の庭へと出る扉が開かれた。
その扉の向こうには若い官吏が何人も居て、一斉に飛び出してきた。
「王都周辺の国軍のうち……そうだな。騎兵と弓兵に非常呼集を掛けろ」
ウォークは明瞭な声音で一斉に指示を出し始めた。
その指示を聞いた官吏は、一瞬だけ表情を強張らせて言った。
――――畏まりました
――――呼び出しの理由は如何致しましょうや?
水晶玉を覗き込み続けるカリオンを横目にウォークは一瞬思案した。
そして、意を決した顔になり、グッと顎を引いて言った。
「そうだな…… うん、そうだ。賊軍を討伐する。それで良い。王都の中心部で謀反の兆しありと通達を出せ」
そのカリオンの命は、城下周辺の駐屯地を駆け巡った。
他でも無い王直々の討伐命令に、各地の騎兵が一斉に行動を開始した。
城下に緊急呼集のラッパが鳴り響き、商店街などが一斉に騒がしくなった。
だが。
――あ……
この時点でカリオンの脳裏にひとつのプランが浮かび上がった。
まだしっかりと検証したわけでは無いが、それでも丸く収まるプランだ。
――いや……
――人倫に悖るか……
――だが……
カリオンが思案したのは、その大義名分の話だった。
国軍を動員し賊軍を討ったとして、その大義名分が要るのだ。
「ウォーク。城下の国軍を足止めできるか?」
「……ルチアーノが処断されるまで……ですか?」
「そうだ。そして……」
尚もカリオンは思案を続け、ひとつのプランが出来上がった。
ただ、その内容は余りに酷い権謀術数のものだった。
「この場に赴きホザンを止めよ」
「……は?」
ウォークは間髪入れずにそう言った。
カリオンは僅かに怪訝な表情になったが、ウォークに視線を向けて言った。
「余の弱腰を挽回する好機ぞ。ホザンを止めにかかり、それを無視して……」
その言葉が終わる前にウォークは『畏まりました!』と返答して動き出した。
カリオンが導き出した、全て丸く収まる算段をウォークは見て取った。
「やはり彼は有能ですね」
「そうで無ければ困る」
ウィルはボソリと呟き、カリオンはニヤリと笑った。
カリオン政権の中心に居て、全てに目と手と心を配るウォーク。
その能力の高さは、誰もが舌を巻くのだった。
「さて、現場はどうなった?」
カリオンの言葉にウィルが再び魔力操作を行った。
水晶玉にはイワオの見ている視界が浮かび上がった。
「ほほぉ……」
悪い笑みを浮かべてそれを見ているカリオン。
ルチアーノは椅子から転げ落ち、食堂の中はパニックだった。
――――貴様も裏切るのか?
ホザンがそれを言うと同時、覚醒体がルチアーノへ飛びかかった。
身の丈が3メートルを軽く越える覚醒体は、文字通りのバケモノだ。
――――たっ!
――――助けてっ!
ルチアーノは店の中を逃げ惑う。
それを見ているイワオは、店の隅へと移動していた。
――――お前には失望した
――――全て上手く行っていると思ったのだが……
ホザンの言葉に忸怩たる思いが滲んだ。
ただ、それが何だとカリオンは思っていた。
正直に言えば、知るかバカ野郎と、そんな気分だ。
――――まずお前から死ね
ホザンは手にしていた杖を振り、ルチアーノを指し示した。
それに一瞬気を取られたのか、呆気なくルチアーノは捕まってしまった。
4名程の覚醒体は、ルチアーノを引き裂くように引っ張っている。
身体の各所からメキメキと鈍い音が響き、服が破け始めた。
その激痛たるや凄まじい物があるのだろう。
ルチアーノは濁った絶叫を上げていた。
――――ホザンさま!
――――どうかおやめになってください!
その場に間に合ったらしいウォークが叫んだ。
ゆっくりと振り返ったホザンは、一瞬目を細めてウォークを見た。
だが、ややあって今度はその形相が一変した。
――――ウォークか……
――――お前も裏切るのだな……
――――ワシを置いて行きおって……
ホザンは小さな声で『やれ』と呟いた。
次の瞬間、ルチアーノの両脚が左右に強く引かれた。
股関節が完全に破壊され、膝の関節はあり得ない方向へと降り曲がった。
もはや声にならない悲鳴を上げ、ルチアーノは激痛に震えた。
だが、それは終わりの始まりの、その序章に過ぎなかった。
限界を迎えたルチアーノの左足は、その付け根の辺りから引きちぎれた。
鮮血が店に飛び散り、覚醒体は不思議そうにその足を見ていた。
何故引きちぎれたのかが理解出来ないと、そんな空気だった。
だが、それで覚醒者が手を休めるか?と言えば、決してそんな事は無い。
自分の身に降り掛かる不運と不幸は、もはや回避出来ないところまで来ていた。
激痛の余りに気を失い、今度は神経が焼き切れる程の激痛で叩き起こされた。
気絶する程の激痛は、それ自体によって覚醒を促されるものだった。
「やめてくれ! やめて! 頼むから!」
ルチアーノは涙を流して懇願するが、実際には無駄な行為だ。
ホザンがふいと顎を振った直後、ルチアーノは店の床に叩き付けられた。
硬い石の床にバウンドしたルチアーノは、身体中から血を流していた。
パクパクと口を動かし何かを叫ぼうとしている。
覚醒体の1人が店の大きなテーブルを、まるで小枝のように持ち上げたのだ。
だが、その喉がそれを言葉にする事は無かった。
そして、全てを諦めたルチアーノにそのテーブルが振り下ろされた。
……その瞳は捉えていた。
乱雑に払いのけられたテーブルの上に残る、エールの溢れたシミを。
そして、刹那に思い出す。太陽王が嫌いと言ったもの。
――――ひとつは生ぬるくなったエール
――――もうひとつは平気で嘘をつく存在だ
……そうか
ルチアーノはこの時点で悟った。
これは嘘をついた代償だ……と。
誰かを陥れようとして行った行為の代償だと。
……くそ
不意に沸き起こった不快感。
それが、この世を去る事になったルチアーノ最期の感情だった。