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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
少年期 ~ 出逢いと別れと初陣と
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秋祭りは別れの季節

 シウニノンチュに最初お霜が降りた朝。この谷間の町に秋祭りがやってきた。

 賑わう広場には街の商店が出店を並べ、大勢の人が行列を作っていた。

 町民はたらふくとビールを飲み、秋の味覚に舌鼓をうっている。

 雪に閉じ込められる冬を前に、陰鬱な気分を吹き飛ばすお祭りだ。

 夏の間に仕込まれた幾つものビール樽を飲み干す勢いは凄まじい。

 寄って騒いで陽気に笑って、そして冬に備える。

 そんなお祭だった。


 あの、町中が大騒ぎになったエイダの初陣から、早くも一ヶ月が経過していた。

 大通りのパレードに参加したエイダは、見事な若武者姿でレラに跨っていた。

 漆黒の馬上マントを羽織り、銀に輝く(あぶみ)の付いた鞍を乗せてた。

 毛並みを揃えられ綺麗に磨かれたレラも気持ちよさそうに歩いている。

 

 ただ、レラの主エイダはその屋根の上に、可愛い姫を乗せていた。

 牝馬なら余り面白くないはずなのだが、いつも優しく声を掛けて撫でてくれるその姫を、レラは嫌いでは無かった。


「あれは若の妹か?」

「違うよ。きっと許婚だよ」

「なんだよ。若にうちの娘を嫁がせようと思ったのに」

「お前んとこのオカチメンコじゃ、無理無理!」

「ンダトッ!」


 そんな言葉が町民の間から漏れるのをエイダもリリスも笑いながら聞いていた。

 彼方此方から溜息と、そして、冷やかしの言葉が飛んだ。

 その都度にエイダとリリスは恥ずかしそうに笑い、そして嬉しそうに笑った。


 秋の空は高く青く、そして、透明だった。

 真っ白な雲が浮かび、爽やかな風が吹いていた。

 厳しい冬になるシウニノンチュは真冬だと軍事行動が無いし、起こせない。

 真冬の行軍が出来るのは凍峰種と呼ばれる一族くらいだ。


 それ故、カウリは王都ガルディブルクへと帰る事になっている。

 南の地域出身な騎兵を引き連れて来たのだ。帰りも引き連れて帰る事になる。

 もちろん、リリスもだ。つまり、この街にとって秋はお別れの季節でもある。


「帰っちゃうんだね」


 寂しそうに呟いたエイダの横顔は、今にも泣きそうな空気だった。

 だが、リリスは不思議と明るかった。落ち込むエイダを笑って見る余裕すらあった。


「雪が溶けたらまた来るよ。きっと来る。私、ここが、シウニノンチュが好きだもの」

「そうか。ここが好きなんだ」

「うん。もちろん、エイダも好き!」


 はにかんだ笑みを浮かべつつ、リリスはエイダの頬へキスした。

 少し驚いたエイダだが、仕返しとばかりにリリスの頭を押さえつけ唇を奪った。


「バカ!」


 そんな抗議をしたリリスだが、顔は満足げに笑っていた。

 町民の間から冷やかすような声が飛び、エイダはいっそう恥ずかしそうだった。


 チャシのバルコニーでは、ノダ達が賑やかな街を眺めている。

 そして、エイダとリリス。二人のその、幼い恋の物語をカウリとゼルは眺めていた。


「あの子達は良い夫婦になるだろうな」

「何故わかる?」

「俺と俺の女房の子供の頃にそっくりだ」

「……そうか」


 心底寂しそうなゼルは深い溜息を吐いて空を見上げた。

 涙がこぼれないように空を見上げたのだと、皆は勿論承知している。

 そんなゼルの肩をエイラが抱いた。


「あなたは愛されてるじゃない」

「なぜ?」

「あのペンダントが偶然だと思う?」

「あぁ、偶然さ」

「……ばか!」


 エイラもまた寂しそうな表情だ。


「怒るなよ」

「怒るわよ!」


 まるで泣き顔のようなゼルの姿にエイラが影響されていた。


「あなたを大事に思っている(ひと)が必ず居るって事じゃ無い」

「……そうかな」

「最低でも一人は居るわよ」


 何が言いたいのかを分からないゼル(五輪男)では無い。

 ただ、その思いを受け止めるだけの余裕は無いし、つもりも無い。

 あくまで仮面夫婦と割り切っているつもりで居る筈だ。

 ただ、周囲はそう見ていないのだが。


「今のエイラとゼルは()()()()夫婦になっているな」


 冷やかす訳でも無く讃える訳でも無く。

 カウリはただただ素直にそう言った。

 ノダも隣で頷いていた。


「夫婦は恋い焦がれて成るもんじゃ無いんだよな」

「あぁ。その通りだ。相手の為にと真心を持って、それが双方で釣り合いが取れる位が一番良い夫婦なんだろうな」


 二人の言葉を寂しそうに聞いたゼルとエイラ。

 ノダはそんな二人をジッと見てからカウリに切り出した。


「なぁ、カウリ。()()()の件だが」

「皆まで言うな。分かっているさ。シュサ帝にもその様に申し上げる」

「惜しい男を無くしたが……」

「過ぎた事だ。仕方が無い」


 夫ゼルを失った妻エイラも辛いが、兄ゼルを失ったカウリも辛い。

 人の死はそれほど簡単な事じゃないのだ。

 頭で考えるほど簡単に割り切れるモノでも無い。

 今まで生きていた人間がこの世から去ると言う事は、それ自体が一つの大事件だ。

 

「シュサ帝だけで無く、リリスの母にもそう言うよ」


 カウリはそう呟いた。心底寂しそうだ。

 話を紛らわすように切り替えたのはゼルだった。


「ところで、リリスの母親というのは」

「レイラの事か」

「レイラ?」

「あぁ。西部戦線へ援軍に行った時に拾ったんだ」

「拾ったって……」


 言葉を失ったゼル。

 カウリはもう一度溜息をついた。


「途中でネコの奴隷商を足止めしたのだ。情報を聞き出す為に。所が、その奴隷商が連れていた女はイヌだったんだ。ヒトの女は弱いからな。ちょっと手荒に扱うとすぐに死んでしまうんで、その奴隷商はイヌやカモシカの女を使っていたんだ」


 恐ろしい話を始めたカウリ。ゼルは半分位青ざめて聞いている。

 しかし、何気なく周りを見た時、エイラが今にも倒れそうな様子だった。

 イヌとネコの深い深い確執が恐ろしい仕打ちを生み出しているのかも知れない。

 まだネコを見た事の無い五輪男には、その深い谷の全体像が理解しがたいのだが。


「半分位精神が壊れていてな。相当手荒に扱われたのだろう。ワシの屋敷へ来ても引きこもっておった。まともに話が出来る様になるまでに二年。心通わせるまでに、更に二年。そして子をなして産むまで一年掛かった。だが、やはり心がどこか壊れておる。今も屋敷で引きこもっておろう」


 カウリはゼルとエイラを見た。

 何となく奥歯に物の挟まったような、喉の奥にある本音を隠しているような。

 理屈では無く直感として五輪男はそう感じている。その本音が何であるか。

 五輪男自身の求める解では無いとしても、ハッキリと聞いてみたい衝動に駆られる。


「娘リリスは――


 カウリはほとほと沈痛な顔の相となった。

 罪の仕打ちに黙って耐える咎人の様な、そんな姿だ。

 きっと後悔しているのだろう。その中身を考えるとゼルもエイラも言葉を失う。

 良かれと思ってやった事で、更に相手を傷つけ苦しめる事もある。

 地獄への道のりは善意で舗装されているのだ。


 ――やっと……。やっとだ。やっと、人並みな事が出来るようになった」


 人生に疲れ果て後悔に打ちのめされた姿。

 常に快活なカウリの姿はそこには無い。


「二人とエイダには感謝しておる。まことにかたじけない。そして、出来るもんならエイダに嫁がせてやって欲しい。リリスはそのつもりのようだ。馬鹿親の戯れ言だが、それでもな。心配なんだよ」


 カウリの深い深い溜息がもう一度こぼれた。


「アレと……。レイラの為を思ってやったのだが、レイラを苦しめリリスを苦しめ、そしてその報いでワシが苦しんでいる。男は黙って耐えれば良いが、女は辛いじゃろうて。ワシは駄目な男だが、せめて娘にはまともな人生を歩んで欲しい」


 カウリはジッとエイラを見た。

 その目に羨望とそして贖罪の色が見えた。


「シュサ帝も苦しまれたのだろうな。娘を持つ男親は、泣かせた女の数だけ苦しまねばならぬ宿命だ。愚かな男だと自分で思うんだが……な」


 ひとしきりの沈黙。

 重い空気と鉛を飲んだような不快感。

 だけど、ゼルには。いや、五輪男には重要な疑問が一つあった。


「もう一つ。教えて欲しい事がある」


 ゼルの言葉にカウリの目が一瞬だけ泳ぐ。五輪男はそれを見逃さなかった。

 一時的な気の迷い。心の再起動であると解釈する事にしたのだが。


「そのネコの奴隷商は商品を何処から何処へ運ぶつもりだったんだろう」

「あぁ。そのことか」


 カウリは少しだけ考える素振りを見せた。

 記憶の糸を辿っていって、何かを思い出したらしい。


「ガルディブルクから見て西部八州の一つアシルエイネの草原だった。西部方面軍最大拠点であるトゥリングラード演習場へ向けてネコの奴隷商はやってきていたようだ。手持ちの商品である女達がトラおたふくで死に掛けていたので、演習場の軍医に診せたうえでエリクサーを分けてもらう算段だったらしい。ワシも報告書を読んだだけなんで詳細は不明だ。そして、レイラはどうも頭をうったらしく記憶が断片的でな。ただ、ネコの国にいる時は……」


 額に手を載せたカウリは尚も記憶を辿っていく。

 手を浮かしもう一度ゼルを見たカウリは腕を広げた。


「アチェーロ。そんな名だったはずだ。ネコの東部にある商業都市、フィエンゲンツェルブッハに居たようだ。客を取らされていたのだろう。酷い話だ」


 部屋の隅にある黒板へ白墨で地図を書き入れるカウリ。

 まだ見ぬ地フィエンゲンツェルブッハを思い、五輪男の意識は高い空へと舞い上がった。


「ガルディブルクから西へ向かって馬で……まぁ一週間だな。それくらいの距離にある街だ。主な産業が風俗と演芸しかない所だ。だが、古い街道の立ち寄る場所だけに人は集まる。そんな場所ならいろいろなモノが集積されるだろ? 人も物も集まるんだ」


「ここからどれ位だろう」

「そうさな。まぁ、ざっと一ヶ月と言うところか。朝夕休まず走る急行軍なら二週間と掛からんだろうが、おそらく馬が持つまい。駅逓を辿って馬を乗り換えても先々がなぁ」


 ゼルが何を考えているのか。それが手に取るように解るだけにカウリも辛い。

 ノダもカウリも五輪男(ゼル)が苦しんでいる事を知らない訳では無いのだ


「そなたの()()()の名は『ことり』だったな」

「あぁ。文字はこのように書く」


 ゼルは黒板へ琴莉の文字を書いた。

 自らの手帖へその文字を書き写したノダとカウリ。

 ゼルはそこへペンでもって琴莉の文字を書き足した。

 その下には渡良瀬琴莉とフルネームを付け加える。


「複雑な文字よの。ヒトの世界の人間たちは相当記憶力が良いのだな」

「生まれ育った頃からこれに馴染めば自然に覚えるさ。そんなモンじゃ無いかな」


 そんな言葉を吐いたゼルだが、ふと何かに気がついてもう一度ペンを取った。

 最後のところへサラサラと筆記体で『AllwaysLoveYou,Forever』と書き足した。


「これは?」

「まぁ……呪文みたいなものだ」

「呪文? ヒトも魔法が使えるのか?」

「……うーん」


 顎に手をやって考えるゼル。

 ノダもカウリもゼルの答えをジッと待った。


「男が女の心に掛ける魔法だな。どんな世界でも一緒だ。稀に逆に掛かるが」


 その言葉で意味を理解したカウリ。

 恋愛絡みな心の機微に疎いノダもわかったようだ。


「エイラも大変だな」


 からかう様なノダの言葉にエイラが苦笑する。


「これで良いのよ。これで」


 割り切っていると言わんばかりのエイラだ。

 だけど、そんなに単純に割り切れないのが人の心。


「結ばれるばかりが恋では無いし、想うばかりも恋では無い。耐えに耐え、ジッと忍び時を待ち、お互いが向き合えるのも待つのもまた、恋の至極」


 カウリはバルコニーから遠くを見てそう呟いた。


「なんだそりゃ」


 ノダは何処か抜けた声でカウリに応えた。


「ガルディブルクに居るヒトの男が教えてくれたのさ。ヒトの世界の芝居に出て来る台詞だそうだ」

「ほぉ…… なるほどな。ヒトの世界もいろいろと大変なようだな」

「あぁ。全くだ。そしてその台詞はこう続く」


 カウリの目がゼルとエイラを見た。

 その眼差しには男の優しさがあった。


「待てば良い。時は全ての傷を癒す。純粋なその想いが、哀れみや情けではないと男女互い(あいたがい)素直に思える日まで。全ての想いが叶った時こそ恋は愛へと変わるのだ……とな」


 何も言わずにバルコニーへと歩み出たゼル。見上げた空には眩い太陽が有った。

 街の賑わいが遠くから聞えてくる。その中から、確かにエイダとリリスの声が聞えた。


「一夢庵…… 風流記……」


 ボソリと呟いたゼル。

 エイラはその隣に立った。


 柔らかな風が吹いて、エイラの髪をなぶった。

 その髪を押さえ、ゼルはエイダを抱き寄せた。


「良い街だな」

「……そうね」


 そんな二人をノダとカウリは眺めていた。


「あの二人も良き夫婦となろうな」

「そうだな」

「ノダも早く結婚しろ」

「相手が居らんて」

「この冬はガルディブルクへ一緒に行くか?」

「なぜ?」


 不思議そうな顔のノダ。

 カウリはその胸を拳で小突いた。


「週に二度は夜会の開かれる街だ。マメに顔を出せばあっと言う間に女が寄ってくるさ。なんせ、ノダは紛れも無く太陽王の公子だからな。玉の輿を夢見たまま行かず後家になった折り紙付きな良家の子女が責任取れと押しかけてくるぞ?」


 そのカウリの言葉に心底面倒だと言う顔になったノダ。


「そう言う顔するな。大体な。嫁が居ると良いぞ?」

「どう良いんだ?」

「まず、人生が豊かになる」

「……よくわからん」


 鈍い笑いを二人で浮かべ、そしてもう一度ゼルとエイラを見た。

 互いの腰へ手を廻して並び立つ二人の姿に、ノダはなんとも微妙な面持ちだった。





 ――――数日後





 ガルディブルクへと旅立つカウリ達は、シウニノンチュの街外れで隊列を整えていた。

 エイダのレラに乗ってきたリリスは、エイダの手を借りてカウリの馬へと乗り換えた。

 思えばこの半年で馬にも上手に乗れるようになったリリスだ。

 精一杯の強がりで笑っているエイダとリリスを、大人たちは微笑ましく見ていた。


「ゼル様!」


 子供達が最後の別れをしている所へヨハンが馬で駆け寄ってきた。

 無粋な事をしよってからにと怪訝なゼル。

 だが、ヨハンの後ろには見慣れぬ騎士が幾人か立っていたのだった。


「取り込み中、まことに申し訳ない」

「いかな要件か」


 その騎士のマントには太陽王の使者を示すウォータークラウンの紋章があった。

 意味を理解しないゼルでは無い。スッと背筋を伸ばし騎士へと正対した。


「シュサ帝よりお預かりいたしました」


 幾人もの騎士が取り出した荷物は、一つずつタグが付けられていた。

 エイダとリリス。そしてゼルへだ。


「シュサじぃからだって」


 リリス宛の荷物も一緒に受け取ったエイダは、さっそく包みをあけた。

 中から出てきたのは、見事な作りの馬の鞍だった。


「すごい!」


 レラから飛び降りて鞍を外したエイダは、さっそく新しい鞍をレラへと乗せた。


「レラ! シュサじぃがくれた新しい鞍だぞ! どうだ?」


 ちょっと興奮しつつ、新しい鞍へと腰を下ろしたエイダ。

 だんだんと育ってきているが、エイダの身体を乗せるにはまだ少し大きいようだ。

 でも、すぐにちょうど良くなるだろう。エイダはそんな事を想った。

 そしてもう一つの包みは長細いものだ。

 手にしたとき、エイダは中が刀であるとすぐに分かった。

 重量バランスが剣とは違うのだ。


 紫の包みを解くと、緻密な刺繍の施された飾りの美しい戦太刀が現れた。

 片刃に仕上げられた戦闘太刀だが、恐ろしく軽く、そして美しかった。


「それは……見事な設えだな」


 ゼルも唸る出来栄えにエイダが満面の笑みだった。


「リリスのは何が入ってる?」

「わたしの?」


 大きな箱が二つ。割と軽くて、そして金属的な音がするもの。

 なんだろう?と不思議そうなリリスも馬から飛び降りて箱を開けてみた。

 中から出てきたのは女性向けの馬上コートと帽子。二つ目の箱にはブーツとスパッツ。

 そして、シュサ帝の走り書き。


 ――――エイダと出かける時に使いなさい


 と。


 小躍りするほど喜んでいる子供達を眺めつつ、ゼルは小さな包みを開けた。

 シュサ帝からの下賜品とはなんであろうか?

 エイラが覗き込むなか、ゼルの箱から出てきたのは小さな指輪たて。

 そして、ペンダントスタンドだった。


「もう一つ。こちらを」


 騎士が差し出した物は少々厚い封筒だった。

 驚くほど上質な紙に太陽王の印が打たれた封蝋があった。

 まだ誰の手も加わっていない事を示す封蝋の隅を切り書状を広げたゼル。

 達筆な字で書かれたシュサ帝のメッセージをゼルは黙って読みはじめた。


 ――――重き荷を背負わせた者へ……


 シュサ帝は切々と詫びていた。

 逃げられぬ運命と立ち向かった者だけが持つ苦悩とジレンマを、シュサは誰よりも理解しているのだとゼル(五輪男)は知っている。だからこそ、シュサは手紙を書かずには居られなかったのだろう。

 手紙の後半はエイダの事だった。ゼルのフリをする五輪男へエイダを頼むと書くには相当な想いが必要だった筈だ。人の心を大切にするイヌの男は、どれ程心苦しかったのだろうか?とゼルは思いを馳せる。

 そして、十枚に分けて書かれたその手紙の最後の一枚は、今のゼルににとって驚愕の内容だった。


 ――――余の知恵は限りがあるが、出来ぬ事は少ない。

 ――――故に、そなたの思い人を探す為、次の春より新たな一手を打つ事にする。

 ――――まず、ヒトの管理を全て国家機関の元とする。全てに届出を義務付ける。

 ――――次に、ヒトを囲う者に税を課す。そして、払えぬ者には懲役刑か没収とする。

 ――――そして、ヒトの扱いが手荒な者にも罰を科す。ル・ガルはヒトを護る。

 ――――そなたの思い人がル・ガルに生きているなら、必ずや見つかるであろう。

 ――――他国に落ちたのであれば、外交手段を使って探す事とする。

 ――――イヌの為に生きてくれるそなたをイヌは決して裏切らない。

 ――――シュサ個人として、これを硬く約束するもの也……


 感極まったゼルが目を閉じ空を見上げた。

 小さな包みに入った物の意味をゼルは理解した。

 五輪男を一旦捨てよ……と。シュサ帝はそう言っている。


 こみ上げるものをグッと堪え、頼むと預けられたエイダを見たゼル。

 そのエイダもまたシュサ帝の手紙を読んでいた。

 皆の前で声をあげて。

 

「戦とは波の打ち寄せるが如し。打ちいでし時は、常に退き際を考慮せよ。勝ち過ぎる無かれ。ただ負けずにあれ。これ、常勝の極意なり。敵を殺し過ぎる無かれ。味方を殺し過ぎる無かれ。戦わずして勝つ事が至上なり。太刀をあわせ槍をあわせ騒乱に及ぶは、(まつりごと)の無策と無能故である。戦う前に勝利を決めよ。戦の極意とはこれなり」


 エイダの隣で手紙を読んでいたリリス。

 その肩を抱いたエイダは笑っていた。


「この前、これを全部父上に教わったよ」


 エイダは馬上のカウリを見上げた。


「叔父上様! シュサじぃに伝えてください!」

「なんだ? 遠慮なく申せ」

「全部父上に教わりました!って」

「あい分かった。そのまま伝えよう」


 リリスの手をとってカウリの馬へ乗せたエイダ。

 馬の下から見上げているエイダが元気良く言った。


「また来てね!」

「うん」


 使者が来たとて隊列は出発せねばならない。

 カウリの合図で騎兵達は行軍を始めた。


「リリス!」


 馬上で振り返ったリリス。

 エイダはちぎれんばかりに手を振った。


「エイダ。追いかけるか?」

「……またすぐに会える気がする」


 嗾けたようなゼルの言葉にエイダは笑って応えた。

 太陽王からの使者を待たせたまま、ゼルとエイダは旅立つリリスを見送るのだった。




 少年期編 ―了―

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