王の懊悩
その朝。
カリオンはいつものようにサンドラと共に朝食を摂っていた。
穏やかなひとときは、カリオン夫妻にとって大事な時間だ。
だが、そんな安らぎの朝は、まずドレイクによって破られた。
――――王よ!
――――ラリーがやらかしました!
その言葉に続き、部屋に飛び込んで来たのはウォークだった。
イヌの顔は毛深いのだから顔面蒼白はありえない。
だが、垂れている耳が忙しなく動くさまを見れば感情がわかる。
――――城下の手の者が火急の報告を送ってよこしました
――――ラリーが大学の学生寮で刃傷沙汰のようです
――――相手は……
そこまで言ったウォークはドリーが同じ報告のようだと気が付いた。
双方が視線を絡ませ『やばい事になる』と意志の統一を図っている。
「被害者は出血多量で瀕死との事です」
「現在、城下の医療院が治療に当っていますが回復の見込みは無いと」
ウォークとドリーの上げた報告は単純だ。
速報なのだからやむを得ない部分もあるのだが……
「ちょっと待て。いっぺんに言われても理解できん」
やや強めの口調でそう言ったカリオンは、突きつけられた報告書を読み始めた。
ただ、その報告書を読む傍ら、ウォークとドリーが矢継ぎ早に報告を上げた。
そんな場へ入って来たのは、城下の警備担当でもあるブルだった。
――――おはようございます陛下
――――朝食時ではありますが火急の報告が警邏局より上がってまいりました
――――御決裁を頂きたく……
城下警邏局の公式報告書フォーマットで記載された内容は目を疑うものだ。
流石のカリオンも目頭を押さえ、溜息をこぼしながら傍らの茶を飲んだ。
その報告書を読み終え、もう一度カリオンは溜息をこぼした。
「ガルムの奴め……」
カリオンは黙って思案をめぐらせる。
だが、その場の空気から、サンドラはガルムの死去を警戒した。
「……何が起きたの?」
サンドラは不安そうな声でそう尋ねた。
居並ぶ面々はカリオン政権の中枢にいる者ばかり。
その男たちが厳しい表情を浮かべている。
相当まずい状況になっているはずだが、そんな状況で再び扉が開いた。
黒尽くめの套を纏った者が現れ『兄貴……』と言った。
「イワオか」
仮面をつけてはいるが、その声も臭いもカリオンは覚えていた。
何より、その身体から懐かしい臭いがするのだ。
「マズイよ。相手はザリーツァの男だ」
ヒトの姿をしているとはいえ、イワオもまたサウリクルの血を引いている。
そのイワオは城下にあって深いところで活動していた。
「……やはりな」
意を決したように顔を上げたカリオン。
その姿をジッと見ていたサンドラは、不安に押しつぶされそうな顔だ。
「……予てより報告されていたガルムの……いや、ララの思い人だが――」
カリオンはどこか薄笑いの様にも見えた。
只それは、マダラに生まれたカリオンの宿命でもある。
口元に笑みがあるように見えるのは、ほうれい線の影響だ。
深い溜息と共に言葉を続けるカリオンは、グッと厳しい表情になった。
「――昨夜、ララはその男の所へ行ったようだ。ただ……拒絶されたのだろうな」
それが何を意味するのかはサンドラにだって良く解る。
あの日、ビッグストンの大講堂でリリスと再開したカリオンもそうだった。
男と女が最後の一線を越える時は必ずやって来る。
その時に必要なのは、双方が相手のありのままを受け入れる事だ。
だが、ララの、ガルムのありのままは、なかなか受け入れがたいのだろう。
男でもあり女でもあり、また、男でもなく女でもない、両方なのだ……
「……で、どうなったの?」
今にも泣きそうな声でそう尋ねたサンドラ。
カリオンは、一息の間を置いてから、厳しい声で言った。
「相手に拒絶されたララは、恐らく正気に帰ったのだろう。そして、秘密を護る必要性に気が付いたのかも知れないな――」
カリオンは首を左右へ小刻みに振りながら言った。
「――或いは激情に駆られただけかもしれないが、持っていた短刀で相手を滅多刺しにして、自殺を図ったようだ。惚れた男と死にたかったのかもしれんな……」
――――――――帝國歴391年 12月 24日 早朝
ガルディブルク城 王専用食堂
ブルの差し出した警邏局の状況検分に寄ればこうだ。
まず、昨夜遅く、ララはルチアーノと言う若い男と店を出た。
いつもの様にララの自宅へ送る筈だったが、ララはルチアーノの寮へと行った。
ル・ガル大学の寮は男女共に同じ屋根の下にいる環境だ。
希望するものは女子寮または男子寮に入るが、基本は共同生活だった。
そんな大学寮には、訪問者を泊める為の部屋がある。
ただ、そのゲストルームの実態は、寮の中で懇ろになった男女のヤリ部屋だ。
ルチアーノはララとそこへ入り、いざ事に及ぼうとしたのだろう。
ララはここで自分の身体の真実を打ち明けたようだ。
ようだと推測する形なのは、報告書を読んだカリオンの推測だった。
結果、ルチアーノなるオオカミの男はララを拒絶した。
まぁそれ自体はやむを得ないことでもある。
女だと思っていた存在がふたなりでは話しにならない。
だが、そこでララが収まるかと言えば、収まるはずが無い。
受け入れてくれると思った相手から拒絶された。
その衝撃は、言葉では到底言い表せる物ではあるまい。
結果、ララは隠し持っていた短刀を抜いたようだ。
そしてその短刀でルチアーノの胸を十数回刺している。
胸腔には重要臓器の全てが集っているので、間違いなく絶命する。
その後、ララは手のしていた短刀で自分の胸を刺そうとした。
半裸になったその胸に短刀を突き刺そうとしたが、痛みに刺せなかった様だ。
ララは胸に短剣を当て、床へ斃れこむ形で自殺を図った。
迷惑な形の心中と言っても良いのだろう。
ただ、その時点でドタバタと言う物音に気付いた者達が部屋に入った。
部屋の中は一面血の海で、ふたりはキース医療院へと運ばれたようだ……
「ブル。今すぐコレを持って走ってくれ。事は一刻を争う事態だ」
警邏局が上申してきたのは、重傷を負った男の処遇だ。
数々の激戦を経験したヴェテラン達は、最終的な決断が必要と上申した。
それはつまり、通常の医療活動では救済出来ないと言うものだ。
エリクサーを使うか、または魔法による治療が要る。
そのどちらを選ぶにしても、城下の事件では王の決裁が要る。
通常の手段ではどうにもならない負傷者を救う為の行為。
だがそれは、魔導という禁断の手段でもある。
「……良いのか?」
「後になって問題になったら、その時に考えれば良い」
カリオンが出した決裁はただひとつ。
城下の大学に新設された魔法学の研究所に運び込め……という物だ。
ル・ガル大学の魔法学は、王の元に揃った魔道師達が揃っている。
彼等の中には生命学を究めた治療術の専門家が居るのだ。
「大丈夫かな……」
「まぁ、悪いようには並んだろ」
「あぁ……」
小さく『じゃぁ』と漏らしてブルは走り出した。
相変わらず細かいところに目がいかない人間だった。
「さて、相手の方はこれで良いな……」
問題はララの方だ。
ドレイクの報告では、キースの手により治療が施されたらしい。
恐らくは跡が残るだろうから、場合によってはエリクサーを使いたいとの事だ。
「ララは……難しいな」
自分自身がバケモノである事を承知しているだけに、ララの気持ちが良く解る。
色眼鏡を通さず、ありのままの自分を見て欲しいと願うのは当然の事だ。
だが、悲しいかな、人間とは先入観念と個人主観に寄って生きているのだった。
「……あの子の傷は」
やはり母親であるサンドラはそこが気になるようだ。
難しい状況とは言え、それでも何とかララを助けたいのだろう。
「ララは左胸に若干の刀傷だそうだ。多少の痕は残るようだが……」
この時点でカリオンは右手を口元に当て思案していた。
かつてのゼルを覚えている者は、カリオンにゼルが重なって見えた。
「いや、証拠隠滅を図ろう。ドリー。キースのところへエリクサーを届けてくれ」
「畏まりました。必ずやその通りに」
ドレイクは恭しく拝謁し、そのまま部屋を出て行った。
狂信レベルで忠誠を誓っているのだから、やむを得まい。
だが、カリオンは時としてそれが息苦しいときもある。
そして、ララとガルムもまたそうなのだろう。
何処かで緊張の糸が切れた。
または、何もかも、どうでも良くなった。
そんなところだろうか……
「さて…… 問題はそのザリーツァの男だな」
カリオンの言葉にウォークとイワオが頷く。
「検非違使の調査部が調べた限り、あのベルムントと名乗った男は相当信用して良いと思うとの事だよ」
その報告は、調査部と入ってはいるが、要するにトウリの報告だ。
リリスと協力し合い、トウリは相当深いところまで調査を進めたようだ。
イワオは検非違使のマークが入った報告書を取りだし、カリオンに差し出した。
黙ってその報告書を読んだカリオンは、短く『ほぉ……』と呟いただけだった。
「星々を束ねる藁縄と言ったか……」
「そうね」
カリオンの言葉に相槌を打ったサンドラ。
フレミナ一門の中で最も文化的に進んでいるザリーツァを預かる男だ。
「息子はビッグストンに。娘は大学に送り込んだらしいな」
トウリが調べた限り、直接の子は2人だけらしい。
姉と兄のどちらが年上かは解らないが、歳はそう代わらないはず。
「ザリーツァの後継ぎが死んでしまったら大問題だな」
「何があっても助けないと」
「そうだな」
再び思案を重ねたカリオンは、ウォークを呼び寄せ命じた。
「キースとドレイクに伝えてくれ。それと、そのルチアーノを収容した警邏局の医局に、ありとあらゆる努力を行えと伝えてくれ」
カリオンの指令は単純だ。もはやアレコレ説明する必要すら無い。
まず、無理心中に及んだ事は、もうどうでも良い。
ただし、事を成し遂げられなかった点は叱責せねばならない。
それと、思い詰める前に何故相談しなかった?と言っておかねばならない。
同じように、誰にも言えない境遇だったのだから、気持ちくらいは分かる筈。
「医術魔法はどうしますか?」
ウォークはそれを確認するべく言った。
それに対しカリオンの返答は簡単だった。
「何をしても良い。とにかく殺すな。それだけだ」
残っていたパンにバターを塗り、それをモグモグと咀嚼しながら考え続けた。
まずはフレミナのオクルカ公に新書を送らねばならない。
それと、あのザリーツァの本拠地で貴重な者を振る舞ってくれた男へもだ。
事と次第によっては、再びフレミナと事を構えるかも知れない。
だが、カリオンはそれを望まないし、考えたくも無い。
部屋を出て行く後ろ姿を見ながら、カリオンはイワオを呼び寄せた。
「そういえばお前とコトリの息子は息災か?」
「ビッグストンで鍛えられてるみたいだね」
「エルムはしっかりやっているか?」
その問いにイワオは仮面を外して笑みを見せた。
変に言葉で説明するより、その方が飲み込みも早いはずだ。
「タロウが定期的に報告を送ってくるけど、流石兄貴の息子だと思うよ」
「……そうか」
イワオとコトリの間に産まれた子は、案主と呼ばれた老人が太郎と名付けた。
ヒトの世界では男の子の大成を願って付ける名だそうだ。
タロウは無事成長し、遊びの中で覚醒を覚え、一人前の検非違使になっていた。
その状態で身分を隠し、何処にでも居る普通のヒトの子として入学した。
イワオが授けたミッションは簡単で単純だ。
エルムをサポートし、時には励ましたりしながら卒業させる事。
ただ、実際にタロウが送って寄こす報告に寄れば……
「エルムは兄貴の……ビッグストン始まって以来の秀才だったカリオンの生き写しだって教授陣の評判だよ」
イワオの報告したその内容に、カリオンはニンマリと笑った。
ただ、その直後に笑みが曇りはじめ、ややあってそれは暗く沈んだ。
「あとは……」
「そうだね」
顎をさすりながらカリオンは思案を重ねる。
この十数年、ズッと懸案だった件がまだ解決していないのだ。
「はやいとこ見つけないとね」
「あぁ」
イワオは前向きだが、カリオンの声は沈んでいた。
「何処に居るのかなぁ……リサの娘」
そう。
五輪男と琴莉の間に産まれたイヌとヒトの中間の娘。
理沙は相手の解らぬ娘を産み落とし呆気なく死んでしまった。
そして、その娘はあの茅街から忽然と姿を消した。
誰が何処へ連れ去ったのかすら解らなかった。
「とりあえず、リサを頼むぞ」
「あぁ」
表向きは穏やかで順調な太陽王の日々。
だが、その裏はとんでも無い問題が山積みなのだった。