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ガルムとエルム


 それは、唐突な衝撃だった。


 ――えっ……


 ララはまるで彫像の様に固まってしまっていた。

 日の暮れたガルディブルクの街並みは、晩餐を求める人で溢れている。


 ただ、そんな人々の流れも、この日輪の箱庭亭には無縁なもの。

 この夜も予約で満席な箱庭亭に、飛び込みの客などある筈も無い。だが……


 ――うそ……でしょ……


 ララの見つめる先には、ビッグストン王立兵学校の制服を着る一団が居た。

 その中央には良い身形の子爵が立っていて、近くに居るものが店主と交渉中だ。


 遠くに居る彼等から漏れ伝わる声は、空席があったら6人で入りたいとの事。

 なんでも、何処かの店を予約していたのだが、オーバーブッキングしたらしい。


 ――そういえば……


 この夜、箱庭亭では4人分のキャンセルが出てしまっていた。

 なんでも予約客が事故に遭い、身動きできないとのことだ。


 予約台帳によれば、3ヶ月も前に予約を入れた方だった。

 その悔しさたるやは幾ばかりかとララも思ったのだが。


 ――入るの?


 ララの見ていた先、どうやら交渉はまとまり店主は入店を認めたようだ。

 簡単なジェスチャーでララが呼ばれ、店主は簡潔に指示を出した。


「ララさん。特別室を用意して下さい。それに見合うお客様です」

「……かしこまりました」

「ビッグストン兵学校の教育指導長も交代ですか……時代の節目ですな」


 店主は何処か寂しそうにそう呟いた。

 ただ、変化は安定を求める為の一時的な現象に過ぎない。


 ビッグストン兵学校の教育指導長は、この50年近く変わらなかったはず。

 それはここで交代するという事は、太陽王カリオンの意向が働いている筈だ。


 ――父上……


 ララの中に眠っていたガルムの精神が目を覚ます。

 猛々しく狡猾な黒耀種の闘争本能が起動したのだ。


 ――久しぶりに城へ行くか……


 女性とは思えない大股で歩いたガルムは、それでも素早く特別室を設えた。

 そこは、本来であれば王族などの賓客をもてなす為の個室だった。


 ――ただなぁ……


 部屋の入り口で控えたガルムは、表情を緩めて女に戻った。

 ララは今、城下最高の名店におけるパーラーメイド(女中長)なのだ。

 それ相応の振る舞いが求められ、油断無く対処する能力が必要とされる。


「どうぞこちらへ。ビーン子爵」

「押し掛けてしまって申し訳無い」

「いえいえ」


 ビッグストンの中で戦術や戦略学について研究してきた子爵が遂に出世した。

 エリオット・ビーンと言う名の子爵は、太陽王の元で戦術研究もしたそうだ。

 長らく指導長だったエリオット・ロイエンタールが遂に引退し、交代したのだ。


 ただ、ララの見つめる先ににる男は、ビーン子爵では無い。

 その傍らにあって笑みを絶やさず、余裕ある振る舞いを見せる大型な黒耀種だ。


 ララの思い人であるルチアーノも大柄だが、それに負けないサイズの男。

 ビーン子爵のお供として、同窓の友人達と共に店に入っていた男。


 その男を見て、ララは激しく動揺しているのだ。

 普段のララでは見せないような表情を浮かべているのだ。


 ――どうしよう……


 不安はどうしたって顔に出てしまうモノ。

 そんな姿を見て取った店主は、小さな声でララを呼んだ。


「ララさん。どうかされましたか?」

「え? あっ…… いえ……」


 どう取り繕うか思案したが、咄嗟に妙案は浮かばなかった。

 こうなれば素直に話す方が早いだろう。


 幸いにして店主はララの中身を飲み込んでくれている。

 偶然やって来た父カリオンが直接説明したので、店主も事情を知ったのだ。


「あの……あそこにいる黒毛の男性ですが……」


 ララは指を指さずに店主へ人を教えた。

 ビーン子爵は赤毛で、その他は白かったり茶色だったりマダラだったりだ。

 黒毛の男は1人しか居らず、その男は見るからに黒耀種だった。


「彼、実は……弟です」

「え?」


 店主は驚いたきり言葉が無かった。

 そこに居たのはガルムの弟エルムだった。











 ――――――――帝國歴391年 12月 22日 夜

           ミタラス島内 レストラン 日輪の箱庭亭











「おぃエル。彼女、お前見てんぜ」


 ビーン子爵と共に入ってきたマダラの男は、エルムの脇腹を肘で突いた。

 一般にはマダラの方が視野が広いと言われている。

 それとなくララを見るマダラは、ララの視線が泳ぐのを見ていた。


「あんな美人、知り合いにいないよ」

「あたりめぇじゃねぇかよ。むしろ知り合いだったら紹介してくれよ」


 マダラの男は小声でそう言い、エルムをからかった。

 だが、キースが帽子を取って小脇に置くと、全員が帽子を取った。

 そしてその時、ララはエルムの隣に座る男の正体を知った。


 ――ヒトだ……


 エルムの隣に座った男には耳が無かった。

 いや、多くのイヌのように、頭の上にある筈の耳が無かったのだ。


 ――私に気付いた……


 何の根拠も無いことだが、ララの内側のガルムはそう思った。

 自分がエルムを見つめていた事を感付かれたと思ったのだ。


 ただ、肝心のエルムはララに気が付いていない。

 父ですらも二度見して確かめて正体を見抜いた位のララだ。

 今はもうすっかり女の姿に成りきっていて、メイクも上手になっている。


 なにより、キュッと締まったウェストと豊かなバストでパンチの効いた姿だ。

 両袖の肩口が飾りで膨らんでいるデザインのワンピースに身を包むのだ。

 雪のように白いエプロンに黒髪が映えて、男なら息を呑む姿。


 ソレがまさか実の兄だとはエルムも思うまい。


「では、お料理を運ばせていただきます。まずはエールを」


 店主自らビーン子爵へと酌をし、ララは残りの学生達に注いで回った。

 そのエールが行き渡り、ビーン子爵は立ち上がって挨拶を述べた。


「しがない無駄飯喰いの貧乏子爵もやっと指導長まで上り詰めた。これは諸君らに無限の可能性がある証拠と言える事だ。諸君らの成長に期待する! 乾杯!」


 その言葉を聞いていたララだが、どこかエルムの緩さにガッカリしていた。

 すぐ近くに立ち、エールを注いだガルム。本来なら臭いで気付くと思ったのだ。


 だが、エルムはヘラヘラと笑いながら、美味そうにエールを飲み干していた。

 一瞬だけその姿がルチアーノに被って見え、ララは笑いを堪えるのに必死だ。


 その間合いでキッチンから声が掛かり、ララはキッチンの窓口へと向かう。

 窓口ではルチアーノが顔を出していて、お客の話を聞いているようだった。


「おぃエル! アレ見ろよ」

「なに?」

「さっきの彼女。随分楽しそうだぜ」

「そうだね」


 窓口に顔を出したルチアーノは、ララと楽しげに話をしていた。

 話の内容までは分からないが、ララの笑顔は弾けるようだ。


 ――あれ?


 キッチンから顔を出したルチアーノとララが楽しそうに話をしている。

 そんなシーンを見て、父カリオンと母サンドラのようだと思ったのだ。


 そして、ややあってララは恥かしげに右手を額へとそえた。

 父カリオンが良くやる仕草であり、兄ガルムもそれを良くやった。

 そんなシーンを見て、エルムは兄ガルムの仕草を思い出したのだ。


 ――ウソだろ?


 その女中が見せる仕草には、小動物のような可愛げがあった。

 ただ、それでもその振る舞いの端端に、緊張感が残っていた。


 母サンドラがエルムに教え込んだ、正しい振る舞い方の知識。

 王族として必要な立ち振る舞いのイロハが、そこにあったのだ。


 ――兄貴……


 エルムはその時点で、ララがガルムだと認識した。

 そして、なんで女なんだ?と聞いてみたくなった。


 ガルム12歳の夏には、もう城を出て下宿生活をしていた。

 当時のエルムはまだ7歳で、正直言えばガルムをよく覚えていない。

 そして、8歳になった頃からエルムは父カリオンに鍛えられ出した。


 平気で遠乗りに出掛け、山や沢を馬で駆け巡り、時には森の中で野宿した。

 父カリオンが持つ生きる為の知恵や知識を伝授され、夜中まで話し込んだ。


 父が繰り返し言うのは、人にはそれぞれ事情があると言う事。

 そしてもちろん、ヒトにも色々事情があるのだと言う事もだ。


 それからの7年。

 思えばエルムはガルムと顔を合わせていなかった。

 父カリオンと母サンドラにより、意図的に避けられていたのだ。


 兄ガルムはスペンサー家の人間が大きく係わっている。

 そしてエルムは茅街出身なヒトが係わっていた。

 実際、今エルムの隣に座るヒトの少年は、茅街生まれの男だった。


 父はイワオと言い、母はコトリと言うそうだ。

 共にル・ガルの中で生きてきて、太陽王の手配により茅街へと移住したらしい。

 その茅街で何かしらの仕事をしているらしいのだが……


 ――直接聞いた方が早いな……


 エルムはそう結論づけて、それ以上考えるのを止めた。

 そうやって思考を切り替えられるのは、エルムの大きな美点だった。

 細かいディテールに拘泥せず、全体を見ながら細部を仕上げられる才能だ。

 

 ――深夜もう一度来るか……


 そんな事を思ったエルムは、女中の事を考えるのを止め料理に集中した。

 驚く程美味い料理の数々に蕩けるような思いだった。


「エル…… なんか企んでんだろ?」


 ヒトの少年がニヤリと笑いながら言った。

 ただ、それを聞いたエルムはフンフンと首を振るばかりだ。


「まぁ良いや。俺も誘ってくれよ?」

「何を誘うんだって? 何も考えてないよ?」


 必死になってとぼけるエルムだが、嘘をつくときに目が泳ぐ癖は父譲りだ。

 目一杯に泳ぐ目を誤魔化しつつ、エルムは思案し続けていた。






 ――――――――――その深夜




 半月になった月が地上を照らす頃だった。

 エルムはこっそりとビッグストンの寮を抜け出していた。

 もはやこうなったら、自分の興味本能を止められないのだ。


 上着の襟元を閉め、エルムはキッチン裏手で待ち伏せしていた。

 冷え冷えとした空気は痛い程に冷たく、エルムは空を見上げていた。


 ――早く出てこないかな……


 レストランの営業がはねれば、キッチンから出て来るだろう。

 エルムはそんな予測を立てていたのだ。


 レストランから出てきたところを捕まえ、何をしているのかを聞く。

 なんで女中なんかに化けているのか。そもそも、今何をやっているのか。


 興味は尽きないし、知りたい事だらけた。


 ――――じゃぁお疲れさま!


 明るい声で裏手の通用口から出てきたララは、普段着の大人しい姿だった。

 ただ、その姿には、隅々まで行き届く心があった。


「あの……ちょっと」


 どうやって声を掛けて良いか解らず、最初はその辺りから遠巻きに声を掛けた。

 ただ、そこから先にどうすれば良いのか、皆目検討がつかない。


「……あ、晩餐の営業時間に見えた方ですね? なにか問題でしょうか?」

「いえいえ、そう言う事では無いのですが……」


 エルムはここが正念場だと気が付いた。

 一歩でも足を踏み外せば、勘弁して欲しいレベルの痛い目が待っている。

 それを直感し、無意識に表情を引き締めた。


「いくつかお伺いしたい点がありまして」

「……そうですか」


 グッと警戒レベルを上げた女中だが、エルムはここで直球勝負に出た。

 ある意味で賭だったのだが……


「あなた…… と言うか、うん。そう。兄貴だよね?」


 エルムが吐いた言葉は、無防備な家族の言葉だった。


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