話題の美人給仕
ル・ガル総合大学開設以来、2回目の冬が訪れた。
ガルディブルクの街には木枯らしが吹き、週に一度は雪が舞う。
基本的には温暖な地域故、積雪になる事は滅多に無い。
だが、積もるときには本気で積もる事もある。
そんな王都の一角、最近の大学で話題になっているのは将来の話だ。
ビッグストンの実務部門が切り離され、ル・ガル総合大学に編入されている。
つまり、卒業した暁には軍務の中で実務セクションへの道が開ける。
暗号学や経済学を学ぶ学生にしてみれば、文字通りの花形だった。
そして、その裏にあるもう一つの企み。
多くの学生が望むもう一つの花形。
つまりそれは、多くの貴族家などが支援してきた官僚への道だった。
国家を運営する王府へとあがり、太陽王の示す指針に沿って国家を動かす。
様々な土木設営や拓殖活動。農林水産業への莫大な投資の管理。
100年200年先を見据え、より大きな視点で国を作っていく。
従来であれば王府の中に居る貴族家出身の子爵が担当していた仕事だ。
その現場に学校で学んだ学生達を送り込む。
即戦力で豊かな知識と学識を身に付けた体力ある若者達だ。
――――彼らは多くの現場で重宝されるでしょう
ル・ガル大学で教鞭を執る学者の1人はそう言った。
長らく国内交通網の整備として街道の制度設計を行って来た子爵だ。
自らの人生において経験した事を整理し、問題点を列挙し、それを教えていく。
そして時にはマンツーマンで学生と対話し、師と弟子の関係で経験を伝授する。
ル・ガル大学設立の元となった『望むべき結果』は、確実に現れ始めていた。
ただ、そんな学生達の間では、もう一つの話題があった。
ある意味で将来を約束された若者達の人生において、もう一つの必要なもの。
イヌの長い人生において、やはり伴侶は必要だ。
ましてや年頃な若者達が揃っていて、皆が異性に興味を持つ。
そんな学内において話題になるのは、やはり可愛い女性の存在だった。
――――茹でミカンの娘みたか?
この数週間、学生達の話題はそれ一色だった。
ル・ガル大学の正門を出て数分歩けばその店はある。
鍋の中でグツグツと煮られるミカンの絵が描かれた小さなカフェだ。
南方の温暖地帯出身という店主が開けたらしく、常にミカンの香りがする店。
カウンター5席とテーブルが2卓しかなく、コーヒーとお茶と菓子しか無い。
当然、むさい男には敷居の高い状態だ。
バンカラを気取る無頼にしてみれば、入れるはずも無い程の店だった。
――――見た見た!
――――あのおっぱいのデカイ娘だろ?
口さがない男の本音など、実際はこの程度だ。
ただ、ケーキとお茶しかない店に入るのはかなり勇気が要る。
学校の女学生たちは普通に店に入っているが……
――――あの店さぁ
――――厨房は寝言亭と一緒だろ?
最近城下で売り出し中な人気店、アドニスの寝言亭。
店主のアドニスは西方地域出身の男で、甘いルックスと飾らない態度が評判だ。
そして、なにより寝言亭は料理が旨いと評判なのだ。
ただ、それもそのはず。
アドニスの寝言亭と湯でミカンのキッチンは統合され運営されている。
そのキッチンの正体は、日輪の箱庭亭と言う高級レストランそのもの。
太陽王のお気に入りな名店『岩の雫亭』と人気を二分する店の厨房だった。
そして、その厨房を任されるのは、岩の雫亭で育ったコック達だ。
岩の雫亭で切磋琢磨したが、店内で競争の末に破れ、独立せざるを得なかった。
そんなコック達が集まって出来たのが、日輪の箱庭亭だった。
――――つまりは王の箱庭亭の味って事か
そう。
日輪の箱庭亭開店には今上王が大きく関わっている。
ある日、カリオン王は雫亭の中でくすぶる腕利きたちにひとつの提案をした。
『新しい店を興したらどうか?』
その言葉に感激したのは、外でもない岩の雫亭のオーナーだった。
若者達の将来を案じていたオーナーコックは、新しい店を思案していたのだ。
そんな思惑にカリオン王はスポンサーを買って出た。
結果、岩の雫亭の分店として日輪の箱庭亭が誕生した。
そしてその箱庭亭の修行中コックや見習いは、日中には寝言亭で下働きだ。
ディナータイムの真剣勝負にはまだ使えないコックが寝言亭で腕を磨くのだ。
――――いつか箱庭亭で晩餐を……
金のない学生にとって、日輪の箱庭亭は高嶺の花だった。
岩の雫亭は人気店過ぎて中々予約が取れない。
日輪の箱庭亭は高級店を目指したので高くては入れない。
だが、そんな嘆きをこぼす学生達の本音は、別の所にあるのだった。
――――――――帝國歴 389年 1月 22日 夕刻
夕刻を迎えたガルディブルクの街は、釣瓶落としの日が沈み夜の闇が訪れた。
街の警邏局は街頭各所に篝火を焚いて、街行く人々を照らす。
一夜に燃される薪の量は驚くべきものだった。
だが、ここガルディブルクでは薪に困ることは無い。
大河ガガルボルバの流れは上流より大量の流木を運んでくる。
それらはいつも河口に溜まり、時として望まぬ洪水を巻き起こすのだ。
王府の治水局はそれを防ぐ為、定期的に流木を岸へと上げて切り刻んでいる。
安価にて市民へ販売されるその流木は市民生活の燃料や薪となるのだった。
――――やぁ店主どの
――――予約をしていたヘイレン・バランスだが……
薪に照らされた街の一角。
今日も予約でびっしりな日輪の箱庭亭は、店主が予約客の相手に忙しかった。
ミタラス島内最大の客席数を誇る名店だが、それでも全部で24卓しかない。
その卓は毎晩全てが予約で埋まっていて、半年先まで一杯だった。
コース料理は3種類しか無く、一番安いコースでも1人500トゥンの代金だ。
卓は2人用と4人用があり、1人で食事するにしても半値を要求される仕組み。
つまり、どんなに安くても料理だけで1000トゥンの金が要る。
更には、この高級店に足を運ぶなら徒歩では格好がつかないので馬車がいる。
街の辻馬車をチャーターすれば、その分の料金と御者のチップが要る。
おまけに、店に入れば店主以外の給仕や女中に小遣いを切るのが常識だ。
故に、この店に足を運べる客は、ル・ガルでも相当な高階層と言う事になる。
「ララさん。バランス卿をお席へ」
「畏まりました」
店主の指示を聞いた女中が店の中から出てくる。
その姿を遠巻きに見ている学生達は、偶然目に出来た女中の登場に沸いた。
それは、神が与えたもうた目の保養その物だ。
城下で話題になっているグラマーな美人給仕が日輪の箱庭亭に居る。
彼女は日中、不定期で茹でミカンに居て仕事をしている。
そして夜には日輪の箱庭亭で女中をしている。
公爵スペンサー家の衛星貴族であるキース・スペンサー子爵が後見人らしい。
基本的に金に困るような存在では無いが、下宿賃と食事代の為に働いている。
当方のスペンサー主家かそれに近いところの家で奉公している女の娘らしい。
事と次第によっては、当主ドレイク・スペンサーの私生児かも知れない。
ララと呼ばれる女中に夢中になっている学生達は、そんな情報を共有していた。
ル・ガル総合大学に通う学生は、皆それなりの出自な筈だった。
だが、例えそうだとしても、ララには近寄りがたいオーラがあった。
声を掛けづらく、また、聞いてくれなそうなクールさがあるのだ。
それ故、普段なら親と一緒の食事など断る若者も、日輪の箱庭なら話は別。
精一杯に着飾ってララと出会えるのを楽しみに店へとやって来る。
「どうぞこちらへ」
その身のこなしは驚く程に隙がない。
立ち振る舞いには優雅さがあり、小さな仕草には気品がある。
――――これは……
――――相当な家の子女だぞ?
バランス卿は連れてきた息子にそっと耳打ちする。
そして、息子以上にその女中を見つめていた。
出来るものなら息子の嫁にこれ位の女が欲しいとすら思った。
全てにおいて完璧な行いを見せる、気配りと目配りの出来る女。
なにより、整った顔立ちは綺麗や可愛いではなく美しいのだ。
メリハリの効いたスレンダーな身体と共に、まるで作り物のようだ。
――――まるでサンドラ妃のようね
エラリア・バランス夫人がポツリと漏らす。
遠くオオカミの国からやって来たサンドラ妃は、驚く程美形だった。
その容姿は前帝后リリス妃に勝るとも劣らない程だ。
――――いずれにせよ……
――――頑張れ息子よ
誰もがそれを思うのだった。
――――――その晩
「ルッチー! お疲れ!」
「おぅ! ララっち! 今日も美人だね!」
最後の客が帰った後、店は片付けと掃除に入る。
フロアを掃除するのは女中と給仕の役目だが、キッチンはコックの戦場だ。
双方の掃除が終われば、最後は賄いの飯が振る舞われる。
それは、修行中のコックにとって毎晩行われる試験その物だ。
「今日は?」
ララは明るい笑顔で今夜の賄いを尋ねた。
それを聞く相手は、あの入学式の日に揚げた芋を喰っていた男だ。
ルチアーノの名乗ったその男は、遠くフレミナから来たのだと言う。
ララは最初、最初はどうアプローチして良いか解らなかった。
ただ、学校で出来た数少ない友人の1人がルチアーノを知っていた。
そして、下宿先のミシェルがこの店のコックと出来た仲だった。
――――彼は日輪の箱庭亭で働いてるらしいよ?
ミシェルが言ったその言葉は、ある意味で驚天動地のものだからだ。
普通、コックを目指す者はアドニスの寝言亭から修行が始まるものだった。
しかし、ルチアーノはいきなり日輪の箱庭亭に入れたのだ。
フレミナで多少のコック修行をしたらしいのだが、ララにはそれが解らない。
ただ、箱庭亭のコック達は『筋が良い』とか『良い舌をしている』とか言った。
そして、誰もが面白がってルチアーノに技術を教えた。
誰からも可愛がられる不思議な人徳を持つ存在。
そんなルチアーノは、箱庭亭の中で追廻と呼ばれる一番下のポジションにいた。
キッチンの雑用係として、様々なコックの用を足す係。
言い換えれば、一番良い経験を積めるポジションだった。
「今日はログ兄さんが魚の余りで煮込み飯を作るらしい」
「あ♪ ログさんのアレ、美味しいのよね♪」
無邪気にそう喜ぶララは、天使の笑みを見せた。
他のコックや給仕達が遠目に見る中、ルチアーノはララと楽しそうに話をする。
ほんの1ヶ月前までは、挨拶すら禄に出来ないくらいだったのだが……
「おぃ! ルッチ! 皿だ! 皿!」
かなり格上な兄弟子であるログは、やや不機嫌そうにルチアーノを呼ぶ。
誰もが狙うララと親しげと言うだけで、風当たりも強くなると言うものだ。
だが、このルチアーノにはそれを掻き消すだけの人徳があった。
「じゃぁ、今夜もご苦労さん!」
店主の宣言で全員が食事を始める。
コックはコックで固まり、賄いの味について遠慮無く言いたい事を言う。
そして、給仕や女中は今日一日を振り返って気付いたことを言い合う。
名店は一日にして成らず、地道な積み重ねが格式と伝統を育むのだ。
ただ、そんな場所でもルチアーノだけは特別だった。
「え? これでダメなんですか?」
ログのライバルなコックは、ログの作った煮込み飯に駄目出しを続けていた。
曰く『飯が硬い』とか『味が混ざってわかりにくい』とか、そんなのだ。
中身を言えばただの難癖なのだが、全員コックなだけにわかる部分もある。
そんな中、ルチアーノはその煮込み飯をバクバクと美味そうに喰っていた。
「だいたいお前、その煮込み飯はよぉ……」
何かを言いかけたコックへにっこりと微笑みを返してルチアーノは言った。
「美味いっすよ! これ、スゲェー美味いっす!」
キッチンの中で誰よりもデカイ身体のルチアーノ。
口癖は『腹減った』と『眠い』と『まぁいいか』だ。
キッチンで働けば毎日1食をただで食べさせると言う契約らしい。
誰よりも早く食べ終わったルチアーノは、物欲しそうな顔だった。
そんなルッチにララは自分の賄い飯を譲っていた。
「え? 良いの?」
「だって、お腹空いてるんでしょ?」
「そうだけどさぁ……」
悪いよ……と、そう言いたいルッチだが、今にも涎を垂らしそうな顔だ。
子供のように純朴で素直な性格のルチアーノは、可愛がられる人間だった。
「ほら! 早く喰っちまえルッチ!」
ログは笑いを噛み殺してルチアーノのケツを叩いた。
僅かにビックリしたようだが『じゃぁ遠慮無く!』と凄い勢いで食べ始める。
そんなルチアーノの姿を両手頬杖で楽しそうに眺めるララ。
「ララさん。コレをどうぞ」
ルチアーノに賄い飯を譲ったララへ、店主は今日の残りの果物を差し出した。
小さく『ありがとうございます』と礼を述べ、ララはその果物を食べた。
例えそれが賄い飯でも、箱庭亭のソレは立派な料理だ。
最終的に店主が合格か不合格かを判定することになっている。
ただ、店主もララとルチアーノは気に掛かる存在だった。
ルチアーノの舌は、まるで子供のように素直なのだ。
美味いと感じたときは、本当に子供のようによく食べる。
「まぁ、言いたい部分は色々あるが――」
何より店主は、ララの表情を見ていた。
バクバクと美味そうに食べるルチアーノを楽しそうに見ているララ。
店の誰もが店の名物になっているララを思っていた。
そのララが思いを寄せるルチアーノだけが、ララよりも飯を愛していた。
「――今日は合格にしておこう」
学校内で作った友人の多くが働いていると知り、ガルムも城下で働き出した。
ただ、そんなガルムも1年近く働いた頃には、完全にララになっていた。
「よし。追廻は最後の片付けだ。全員おつかれさん!」
店主が自宅へと帰り、コック達も下働きに片付けを任せて帰宅する。
賄いで腹一杯になったルチアーノは最後の洗い物を終え寮へと帰っていく。
「ララっち! 夜道はアブネーから下宿まで送るよ!」
このミタラス島内において、ガルムに手を出そうなんてバカはまず居ない。
仮に居たとしてもすぐに警邏が取り押さえてしまうだろう。
だが、ルチアーノはニコニコと笑いながらララを下宿へと送るのだった。
「じゃぁね!」
「おやすみ!」
ガルムの人格が完全にララへと置き換わっている事を、本人自身が忘れていた。