ビッグストン解体の衝撃
ガルディブルク城内の大ホール。
ここは普段は、貴族院の議場として使われている。
凡そ500人の貴族院議員を収容する広い空間には、1本の柱もない。
ホール左右にせり上がりのひな壇を造り、議員が集って論議するのだ。
だが、そんなホールも普段はただの大ホール。
城に人を集めたときは、この場がとても役に立つ。
王の詔や新たな政策の説明などでは、新聞の記者が集まっていた。
「皆さん、ご参集ご苦労様です――」
侍従長ウォークはこの日、その大ホールに集った記者を前に資料を配っていた。
それを読んだ記者達が目を丸くするのを承知で、平然とした空気でだ。
「――間もなく王がお見えになります」
サラリと言ったその言葉は、会場をドッと沸かせるのに十分な威力だ。
全員が息を呑む中、ややあって太陽王カリオンが大ホールに姿を表した。
「諸君。早くからすまないね。ご苦労だ」
まずは全員を労う言葉。それがカリオンのスタイルだ。
王の言葉を聞こうと全員が黙った時、ウォークが切り出した。
「本日の発表は城下における教育機関の再編についてです」
夏の暑い盛りに太陽王が重大発表を行う……
その言葉に良くないイメージを持って記者達は集まっていた。
少なくとも、良い発表では無いだろうと思っていたのだ。
だが、その実態は拍子抜けも良い所。
ウォークに続きカリオンが演台へと上がり、記者達が拍手を送る。
ただ、全員がポカンとした表情だった。
「さて、従来よりこのガルディブルクは政治や経済の中心であったが、それと同時に高等教育を行う唯一の街であった。私自身がそうであるように、ビッグストン王立兵学校を頂点とする教育の仕組みは、我が国の発展に大きく寄与してきた」
適宜沈黙を挟むのは、記者達に対する配慮だった。
速記している記者の執筆速度を見ながら、タイミングを見計らって間を挟む。
記者達は文字を書き終えると本能的に頭を上げる癖がある。
それを確かめ、言葉を再開した。
「この30年。余はこのル・ガルの仕組みを大きく変えようと様々な点について指示を飛ばしてきたつもりだ。この30年で戦は大きく減り、父の帰りを待つ子等に悲しい知らせを書くことも随分と減った――」
太陽王カリオンは戦死者の家族に直筆の手紙を書く。
それが100通になるか1000通になるかは戦次第だ。
だが、家族を失った悲しみに暮れる家庭への手紙を王が直接書く。
それは、このル・ガルにおいて過去に例がないことだった。
「――余も徹夜をせずに済む様になったが……」
カリオンの飛ばしたジョークに記者達が笑う。
ただ、そこに見え隠れするのは、本当に王が書いているという驚きだ。
「ビッグストン出身の軍属から実務に回る者も多い。そんな彼らは再度の教育を受け国家機関の現場へと赴いている例が多い。それに就いて各方面より改善の提案を余は聞いている。そして、それについての大きな改革を起こそうと思う」
その説明の最中、カリオンの背後に大きな板が運び込まれた。
板には改善前と改善後の仕組みが大きく書き込まれていた。
「これを見れば分かる通り、ビッグストンの教育に何の心配もない。余も学んだ学舎だが、ここでの経験が今とても役立っている。ただ、この数年、僅かだが懸念していることもあるのだ」
それは、従来より言われてきたビッグストンの体力学校化だった。
入学条件となる体力基準は変わらぬが、学科試験はどんどん難しくなっている。
学科で突破してから体力錬成で付いていけず、辞退する者が増えてきたのだ。
学力優良で頭脳明晰な秀才や、そもそもに地頭の良い天才達。
そんな才能にビッグストン以外の選択肢が無くなっていると言う現実だ。
「余はこれを大きく改善しようと思う。まず、かねてより王府の教育機関だった経済大学と工科大学を統合する。城下の医術塾と法学塾もだ。つまり、総合教育の場としての新たな枠組みを作る」
その説明を聞いていた記者が『カリオン大学』と呟いた。
王の名を頂く学校名は、何より箔が付くと思えたからだ。
だが。
「いやいや、名前はもう決まっている。ル・ガル大学ミタラス校舎だ」
アチコチから細波のように『ミタラス校舎?』と声が漏れた。
それに対し、カリオンはニコリと笑って言った。
「そう。ミタラス校舎だ。そしてゆくゆくは全土に分校を作っていき――」
良いか? 凄いぞ? とカリオンの表情には笑みが溢れた。
「――全土に教育の場を設け、学びを欲する者に学を授ける機関とする」
――――――――帝國歴385年 8月 15日 午前
ガルディブルク城 大ホール
――――王陛下
――――それではビッグストンはどうなりますか?
記者からそんな質問が上がった。
それもそうだろう。ビッグストンは事実上ル・ガルの頂点だった。
学を付ける為に行くだけで無く、箔を付ける為にも必要な学校だった。
だが、カリオンの背後にあるその板には、ビッグストンの解体が明記されてた。
実態としては実務学科と軍における戦術教育の分離だ。
しかし、たとえ実態が何であっても、ビッグストンの中身に手が入る。
300年に渡りル・ガルを支えてきた最高の頭脳集団が分解されるのだった。
「ビッグストンは純粋な軍事教育機関となる。余も経験のあることだが、実際に行軍に出るのは極稀で、殆どが校内で座学に費やされる。そんな状態で行軍を行なえば落伍者続出だ――」
カリオンの浮かべる苦笑いは、自分の経験そのものだった。
「――先の第五次祖国戦争では余も西方へ従軍したが、野営野営の連続で驚くほど疲弊したし、帰ってくれば体調不良に悩まされた。枕が替わったら眠れませんなんて状態では困るのだ」
どうだ?と言わんばかりの顔になったカリオンは、遠慮なく話を続けた。
それは、ある意味で軍の現場機関が最も望んでいたことなのかも知れない。
ただ、同時にそれは、最も望まれぬ結末と言う部分をも孕んでいた。
「ビッグストンの卒業生が現場に行ってまず教えられるのは、軍における生活や過ごし方。もっと言えば、実際の軍隊ではどうなのか?と言う実態だ。軍学校に行って軍を教えられないのはおかしいと思わないかね」
カリオンの言葉に記者たちは首肯を返した。
数年前より繰り返されている国内外の越境盗賊団征伐は、落伍者続出だった。
栄光に輝くル・ガル国軍騎兵団の実力がうんと落ちている。
それは、様々な現場で繰り返し言われる問題なのだった。
――――では、ビッグストンは原点に立ち返ると言うことでしょうか?
「そうだね。純粋な戦争学校だ。軍人としてどうあるべきか。軍務とはどう向き合うべきか。そう言う部分からじっくりと若者を鍛える学校であるべきだ。少なくとも年に2回は長距離行軍を行い、野営野営を繰り返して国内を巡るのだ」
――――実務課はどうなりますか?
――――例えば技術的な部門や算術を求められる部門です
「それに付いても考慮した。まず軍自体を再編成する。軍務を担当する力の部門は現状と変わらないか、より行動的な集団に作り変え、全土に配置する。次に、現場を支える事務方を全土の五ヶ所程度に分散配置し、中央と連動させる」
軍の解体。
それは、如何なる時代でも世界でも、大変に難しい問題だ。
軍とは国家機関にあって全ての機能が自己完結する巨大な組織。
それ故に、様々な利権が複雑に絡み合い、一筋縄ではいかないものだ。
過去、様々な現場でそれにまつわる問題が発生しているのだ。
そして、その仲裁や裁定。各機関の調整が王の名で行なわれている。
カリオンだって過去幾度もそれを行なっている。
つい先日も軍全体で嘱託軍属である文官を削減せざるを得ない事態になった。
予算の上限は決まっており、もはや削る事の出来る部門が無くなったのだ。
こうなればもはや人件費を削るしかない。
何処の世界でも世知辛いのである。
だが、国内で大規模に流通網整備を行なっている最中だ。
どこの現場でも削れる人員など居ないし、むしろ組織防衛で断られてしまう。
その為、軍の事務官たちはカリオンに三拝九拝の日参だった。
事務官を王府へと出向させて欲しい。
つまり、事務方の給与を王府に払って欲しいと言うことだった。
そして、それ以上に揉めたのが軍馬の維持予算だ。
国軍にとって軍馬は兵器であり、無ければ話しにならない代物だ。
だが、背に腹は変えられないのだから、軍馬を減らすしかない。
その為、軍全体で探し回った結果、西方方面へ備える二つの駐屯地が浮かんだ。
この30年。軍馬の出動実績がゼロだったのだ。
カリオンはどちらかを潰す事を迫られた。
西方方面はレオン家の持ち物であり、それはつまり、軍全体の期待だった。
つまり、王とジョニーの円滑な関係を期待したのだ。
――なぁジョニー……
ジョニーを呼んで切り出したカリオン。
呼び出され相談をぶたれたジョニーも良くわかっていた。
――解ってるって
――皆まで言うなよ
カリオンの『すまない』が出て、ジョニーもそれを呑まざるを得なかった。
実家へと戻ったジョニーは父セオドアと相談し、軍馬を駅逓業務に差し出した。
現実問題として、軍はその組織的限界に来ている。
それを承知しているからこそ、カリオンも組織改革に乗り出したのだった。
「……そして、軍の事務方部門は軍から切り離す。王府直轄の組織として再編し、軍を独立組織に改める」
まさに青天の霹靂ともいえる言葉が太陽王から飛び出した。
ル・ガルの国軍は太陽王の軍隊だった。いや、太陽王そのものだった。
統帥権と言う錦の御旗で、国家のあらゆる権力から独立した組織だったのだ。
だが、カリオンはそれを切り離すと言明した。
それはつまり、軍の側から見れば斬り捨てられるに等しい。
統帥権による王の機関から国家の軍隊への格下げなのだ。
――――では!
――――国軍は王の直轄では無いと?
記者たちは色めきたって質問を浴びせた。
それは、過去幾度も国難を救ってきた国軍への、余りに無情な仕打ちだ。
「そうだ。余の手足となってくれていた国軍だが、公式に国家の軍とする事を考えている。ただ、余が軍を嫌う事は無いし――」
カリオンは自らの胸に手をあて言った。
「――余は今でもル・ガル騎兵の一員であるぞ……と、それを誇りにしている。すわ国難とならば、余は率先しこの手に槍を持ち、愛馬に跨って戦闘に立つ事を願っている。余の父も祖父も叔父ら全てもそうだったようにだ。そして願わくば――」
カリオンは両手を広げ言った。
その姿には一片の不安や疑念や後悔と言った物が感じられない姿だった。
「――戦場にて国難を封じ込めたい。或いは……戦で死にたい。父の帰りを待つ子等の所へ、戦場から父が帰れる様にだ。余が代わって死ねるなら、これに勝るものは無いと、いまでも思っている」
カリオンが胸を張って言ったその言葉は、記者たちの胸を叩いた。
王は国民の為に。国民は国家の為に。そして国家は王の為に存在する。
ノブレスオブリージュの精神は、カリオンの言葉の端々に滲んでいた。
「来年9月より新体制へと移行する事にする。あたらなル・ガル大学の一期生として、余の息子であるララウリをそこへ送り込む。新しい時代の王として、必要な資質を身に付けさせ、将来に備えようと思う」
その公式発表は、夕刊の紙面に踊り市民らの知るところとなった。
王都は上に下にの大騒ぎとなり、様々な現場で混乱が起きた。
だが、一部を除きそれらは概ね好評だった。
本当に不評だったのは、軍の事務方のみだった。
ル・ガルの国軍とは、ある意味で花形だったからだ。
ましてや、近衛師団や国軍第一連隊などは、事務方だとしても鼻が高いのだ。
――――どうなるんだろうねぇ……
市民たちがそう噂する中、最初の賽が投げられた。
それは、これから始まる動乱の胎動そのものだった。
―――――――― その晩
「殿下はどうされる?」
「僕ですか? まぁ、学校は良いとして……」
ミタラスの城下食堂街。
キース行きつけの店の奥にある個室では、キースとガルムが夕食中だった。
暑い盛りと言う事で、ガルムはノースリーブのサマーワンピース姿だ。
肩にシルクの薄掛けを載せ、細い足首にはキッチュなサンダルベルトがあった。
それは、どう見たって若手でやり手な弁護士の夕食タイムだった。
大衆芸能の若い女優でも連れ、旨い物でも喰いにいこうと誘ったような姿だ。
ただ、ボソボソと会話される内容は、大きく異なっているものだった。
「新大学では政治学とと共に経済学を学びたいですね」
ガルムはあくまでキースにへりくだった姿勢を示した。
キースの館の中ではララで通っているのだ。
迂闊な事をすれば正体がばれかねず、気を使わねばならない。
「これから周辺に大きな学生寮が幾つも作られるそうです」
「でしょうね。少なくとも全土から集ってくるのだから」
この時点でガルムはキースの本音を感じ取った。
そして、何を考え、何を狙っているのかも……だ。
「ただ、やはり私はここに下宿したいと思います」
「……そうですか」
ホッとしたような表情のキースは、上機嫌にワインなど舐めていた。
ある意味で、情報封殺の為の暗殺を覚悟していたのだ。
「王子ララウリは新学舎の寮へと入った事にするか、若しくは城から直接通っている事にして、私は身代わりの任をとかれ、普通に学校で学ぶ女学生に」
気楽な暮らしが出来るキースの下宿。
ここはガルムにとって、最高の環境になっていた。