初陣(後)
墨を流したような暗がりをエイダは愛馬レラで駆けていた。
辺りの茂みの僅かな音にも驚きながら……だが。
幸にして月明かりに恵まれた晩だ。
足下を照らす明かりはある。
レラもヘバらずに走っている。
わずかな獣道を辿りながらエイダは考えた。
ゼル達はどこへ行ったのだろうか?と。
騎馬盗賊団と遭遇したのは全くの偶然だった。
出会い頭に貴族騎兵の一人がいきなり斬りつけられた。
ゼルがカバーするべく相手の首をはねた。
ところが相手は二百騎ちかい大集団だったのだ。
いくら一騎当千のヴェテラン揃いとて荷が勝ち過ぎる。
ゼルは先ずエイダを本隊方向へ逃がした。
そして怪我をした騎兵をかばって奮戦し始めた。
ただ、いくら帝国騎兵と言っても、所詮は軽装騎兵だ。
基本は速力が武器であって、力比べの合戦に及ぶ兵科ではない。
「行け!」
鋭く叫んだゼルの言葉から、早くも一刻以上経過していた。
宛の無い闇の中を走っていたエイダは心細さに泣きそうだった。
太陽王の血を引き、見識の広い師を二人も持つ特別な存在とは言え……
この子はまだ八歳の少年だ。
――――父上
自らを鼓舞するようにレイピアの柄を握ったエイダ。
風呂に入って機嫌の良い時、ゼルのフリをしていた五輪男が歌った曲を思い出す。
――――敵てきは幾万いくまんありとても
――――すべて烏合うごうの勢なるぞ
――――烏合の勢にあらずとも
――――味方みかたに正しき道理あり
――――邪はそれ正に勝ち難く
――――直は曲にぞ勝栗の
――――堅き心の一徹は
――――石に矢の立つ験しあり……
「などて恐るる事やある などてたゆとう事やある……」
五輪男の歌った一説を口ずさんだエイダは、その身に力が溢れるのを感じた。
正義は我にあり。その一念の大切さをゼルはエイダに教えたのだった。
―――― 一番良いのは他人の為
―――― 次に良いのは家族の為
―――― 同じく良いのは仲間の為
―――― その次が国家の為だ
―――― 自分の為の事を成すなんて必要ない
―――― みんなが他人の為に生きれば良いのさ
―――― 誰かが自分を護ってくれる
―――― これを互助互恵という
月の輝く星空を見上げたエイダ。
二つの月が地上を照らしている。
レイピアをグッと握りしめ、エイダは馬を返した。
逃げちゃダメだ。戦うんだ。他人事じゃない。自分の事だ。
暗闇の中を走りながらエイダは耳を澄ませた。
どこかに音がするはずだと思った。
だが、遠くから聞こえてきた音は予想外のモノだった。
慌てて再び馬を返し走らせたエイダ。
そこへやって来たのはゼル率いるライトキャバルリーの一〇騎だった。
「まだそんな所に居たのか! 速く走れ!」
ゼルの怒声が響き、エイダも慌てて走り始めた。
追い掛けてくる盗賊団は、まだ軽く百騎を、越えている。
何がなんだかわからないエイダは、とにかく走るしか出来ない。
「エイダ! お前が一番速い! 本隊へ走っていって応援を呼んでくるんだ!」
「わかった!」
重装騎兵なら衝突力で後れを取る事は無い。相手は所詮盗賊団だ。
騎兵のフリをしているが馬の行き足を見れば随分軽量な事が見て取れる。
馬の手入れも禄にしてないと見えて、走る速度は丈夫でタフな軍馬にすら劣る。
細身で速度が身の上のレラは屋根の上のエイダを振り落とさない程度に走った。
文字通り風のような速さで駆けるレラは、無事に本隊野営地までたどり着く。
ノダとカウリが編成を整えヨハンの先導で出発しようとしてる所だった。
「叔父上さま!」
「おぉ!エイダか! どうした!」
「父上が野党団を引き連れこっちへ来ます!」
「そうか! デカした!」
ノダとカウリは顔を見合わせ頷きあう。
それぞれが配下騎士へ指示を出すと二列縦隊を維持して獣道の左右へ退き、馬ごと茂みの中へ隠れ待機した。騎士達は手に手に小弓や弩弓を持ち、或いは馬上槍では無く、穂先と柄の長い槍を構え息を殺している。
「エイダ! ヨハンを連れて戻りゼルを支援しろ! 野党団をここまで引っ張ってこい」
「はい!」
何とも楽しそうに走り出したエイダ。
その姿を見ながらノダは苦笑する。
「武帝王と呼ばれるオヤジの血だな」
「全くだ。ノーリとシュサの血だ。滾るんだろうな」
「戦好きというのはどうかと思うがなぁ」
呆れつつも楽しそうに走るエイダを見れば、怒る気力も無くなってくる。
そのうち手痛い思いをするだろうが、それもまた良い王を育てるコストに過ぎない。
レラに追いつく事すら出来ないヨハン達も、その背中を頼もしげに見ていた。
――――この王は俺に夢を見せてくれる
自らが剣を捧げるべき王を知り、ヨハンは胸が熱くなる思いだった。
――――野営地から北へ二キロ
ワザと大回りになる道を選び野党団を引っ張るゼルは、そろそろ息切れし始めた馬を気遣っていた。野党団の馬は決して速くは無いが、長距離を淡々と走る事に関しては軍馬より丈夫なんだと気が付く。
遠乗りなどで相当鍛えられているのだろう。彼我距離は縮まらずとも離れる事が無くなり始め、ここから先はジリジリと削られる事が予想された。
――――そろそろ本隊の仕度が調わないとまずいな
このまま突入するか?と迷うが、どうにもまだ速い気がしている。
かつて、全日尾行を行っていた容疑者を、渡し相手の準備が整わないうちに引き継いでしまい、結局見失ってしまった事がある。あの時は結局第二第三の犯行を止められなかった。だからこそ慎重に引き継ぐ必要があるのだけど。
――――携帯とか無いからなぁ……
馬を走らせるゼルの後ろ。歴戦の騎兵が突然馬から落ちて死亡した。
驚いて振り返ったゼルが見たものは、馬上で弓を構える盗賊だった。
――――へぇ 坂東武者は馬上で矢を番えるってね 大したもんだ
余り感心している場合では無い。
あの矢には間違いなく毒が塗ってある。
アレに当たったら死は免れない。
――――さて どうするか いよいよ拙いな
そう思っていた時、目の前を矢が掠めた。
あと十五センチも顔が前にあれば当たっていた筈だ。
銃撃戦に巻き込まれ腰を抜かした事もある五輪男だが、さすがに小便を漏らしかけた。
「琴莉。たぶんだけど、そろそろそっちへ行くかもな。待ってろよ……」
ふと、五輪男は琴莉の笑顔を思い出した。子供の頃、一緒に遊んだ笑顔だった。屈託なく笑う無邪気な微笑みに五輪男は束の間の癒やしを得た。そして、気が付かなければ良かったと後で悔やむ事になる違和感を抱え狼狽した。
五輪男の脳裏に浮かんだ幼き日の琴莉にイヌ耳と黒い尻尾が付いていて、パタパタと揺れているのだった。一瞬眩暈を感じ、そしてそれがリリスだと気が付く。ウィルと最初に出会ったとき。部屋の奥で泣いていたリリスを見たときの違和感はこれだったのかと今更に驚き、そして、リリスと並ぶエイダに何処か嫉妬していた自分を嗤った。
「ゼル様!」
ふと、ヨハンの声が聞え我に返った五輪男は、顔に浮かび上がっていた筈の五輪男を腹の底へ押しこめてゼルの顔へ戻った。グッと顎を引き、三白眼でヨハンを見る。
「エイダはどうした!」
「若は――
その時、背後で誰かの断末魔が聞えた。
馬から落ちて後続に踏み潰され、そして馬脚を乱した夜盗達が次々と落馬したり、或いは、馬ごと転び後続に踏み潰されて、進軍速度がガクリと落ちた。
「父上! 真っ直ぐ走って!」
「エイダ!」
完全な襲歩で駆け上がってきたエイダがゼルに並んだ。
いかなレラとて長距離をギャロップで走り続ける力は無い。速歩程度へ速度を落としたエイダがノダとカウリの罠を知らせた。ゼルはニヤリと笑いエイダの背を叩く。
「エイダ! 遅れを取るな! 走るぞ!」
一気に速度を上げたゼル。エイダも負けじと速度を乗せる。闇の中を走る二人に恐れは無い。リリスが帰りを待っているエイダを殺すわけにはいかないのだから、ゼルは僅かに馬の速度を落とした。周りを見る余裕の無いエイダは気が付かずに前へと走って行く。
――――よしよし これで良い
再び太刀を抜き遮る枝をいくつか切り落とし、その落とした枝に足をとられて夜盗団が転んでいる。その音を聞いて状況を確かめたゼルは、森の中の罠を張ったポイントを全速力で駆け抜けた。左右の茂みに騎兵が隠れているのが見える。殺し間の中へ自ら飛び込んでくる野党へ心からの同情を注ぎながら、前方に見えるノダへ剣で合図を送った。
直後。後方から恐ろしいほどの断末魔が幾つも響いた。二百騎に追われていた僅か十騎の騎兵だが、その追跡していた二百騎が五百騎近く居る騎兵の集中投射に遭っている。
「止れ! 止れ! 引き返せ!」
矢ぶすまの中を走ってきた盗賊団の頭目が慌てて馬を返した。だが、全てが遅かったと彼が悟ったのは、すぐ傍らにいた手下一号の顔が柘榴のように弾けとび、その向こうに長槍を持ったル・ガル騎兵の姿を見たときだった。
何処かの牧場が抱えている僅かばかりの私兵を追いかけて、ちょっと痛い目見せてやるつもりだった。自分達の『仕事の邪魔』をする馬鹿な奴を少しばかり後悔させてやろうと。そんな腹積もりだった。
だが、いま彼は、自分自身が魔女のかき混ぜる鍋の具にされようとしている事を、嫌でも認めざるを得なかった……
「逃がすな!」
ノダの声が響き騎兵が茂みから姿を現す。だが、ゼルはジェスチャーでその動きを止めた。皆が混乱する中、ひたすらに『まだ追うな』のサインを送る。
「ゼル?」
「まだ早い」
「え?」
「本当の地獄はここからだ」
駆け抜けて遠くにいたエイダを呼んだゼルは耳元で何かを囁いた。エイダは楽しそうに笑った後で、何処かへと走り去って行った。その後になってゼルはノダとカウリの元へ歩いた。最後の打ち合わせだと皆が気が付いた。
「例の涸れ沢へ誘い込もう。あそこなら左右に逃げ道は無い。前と後ろの出口を閉めれば一網打尽だ。それより盗まれた家畜を取り戻すほうが重要だろう。あいつらを逃がして家畜の集積所を探そう。目的は一回で果たした方が良い」
ゼルの言葉に驚くノダ。カウリも唸る。
そんな二人を他所にゼルは着々と騎士達へ指示を飛ばした。
一定の距離を開け盗賊団を尾行する騎兵が馬を駆けさせていった。
「さぁ、こっちも動かないと。ここでもうひと踏ん張りだ」
馬を走らせたゼルの後を騎兵が続いて行く。
ノダはカウリに言う。
「あれは……ヒトにしておくには惜しいな」
「全くだ。状況の識別眼一つにとって見ても、歴戦の将軍並だ」
顔を見合わせて苦笑する二人。
だが、騎兵集団の本体を引き連れ盗賊団の追跡を始めた。目標は大きく回りこんだ涸れ沢の出口だ。左右から完全に挟みこみ壊滅させる算段は出来ている。あとは速力が最大のポイントとなる。
盗賊団が家畜を連れて移動するならそこを襲い、家畜を放棄して逃げるなら一人残らず鏖殺すればいい。情け容赦は一切無用な文字通り血で血を洗う惨劇の幕開けとなる。
馬上で空を見上げたノダは二つの月が傾き始めている事を知った。そろそろ夜明けの気配が来るだろう。黎明の空にカンと冴える白い大きな月は、眩いほどに大地を照らしている。
「明日はゆっくり朝寝をしたいものだ」
ボソリと呟いてから、ノダは馬を加速させた。
――――ペンケから北東へ八キロ辺り
水涸れ沢の入り口あたりで盗賊団は巻毛牛の角を紐で縛っていた。その近くでは盗賊団の組長が人員の点呼を繰り返していた。昨夜時点では二百三十人少々いた筈の盗賊団が僅か六十人にまで減ってしまっている。
これではもう今までの様な盗賊課業は出来そうに無い。銃火器も無線機も無い中での盗賊課業は、最終的に人の数で決まると言って良いからだ。見張りに伝令に鉄火場荒事専門に、それからお宝鑑定や運び屋まで。
下手な国家機関並みの人材を揃えた広域盗賊団や窃盗団と言うのは確実に存在する。ヒトの世界で言う、かつて存在したサンカのような特定の土地や組織や社会系等へ所属する事を拒む集団だ。
独自の文化を持ち、横の繋がりと縦の系譜を大切にしている人々。その課業の多くが犯罪か犯罪すれすれであるのは、かつて多くの人間が狩猟や山間収穫を生活の糧としていた時代の名残と言える。
ある意味で、ノーリの行った国家統一事業の最後の抵抗集団であり、また、最後まで存在している抵抗者でもある。そして後にこの集団は多くの国家から仕事を請け負う軍事組織であり情報企業であり、そして、アングラビジネスを行う越境犯罪集団や機関の温床となって行くのだが、それはまた別の話である……
「オカシラ! 支度できやした!」
「おし! 一気に行くぞ! 各シカリは充分用心しろ! 家畜は捨てて良い! まず逃げる事を考えろ! セタ組みは荷物に注意しろ! ブッパ組は状況を見て構わず矢を打て」
オカシラの声にあわせ盗賊団が移動を開始した。目指すは峠を越えたカモシカのエリアだった。深い涸れ沢は氷河の削った大きな堆積モレーンの成れの果て。五輪男がそう目星をつけた場所は左右が壁になった厳しい場所だった。
家畜を連れた盗賊団の移動は遅々として進まない。勿論オカシラはそれを織り込み済みだった。後方から騎兵が来た場合は家畜を捨てて逃げれば良い。障害物を置いていけば、彼らは移動速度に大幅な制約を受けるはずだと踏んでいた。そしてもう一つ。家畜の奪回を優先するはず。ならばその間に逃げ仰せばいい。彼らは知らなかった。今回の盗賊狩りの主題が騎馬盗賊団の殲滅であると言う事を。
「さて。仕上げだな」
眩い朝日の中で沢を見下ろす場所に居るゼル達は、一気に斜面を降りていった。まだ多少緩い場所だ。馬で駆けて行くにはあまり問題ない所だった。盗賊団と家畜の間に割って入ったゼルは、まず最初に家畜を引っぱっていた者たちを一人残らず鏖殺した。
「てめぇらどっから来やがった!」
オカシラの叫び声を無視したゼルは、返す刀で弓を持っていた集団『ブッパ』へと襲い掛かる。至近距離とは言え弓による攻撃は恐ろしい事になる。それと同じ頃合で家畜の後方からノダとカウリが後詰に入った。集団の最後尾にいた運び屋チームの『セタ』が一人残らず切り殺された。
「ズッ! ズラカレ!」
オカシラの号令が飛び、盗賊団は荷物の全てを捨てて逃げ始めた。勿論ゼルはそれを追う。荷物を交わし、飛んでくる剣を打ち落とし、馬を精一杯走らせている。だが、一晩中動き続けた馬は盗賊団も騎兵も動きが鈍い。疲労の蓄積だけは如何ともしがたい。
――――モトクロッサーの単車でもありゃなぁ……
ふと、そんな事を思ったゼルの中の五輪男。だが、そんな考えをすぐに頭の中から追い出し、全力で馬を走らせる事を選択した。馬も辛いが人間も辛い。そろそろ尻の皮が向けそうだと思った。
涸れ沢の底は良く締まっていて走りやすい。地形的にもフラットで速度が乗る。だがそれは敵側も速度に乗ると言う事だ。精一杯追いかけている筈なのに距離が一行に詰まらないのは歯軋りするほど悔しいことだった。
――――さて、どうしたもんか……
そんな事を思っていた時だった。
どこからか聞き覚えのある声がした。
まだ子供の声だった。
「総員抜刀! 速歩接敵前進! 我に続け!」
遠くの崖の上から騎馬で駆け下りてくる姿が見えた。
どう見たって、どう控えめに見たって『崖』だ。
スキー場で言うならダブルブラックダイヤ級の超上級者向け。
エクストリームの一歩前だ。
しかし、それ故にあそこから奇襲するのは充分効果が有る。
まだ身体の小さい騎馬武者の後ろには、軽装ながらも剣を持った騎兵が続く。
切り立った崖の上を見事に降りてくる二百騎の騎兵が盗賊団の前に立ちはだかった。
「我が師ワタラの仇! 生かして逃がすものか!」
盗賊団の馬がガクッと速度を落とした。衝突力に負けると思ったのだろうか。
それに構わずエイダは突っ込ん行く事を選択した。マントが風になびいている。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!」
小さな身体から精一杯の雄たけびをあげ、エイダは盗賊団のど真ん中へ突っ込んだ。
盗賊達が剣を抜きエイダを迎撃しようとしていた所を、ゼルの率いる騎兵が後方から襲い掛かった。通常、騎兵と言うのは後方からの攻撃には全く対処できない。つまり、一方的な鏖殺が展開される事になる。
一瞬のうちに谷間の中が濃密な血の臭いで充満した。助けを求める者の呻き声や死を待つものの贖罪の声が漏れる。そんな中、エイダはオカシラを追い詰めていた。馬術に覚えのある男だったのだろうけど、エイダの馬術はそれを上回っていた。
「覚悟!」
レラの蹄が大地を蹴った。
グンと速度に乗ったエイダは迷う事無くレイピアを振りぬいた。
一晩中走り続けたオカシラの馬も腕も疲労で碌に動かないと見える。
エイダの剣は盗賊団を率いた男の右腕ごと、その首を撥ねた。
「いずれ太陽王となる男! エイダ・アージンが盗賊団を討ち取れり!」
ヨハンの勝鬨が谷間に響いた。
騎兵達の歓呼がその後に沸きあがった。
馬上でオカシラの死体を見ていたエイダは明らかに油断した。
そこ目掛け、生き残った盗賊がナイフを投げようとしていた。
それに気が付いたのはゼルだけだったらしい。いや、ゼル以外に気が付いたものがいたとしても、対処できるのはゼルだけだった。考える前にゼルは馬の腹を蹴り、エイダ目掛け走り寄って行ってエイダの盾となった。飛んでくるナイフが見えた。それはナイフと言うより小太刀と言う程だった。マントを使ってナイフを叩き落とそうとしたが、その直前にナイフはゼルの胸に着弾してしまった。
「父上!」
ナイフを投げた男はすぐ近くの騎兵達が槍で散々に貫き、まもなく絶命したらしい。馬より落ちたゼルのところへヨハン達が駆け寄った。勿論エイダも。
「父上! ちちうえ!!」
「ゼル様!」
軽装鎧の継ぎ目に突き刺さったナイフ。だが、血は流れていない。
背を抱えられたゼルが慎重にナイフを抜いたが、血は零れなかった。
ヨハンが手伝い鎧を外すと、そこにはナイフを受けて凹んだペンダントが有った。
小さな硬貨ほどのサイズでしかないペンダントトップにナイフの先端が当たったのだ。
「ついてますね!」
ヨハンが声を掛けたのだが、ゼルはペンダントを一目見てからエイダの頬を叩いた。
思わず横を向いてしまったエイダは驚いてゼルを見た。
「戦が終るまで気を抜くな。これを残心と言う。俺が間に入らなければお前は死んでいたのだぞ。猛る若武者も良いが、全てが終るまで用心を解くんじゃない。いいな!」
驚いたエイダは小さな声で「はい」と答えた。
その答えを聞いたゼルはエイダを抱きしめた。
「良い働きだった。良くやった」
抱きしめられたエイダが見た物は、五輪男の妻・琴莉の姿が描かれたペンダントトップだった。その存在を隠す為にゼルはエイダを抱いたのだと思った。だけど、僅かに震えるゼルの手に、エイダは五輪男の本心を感じ取った。
後の世で太陽王となったカリオン・エ・アージンは、事ある毎に養子となったトウリの息子ララウリへ聞かせたのだと言う。
――――私と父はあの時、本当の親子になった……
と。
「さて、帰るとするか。年寄り一歩前だからな。徹夜は辛い」
遅ればせながらやってきて場を〆たノダの言葉に、ゼルとエイダを見つめていた眼差しが全部はなれた。それを確認したゼルはエイダを離して立ち上がった。朝日はグングンと昇っていき、水涸れ沢に太陽が差し込んだ。
「エイダ」
「はい」
「帰ったら最初に何をする?」
エイダは首をかしげて考え事をする。
「母上にただいまを言いに行きます」
「その次は?」
「えっと……」
真剣に考えているエイダ。
だが、その前でゼルはペンダントへキスをして、それから服の内側へとしまった。
その一連の動きにエイダは笑みを浮かべた。父ゼルの言いたい事を理解した。
「リリスのところへ行って、力一杯抱きしめます!」
「そうだ。それが正解だ。忘れるなよ」
「はい!」
元気に答えたエイダ。
その姿にゼルだけでなくノダもカウリも笑みを浮かべていた。