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下宿


 ル・ガルを南北に貫く大河ガガルボルバ。

 滔々と流れ行くその水は、北部山岳地帯の名も無い沢を水源とする。

 厳冬期には5メートルを越える積雪は、春ともなれば雪代に姿を変えた。


 雪解けの峻烈な水は渓流を駆け抜け、幾つもの沢を統合して大河となる。

 その大河は紅珊瑚海へとたどり着くところで、巨岩インカルウシへとぶつかる。

 巨石は大河の流れを二つに分け、下流に巨大な沖積地を作った。


 大河の河口に花開く世界最大の都市。

 王都ガルディブルクの位置する中洲島、ミララス島だ。

 この島は上流部の巨石上に王城を戴いていて、ル・ガルの象徴となっている。


 そしてその下部には大広場があり、中州を南北に貫く大通りが走っている。

 イヌの国を統一した王ノーリの祖父であり、最初にル・ガル一統を夢見た男。

 一族の中で『天より貫く光』と呼ばれたエラスタの名を冠するエラスタ通りだ。


 そのエラスタ通りから南へ500メートル。

 エラスタ通りと直角に交わるのは、ノーリの父ビルタの名を冠するビルタ通り。

 この通りはガガルボルバを渡り、ガルディブルクを東西に貫く。


 拡大を続ける王都ガルディブルクがミタラス島から溢れた時代。

 ノーリは国家事業として都市を拡幅する為に、このビルタ通りは大変に栄えた。

 中洲だけあって南北には長いのだが、東西へはそれほど距離がないからだ。


 その為、巨大な石積みの橋が掛けられ、この橋は通行料を取る有料橋となった。

 その事がこのビルタ通り更なる箔を与え、王都住人の憧れとなった。

 この通り沿いに住める事は、ル・ガルの中でも成功者を意味していた。


 王城から下流側に広がる学校街はエラスタ通り沿いにある。

 そして、その下宿はビルタ通り沿いに立ち並んでいた。

 かつての戦役で戦死した貴族夫人が大家を務める下宿が多いのだ。


 そんなビルタ通りの221番地の上。

 この街では、上流側に当る北側を『上る』と、表現するそう表現する。


 ミタラス街ビルタ通り221上る


 ここに位置するスペンサー医院は、ミタラス島唯一の医院として営業していた。

 そしてここは、子爵キース・スペンサーの運営する弁護士事務所でもあった。

 周辺に立ち並ぶ下宿の法的事務を一手に引き受ける法律事務所だった。


「さぁ、入って。遠慮なくどうぞどうぞ」


 この日、キース子爵のオフィスに幼い人影があった。

 レーベン法律事務所の奥。賓客を持て成す為の部屋にガルムの姿があったのだ。


 事務所のスタッフ全てに『今日は休みだ』と出勤停止を指示したキース。

 黒い毛並みのブルドッグは、自らにコーヒーを淹れてガルムへと出した。


「……申し訳ないです」

「いやいや、こちらこそ……だよ」


 王都城下で人気な菓子店の菓子を広げ、ガルムを持成すキース。

 その表情は隠しきれないほどに嬉しそうだった。


「スペンサー家の当代当主なドレイク卿から話しを貰ってね。これはもう力にならねばと思ったんだよ」


 城の中にいる者達は、腫れ物を扱うかのようにガルムに接していた。

 特別な事情があり母サンドラが手放さなかった長子だけに、皆が気を使った。


 だが、ここではキースがフランクな様子でガルムを出迎えた。

 それこそ、同じ世代の子供達を事務所に招きいれ、社会勉強させるような姿。


「そうなんですか?」

「あぁ。スペンサー家は太陽王に特別な配慮をいただいている。実に畏れ多い事だが、正直に言えばその能力に疑問符のつく者が側近に加えられていてね……」


 その言葉を聞いたガルムは『ブルおじさんだ……』とすぐに解った。

 父カリオンが一度だけ漏らした言葉を覚えていたのだ。


 ビッグストンの中で苦労して苦労して卒業したブル。

 彼はスペンサー一門の面汚しとまで言われた問題児だった。


 だが、父カリオンはそのブルの面倒を見続けた。

 様々な面で支援して来たのだ。

 そして今は、一片の矛盾すらない最強のエリートガードになっていた。

 城内警備責任者として、愚直なまでに働いていたのだ。


「でも…… 良い人です」

「あぁ。それは間違いないと私も思う。太陽王が人物を見極める能力は、やはりこの国で一番だと思うよ」


 それは、遠まわしに自分が王の御眼鏡に適ったと言う表明だった。

 つまり、自分を信用しろと言う願望の発露だったのだ。


 ……生臭い


 そう思わざるを得ないガルムは、若干表情を曇らせた。

 装甲板に押しつぶされた胸の内で、ウンザリとした気分になった。

 だが、それを知ってか知らずかはともかく、キースは遠慮なく言った。


「君の事情は全て飲み込んでいる。その、人に言えない特別な問題も、当主ドレイクからの進言で、太陽王から直々に御言葉をいただいている。こう見えても私は医者で弁護士だ。口は堅いし患者の秘密は絶対に護るから、それは心配ない」


 ニコリと笑ったキースは、ジッとガルムを見て言った。


「この家は君のもう一つの家だと思って過ごしてくれて良いからね」











 ――――――――帝國歴385年 4月 5日

           王都ガルディブルク ミタラス島内

           ビルタ通り221上る キース医院 法律事務所











 およそ公爵家と言う家は、王の一門に続く権威と実力とを持っている。

 幾つもの衛星貴族を抱えている主家は、傍目に見るほど優雅な存在ではない。


 だが、公爵家ともなれば様々な事情を内包したまま余裕を見せねばならない。

 それを承知しているキースは、持てる全てを使ってガルムに便宜をはかった。


「どうだろう?」


 キースに引き連れられやって来た建物の5階は、まだ誰も使ってない状態だ。

 4階より下の部屋とは根本的につくりの違うフロアだ。


 厚みのある建物だが、3階までは真四角に建てられている病院だった。

 そしてその上の4階と5階は、椅子の背もたれ状に上へと突き出ている。


 中央階段は3階まで貫通しているが、4階へは一旦回り込んで専用階段を上る。

 その4階の床は3階部分の屋上となっており、法律事務所が入っていた。。


 5階は4階の半分の幅しかなく、4階から専用の階段で上がる場所だ。

 上り詰めた所には踊り場があり、その左右にひとつずつ部屋があった。

 南よりの部屋にはバルコニーがあり、北側の部屋は窓だけだった。


 そして、このフロアだけは1階まで直通で行ける専用の階段があった。

 建物裏手へ出て専用の通りを抜け、警邏局詰所の脇から大通りに出る構造だ。

 当然、ここを通って5階へと向かう向かうには警邏と目を合わせる事になる。


「……広いですね」

「あぁ。本当の事を言えば、ここは高級貴族な病人向けの個室を予定していた。


 一つ一つの部屋が広く、その全てに控え室を用意してあるつくりの部屋だ。

 正直言えば、少々落ち着かない広さだった。


「君の()()を思えば、まるで物置のような広さだが……」


 イタズラっぽい表情でそう言ったキース。

 ガルムは慌てて『そんな事無いです!』と言うのだが……


「冗談だよ。冗談」


 ヘラヘラと笑うキースはガルムの背を押して5階の中を歩いた。


「今は幼年学校だが、将来的には工科大学か経済大学へ行くのだろ?」


 その問いは、ガルムにとって苦痛そのものだ。

 あくまでガルムはビッグストンへの進学を希望している。

 その夢は、まだガルムの中にしっかりと存在していた。


 ただ、この数ヶ月でその夢が虚しい物である事も理解し始めている。

 少なくともこの身体で勤まるような学校では無い事を知り始めたのだ。


「……多分ですけど」


 悔しさを噛み殺した重い言葉がガルムの口から漏れた。

 その内心がにじみ出てくるような声音に、キースは笑みを浮かべた。


 この子もやはり内側はイヌなのだと思った。

 闘争心と競争心を持ち、その上で強調する事を美徳とするイヌの精神。

 その心を宿す身体の問題が人格を捻じ曲げているかも知れない。

 杞憂に終ったとはいえ、一時は本気で心配したのだ。


「まぁ、これはあくまで私一個人の言葉として受け取って欲しいのだがね――」


 一番大きな部屋の扉を開け、その中へガルムを誘ったキース。

 部屋の中にはそれほど大きくない、シンプルなベッドがひとつ。

 そして、大きな勉強机が二つと食卓が一つ。書架が壁際に一つあった。


「――これからの時代、王を目指すなら学ぶべきはビッグストンではなく王立大学だと私は思うよ。もう戦争ばかりを行なう時代じゃないんだ。オオカミの国とは良い関係になり、恒例行事になっていた北伐は、もう何年も行なっていない」


 だろ?と同意を求めるようにガルムを見たキース。

 ガルムは『……そうですね』と、気の無い言葉を吐いた。


 それを聞いたキースは、つかつかと歩いて行って勉強机に座った。

 向かいの机にある椅子を指差し、座ると良いと言わんばかりにガルムを見た。


「軍務をもって国内を掌握する時代はもうすぐ終るだろう。これからの時代に必要なのは、経済の知識と運営の能力だ。国を富ませ社会を安定させる事。それらはすなわち国民の安定と国家の発展に繋がる。ますます栄えるル・ガルは、経済で周辺国家を併呑すれば良いんだよ」


 それは、ガルムにとって余りにも衝撃的な言葉だった。

 今までは国家護持こそが国家存続の根幹だったからだ。


 だが、キースはそれを真っ向から否定した。

 そして、経済の結びつきによって友誼を結ぶと言うのだ。

 実際の話をすれば、経済によって周辺国家を支配すると言って良いのだろう。


「……考えもしませんでした」

「そうだろうね。ただ、実際にいま太陽王が行なわれている事業は、そう言うことなんだよ。だからきっと、王はその遠大な目標に向かって君を学ばせたいと……」


 フラフラとキースの前に座ったガルムは、まるで講義を聞く生徒だった。

 キースは身振り手振りを交え、経済と言う凶暴な獣を説明し始めた。


「例えばこうしよう。周辺の国家で麦を作る。ル・ガルの国民はそれを買って食べるようになる。周辺国家の農民はそれによって収入を得る。そんな国民がル・ガルと戦ってイヌを皆殺しにするとどうなる?」


 キースの出した質問は、如何なる世界でも共通のテーマだ。

 貧困国への支援と同じく、最初は魚を与え、次は魚を取る技術を与える。

 そして、国家が立ち行くようになったら、今度は魚の情報を売る。


 競馬の予想師と同じで、商売の才能が問われる場面とも言える。

 自分で馬券を買っているとオケラになるが、情報を売っていれば家が建つ。

 突き詰めれば、そう言うことだった。


「……麦が売れなくなります」

「そう。つまり、戦争など無い方が良い儲けと言う事だ」


 正解を答えたガルムを嬉しそうな顔で見るキース。

 だが、ガルムはすぐにその問題に気付いた。


「でも、そうしたらル・ガルはお金がなくなります」

「良い着眼点だ」


 右手の指をピンと立て、キースはニコリと笑った。

 この子は柔軟な発想と鋭い着眼点を持っている。


 それはきっと、この面倒な身体に生まれたが故に、洞察を重ねた結果だろう。

 キースはそんな事を思っていた。


「その通り、いつまでも買ってばかりではダメだ。だから未来のル・ガルはそうならないように、周辺に売るモノを真剣に考えなきゃならない。そう言う部分の知識や知恵を学びに行こうじゃないか」


 教えるでも導くでもなく、考えさせ問題解決の糸口を与え、そして決断させる。

 王立工科大学で医学を学んだ男は、今までガルムが出合った事の無いタイプだ。


 そんな人となりに興味を持ったガルムは、その場で頭を下げた。


「よろしくお願い致します」

「え? あ…… あぁ」


 余りの衝撃にキースは言葉を失った。

 正直に言えば、もっと横柄で乱暴な人間を予想していた。

 王の()()と言う事で、我儘いっぱいに育ったと思ったのだ。


 しかし、実際のガルムは思慮深く、洞察力に溢れ、そして隙を見せない。

 良くも悪くも身体の件で、肩身の狭い育ち方をしたのだろう。

 そんなガルムは、素直に人に頭を下げる度量を持っていた。


「こちらこそ、よろしくお願いします。殿下」


 胸に手を当てて頭を下げたキースは、その懐から皮袋を取り出した。


「ここに100トゥン金貨がまとまった数である。太陽王陛下が君の身の回りの為に使うようにと、この私に手づからに御下賜頂いたものだ。これを使ってこの部屋の家具など一式を取り揃えてある」


 父カリオンの根回しに舌を巻いたガルム。

 キースはそんなガルムを見ながら続けた。


「足りない物があったならいつでも言って欲しい。衣類でも文房具でも、もちろん遊び道具でも、なんでもたちどころに揃えます。最初に言ったとおり――」


 両手を広げ『さぁ』と示したキース。

 ガルムは僅かに笑みを浮かべた。


「――ここは君の家だと思って良い。下宿ではない、家だ」

「……はい」


 よし。これで良い。

 ガルムはそう確信した。






 その数日後。




 快適な下宿へと移ったのは3日目の夕方だった。

 母サンドラは最後まで心配し、反対はしないまでも良い顔はしなかった。

 だが、細作であるリベラの一言が決め手になった。


 ――――ひととおり見てめぇりやしたが……

 ――――ありゃ大したもんですぜ

 ――――あっしら稼業のモンでも、なかなか中にゃへぇれやせんぜ


 それはガルムにも大きな安心感となる言葉だった。

 気がねなく寛げる個人の部屋。ある意味で城以上に油断できる場所だ。


 どれ位油断できるのかといえば、ガルムは室内で窓を開け胸甲を取っていた。

 それどころか、上半身をはだけさせ、豊かに膨らむ胸を曝け出していた。


 そんな時だった。


 ――――こらっ!


 部屋の外からキースの声がした。

 ガルムは反射的に上着を羽織り、扉に背を向けた。

 誰かが飛び込んできても良いように身構えたのだ。


 ――――この階には何があっても入るなと言っただろ!


 キースは凄まじい剣幕で怒っている。

 その声に紛れ『申し訳ありません』とメイドの声が聞こえた。

 まだ若い声だとガルムは思うのだが……


 ――――次にこの階へ入ったらクビだ! クビ!

 ――――君らでは本来顔すら拝見出来ないんだ!

 ――――やんごとなき、特別なお方が滞在中だ!

 ――――絶対に忘れるな! 良いな!


 ……そんなに怒るなよ


 叱られるメイドに申し訳ないなとガルムは思った。

 ただ、これでいつでも気を抜いて寛げるのは間違いない。

 何かと波風も立つだろうが、これも良いかとガルムは思い始めだ。


 それなりに快適な下宿生活が始まったのだった。

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