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巣立ちへの憧憬


 早朝のガルディブルク市街。

 まだ肌寒い春先の朝は、人通りも疎らだ。


 街の中心であるミタラス島内への橋は、ゲートが降りていて通れない。

 完全孤島な島の商店街はまだ眠っていて、店開きしているのはほんの僅か。


 ガルディブルク城防衛における最後の戦術的障害を設ける措置だった。


「おはようございます。殿下」


 市街を管理する警邏局は、早朝の掃除に精を出している。

 王都の警邏局は退役した軍人達の再就職先として人気だった。

 だが、控え目に声を掛けてくる掃除夫達は、変装した親衛隊の面々だ。


 彼らは早朝に城を出るガルムのガードとして、市街の中で活動していた。

 城下にある四年制の王立幼年学校は、ミタラスの最下流部に位置している。

 傷心のガルムは城のプライベートエリアから直接学校へ通っていた。


「……みんなに聞こえるから」


 王子の肩書きで大手門を通れば色々と面倒が多い。

 その関係か、ガルムはまだ朝早い時間帯に城を出ていた。

 城内スタッフの玄関となる通用門を通り、城のスタッフに紛れ家を出る。


 ガルムにとっては城こそが自宅だが、正直に言えば面倒の方が多い。

 建前上は城に住み込みで勤めている職員の子女という事になっている。

 教室の中で浮かないよう、学校の中ではラリー・コーチの名前で通っていた。


「そうですね。失礼いたしました」


 敬礼こそ控えたものの、その扱いは完全に王子だった。

 身バレの怖いガルムにしてみれば、正直迷惑だった。


「……行ってきます」

「お気を付けて」


 この城下に居る限り、ガルムは常に見守られている。

 仮にも王子であるのだから、それはやむを得ないことだった。


 だが、正直に言えば鬱陶しい。

 思春期真っ盛りな年頃で、言うなれば中二病を患う頃でもある。

 子を思う親の気持ちなど関係なく、この束縛から逃れたいと願う頃だ。


「下宿したいな」


 誰に言うでもなく、ガルムはそう呟いた。

 学校内で得た知己達の多くが、城下で下宿していた。


 基本的には自宅から通う事を前提としている学校なので、寮の設備は無い。

 ただ、そうは言っても地方都市から上京し通う生徒も多いのが現実。

 学校の周辺には幾多の下宿が立ち並んでいた。


 そして、その話を聞けば聞くほど、ガルムは思いを募らせた。

 下宿暮らしには苦労を越える自由があると思ったのだ。


「……………………ッチ」


 苛々しつつも舌打ちをしてからため息をひとつこぼす。

 生まれる家は選べないし、親だって選べない。

 もっと言えば、複雑な身の上に生まれた己を呪いたくもなる。


 望むべくもない自由な日々を思い描き、重い足取りでガルムは学校へと向かう。

 いつかきっと転機が来ると信じて、日比を油断無く過ごすしかなかった。


 だが、転機の欠片はそこら中に落ちているものだ。

 早朝に学校へと到着したガルムは、学食へと向かい朝食をとる。

 両親が朝食をとる前に城を出るのだから、必然的にそうなるのだ。


 毎朝の事なので半ばルーチン状態に食券を買う。

 朝食のメニューは毎朝変わるので、食べ飽きる事はなかなか無い。

 ある意味で安心の味付けだが、ガルムの興味は他にあった。


 半分程度がオープンになったキッチンのなか、女中達の会話が耳に入った。

 それは、ガルムにとって天から垂れ下がった雲の糸に等しいものだった。


 ――――何でも聞いた話じゃ、城下の下宿に空室があるんだって

   ――――へぇー じゃぁ、その部屋の主は学校辞めたの? 

 ――――そうらしいわね。授業について行けない子が居たらしいわね

   ――――どこの下宿か知らないけど、それじゃ大家も困るね

 ――――全くね。都の下宿は安くないから良い儲けなのにね 


 ……え?


 ガルムは耳を疑った。

 この幼年学校の生徒達は多くが下宿を利用している。

 その下宿に空室が出るなど、普通は中々無いことだ。


 王都の防衛対策としてミタラスに掛かる橋は全部で7つしかない。

 そのうち三ヶ所の橋は一般人利用禁止となっていて、軍などの専用橋だ。

 残る四ヶ所のうち大橋は有料で使われ、残りは細くて小さな橋だった。


 そこに朝晩毎日生徒が通れば橋は予想以上に痛むもの。

 下宿の数はこれ以上増やしようがなく、また、ミタラス以外に下宿は無い。

 その関係で、幼年学校の下宿はミタラス内部に限られるのだった。


 帰ったら相談してみよう……


 心ここに有らずな状態で野菜のスープを飲み込み、パンをかじる。

 干し肉と刻み野菜の挟まったパンはボリューム十分で、しっかり腹に効く。

 ご馳走さまを直接伝え、ガルムは教室に向かった。











 ――――――――帝國歴385年 3月22日

           王都ガルディブルク 国立幼年学校











 思えばこの半年ほど、ガルムは自分自身の成長を感じていた。

 父カリオンに言われ通い始めた学校だが、楽しくなりつつある状態だった。

 算術と工学の授業は特に楽しく、歴史の勉強は興味をそそられた。


 この国が経験してきた様々な事を学び、ガルムは改めて父を思った。

 育ての親であるカリオンだけでなく、胤となったサウリクル卿の事もだ。

 国を健やかに保つため、自分を後回しにして頑張ったのだ。


 ただ、今はまず自分の事だ。

 いつバレるかわからない現状をどうにかしよう。

 ラリーの名で通ってはいるが、建前上は男と言う事になっている。


 ――下宿に入って女に化けて……


 そんな事を熟々と考えつつ、放課後になってからガルムは一目散に帰宅した。

 午後の国務を終えたカリオンが馬で出掛けると思ったのだ。


 父カリオンは未だに馬術の練習を熱心に行っている。

 馬場に居並ぶ騎兵たちに引けを取らぬ技量だ。


 そもそも、ビッグストン始まって以来の天才とまで言われた存在。

 故に、カリオンの馬術はガルムをして異次元だった。


「父上」

「おぉ! どうした!」


 馬場に出ていたカリオンは、ガルムに呼び止められ馬を返した。

 レラ・モレラと続くバルケッタの血統は、5頭目の愛馬ギブリになっていた。


「ちょっと……相談が……」

「そうか」


 その畏まった言い方にカリオンは面倒を察した。

 城の中や人の目に付くところでは言いにくかろう。


 振り返ったカリオンは、馬匹担当を呼び馬房から馬を出させた。

 ギブリの兄弟馬であるシャマルが鞍を乗せてやって来た。


「どれ、たまには郊外へ出るか」


 胸甲を付け、男の姿で居るガルムは、一も二も無く馬に飛び乗った。

 身の軽さと全身のバネはトウリ譲りだとカリオンも思う程だ。


 幾人かの供を連れ、カリオンは城の郊外まで走った。

 歳の割に大人びた乗り方のガルムは、シャマルを温めつつ付いていく。

 ガガルボルバの畔を速歩で駆け抜け、森の中を通り王都郊外の草原へと出た。


 そんな中、周囲の供が離れるタイミングを見計らってガルムは言った。

 ここが勝負所だと気合いを入れて。


「……城下の下宿に空きが出たんだって」

「下宿?」

「……うん」


 正直、ガルムが何を企んでいるのかをカリオンは掴み損ねた。

 しかしながら、その実は嫌でも解る。

 もっと自由に居たいのだ。


「下宿に出たいか?」

「……うん」


 モジモジとしつつも、ガルムの思惑は嫌と言う程伝わってきた。

 ある意味でガルムは自信を失っているのだろう。

 自信と言うよりアイデンティティの問題かも知れない。


 男でも女でも無い。

 いや、男でも女でもあるガルムは、不可視ながらふたつの身体そのものだ。

 時には女側に精神が振れ、その反動で男の側にも振れることがある。


 時に勇猛で果敢な精神を持ち事に当たる。

 しかし、その数日後には女性的な優しさや友愛の精神を見せる。

 男の時にはさっぱりとした気風だが、女の時には嫉妬深い。


 ――いまは……どっちだ?


 カリオンは黙ってガルムを見た。

 血は繋がっていなくとも、我が子だと育ててきたのだ。


「……即答を避けて良いか?」

「え?」

「母さんとも相談してみよう」

「うん……」


 ガルムは一瞬だけ落胆の様子を見せた。

 だが、その直後に僅かだが表情が緩んだ。


 『相談してみよう』


 その言葉に、可能性がゼロでは無い事を知ったのだ。

 上手くすれば望みを叶えられる。上手くやれば下宿できる。

 ガルムにしてみれば、ここからが正念場だった。


 ――政治家の貌だな……


 内心でそう、ほくそ笑んだカリオン。

 ガルムはカリオンの言葉に何かを見て取っていた。






 その晩




「なぁサンディ」

「なに?」


 家族の夕食を終えたカリオンは、エルムの世話を焼くサンディを呼んだ。

 着々とイヌの風貌になっているエルムは、全身黒尽くめの艶やかな毛並みだ。


 風呂上がりで風に当たるエルムは、体毛を風に晒して乾かしている。

 そんなエルムを抱えたまま、サンディはやって来た。


「昼間な、ガルムが突然下宿したいって言い出したんだ」

「……下宿?」


 怪訝な声音でサンドラはそれを聞き返した。

 そこには余り良い感情が無かった。


「あぁ。下宿だ」

「私は……した事が無いから……」

「もちろん俺もだ」


 下宿生活がどんなものかは一切想像が付かない。

 寮暮らしの長かったカリオンにしてみれば、引っ越しした程度の感覚だ。


 最も、王ともなれば引っ越しなどと言うものに縁など無い。

 つまり、その実態は正直言えば全く想像が付かない。


「下宿だと……あの子の秘密がばれないかしら」

「あぁ。そっちが問題だな」

「身の回りの事は自分でやるのでしょう?」

「だろうな。少なくとも、寮暮らしだってそうだ」

「なら、月のものの対処は良いでしょうけど……」


 カリオンはここで初めて女の側の視点が欠如していた事に気付いた。

 女は男以上に身だしなみへ気を配る必要があるのだ。


「ただ、あの子にとってはそれが良いのかもしれん」

「どうして?」

「学校では偽名で通っている」


 ガルムが偽名で居ることはサンドラも知っていた。

 ウォークがその様に提案し、それを了承したからだ。


「華奢な身体格好の王子の、その替え玉役だと、そう言っているそうだ」

「……なるほどね」

「だが、女だとは言ってない」

「男でもあるけど」

「ぱっと見では女の方が色濃いからな。何処かのタイミングで女にした方が……」


 それは、サンドラも常々言っていることだった。

 見かけだけなら女に見えるのだから、どこかで女にしてしまおう……と。


 だが、それが下宿となると話は変わってくる。

 問題は山積みで、解決するべき課題も多い。

 そもそも、時には王の家族が勢揃いする必要がある。


 最大の問題と言うべきそれをどう解決するか。

 まずはそこが山だった。




 同じ頃




「浮かない顔だね。ラリー。どうしたんだい?」


 夕食のあと、ガルムは1人、城内の図書資料室で勉強していた。

 そんなところにドレイクがやって来て、声を掛けたのだ。

 何事かの資料を探しに来たらしく、手にはいくつかの本を持っていた。


「……実は」


 言おうかどうしようか、ガルムはそれを迷った。

 秘密にしておくべきテーマかも知れないので、口にするのが憚られたのだ。


 ただ、下手に隠せば傷が深くなる。

 時には一気呵成に開陳するのも手なのだ。


「下宿したいんです」

「……下宿?」

「はい」


 ガルムは事のあらましを全部言ってしまった。

 下宿暮らしの同級生が羨ましい……とも。


 それは、少年が青年へと育って行く通過儀礼と言うべきもの。

 自然と芽生える独立心は、全ての生物にとって重要な『巣立ち』と言うものだ。 或いは『親離れ』などとも言うが、時に家出という形で悲劇を招く事もある。


 だからこそ、全ての親はそれに対し慎重に為らざるを得ない。

 社会という凶暴な存在と上手く折り合いを付けられる様に育つまでは……だ。


 ガルムの胸の内を見て取ったドレイクは、頭の中に何かが思い浮かんだ。

 それは、自分とガルムの関係において、将来への投資とも言うべき事だった。


「……そうだね。まぁ、若者なら大なり小なり、その手の希望は持つものさ」

「そうなの?」

「あぁ。私だって公爵家の跡取りという定めが重くて重くて、何度逃げだそうと思った事か解らないよ」


 ハハハと軽く笑った後、ドレイクはジッとガルムの目を見た。

 透き通る様な群青の瞳には、真っ直ぐな精神そのものが見えていた。


「上手く行くかどうかは解りませんが……力になりましょう。まずは王に話を」

「……今夜、母さまと話をしてると思うんだけど……」


 コクコクと頷いたドレイクは、ガルムの根回しに舌を巻いた。

 目的を達する為に手を打つその姿は、老獪な策士のようだ。


「昔からこう言います。果報は寝て待て……とね。まずは朝を待ちましょう」


 あとは任せておけと言わんばかりなドレイク。

 ガルムはただただ首肯するだけだった。

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