未来へ向けて
「ではつまり…… あの子にビッグストンは無理だと?」
カリオンはやや沈んだ声でそう言った。
だが、その声音は辺りの空気を冷え冷えとさせるのに充分な威力だった。
「そうだ。少なくともあの子の体力であの学校は務まらないだろ」
カリオンの言葉から感情を読み取れなかったのだろうか。
ブルは事も無げにそう言い放って、カリオンを見た。
コミュ症もここまで来れば大したもんだと誰もが思った。
ガルディブルク城の最上部。
王の庭と呼ばれる空中庭園のテラスで、カリオンは側近達と相談の席を持った。
この日のテーマはガルムをどうするかについての意見だ。
政権の要人でもガルムの複雑な身の上を飲み込んでいるのは半分程度だ。
そんな者達の大半がビッグストンの卒業生故に、他人事ではない問題だった。
「畏れながら自分も同意見です。ラリーでは着校前指導ですら乗り切れません」
ウォークは遠慮しながらもそう言った。
満15歳以上と言う条件は、単に年齢的な縛りに過ぎない。
少なくとも太陽王の息子とあらば、無条件で入学は出来るだろう。
だが、その前にひとつ重要な問題があった。
「……立太子なしに王の息子は通らないよなぁ」
話を聞いていたアレックスがボソリとこぼした。
茅街との間を行き来するアレックスは、この日は城の中に居た。
「だけどエディ、ラリーにゃ立太子の試練は受けられねぇだろ」
相変わらずのベランメェな口調でジョニーはそう言う。
最近では母親譲りから母親以上の胸になってきているガルムだ。
胸甲を押し当てて潰しているが、見る者が見ればすぐにわかる状態だった。
リリスはそんなガルムを常に護っていて、地下から魔術を駆使していた。
ガルムを見た者から、その印象を消し去ってしまう高度な魔術だった。
相当強い心の持ち主以外では、その魔術から抜け出すことなど出来ない。
「……そうだな。上半身裸はあの子には無理だ」
溜息をこぼしつつもカリオンは何とかならないかを考えた。
少なくとも、次期帝候補である以上はビッグストン卒業が最低線の条件だ。
「一般からの参加も無理って事だな」
アレックスがボソリとこぼす。
立太子出来ない以上、一般枠からの挑戦という形しか無い。
だが、7月1日の着校から始まる3ヶ月の訓練は、激烈なんてものじゃない。
ここ数年は収容人数の10倍近くが入学希望者として集まっている。
そんな希望者のウチ、書類選考で絞られ定員の3倍に収まった所で始まる訓練。
寮のそう収容人数まで減らした数を、今度は一年生の定員400人に削る。
その関係か、夏期着校訓練と呼ばれる夏の訓練は、より一層激烈だった。
「いっそのこと……」
不意に切り出したジョニーは指さしながらカリオンを見た。
狂信レベルで忠誠を誓う親衛隊などが見たら激昂しかねない姿。
だが、カリオンは一切不問で、むしろそれが普通だと振る舞っていた。
「なに?」
「ラリーを経済大学に送り込もうぜ。どっちかというとあの子はそっちに才能がありそうだろ」
「……まぁ、そうだけどな」
「ついでにさ――」
ここでジョニーが切り出したのは、驚くべき提案だった。
「――経済大学と工科大学を合併して、あと、王都の女学校も合併して、法務学校とか新設した上で、総合学校にしちまうのはどうだ? そこに実務士官養成学科をス作って、ビッグストン入学希望のうち、非戦闘系へ進むのを希望する連中をそっちへ誘導してさ……」
フンフンと頷きながら話を聞くカリオン。
その場に居た全員が黙ってジョニーの話を聞いた。
ビッグストン入学を希望する志望者の全てが、前線向きという訳では無い。
巨大な士官養成学校であるビッグストンにだって、主計科など実務教育がある。
だが、その入学システムの実に脳筋的な仕組みにより、不向きな者が多いのだ。
結果、軍の事務実務作業では、経済大学や工科大学出身者が事務方に就く。
ならばそれを最初からコースにしてしまおうと言う提案だった。
「……それ、良いな」
最初に反応したのはアレックスだ。
情報通信実務に携わる現場の人間は、結局位置から教育のし直しが多い。
ビッグストン出身者とはいえ、その卒業の段階で成績優位から希望現場を選ぶ。
結果、余り人気のない裏方業務的な部門には、成績の良く無い者が集まる。
それを補う為、一般大学から人を追加しているのが現状だった。
「そうだな。その方向で検討しよう。その為には……」
「あぁ。ラリーを幼年学校へ送り込もうぜ。勉強してこいって」
ジョニーの笑顔は、いつも爽やかだとカリオンは思った。
――――――――帝國歴384年 6月 22日
王都ガルディブルク
「ガルム。居るか?」
王のプライベートエリアは城の最上部にあり、下からは見えない構造だ。
空でも飛べば丸見えになるのだが、空を飛べる種族はそうそういる訳でもない。
居室から割りと長い廊下を抜けた先。
ガルムが自室としている部屋は、窓の外が絶壁になっている場所だった。
「はい」
部屋の中から声が聞こえ、カリオンはそれから部屋に入る。
言葉にしたり取り決めを行ったわけでは無いが、それでも心遣いは必要だ。
どちらかと言えば華奢な身体だが、胸だけは母親譲り以上のガルム。
外に出るときは胸甲を圧し当てて潰しているが、最近はそれも少々頼りない。
目敏い者が見れば違和感を覚え、しばらく観察すればばれるだろう。
だからだろうか。ガルムは自然と外に出たがらなくなっていた。
画を描くのに夢中になっているのもあるが、一番の理由は胸甲が苦しいのだ。
故に、自室では胸甲を取っている事が多い。
そして、開放感を楽しむように、上半身を肌蹴ている事も多い。
カリオンはそこに配慮を見せていたのだ。
「……今日は珍しいな。何処か出掛けるのか?」
この日、カリオンはガルムが外出する予定を聞いてはいなかった。
だが、胸甲を装備し、男の子になっているガルムを見れば察しもつく。
「……あ、いや、いまから慣れておこうかな……って……」
「慣れる?」
「うん」
息苦しそうにしてはいるが、それでも笑顔を崩さないガルム。
ただ、その肩もその腕も、ビッグストンの馬術練習をこなせるとは思えない。
「……ビッグストンで学ぶなら必要だろうから」
「そうか……」
ガルムはビッグストンへ行こうとしている。
きっと、親の期待に応えたいんだろうとカリオンは思う。
だが、あの学校のOBでもあるカリオンには解っていた。
ガルムはあの学校で過ごす事など出来ない……
「こうやって潰しながら運動すれば、段々小さくなるかな?って」
「小さく?」
「うん。だって、風呂の時間とか困るし……」
……色々と考えているな
涙ぐましいほどの考察と配慮を重ね、ガルムは将来を考えている。
自分など、王都に行ってリリスに会いたい一心でビッグストンへ行ったのに。
「馬術でも剣術でも、今から練習しておこうと思うんだ」
ガルムが思うのは、可能性と言う名の希望だろう。
なにせ困難が人を鍛えると言う教育方針の学校なのだ。
その試練に立ち向かうべく、ガルムは自分を鍛え続ける義務があった。
「……そうだな。あの学校なら必須だ」
ガルムが見せた悲壮なまでの覚悟。
それに当てられたのか、カリオンは何とか出来ないかと考え始めてしまった。
ただ、王の差配でどうにかしてしまうのは、あの学校の方針に反する。
それに、そもそもビッグストンではなく……と言う話だったはずだ。
しかし、頭ごなしにその覚悟を否定してしまうのは拙い。
子供の可能性は、例えどんな事があろうと親が潰して良い案件では無い。
上手い具合に育て上げ、結果的に可能性の芽を伸ばしてやる事が大事だ。
「まぁ、それに関わる部分でもあるんだがな」
「……やっぱりダメかな。僕じゃ」
「可能性はゼロじゃない。ただ、技術や気力や、あ、もちろん体力もだが――」
どう説明したものかカリオンは必死で考えた。
議会や閣僚の閣議の方が余程気が楽だと思った。
ただ、人は育っていく。いつかはこの子も社会出なければ成らない。
居場所を作ってやる事は出来るが、そこに適応するかどうかは本人の資質。
だからこそ、時には厳しい条件を乗り越えなければ……
「――そもそも学力が問題になる」
「……そうだね」
かつて、ガルムはブルやアレックスに聞いた事がある。
父カリオンは頭が良かったのか?と。
その質問に対し、ブルはビッグストン始まって依頼の天才だったと答えた。
また、アレックスは一切の迷いを挟む事無く、自分より数段上だったと言った。
算術だけでなく語学や歴史などの知識を問われる部門に至るまで。
少なくともカリオンと言う人間は相当高度な次元で知見を有していた。
「父上と比べられると困るよね」
「……そうだな。嫌でも比べられる運命だ。だから」
カリオンはニコリと笑ってガルムを見た。
そこにどんな意図があるのか。ガルムはそれを考えた。
間違いなく、これからの自分に関わる問題の筈。
だからこそ必要な能力として、相手の態度や様子から意図を見抜くのだ。
父カリオンが見せる破格の能力は、きっとこんな場面でも生きているのだ。
「だから?」
「次の秋から幼年学校へ行け。数年後に王都の大学を再編し、総合大学にする予定でいる。その大学に進学するのを前提にした、学力向上を旨とする実務士官養成の学科を新設する事になっている」
カリオンが言ったその言葉に、ガルムは酷く悲しそうな顔をした。
それこそ、世界が終りを迎えようとしていると、そんな話を聞いたような顔だ。
「……僕はビッグストンへ」
「あぁ。そうだろう。だが、はっきり言うぞ?」
――お前の身体では……
そう言いかけてグッと飲み込んだカリオンは、ガルムをジッと見て言った。
「ウォークを始めとする城の実務陣を教師に学んでいるだろうが、少なくとも現状では、お前の学力だとビッグストンの授業には付いていけないだろう」
ズバッとはっきり言い切ったカリオン。
ガルムはポカンとした表情でボソリと言った。
「鈴が……聞こえなかった……」
「……だろ?」
カリオンはガルムのこの能力を忘れていた。
嘘をつけば鈴が鳴り、ガルムは不信感を募らせると言う事だ。
そして、学力で付いていけないと言う言葉にも鈴がない事を嘆いた。
「この10年程度、ビッグストンは慢性的に定員超過が続いている。世界中から頭脳明晰で学力良好な者が集っているのだからやむを得ない。そして、そんなビッグストンに合格するべく、候補者を目指すものは猛勉強を積上げてくる。お前も知っていると思うが――」
ここが勝負どころだと思ったカリオンは、ここで一発の賭けに出た。
「――ビッグストンに入学できるのは上位400人だ。そこから2年に上がる際には、脚きりされ上位350人のみが進級する。3年で更に50人がふるい落とされる事になる。体力以前の問題として、お前の学力で生き残れるか?」
それがどれ程厳しい言葉なのかは言うまでもない。
イヌの寿命は250年ほどで、そのうち凡そ100年ほどを軍役で費やす。
そんな中、軍は既に人員が飽和状態になっていて、現場が困り始めていた。
士官も兵卒もどんどん予備役に回され、実際に駐屯地で過ごすのは年に半分だ。
兵役能力を維持する事は各自の義務とされ、適合しなければ除隊となる。
毎年の様に戦役があり、それに動員されていた時代はもう過去のもの。
平和な時代となってきた昨今では、軍の規模を維持する予算で精一杯。
つまり、栄光のル・ガル国軍は順次縮小しようとしている。
各方面からそれに反対する声が上がっているが、現実的には不要な組織だ。
故に、就職先として本当に花形だった国軍に入る事が、相当難しくなっていた。
「……最終的に国軍は無くなるの?」
「いや、それはない。絶対にない。だが規模縮小はやむを得ない」
いつの間にか父親ではなく政治家の顔になっていたカリオン。
ガルムはまるで新聞記者の様に鋭い質問を浴びせていた。
「じゃぁ……父上は?」
「そうだな。まぁ、軍人の仕事より政治家の仕事が増えるだろう。と、言うより現状がすでにそうだ。行軍などもう何十年もやってない」
なんとも寂しい言葉だが、それでもこれがル・ガルの現状だった。
国内は落ち着き、経済は好調だ。
社会は文化を育み、盛り場はますます賑やかだった。
戦争するより経済を盛んにした方が国が栄える。
そしてそれは、ル・ガルの周辺国家にも波及している。
主義主張や種族の違いを理由に争っても疲弊するだけ。
それなら多少の泥を舐めてでも、経済的に結び付いた方がいい。
そんな現状なのだ。
「俺がお前と同じ歳の頃は、それこそ毎年毎月、どこかで戦争をしていたが」
「今は経済の戦争なんだよね?」
「そうだ。まるで政治家みたいな言葉だな」
ハハハと気易い様子でカリオンは笑った。
それにつられガルムも笑った。ただ、心のうちは泣いていた。
キラキラと輝くような軍装に身を包み、颯爽と馬を走らせる騎兵たち。
いかなる敵をも退ける不撓不屈の国軍兵士。それはル・ガル少年すべての憧れだ。
自分がそこに絡む可能性は少ない。
少なくとも、国軍が先頭に立った戦闘はなさそうだ。
「……これからは経済なんだね」
寂しそうにそう言うガルムは、心底残念そうだ。
その様子があまりにかわいくて、カリオンは優しい顔になっていた。
「おいおいガルム。行軍なんて辛いだけだぞ?」
「ほんと?」
「あぁ」
腕を組んでガルムを見たカリオンは騎兵の真実を語り始めた。
「寝ても覚めても馬の上でケツは痛くなるし、喰うものは芋やら干し肉やらで便秘になる。馬だって手入れが悪くなるからノミやシラミだらけになって、背中や脇の下が気が付けばノミだらけだ――」
唖然とした表情でカリオンの話を聞くガルム。
カリオンは遠慮する事なく、畳み掛けた。
「――野営地じゃ草の上に夜具を敷き、夜露に濡れて寝るしか無い。昼間にうんと疲れるから眠れるが、目を覚ました時には寒さと疲労で怠くて仕方が無い。そんな状態で消化の悪い携行糧秣を砂混じりの水で押し込むんだ。騎兵が痩せてる理由はそこさ」
ル・ガル争乱で散々と行軍を行ったカリオンだ。
その口から出る言葉は間違い無く真実だった。
王ともなればそれなりに気を使ってはくれるが、快適とはほど遠い。
そんな話を聞いていたガルムは段々と怖くなった。
自分にはそんな事など出来るわけが無い。
「……解った。とりあえず、勉強してくる」
呟くように言ったガルムの言葉が全てだった。