二つの性の完成
衝撃の初花から半年。
ガルムは自分の身体について、客観的に見られるようになっていた。
最初は不安定な月経も4回目にして安定的なペースになりつつある。
生理用品の扱い方にも慣れてきたし、母譲りな胸を隠すのも上手くなった。
自らの真実が誰にもばれぬよう、上手に振る舞う方法を覚えたのだ。
そして最近では、画を描く事を始めていた。
部屋に花が飾られる事を訝しがる向きの為に、ごまかす算段だったものだ。
最初は簡単な線画から始めたのだが、手を付ければ興味は湧くもの。
父カリオンに色付けをしたいと相談したら、程なく絵具が揃ってしまった。
非常に高価な道具である絵具を買い揃えられるのは流石だとガルムも唸った。
だが、その実は城下の商店に相談した結果、驚く様な数で献上されたのだった。
全てが上手く行っている。
そう油断したガルムを一切責めることは出来ないだろう。
驚く様な困難に直面し、それを乗り越えてガルムは成長した。
ただし、余り望まない部分も成長していたのだが……
「……なんだこれ」
ある朝。と言ってもまだ夜明け前の時間帯だ。
ガルムは股間辺りの違和感に飛び起き、その異変に戸惑った。
寝ている間に経血がこぼれたかと思ったのだ。
だが、そこにあったのは全く違うモノだった。粘っこく妙な臭いのするもの。
それが自分自身の身体から吐き出されたモノである事はすぐにわかった。
しかし、それをどうして良いのかは全く解らなかった。
――洗わなきゃ……
幸いにして室内には水彩道具が一式揃っている上に洗い物も多い。
それらに混ぜて水場へと運び、一緒に洗ってしまうのが良いだろう。
そう決めた動きは速い。
窓の外を見れば、晩秋の月がまだ高い所にある時間帯だ。
よしよしと背徳感を感じつつ、そろそろと下着を脱いだ。
何とも言えない最悪の感触に顔を顰め、洗い物と一緒に水場へと向かう。
だが、部屋から廊下に出た所で、ガルムはゾクリと身体を震わせた。
自分の股を抜けていく冷たい風に、女の側のデリケートな部分が震えたのだ。
――あれか……
思えば昨夜の寝付く頃には、風呂上がりの火照った身体を持て余していた。
しばらくカンバスの上に線画を描いたが、ややあって早めに寝床へと入った。
ここしばらくのガルムは、女性側の性器で自慰に耽ることがあった。
思春期の子供達なら、それはもう盛りの付いた獣レベルで興味を持つものだ。
誰にも言えない背徳感と、経験した事の無い高揚感とが入り混じったひととき。
身体の奥底から沸き上がってくる熱い悦びと、ゾクゾクするような快感。
それに抗う事など、まだ少年少女でしか無いガルムには、土台無理な話だ。
――よし……
水場の辺りに人が居ないことを確かめ、ガルムは自前の石けんで下着を洗った。
その粘っこい液体は、実際には中々落ちないモノだった。
お湯で洗えば良いのだろうが、給湯器など無いのだから仕方が無い。
下着を綺麗に洗い、あわせて水彩用のウエスも綺麗に洗っておいた。
大切なアリバイ作りなのだから、これは大事な事だ。
だが、何処かで気が緩んだのだろうか。
ガルムは背後に人の気配がして振り返った。
ついさっきまで、真剣に周囲を警戒していたのに……だ。
「……だれですか?」
暗闇に向かって声を掛けたガルム。
ややあって窓からこぼれる月明かりの中にヌッと黒い影が現れた。
「若でしたか…… こんな時間に…… って…… え?」
そこにいたのはリベラだった。
鋼線で止められた鉄球が月明かりの中でうすらボンヤリと光っている。
「あ…… 水彩画用の布巾を洗わないで…… 寝てしまったので……」
ウソは言ってない。ただし、本当の事も言ってない。
だが、僅かな思案を経たリベラは、無造作にガルムへと近寄った。
その鼻が捉えたのは、ガルムから流れてくる精液の臭いだった。
「こりゃ参りやしたね、若」
「え?」
「晴れて、男の方も仲間入りですな」
月明かりの中でリベラはニヤリと笑った。
ただ、ウソがばれたと思ったガルムは、僅かに俯いていた。
「若…… こりゃぁますます、両方どっちでも選べるってこってすね」
リベラの言葉にガルムが頭を上げた。
酷く落ち込んでいるようにも迷っている様にも見える。
だが、そんな姿を見つめるリベラは、優しい表情だった。
――――――――帝國歴383年11月25日
ガルティブルク城 太陽王個人エリア
翌朝、ガルムはいつものように男の格好で朝食の席へと着いた。
誰かにばれるんじゃ無いかとヒヤヒヤしながらの朝だった。
――――若、そりゃぁいけやせんぜ
――――ちぃと冷てぇですが綺麗に洗いやしょう
リベラは自分自身が使っている臭い消し付きの石けんを出した。
細作稼業なだけに血生臭い現場は枚挙に暇が無い。
それ故、リベラの手持ち道具には必ずこれがあった。
血の臭いを完全に落としてしまう強い石けんだ。
ガルムはそれを受け取ると、リベラの前にも係わらずシンクの上に立った。
そして、自分の下腹部と股間と、そして、男性器を綺麗に洗った。
何せデリケートな部位だけに、ビリビリと痺れるような痛みがある。
だが、少なくともこのままでは良くないし、正直、恥ずかしい。
――――そいつは男の経血みたいなモンですぁ
――――臭いがきついモンですんでね
――――尾行するにゃ最適なんです
そんな事を言いつつも、リベラはふと思う。
ガルムは本当に両方の性を持っているのだ……と。
俗に言うフタナリの細マラなどでは無い。
ガルムのそれは立派な男のサイズになっていた。
「……どうしたガルム。なんかあったのか?」
明らかに挙動不審なガルムを見て取ったのか。
カリオンは単刀直入な言葉を浴びせていた。
「え? あ…… うん…… ちょっと……」
何とも歯切れの悪い答えを返したガルム。
カリオンは僅かに首を傾げ、サンドラは怪訝な表情だ。
「後で…… 話すよ……」
精一杯の強がりでそう言ったガルム。
妙にギクシャクした朝食時は過ぎゆくが、カリオンはチラチラとガルムを見た。
これと言っておかしい点は無いが、少なくともその姿には妙な緊張があった。
何かをやらかした。
若しくは、親の顔を見れないような思いをした。
さて、その実はなんだろうか?と頭を捻ったのだ。
だが、午前中の公務が始まる直前、カリオンはリベラから報告を受けた。
恐らくはガルムが夢精したのだろうと、そう報告したのだ。
「……やれやれ」
笑うしか無かったカリオンは、何処か嬉しそうな様子だった。
報告したリベラだけで無く、ウォークやブルまでもが同じ表情だ。
「ラリー君も立派な男の仲間入りか」
「あの子は……ラリーはどうなるかと思っていたが」
ウォークが呼び始めたラリーの愛称は、いつの間にかカリオン陣営に広まった。
今ではガルムの名で呼ぶのがカリオンだけという状態だ。
「ただ……これからは注意しねぇとなりやせんぜ」
リベラは釘を刺すように渋い声音で言った。
なぜ?と言わんばかりの表情でリベラを見たカリオン。
ウォークもブルも不思議な表情だった。
「おや。おはようございます陛下。なにやら難しい話のようで」
そこにやって来たのは丞相の職にあるドレイクだった。
ウォークは事のあらましを伝え、リベラが釘を刺したことを添えた。
ドレイクもガルムの事情は飲み込んでいて、それでいて普通に接していた。
「……なる程。つまり、リベラ殿はあの子が自己生殖してしまう可能性を言っているわけですね」
「へい。左様にござんす」
それは、カリオンたちにとって晴天の霹靂と言うべき事だった。
少なくとも月のモノが来る様になったガルムに胤を付ける能力が付いたのだ。
「……盲点だったな」
「余りに当たり前に考えすぎていましたね」
カリオンのボヤキにウォークがそう返す。
そして、ブルはワンテンポ遅れて事態を把握した。
「……どこかの家の娘でも小間使いにあてましょうか? 王子も慣れれば手を付けるでしょう。逆に、その娘に伽を命じておけば『おいおい』
そう切り出したドレイクの言葉をカリオンは遮った。
ガルムの秘密を一手に握る少女など、先々頭痛の種になるのは明白だ。
「まずはあの子が自分の身体と上手く付き合うことを覚えさせよう。その上で、ガルムが必要だというなら、宛がえば良い。ただし、小間使いでは無くあの子の配偶者として相応しい人間である事が重要だ」
カリオンはそう切り返して全員を黙らせた。
そして、視線だけリベラに送り『あの子を見張ってくれ』と言った。
「……御意に」
「軽はずみな事はしないよう……あの子は思い込む事があるからな」
カリオンの危惧したもの。
それこそが親の心配と言うべきものだった。
ガルムは何でも抱え込みすぎる。全てを自分の問題にし過ぎる。
時には鷹揚と過ごし、全てを笑い飛ばす位の剛胆さが必要だ。
ただ、未だ齢13の子にそれを求めるのも酷なもの。
ならば、今クヨクヨと気を揉む問題がそんなに重要な事か?と教えれば良い。
明日や来週や来月・来年と、先々にまで気を揉む事か?と知れば良い。
「では早速」
「あぁ。ただ、監視されていると気が付かれないように。まぁ、リベラには言うまでも無い事だろうが」
その一言こそが全幅の信頼の証。
リベラは胸に手を当てて頭を下げ『御意に』と呟き立ち去った。
まるで音も無く風が抜ける様な歩き方は、僅かな距離で気配を感じなくなる。
「……恐ろしい存在ですな」
ドレイクもそう感嘆せざるを得ない姿。
年齢を重ね身体が衰えるに従って、全ての無駄を省いた究極の技になっている。
細作として求められる全ての能力を高次元で両立させた恐るべきネコ。
「だが、信頼に足る人物だ。能力では無く、その人格として」
カリオンが言ったその言葉は、ドレイクをして嫉妬を覚えるものだった。
もはや狂信レベルでドレイクは王への忠誠を誓っていた。
「……………………」
何かを言おうとして言葉にならなかったドレイク。
その脳裏に浮かんだプランは、王の歓心を引くためのものだった。
「さぁ、仕事の時間だ」
「御意!」
カリオン政権の閣僚が執務室に揃い、前日の報告を聞くことから公務は始まる。
常に複数の案件が進行しており、カリオンの国内改革はまだまだ道半ばだ。
面倒さえなければ、年内中には一定の成果が出るはず。
そんな思いを持つカリオンだが、脳の処理能力の何%かは常にガルムを案じた。
軽はずみな事だけはしてくれるな……と、そう願っていたのだ。
だが……
「若!」
ガルムの部屋へとやって来たリベラは、入るなり鋭い声を発した。
第一王子と言う事もあり、ガルムの部屋はそれなりに広い。
だが、その部屋の中でリベラが見たものは、上半身裸になったガルムだ。
その手に短刀を握り締めており、左胸の内側には僅かならぬ切り傷があった。
リベラは無意識レベルで部屋の中をグルリと見回した。
侵入者が入りそうなルートを考えたのだ。
しかし、どれ程に探して見ても、どこにも異常を発見出来ない。
最強のエリートガードなリベラの目は、最終的にガルムを見ていた。
「……リベラさん」
――そうか……
リベラは瞬時に何かを悟り、同時に驚くほどの踏み込みを見せた。
一気に距離を詰め、致命傷となる一撃を加える細作の動きだ。
そして、リベラはガルムの手首を叩いた。
折らない程度に力加減をしてだ。その一撃でガルムは短刀を床に落とす。
リベラはその短刀を足で踏みつけ、同時にガルムをギュッと抱きしめた。
「馬鹿な事はお止めなせぇ!」
「……じぶんじゃ痛くて出来なかった」
「解りやした……解りやしたから……」
リベラの腕の中でガルムは震えていた。
僅かな間をおいて部屋にサミールがやって来た。
太陽王のプライベートエリアに入れるメイドは、サミールを含めて僅かだ。
故に、サミールは1年365日、24時間このフロアにいる。
そして、リベラの声を聞き駆けつけたと言う事だ。
「王子!」
リベラはガルムの両腕を拘束するように抱き締めている。
そんなリベラの足が踏みつけているものは短刀だ。
リベラを見てからガルムへと視線を移したサミールは、黙って首を振った。
ガルムが何をしようとしたのかを理解したのだった。
「……まずは落ち着きやしょう。そんな事をしたって無駄にござんす」
「でも……」
男でも女でも無いのでは無く、男でも女でもある身体。
それは、ただでさえ不安定なガルムの精神をより一層不安定にした。
精神的なジェンダー傾向は間違いなく男性型なのだが、身体は違うのだ。
鏡の前に立てば、嫌でもその胸が目に入る。
それは、母親譲りな豊かさでガルムに肩凝りを起こすほどだ。
「切り落としたって……痛ぇだけですぜ」
「……うん。解ってる。でも……」
ガルムは短刀で自分の胸を切り落とそうとした。
その時、無意識に手を伸ばしたのは胸だったようだ。
ガルムは深層心理レベルで自分が男であると認識している。
そんなガルムにとって、胸の膨らみは憎むべき敵だった。
「まずは手当てをしましょう。例えなんであれ、お身体に傷が残ると私達はタダでは済みませんからね」
サミールは傷薬を用意し、ガルムの胸にそれを塗りこんだ。
魔法薬と呼ぶべき成分入りのそれは、一般人では望むべくもない高級薬だ。
サミールはそれを多めに取り、割と深く切っていた傷口へと塗りこんでいく。
するとどうだ。
ざっくり切れていた筈の傷口がたちどころに塞がっていた。
その傷口を手ぬぐいで清め、残っている傷跡にもう一度塗りこむ。
「これで解りません」
「でも…… そうだ。リベラさん、僕のこれ、切り落として」
ガルムの真っ直ぐな眼差しでそう要求されたリベラ。
百選練磨な細作とはいえ、さすがに言葉が無かった。
「ですから…… バカを言っちゃぁいけやせん。切り落としちまったら終りです」
「いいよ。要らないから。僕は男だから必要ない」
「若……」
散々と悩みぬいた末ならばともかく、これは若者の衝動的な行為。
それを確信しているからこそ、リベラはガルムを止めた。
「じゃぁ……こうしやしょう」
ガルムの肩に上着を乗せながら、リベラは真剣な表情でガルムを見た。
「若が学校へ行って、そこを卒業して、王のお役に立つ日が来たとき。その時にまだ要らないと言うのであれば、あっしが確実に、痕も残さず切り落としやしょう。ですから、それまでは、どうかこのままに」
上手く丸め込まれた……
ガルムの顔にはそんな色が垣間見えた。
ただ、余り我儘を言うと、このリベラと言う男は怖いとも思っている。
「うん…… わかった……」
不承不承にガルムはそれを飲み込んだ。
若者の無鉄砲さを上手く御するのも大変だ。
リベラもサミールも、そんな事を思うのだった。