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未来は無限

~承前






 衝撃の経験から3日目。

 比較的落ち着いたガルムは、大人しく室内で本を読んでいた。

 初級学校に入ること無く城内で読み書きを覚えたガルム。

 今さらに思えば、自分は外に出しては貰えぬ存在だった。


 ただ、それについての不平不満は無い。

 前はそれこそ山のようにあったものだが、今は完全に消えていた。

 いや、もっと率直な表現をするなら、意味を理解したと言うところだ。


 正体がばれては困る。

 その一念だったのだと納得していた。


 サミールによる生理用品のレクチャーは的確で、焦りを覚える事は無い。

 ただ、それが外れてしまうと、色々面倒な事になるのはよくわかっている。

 故に、快活で活動的だった筈のガルムも、今は大人しくするしかなかった。


 男として生きてきた少年が女の子の日を過ごすという冗談のような状況。

 サミールは、暇を持て余している筈のガルムに、新しい本を用意してきた。


「そろそろ読み終わる頃かしら?」

「はい」


 そもそも、紙が貴重な世界である以上、活版印刷など望むべくも無い。

 ガルムが手にしているのは、古の時代から読み継がれて来た重厚な装丁の本。

 その中身は、全て手書きで記されていて、筆者の注釈が時々挟まっていた。


「……サミールさん。これ、僕の話ですか?」


 表紙に描かれたイラストに、ガルムは何かを察した。

 複雑な身の上に生まれた少女が、周囲の要請で男として育つ話だった。


 王家の血筋に連なる者は、誰だって大なり小なり闇を抱え生きていく。

 その少女もまた、病弱な王子の影武者となる為に男として育てられる話だった。


「あなたとは違うけど、境遇は似てるわね」


 ニコリと微笑むサミールの姿は、淑やかで慎ましい理想の女性像だった。

 ある意味で母サンドラ以上に影響を受けた相手。それがサミールだ。


「……僕は」


 何かを言おうとして言葉を飲み込んだガルム。

 その小さな身体に秘める葛藤と諦観は、他人にはうかがい知れぬモノだった。


「ちょっと怖い話をしますよ?」


 ガルムの前で膝立ちになったサミールは、ガルムの頬を両手で挟んだ。

 そんな状態で真正面から言われれば、ガルムは僅かに頷くしか無い。


 ほのかに感じる花の香りは、サミールと言う女性の本質を現していた。

 つまり、隅々まで意識が行き届き、細かなところまでキッチリ仕上げる。

 そしてなにより、隙を見せない卒のなさ。


 男だと思ってきたガルムの、その心のウチにふと浮かび上がってきた思い。

 こんな人物になりたいと言う、目標としての存在だった。


「……王家の血筋って言うのは、必要以上に血が濃くなり過ぎるモノです。身内親族どうしで婚姻を繰り返した結果ですが、予想以上に困った問題が起きます」


 彼らの科学や医学的な知識のレベルなどたかが知れている。

 五輪男や琴莉らが驚いたように、傷口を消毒すると言う知識すらない。


 そもそも彼らは身体に備わっている抵抗力が半端無いのだ。

 強力な免疫機構が少々の病原菌など全て撃破してしまう。


 故に、医学的な研究や科学的な考察などが中々発展しなかった。

 治療魔法を研究する僧会などの持つ知識は膨大なトライアンドエラーの結果だ。

 遺伝子異常によるクラインフェルター症候群など、土台理解出来るわけが無い。

 彼らの理解として存在するのは、原因と結果の因果関係を想像する事だけだ。


 だが、経験則に勝るものはいつの世も存在しない。

 血が濃くなり過ぎる弊害は、嫌でも理解得ざるを得ないモノだった。


「どんなのですか?」


 恐る恐るな調子でそれを聞いたガルム。

 サミールは小さく息を吸い込んでそれを切り出そうとした時だった。


 ――あのザリーツァの様な異常者が産まれます

 ――精神に異常を来すだけで無く、時には身体的な異常を持って産まれます


 思わず『え?』と小さく発して振り返ったサミール。

 ガルムも驚いて声の主を探した。


 その声の主はガルムの部屋の入り口で、大きな花瓶を持ち立っていた。

 王の庭から摘んできたらしい、溢れるほどの花々を花瓶に生けて持っていた。

 その花々は芳しい香りを部屋中に放ち、ガルムの部屋を花の香りで満たした。


「……母さま」


 ある意味、ガルム以上に悲しい表情をしてサンドラはそこに立っていた。

 甘く爽やかな香りを発する花々を生けた花瓶は、部屋の入り口に置かれた。


 それがどんな効果を期待したモノなのかは、言うまでも無い事だ。

 どれほど効果的な生理用品であっても、生理中は臭いが気になるもの。

 ましてや鋭い嗅覚を持つイヌならば、経血の臭い以上に体臭で感じ取る。


「サミールさん。この数日中、花は毎日取り替えて下さい」

「……畏まりました」


 立ち上がって深々と頭を下げたサミールは、スッとガルムのそばを離れた。

 その近くへと歩み寄ったサンドラは、ガルムの頭に手を乗せていった。


「……私の産まれたザリーツァの郷では、先天的に異常を持って産まれてくる子が一定数居ました。そのどれもが育たずに死んでしまいますが、中にはある程度育ってから間引かれる子も居ました」


 母サンドラの切り出した言葉にガルムは総毛だった様な顔になった。

 それが意味する所はつまり、自分自身の身の上だと痛感したのだ。


「その子達は……みんな……」

「あなたと同じというだけじゃ無く、もっとおかしい異常を持つ子も居ました。一見すれば正常に見えても精神がおかしいと言うなら、実際にはまだ可愛いもので、最初から完全におかしいと解るような、そんな者達もいました。異常に頭の大きな者や、最初から手足が4本ずつ備わっている者。そう言った者達が居たのです」


 サンドラの言葉に狼狽えるガルムは、視線を床に落として震えた。

 精神に異常を来すだけで無く、身体的におかしい姿は恐ろしいのだ。


「あなたと同じ者を何人も見ました。その多くが育たずに死ぬかその母を含めた一族郎党が全てなかった事にされ、ザリーツァの郷から消されました」


 息を呑んで話を聞いていたガルムは、恐る恐るに続きをせがむ。

 ある意味で心の準備が必要な話だろうが、それでも聞きたかった。


「その人たちはどうなったの?」


 どこかでガルムは聞いていた。

 時々は王都へとやってくる芸人団の中に居る奇術師の存在を……だ。


「乞胸……と、そう呼ばれる河原芸人に身を落とすしかなかった。自分自身を見世物にして、他人に笑われて気持ち悪がられて、興味とか好奇心の対象にされて、そうやって生きていくしかなかったのよ」


 母サンドラの言葉を聞いたガルムは、小さく『あっ!』と呟いた。

 何かを察した。何かを理解したと言ってよい。


 自分がこの城から中々外に出されなかった理由。

 自分の周囲に常に人がいた理由。


 それだけじゃない。


 父カリオンの側近中の側近であるウォークおじさんは常に帯剣していた。

 城内警護の長であるブルおじさんは、平時であっても胸甲を付けていた。

 太陽王親衛隊の抜刀帯長ヴァルターさんは、戦太刀と細剣の2本を持っていた。


 彼ら三人が行なっていた事を、ガルムは直感で理解した。

 時々、城の中が血生臭かった理由。

 王の庭の土がそっくり入れ替えられた理由。


 幾人もの庭師達が、突貫工事でその作業を行った訳。


 ガルムの正体を知りたい者は沢山いる。

 それこそ、他国に情報を売りたい者まで含め、鵜の目鷹の目だったはず。


 彼らに対抗する為に、3人は常に武装して城内にいた。

 そして、それ以上の存在がいる事も思い出した……


「……同じような話ゃぁ……ネコにだってたんまり有やすぜ。若」


 サンドラに続き部屋に入ってきたのは、この城にいる最強の存在だった。

 ガルム自身が本能的に怖がる程の殺気を放つネコ、リベラだ。


「リベラ……さん」

「あっしのこたぁ……遠慮なくリベラとお呼びなせぇ 若」


 サンドラに続き部屋へと入ったリベラは、音も無く床にうずくまった。

 すっかり老成した姿だが、それでもネコはイヌの倍を生きる。


 一切の音を立てず、まるで埃球が床に落ちるように身を屈めたリベラ。

 それは、ガルムと視線の高さを合わせる為のものだった。


「あの……」


 リベラの言った内容は、いまのガルムには良く分かった。

 このリベラというネコの老人は、城の中で常に賊徒の進入を見張っている。

 普段は地下への入り口辺りで待ち受け、イヌ以上の嗅覚と聴覚で動き出す。


 闇に紛れ、音と気配を殺し、進入した者を確実に屠る存在。

 そして時にはガルムに身のこなし方や気配の殺し方を教える教師だ。


「ネコは長生きな分だけ、人生に飽いてるんですぁ……」


 ネコの国訛りな言葉を隠そうともせず、リベラは静かな声で言った。


「ネコでもヒトでも何でも良い。手篭めにしてなぶり殺しにして、辛さと苦しさに泣き叫ぶもんを見て、ニヤニヤと下卑て笑うなんてなぁ序の口ですぁ……」


 思わず『うそ……』と漏らしたガルムは、背筋の寒くなるおもいだ。

 娯楽の為に他人を苦しめるなんて事が許されるはずがない。


 だが、ネコであるリベラは間違いなくそう言った。

 そして同時に、細作と言う存在の意味をガルムは初めて理解した。


 闇に紛れ、誰かの代わりに手を汚して生きていく存在。

 幾許かの金と引き換えに、罪を被る存在。

 決して許されるべきでない、殺し屋と言う忌まわしい職業。


 リベラの生き方には芯がある。ぶれない信念があるのだと気が付いた。

 そして、殺し屋ならぬ存在が娯楽で他人を殺しかける事に嫌悪している。


 そこには間違いなく美学があるのだと知ったのだ。


「……あっしだってネコの端くれですぁ。それをやる連中が何を思ってるのかなんて手に取るように解りやす」


 それは、ガルムにもまだ知らない事だ。

 だが、ネコの国のアングラな話を紐解けば、その手の話しは幾らでも出て来る。


 ヒトの少女を手篭めにして、場合によってはショック死しかねない事をする。

 或いは、命に関わる性的な嫌がらせやいじめをして、苦しむさまを楽しむ。

 そんな、人間の根幹が腐りきった娯楽を、下卑た笑いでニタニタと楽しむ。


 リベラトーレは、そこに絶対相容れないレベルでの嫌悪を抱いていたのだ。

 それこそ、あのエゼキエーレの娼館の中で、何人もの男を始末してきた。

 金を払えば客だろ?と勘違いした人間のクズを、文字通りのクズに変えてきた。


 そしてそれ以上に酷いモノを幾つも見てきた。

 女ならぬ存在――男の子――を囲い、徹底的に苛め抜く女たち。

 倒錯した性的趣向を凝らし、死ぬ寸前まで苛め抜くキチガイたち。


 もはや死を待つばかりになった彼らを『壊れた』と棄てる女達を何人も見た。

 そして、最後の慈悲を与えた事だって一度や二度ではない。


 リベラは、それらに心からの軽蔑を、嫌悪を覚えてきたのだった。


「飽いてるんですぁ…… もう、生きてる事自体にウンザリなんですぁ…… 泣いて喚いて助けを乞うて、それでも悲鳴を上げ苦しんでる姿ですら…… 娯楽なんですぁ…… あっしぁ…… そんな連中もこの手に掛けた事がありやすが……」


 いま、この城の中にいる腕の立つ者達が常に武装している理由。

 それはつまり、自分の警護であり身の安寧を保つ事だった。


 皆、ガルムの秘密を知っていた。

 その上で父カリオンはガルムを護れと命じていた。

 その、ある意味で過保護な振る舞いの理由。


 ――あ……そうか……


 ガルムは母サンドラを見た。

 サンドラが悲しそうな顔になってガルムに詫びた意味を知った。


 父カリオンが守りたかったのは、ガルム以上にサンドラなのだ……と。

 自分自身の父がトウリ公なのはガルムも知っていた。


 まだ会った事は無いが姿は見た事がある。

 トウリ公は何時も遠くから自分を見ていた。


 父カリオンはトウリ公の為にサンドラを護っていたのだ……


「リベラさんも……」

「ですから、あっしのこたぁリベラで結構でござんす」

「いえ。母を護っていただいてますから」

「そりゃぁ――」


 一瞬だけゾクリとした殺気がガルムを襲った。

 その殺気の主は間違いなくリベラだった。


 ほんの僅かな刹那だけ見せた、細作リベラトーレの本気。

 だが、それこそガルムを心底ビビらせるには十分な威力だった。


「――かんちげぇも大概にしなせぇ」


 スッと立ち上がって数歩下がったリベラは、腕を組んでリベラを見た。

 その立ち姿には一切の隙がない、完璧な立ち姿だった。


「若……よくお聞きなせぇ」

「はい」


 ガルムは素直な声で返事をした。

 真っ直ぐに育っていると実感したガルムは、カリオンの手腕に唸った。


「普通、人ってなぁ生まれた時に一生が決まるもんでござんす。要するに、男に生きるか、女に生きるかってこってす。世の中は厳しいもんで、男にゃぁ男の、女にゃぁ女の、それぞれに役割ってモンが決まってるもんでござんすよ」


 小さく首肯しつつ『うん……』とガルムは呟く。

 リベラは僅かに笑みを浮かべて続けた。


「若。あんたぁついてる。運が良い。本当に運が良い。人によっちゃ、本気で羨ましがって悔しがるほどに運が良い」

「え?」


 驚きの表情でリベラを見たガルム。

 心のどこかにあった苦手意識が今は無かった。


「あんたぁどっちにでも行けるんですぜ。男に生きたきゃ男の生き方をすれば良いし、女に生きたきゃ女になれば良い。線の細い、なよっちぃ男なんて掃いて棄てるほど居ますぁね。逆に、男勝りな女だってナンボでも居りまさぁね。若。あんたはどっちにでも行けるんだ」


 ポカンとした表情でリベラを見たガルムだが、そこで初めて理解した事がある。

 今の今まで、国民の殆どがガルムの姿を見て無い事の本当の意味。

 可能な限りカリオンがガルムを隠してきた事の意味。

 なにより、自分につけられた名前の本当の意味。


「未来ってなぁ若者に有利なように作ってあるんでさぁ。あっしの様に死ぬまで影の中で生きるこたぁない。光の当たる場所へ出る時まで、その時には自由に生きられるように、王は配慮なさったんでござんすよ。そこを了見ちげぇしねぇように」


 ガルムは薄く笑いながら『はい』と答えた。

 未来は無限だと、ガルムはこの時思ったのだった。

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