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泡沫の日々


「寝たか?」

「えぇ」

「そうか……」


 ガルディブルク城の最上階には、太陽王のプライベートルームがある。

 文字通りの生活空間として存在するここは、太陽王がひとりの男に帰る場所だ。


 王では無くひとりの人間として生活する為の場所。

 カリオンとサンドラの夫婦が子供達を育てる家庭としての場所。

 そして、一握りの者しか立ち入りを許されない非常に個人的なエリアだ。


「そうとう楽しかったようね」

「あぁ。この寝顔を見れば分かるさ」


 カリオン一行はフレミナ地方を一回りし、ようやくガルディブルクへと戻った。

 かれこれ30年ぶりの行幸ということもあり、ル・ガル中が色々と沸き立った。


 だが、今回のツアーはフレミナ訪問が目的では無い。

 そもそもの本題は、ガルムに世界を見せる事だった。


 城の中で育った真性ひきこもりなガルムに広い世界を見せ、学ばせること。

 そして、異なる文化や生活に触れさせ、視野を広くすること。

 なにより、将来の為に見識を積ませることが重要だった。


 だが……


「フレミナでの経験がどんな結果に結びつくか興味深いな」

「本当にその通り……」


 カリオンとサンドラの脳裏に浮かぶのは、あのザリーツァの差配ベルムントだ。

 彼はオクルカやカリオンなどのようにビッグストンで学んだ武人では無い。

 王都ガルディブルクへと上京はしたのだが、学びを得た場所は違うのだ。


 ベルムントが学んだのは、ビッグストンの対極にある学校。

 王立工科大学と王立経済大学のふたつだった。

 工科大学で建設学を学び、経済大学では社会政治と経済を学んだ。


 その学びの結果が、あのザリーツァの改革だった。


「しかし……こんな事は言いたくないが、あのザリーツァの伝統は病んでるな」


 カリオンの吐いた率直な言葉は、サンドラの心に何かを響かせたらしい。

 悲しみを混ぜ込んだ複雑な表情で、溜息をこぼしながら言った。


「ザリーツァの一門は産まれてから大人になるまで自分たちは特別だって教えられるから……世界を知らないから、あの異常な社会習慣が当たり前に育つのよ」


 サンドラの言葉に幾度か首肯を返したカリオン。

 その脳裏に浮かぶのは、心底嫌そうな表情を浮かべるカウリの妻ユーラだ。


 サウリクルへと嫁いでから、一度たりとも帰郷しなかったユーラ。

 彼女は自らの故郷フレミナとザリーツァを毛嫌いしていた。

 それこそ、蛇蝎のように嫌っていた。


 だが、今となってはそれも理解出来る部分がある。

 少なくとも、あのザリーツァを見てしまっては……


「狭い社会の中で育まれる文化は、やむを得ないのだろうな」

「他との接点が無いから……どんどん歪んでいくの」


 サンドラの言った接点という言葉。ここには複雑な意味があった。

 そも、ザリーツァの一門は、道徳的優位という言葉を良く使う。

 それは、理屈では無く根本的にザリーツァが上という認識だ。


 長らくフレミナ一門を支配してきたザリーツァは、生まれながらに上なのだ。

 フレミナの社会には対等と言う概念が無く、全てが上下関係となる。

 極々僅かでも立場的に上ならば、その意向が最優先される社会だ。


 ザリーツァの一門はそんなフレミナ社会にあって貴族の中の貴族だった。

 最も古く最も優れ、そして最も常に新しい貴族として存在するのだ。


「無条件で優遇される社会に居ると、人間的におかしくなるからな」


 カリオンはハッとした表情で自分の吐いた言葉を振り返った。

 ビッグストンで学んだ中のひとつが、支配される側を知る事だった。


 入学したばかりのポーシリ(一年生)は、本当に人間扱いされないのだ。

 そんな中でひたすら根性を鍛えられ、我慢することを教えられる。

 やがて進級して自分よりも下が出来た時、その意味を知るのだ。


 その仕組みの意味をカリオンは痛感した。2年に上がった者を3年が指導する。

 ごく僅かな差だったとしても、上に立つものが最優先されるのはおかしい。

 下の者に気を使わないと、目的が達せられないように仕組まれているのだ。


「上にも下にも気を使い、護ってやることを覚えないとな」

「ホントその通りね」


 ベッドの中で穏やかな寝顔になったガルム。

 遠目に見ていたカリオンは、少しだけ微笑ましい表情になっていた。


「ガルムはビッグストンでは無く工科大学か経済大学に入れよう」


 ボソリと呟いたカリオンは、ジッとサンドラを見た。


「ガルムは王の試練を受けられない。だから試練そのものが無くなれば良い。何も問題無い。全ては俺の手の上だ」


 ニヤリと笑ったカリオンは、ガルムの寝顔を見つめていた。

 その隣に居るエルムと共に育つ、大切な可能性だった。











 ――――――――帝國歴379年9月12日 深夜

           ガルディブルク城 太陽王居室











「リリスは……それで良いのかな?」


 サンドラは控え目な声でそう言った。

 かねてよりリリスはガルムに王の試練をと言っていた。

 ガルムが隠し持った人には言えぬ秘密を承知の上でだ。


「それは当人に聞いてみないとな」

「……そうね」


 暑い夏が終わりを迎え、油断をすれば涼風が吹き始める時期だ。

 サンドラはふたりの息子の薄掛けを整えた。


 ガルムはどちらかと言えば身体が弱い。

 同世代の子供と比べると、少々身体の線も細い。


「私が言うのも変だけど……」


 子供達のそばを離れたサンドラは、そんな事を言いながらカリオンの隣に来た。

 大きなソファーの隣へ腰を下ろした彼女は、真面目な顔になって言った。


「なんだ?」

「あなたはもっと子供を作るべきよ。それも私以外の女と」

「……は?」


 ポカンとした顔になってサンドラを見たカリオン。

 そのサンドラは至って真面目な顔になって言った。


「フレミナの街でもそうだけど、男の胤が一緒ならそれを蒔く畑は複数あるべき」

「いきなり何を言い出すんだ?」

「可能性の話をしているの。馬だって掛け合わせの種類によって異なるでしょ」


 それが何を言いたいのか、カリオンもよくわかっている。

 次の王も強くなければならないのだから、可能性の幅は広げた方が良い。

 複数の女を相手に子を為し、その子供達を鍛えて将来への布石とする。


「……まぁ、ノーリもトゥリもそうだったが」

「シュサ帝の時代に一気に細くなってしまった王家を再び広げなきゃ」

「サンドラ……」


 一つ息を吐いてからジッとカリオンの目を見たサンドラ。

 その顔には悲壮感の欠片も無かった。


「まぁ……そうだよな」


 何かを得心したように首肯したカリオン。

 サンドラの言いたい事を見抜き、それを黙っている優しさだ。


 次の王がサンドラ以外の誰かが生んだ子になれば、その母が次の国母だ。

 つまり、ガルムやエルムの母であるサンドラは自由の身になる。


 そうすれば、本来の帰るべきところへと帰れる筈……


「いつかまた……そう願う事くらいは許して……ください」

「そうだな。元鞘に収まるのが最も良い事だ」


 自分の願いをカリオンがちゃんと汲み取っている。

 それに気が付いたサンドラは、僅かに涙ぐんだ。


「あの人の御義父様と……カウリ様とここを離れる時、ユーラ様は……御義母様は最後までレイラさんをここへ残そうと奔走したんです。それこそ、あの王都の女学院の中に匿おうと、手の者達を総動員して。でも――」


 首を振りながらサンドラは溜息を吐いた。

 それは良くない兆候だとカリオンは気付いていた。


「――女学院を差配するのはシャイラ叔母様だったから出来なかった。だから最後は、サウリクル家に出入りしていた女中組合の中にまで手を伸ばしたんです」


 その迫真の告白に『で?』と続きを迫ったカリオン。

 それはリリスからすら聞いていなかった話だった。


「リリスだけ連れて行くから良い。お前はここに残れ。リリスは何があってもワシが生き残らせる。ワシの代わりにあなたを……カリオンを叱りつける役になってくれと……でも……」


 カリオンは黙って首肯した。

 そのやり取りの様子が手に取るように見えたからだ。


「でも、レイラさんは迷う事無くそれじゃダメと言ってユーラ様に付いていったのよ。まだ義務が残っているって言って。私はそれで学んだの」


 幾度か首肯していたカリオンは『義務だな』と呟いた。

 王権の中枢にある者が背負うべき義務と責務。

 その二つの為にレイラはユーラに付き従った。


 結果、あの荒れ地の中で命の危険に曝され、ゼルは救出するべく飛び込んだ。

 如何なる大義名分があろうと、義務の為に結果として死んだのだ。


 だが、それは紛れもなく必要な事だった……


「私は私の義務を果たします。だから……」

「あぁ。解ってるよ」


 サンドラに手を伸ばし、その身体をギュッと抱き締めたカリオン。

 どこからともなくうっすらの花の香りがした。


「我が父ゼルを演じたヒトの男と、その思い人だったヒトの女と約束した事だ」

「え?」


 カリオンの言葉にサンドラが心底驚いた。

 だが、カリオンは僅かに笑みを浮かべながら言った。


「こんな悲劇を繰り返して欲しくないから、だからがんばれ……と、そう父に」


 カリオンの胸を押し返し、その顔を見たサンドラ。

 ただ黙って男らしく笑うカリオンは、ジッとサンドラを見つめた。


「ただ、今はまだダメだ。ガルムにとって泡沫(うたかた)の……夢のような日々なんだよ。親の愛情を感じ、人間的な厚みを増す時期なんだ。だからな」


 その言葉に深く頷き『はい……』とサンドラは応えた。

 まだまだ義務を果たさねばならないと知りつつも、心は晴れやかだった。


 いつかきっとたどり着ける優しい未来が確実にある。

 サンドラはそれを知ったのだった。






 


 ル・ガル帝國興亡記

 <中年期~うたかたの日々>の章



 ―了―



 <中年期 乱世の胎動>へと続く

1週間程お休みです

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