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ザリーツァの郷へ<中編>

~承前






 サルンの街へと入っていったカリオンは、遠くに高い建物を見つけた。

 その巨大な建物はすり鉢の中心部に聳えていて、周辺を圧するように存在した。


「……でかいな」


 短い言葉で感嘆したカリオン。

 その隣ではオクルカが複雑な表情だった。


「ザリーツァの府です。フレミナ中興の祖。フリオニールの時代から連綿と造築を繰り返している建物です」


 その言葉にカリオンは眉根を寄せ怪訝な色を浮かべた。

 フリオニールと言えば300年以上前、始祖帝ノーリと争った男だ。


「……しかしまた、なぜ300年も改築を?」

「それは……」


 言葉を濁したオクルカは微妙な表情になって言った。


「街へと入れば……なんとなく解って貰えるでしょう」

「……そうですか」


 馬を進めたカリオンはゆっくりと街へ入った。

 どんな街でもそうだが、外縁部はどちらかと言えば寂しいものだ。


 ただ、そこから進んでいくうちに、カリオンはこの街の異様さに気付いた。

 それは、今までに見たどんな街よりも異様で、異常だった。


 ――なんだこれは……


 カリオンが見ているそれは、地面にめり込むように立っているあばら屋だ。

 これではフレミナの厳しい冬を越えられるわけが無い。

 そんな印象もあながち間違いでは無いだろう。


 すり鉢の斜面を掘り返し、建物自体が半分程の高さまで地面から下がっている。

 門口と思しき所には階段があり、数段下がって建物に入る形だ。


 そして、それ以上におかしなものがある。

 地面を掘り返しているその窪みには、どう見ても水の溜まった跡があった。

 ただ、その跡にはビッシリとカビが生えている。


 そのカビの下、建物の壁に残っている色を見れば……


「……オクルカ殿。コレはいったい」


 カリオンの問いにオクルカは渋い表情をしながら首を振った。

 否定的な感情が溢れているその姿は、カリオンの見た事が無い姿だった。


「ザリーツァ一門の祖は、長らくヒトを顧問として抱えていたと言います」

「……そうですか」


 静かに切り出したオクルカだが、カリオンは黙って聞いた。


「そのヒトはザリーツァの中で特権的な力を得ていたと言います。フレミナ5家の中でザリーツァが何故突出していたのかと言えば、そのヒトの存在に尽きるのですが……」


 何とも歯切れの悪い物言いに、カリオンはオクルカの内心を思った。

 正直似言えば、忸怩たる思いで一杯なので有ろう事が容易に予想できた。


「その……ヒトの存在が何か問題でも?」

「えぇ。問題でした。と言うより、問題そのものの根幹です。今のザリーツァに残る異常な社会風習。それは、そのヒトの男の残滓です」


 意を決したように切り出したオクルカの言葉は、静かな怒りに満ちていた。

 カリオンはその姿に覚えがあった。これは、プライドを踏みにじられる姿だ。


 怒りを噛み殺し、結果を得る為に我慢する者が見せる姿。

 飲み込み難き辛さをグッと堪えて飲み込む姿だ。


「そのヒトの男は事ある毎にザリーツァの中で言ったそうです。我々が文明を与えてやったんだ……と。下等なお前らに文化を授けてやったんだと。甚だ恩着せがましく、繰り返し繰り返し言ったんだそうです」


 その言葉はカリオンにとって余りに衝撃的なものだった。

 少なくとも、まともな大人なら……いや、まともな人間なら口にしない言葉だ。


 与えてやった。

 授けてやった。


 それは、一歩間違えば全面闘争に入る言葉。

 最も簡単な表現をするなら、喧嘩を売る言葉だ。


「……伯父であるフェリブル公の異常名振る舞いも解りますね。それは」

「えぇ……」


 オクルカは苦虫を噛み潰したような表情のまま淡々と歩いた。

 ふと気が付けば、辺りの家々は地面にめり込むこと無く建っていた。


「そのヒトの顧問が言った言葉は、今もザリーツァの中に残っています。その時代のザリーツァ一門が反発する都度にヒトの顧問は言ったそうです。恩を仇で返す愚かな者どもめと」


 オクルカの言葉にカリオンがハッとした表情を浮かべた。

 それは、あのフェリブルが言った『道徳的に優れている』を思い出したのだ。


「今さらに思い出すのですが……フェリブル公を含めたフレミナ一門の男達は、思うようにならぬ時には本当に子供のように大騒ぎしますが……」

「まさにそれがザリーツァの宿痾なんですよ」


 宿痾

 それは、中々治らない病を差す言葉だ。

 更にいえば、それは業病のように持って生まれるものだ。


 あのフレミナ争乱が終わった後、まだまともだったトウリが何度か語っていた。


 ――――フェリブル公は突然床にひっくり返る事があった

 ――――思うようにならない時や我慢できない時だ

 ――――奇声を発し床を掻きむしり暴れた

 ――――時には床の敷物をちぎって囓った事もある

 ――――あれは……キチガイだ


 それは不穏当極まりない言葉だ。

 本人を前にして言えば、絶対に碌な事にはならないものだ。


 だが、トウリはそれをハッキリと言っていた。

 少なくともまともな人間では無いと、そう言った。

 そんなフェリブルの、フレミナの病巣部をカリオンは知った。


「廻りの家を見て気が付きましたか?」

「えぇ。この廻りの家は地面にめり込んでない」

「そうです。そしてこの先は……」


 オクルカが進んでいく先、周囲の家々が中二階を持つ形になった。

 そのまま進めば、全てが二階建てになっていた。


「高くなっていますね」

「そうなんです。理由が分かりますか?」


 とにかく呆れるようにしているオクルカは、吐き捨てるように言った。


「真ん中に建つあの建物。あれはザリーツァの支配者が棲む所です」


 オクルカは遠くを指さしてそう言った。

 思えばあの建物を見上げる角度が段々と大きくなっていた。


「あの建物をね……支配者を見下ろしちゃいけないんですよ」


 オクルカが語った言葉にカリオンは『はっ?』と聞き返した。

 それは、どんな理由があるのかを全く理解出来ないものだった。


「そもそもアレは、ザリーツァを指導したヒトの住処だったそうです。ですが、いつの間にかフリオニールを中心としたザリーツァ指導部の所在地となりました」


 カリオンは呆れ果てた表情でオクルカを指さし言った。


「階級的に上に居る者を見下ろしてはならないから……だから家を掘り下げた?」


 俄には信じられない……

 そう言わんばかりの口調でそれを言ったカリオン。

 オクルカは文字通りにウンザリとした顔になって言った。


「そうです。そして、すり鉢の中心へ汚物や汚水が流れ込まないように――」


 地面を掘り返すジェスチャーを見せ、オクルカは肩をすぼめた。

 もう本当に呆れているんだと、そう感じさせる姿だった。


「――地形的に高い所に居る貧しい者が、低いところに居る地位的に高い者に、絶対に迷惑を掛けないように、ああやって掘るしか無かったんです。雨が振れば汚水が溢れ水びだしになってもそうするしか無かったんです。なぜなら、ここを追い出されたなら、彼らは山窩になるしかなかった」


 山窩の話はカリオンも聞いている。

 住所不定で最も下層に居るフレミナの被差別階級だ。


「……不平不満をぶつける対象として存在するのが山窩なんですか?」

「概ねその解釈で間違っていません。彼らはザリーツァ社会の生贄なんですよ」


 その時、カリオンの脳裏にゼルが現れた。

 とても悲しそうな表情をして、俯き加減にゼルは言った。

 罪の告白。痛みの告白。全ての生物が持って生まれた原罪だ。


 ――――ヒトに限らず……全ての生き物がそうだ

 ――――安全に勝てるなら勝ちたいんだよ

 ――――反撃されるぬと解っていれば攻撃したいんだよ

 ――――相手が悔しがる姿を見て喜びたいんだよ


 カリオンはそのゼルの告白に何も言えなかった。

 何故ならそれは、カリオン自身が思ったこと、感じたことだった。


 ――――いいかエイダ

 ――――これだけは絶対に忘れるな


 ゼルは殊更真剣な顔をしていった。


 ――――傷ついた人は自分より不幸な人を見て癒やされる

 ――――自らが咎に問われぬなら誰かを破滅させたいんだ

 ――――罪に問われぬのであれば誰かをメチャクチャにしてやりたいんだ

 ――――そして悔しがって憤る姿を見たいんだ

 ――――それこそが生物全てが持つ原罪だ


 カリオンは思った。

 ザリーツァに文明を授けたヒトは、最低の種類の存在だと……

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