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ザリーツァの郷へ<前編>

~承前






「ここを登り切れば到着よ」


 長い長い大きな斜面を馬で登りながら、サンドラは笑顔で言った。

 その隣に居るガルムは、馬を巧みに操りながらそれに付いていく。


「凄い登るんだね」


 息ひとつ切らさず元気に行軍する姿は、さすがサウリクルの血統だ。

 その後ろ姿を見ながら、カリオンは叔父カウリを思い出していた。


 ――腰の柔らかさは血統だな……


 乗馬の肝は腰の使い方。

 どうしたって揺れる鞍の上で身体を支える体幹力が重要なのだ。


「フレミナの地面は二種類しか無い。斜面か、凄い斜面かってね」


 馬に乗って進むガルムとサンドラは、そんな会話をしている。

 その様子を黙って見ているカリオンとオクルカは、視線を交わし微笑んだ。

 母と子の青空教室は、父と子とは若干違うらしい。


「……良い情景だ」

「あぁ。妻の表情も晴れやかだ」


 サンドラはどちらかと言えば、常に蔭のある様子の人間だ。

 それは、フレミナの社会特有とも言える処世術の影響が色濃かった。


 フレミナの社会は上下関係の厳しい封建的なシステムだ。

 長幼の序が絶対的なモノとして存在している理不尽な社会だ。

 幼は長を敬い、長は幼を慈しむ。そんな精神など欠片も無い。


 長たる者は用の側に何をしても良い。なぜならそれは試練だからだ。

 幼の側にある者を指導し、上達させるために厳しく指導しているだけだ。

 それが単なるストレス解消のイジメだったとしても……だ。


 それを耐え忍び、長たる者の役に立つことこそ幼たる者の努め。

 飲み込み難い理不尽を飲み込み、無理な我慢を我慢しきる事が求められる。


 雪深く交通の不便なフレミナの社会は、そんな理不尽さがまかり通った。

 雪に閉ざされジッと春を待つ生活は、どうしたってストレスが溜まるのだ。

 それがさらに山岳地帯での不便な生活となれば尚更だ。


 そんなマインドをサンドラは確実に受け継いでいた。

 ただ、ガルディブルク暮らしが長いせいか、そんな部分がだいぶ抜けていた。

 トウリの母ユーラがそうであったように、サンドラもそうなりつつあった。


「決して嫌味として言う言葉では無いのだが……雪国に生まれ育った人々と南国の人々は、決してわかり合えないのかも知れないね。どうしたって環境が違いすぎる」


 カリオンは困った様な表情でオクルカを見ながら言った。

 油断をすれば雪崩に襲われ、慎重さを欠けば食料を食べきってしまう。

 雪の降らない地域に暮らす者には、どれ程説明しても絶対に理解出来ない事。

 常に全力な生活では無く、常に慎重に慎重に、計画立てた生き方。


 最大限に配慮した物言いだが、オクルカはそれを我が事のように理解した。

 どちらかと言えば温暖なガルディブルク郊外のビッグストンで学んだのだ。


「いや、それはもう痛いほど理解出来るよ――」


 常に全力を出し切り、後悔のタネを残さない生き方が求められる所だ。

 最初は途轍もなく面食らったし、そもそも理解出来なかった。

 士官は慎重たれと教え込まれるのだが、力を出し切れとは矛盾している。


「――ビッグストンの教授陣にいつも叱られた。手を抜いてる……と」

「……でしょうなぁ」


 演習を終えクタクタに疲れて帰ってきても、オクルカには余力があった。

 倒れ込みそうになるのを必死で堪える学生が多い中、涼しい顔で立っていた。


 ――――君は随分余裕だね


 最初はそれを賞賛だとオクルカは思っていた。

 だが、その言葉の真の意味を知ったのは3年も終わりの頃だった。


 ――――そんなに手を抜いている上官を部下が信用するか?


 教授の一言でオクルカはやっと悟った。

 自分の計画性は、南国育ちから見れば手抜きなのだ……と。


 疲れ切って動けなくなった時、雪崩や暴風雪対策が出来なくなったらどうする。

 そんな常識の中で育った雪国育ちには、絶対理解出来ない事だ。


 疲れ果て倒れ込むように寝てしまっても凍死の危険が無い地域。

 雪国から見れば、そんな生易しい地域生まれの方が余程理解出来なかった。

 無計画に全力を出し切ってしまっても、後で命の危険が無い地域だ。


「もう随分後になって……それこそ、あの河原で決戦に及んだ時にね、つくづくと思ったんですよ」


 オクルカの切り出した言葉にカリオンは背筋を伸ばした。

 それは、共に剣を交えた者同士にしか通用しない礼儀だ。


 命のやり取りの中で、言葉に成らない言葉を幾万と交わしたふたり。

 相手の出かたやり方を読み、その意図を考え見抜き、そして対処する。

 それは、膝を交えた談笑を遥かに超える、剥き出しな命の対話だ。


「……承りましょう」


 カリオンは丁寧な言葉でそれに答えた。

 それは、それこそは、あの戦で命を落とした者への礼儀だ。

 敵も見方も関係なくある、生命への敬意そのものだ。


「フレミナが勝ちきれなかったのは、突き詰めれば命への感覚だと……ね」

「なるほど。確かに」


 雪国にある者と違い、南国出身者はどこか命への関心が乏しい。

 言い換えるなら、北国に生まれた者は死が身近にありすぎるのだ。


 だからこそ、北国の者は無意識レベルで命を大事にする。

 南国出身者は遠慮なく命をぶつけに来るし、命を棄てる事にあまり抵抗がない。

 いや、死ぬ事はもちろん忌諱するのだが、死自体があまりリアルではないのだ。


「ル・ガル騎兵の精神は、何よりまず全力である事が大事。事の成る成らぬはともかくとして、死ぬ時に自分がやりきったかどうかが大切とされる。その通奏低音はフレミナにはないからなぁ」


 オクルカはそこに一抹の寂しさと悔しさを滲ませた。

 どこに正解を置くのかと言う社会通念の違いでしかない。


 ただ、その差はこと命のやり取りの現場で大きな差となってしまう。

 本気で挑みかかる両者に致命的なレベルでの差が付いてしまうのだ。


「……けど土壇場の場面で生き残るように振舞う精神は、軽装偵察騎兵などには最適ですよ。ダメと成ったらすぐに突撃では困ります」


 カリオンは慌ててフォローするように言った。

 偵察は情報を持ち帰る事が何より重要なのだ。

 だからこそ、命を惜しむような、ややもすれば臆病と呼ばれる者が重宝される。


「そう言ってもらえれば救われますな」


 カリオンのフォローと気遣いを感じ取ったオクルカが笑った。

 その笑い声を聞いたのか、ガルムは馬上で大きく振り返った。

 陽光溢れる日向道だが、高度もあってか汗ばむような陽気では無い。


「あの子には友愛の精神を持ってもらいたいと思っています。博愛主義がただの幻想なのは良く分かっていますが、やらぬ善よりやる偽善ですよ」


 カリオンの言葉に『ですな』と短く返したオクルカ。

 王の一行は親衛隊の護衛を受けながら坂道を登りきっていた。


「凄い! 凄いよ父さま!」


 カリオンより先に坂道を上り詰めたガルムは歓声を上げた。

 振り返ったガルムが遠くを指差している。


「なんだ? どうした?」


 そこへとたどり着いたカリオンが見たのは、小さな峠から見下ろす街だった。

 巨大なすり鉢状になっている地形の中にびっしりと家が立ち並んで居る。


「ここが……ザリーツァの郷が」

「えぇ。サルンと言う街です」


 フーレ河の河岸段丘上に出来たこの街は、かつての湖水面よりも上にあった。

 恐らくは湖が増水した際の水害対策なのだろうが、今は不便極まりない。


 フーレ河に向かって広がる扇状地では井戸の恩恵すらない筈。

 このすり鉢上地形の真ん中は、その井戸を中心としているらしかった。


「井戸に近いほど階級が上の者が住む。その水利こそがザリーツァの縦の糸」


 サンドラはどこか嫌そうな口調でそう言った。

 オクルカは目をそらし、カリオンは怪訝な目でサンドラを見ていた。


「この街の異常さは、街を出てから良くわかったのよ」


 短く『そうか』とだけ応えたカリオンは、隊の中で最初に馬を進めた。

 サンドラの馬にならび、その肩をポンと叩いた。


「ララ! 母さんと一緒にここに居ろ。良いな」


『はいっ!』と元気良く返事をしたガルム。

 それを見たカリオンは親衛隊抜刀長のヴァルターを呼んだ。

 親衛隊の中にいた不敗のヴァルターが馬を走らせやって来た。


「お呼びでありますか!」

「腕の立つものをここに残せ。お前は余と来い」

「御命のままに」


 腕を組みサルンの街を見たカリオンは、いつの間にか武人の顔になっていた。


「さて、フェリブル伯父さんの墓参りだが……どうなるかな」


 ザリーツァの長ベルムントから、ぜひともお越しくださいと招かれていた。

 そうなっては断るわけにも行かないが、サンドラはあまり行きたがらない。

 ならば自分が行くしかないと、カリオンは覚悟を決めていた。


「さぁ、行きましょう」


 オクルカはあくまでカリオンに付き合う腹だった。

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