オオカミの真実
「凄い!」
思わず歓声を上げたガルムに、多くのオオカミが笑顔になった。
大の大人がスッポリ入るほどの鍋の中、ドロドロに熔けた鉄があった。
「これから熔けた鉄を急冷して塊にします」
作業場を仕切る責任者のオオカミは、丁寧な口調で説明を続けた。
眩いほどに輝く鉄の湯は大きな池の中へぶちまけられた。
まるで爆発するような湯気が上がり、鼻を突く臭いが漂う。
池の水がグツグツと沸騰を始め、そこへ小川から冷えた水が流し込まれた。
水底からはキンキンと金属音が響き、作業に携わる男達が音を聴いていた。
「我々は熔けた鉄を湯と呼びますが、その湯が冷たい水の中で固まる最中にこのような音がするのです。この音を聴けば硬さが判るんです」
作業の長が必死で隠してきた自慢げな態度がすっかり消えた。
驚きと興奮に上気しているカリオンを見て、鼻が高いのだろう。
「これが熔鉱炉か……いやはや、何ともすごい眺めだな」
カリオンはガルムと手を繋いだまま、その光景を眺めていた。
フーレ河に注ぐ支流の一筋沿いにある作業場には大きな鍋が用意されていた。
その鍋の中に鉄鉱石を入れ、石炭から作り出したコークスにより製鉄を行う。
製鉄の現場は、文字通りに火と鉄の試練なのだった。
「熱いね!」
その凄まじいまでの光景にガルムは喜ぶばかりだった。
フレミナと争い続けたシウニンの長が来ると言うことで、その多くが身構えた。
ただ、この訪問は争いの為ではなく平和の象徴だ。
長い長い戦いの果てにたどり着いた平和が末永くありますように。
そんな祈りにも似た願いは、手の内を全部見せる事に繋がっていた。
「ここがフレミナの心臓部だよ」
案内を買って出たオクルカは、少しだけ自慢気に胸を張った。
フレミナ一門が世界に供給している鉄器は、この地に莫大な収益を生んでいた。
山と谷ばかりな山岳地帯だが、逆に言えば山岳地帯だからこそ出来る事だ。
鉱山から供給される鉄鉱石と石炭こそがフレミナの豊かさの象徴。
この莫大な収益があるからこそ、フレミナは戦い続けられたのだ。
「さぁこちらへどうぞ!」
作業長に案内され向かったのは、鉄の加工を行う作業場だ。
固まったばかりの銑鉄を再度加熱し、成分を調整して使いやすい鉄に仕上げる。
最終的に必要なのは鋼なので、それに合わせ作業が進んだ。
酸化鉄でしか無い鉄鉱石をコークスと反応させ酸化還元作業を行う。
コレにより酸化鉄は高純度の鉄へと姿を変える。
ル・ガルでは大規模なたたら製鉄を行っているがフレミナは鉄鉱石が原料だ。
その作業の現場へオオカミ以外が立ち入るのは、史上初の出来事だった。
「太刀にしろ槍の穂先にしろ、必要なのは鋼です。このズクのままじゃ使えないから加工するんです」
作業場の中に響く長の声は、音吐朗々に響いていた。
銑鉄を再度溶解し、今度は撹拌して酸素と反応させ炭素濃度を下げる。
コレにより硬すぎず粘りを備える良質の鋼が生産される。
「続いてはこれです」
作業長が見せたのは、幾つも並ぶ鋳造の型だった。
ドロドロに溶けた湯を流し込み、必要な形に拵えるものだ。
刃の元になる形は、ただの長方形の塊でしか無い。
だが、ここからは鍛造師と呼ばれる職人の範疇となる。
作業長は目の前で拵えられた鋼の塊をヤットコで挟み、再びコークスに乗せた。
「ここからは鉄と職人の力比べです……と言っても、これはル・ガル中いっしょでしょうな。ここまでの行程が違うだけで、ここから先は同じでしょう」
……作業長が気を使った
カリオンはその僅かな機微を見逃さなかった。
作業長は恐らく、ル・ガルでは無くイヌでも一緒だと言いかけたのだろう。
だが、イヌの王であるカリオンを前にし、作業長はオクルカの顔を立てたのだ。
つまり、イヌとオオカミは対等であり、同じル・ガルという国の国民だ……と。
争うのでは無く、融和と強調とをもって、平和と安定を実現するのだと。
オクルカは事ある毎にオオカミの集まりでそれを説いていた。
最初はイヌに対し良からぬ感情を持っていた者も、だんだんと折れていった。
なにより、いつまでも争うのでは無く安定しようと呼びかけていた。
ル・ガルは強大な国家であり、また、安定した国家だ。
オオカミは底に参加する事により、より一層の安定を手に入れられる。
そして、子等の待つ懐かしの我が家へ、父親を帰せる。
オクルカの語った夢に多くのイヌが賛同した。
そして今は、この作業長がそれを体現して見せた。
殺し殺され恨みを募らせ、また殺し合う怨嗟の螺旋は終わろうとしている。
カリオンはそれを我が事のように実感していた。
――――――――帝國歴379年8月18日
オオカミの国 中央集落 プルクシュポール
オオカミ達の最大拠点であるプルクシュポール。
古くはクシュコタンと呼ばれ、巨大湖の畔にある街だった。
だが、その巨大湖クーリから水が抜け、かつての湖底に平地が生まれた。
長らく水底であった湖底部の、広大で肥沃な大地だ。
そこに自然発生的に出来た集落を、古くはシコタンと呼んだ。
大きな集落を意味するオオカミの古語だ。
そして、その集落に暮らしたオオカミの一門は、この地に田畑を拓いた。
かつての山岳地帯で作り上げた田畑とは比較にならぬ程の面積だった。
その田畑は、一族を食べさせて余りある豊穣をオオカミにもたらした。
かつては北方山岳地帯に根を下ろし、細々と半農半猟で暮らしたのだ。
彼らはその僅かな恵みを奪い合うことで強靱な一門のみが生き残ってきた。
最終的にはフレミナ5族と呼ばれる者達が、それぞれの派閥を作っていた。
僅かな収穫を仲間内で均等に分配し、その配給により一族は繋がっていた。
そして、荒れた大地を耕す鉄器を必要とした彼等は、火と鉄の文化を育んだ。
いつの間にかフレミナ一門と呼ばれるに至ったオオカミの血族達。
彼らの事実上の都となる最も繁栄したこの街は、巨大な産業都市だった。
この街の中心はあるのはオオカミ王の城ではなく駐屯地でもない。
街のど真ん中にあるのは、オオカミ達が連面と作り続けてきた熔鉱炉だ。
構造的に言えば、原始的な高炉だった。
ただし、それはヒトの世界の知識がある者の印象でしかない。
繰り返し行われる製鉄作業のなかで、幾人もの犠牲の果てに生まれたもの。
幾多の悲劇から導き出された、経験則と言う名の最先端技術だった。
「凄いね!」
「あぁ。鍛冶屋の音だな」
カリオンとガルムが見つめる先。
作業長は自らに大鎚を振るい、真っ赤に熱された鋼の塊を叩いていた。
大鎚の打ち込まれる音と同時、幾多の鉄火が床に飛び散った。
炭素分を残した鋼の中から不純物が抜けていくのだ。
冷えて固まり掛けた鋼の隗は再びコークスで熱されている。
そして、眩く見える程に熱を帯びた後、再び大鎚で鍛えられた。
「この行程を幾百回と繰り返す事により、鋼はより強靱になります」
作業長は部下を呼び寄せ、ガルムの目の前で大鎚を振るい続けた。
まるで魅入られたように見つめているガルムは真剣な表情だ。
「どれ。若も一打ちしてみましょうか」
作業長はガルムを手招きし、その鉄を鎚で打てと示した。
ガルムはカリオンを見上げて笑っていた。
余りに嬉しそうなその表情に、カリオンはダメだと言う間すら無かった。
「オオカミの古い言葉では、少年の事をヘカチと呼んだ。まだ戦に出た事の無い男は幾つになっても少年扱いで、要するに子供扱いだ」
ガルムとカリオンを微笑ましい表情で見ていたオクルカは、そう切り出した。
そして、少し驚いて自分を見るガルムに続けて言った。
「フレミナ5家の次期当主はエムシと呼ばれる儀式用の刀剣をお互いに打ち合って送りあうんだ。それをイリワクと言うんだが、兄弟って意味なんだよ」
作業長に支えられ大鎚を持ったガルムはニコリと笑った。
オクルカや作業長や、況んや要するにオオカミたちの意図が分かったのだ。
「僕はイヌとオオカミの真ん中なんだ」
「そう言う事だ」
オクルカとカリオンが並んで見つめる先、ガルムは身に余す鎚を振った。
熱く光る鋼の塊は鉄火を放ち、不純物が抜けていった。
「これを形にしましょう。王子の守り刀に」
作業長も嬉しそうにそう言った。
イヌとオオカミとを繋ぐガルムの存在は、皆の希望になりつつあった。