親子 ~ 受け継がれるものの正体
手直しが進まず更新が遅れました
~承前
――――お前は俺の息子だ
その言葉には鈴の音が被らなかった。
ガルムは思わず涙ぐんでいた。
「父さま……」
王家に生まれた者ならば、複雑な身の上などよくある話だ。
そもそもに血統や血脈が優先されるのは仕方がない。
だが、時にはそれらを全て飛び越え、非情の選択がされる事もある。
「血の繋がりなど些細な事だ」
カリオンはガルムを膝から降ろし、近くの椅子へと座らせた。
椅子の上にちんまりと鎮座したガルムは、真剣な眼差しだった。
「俺のこのカリオンという名はヒトの世界の言葉で受け継がれるものを意味するんだそうだ」
「受け継がれるもの?」
「そうだ」
遠い日の、父ゼルが口ずさんでいた歌を思い出した。
自分の知らない、ヒトの世界に伝わる異なる言葉の歌。
それはカリオンの心に大きな足跡を残し、風に舞う砂塵の様に消えたもの。
だが、いまも確実にあの時の言葉が、あの歌がリフレインしている。
「父ゼルが歌ったその中にカリオンと言う言葉が出てきた」
「うた?」
「あぁ……」
カリオンは優しげな笑みでガルムを見た。
そもそも五輪男は英語の流行歌を唄っていた。
英語の素養が一切ないカリオンは、鼻歌だけでその旋律を再現した。
「何を唱っているのか全く解らなくてな。父に聞いたんだよ。言葉の意味は?ってな。そうしたら、改まった声で教えてくれた」
ガルムの目が輝いている。
興味を持ったモノにはグッと深く入り込む。
その集中力はやはり黒耀種だとカリオンはほくそ笑む。
「……いつかお前が大人になったとき、お前の護るべき者達が弱ったりや敗北したり、堕ちたりしたなら、お前は彼らの救いになるのか?と」
不思議そうにカリオンを見上げるガルム。
だが、カリオンの言葉は止まらなかった。
「父は続けた。お前は勝てるのか?お前自身の悪魔や信じぬ者達、奴らが企てた計画に、と。何故ならいつか俺はお前におぼろげな姿だけを残し、暑い夏の日に見える黒い葬列へ加わっているだろうから」」
その黒い葬列が何を意味するのか、ガルムにはちゃんと解っていた。
自分自身の悪魔。信じぬ者達。そして、悪意ある計画を練る奴ら。
人はいつか死ぬ。それはガルムにも解る。
だが、死んでも消え去るわけではないのだ。
それは、王都で見たあのおぼろげな男たちのようなもの。
彼らは必ず帰ってくる。死して尚帰ってくる。
泣いている者達のところへと。
それこそが親子の証だった。
「奴らってなに?」
「俺を良く思わない連中全部さ」
「でも……父さまは太陽王だ」
「太陽王なんてのはただの言葉だ」
「……………………」
それはガルムの不安をより大きくする言葉だったらしい。
だが、カリオンは遠慮する事無く言い放った。
「俺もただの……ひとりの男だ。迷いもするし悩みもする。ただ、俺は誰にも相談出来ない。王様は独りぼっちで寂しいのさ」
まだ8歳の少年にそれを理解させようとするのは難しい。
だからこそ、出来る限り解りやすく優しく、噛んで含めて飲み込ませよう。
カリオンはそう思った。
「王様なんて言ったって、大した事なんか出来やしない。あっちこっちに気を使って、波風立たないように喧嘩しないように気を使って、みんなが笑顔になるように気を使って、誰かが損しないように、誰かが死なないように、誰かがひとりで得をしないように、平等に、公平に、そう気を使い続ける」
カリオンの言った言葉にガルムは何かを察したらしい。
子供にだって子供の社会があるのだから、そこでの振る舞いと同じなのだ。
王の実子と言う事で、どこへ行っても大事にされているガルム。
だが、その実は腫れ物を障るようにされているのも解っている。
そして、どこへ行っても一定数で自分を良く思わない存在が居ることも。
マダラ
イヌの社会の恥部であり暗部でもあるそれは、どうしたって拭いきれない。
王様とは自分よりもも遙かに大きな存在だが、実際は変わらないのだろう。
子供ながらに、ガルムはそれを理解した。
「ひーろー……と言ったかな。ヒトの世界では英雄のことをそう呼ぶんだそうだ。そしてそれは、少なくとも俺じゃ無い。俺はひーろーなんかじゃ無い。ただの男でしかないんだ。それで構わないんだ。そう教わったからな」
ガルムの心の中に、顔の見えないヒトの男がのっそりと立ち上がった。
背中だけしか見えないその姿だが、その背は大きく逞しく凛々しかった。
そして同時に、ガルムはハッと気が付いた。
この、今見えている背中はカリオンが見たモノだと言う事に。
感覚共有してしまっていると言う事に。
つまり、父カリオンの憧れた背中だと言うことに……
「俺を育てたヒトの男は……父は心配していたのさ。この子で大丈夫だろうか?ってな。要するにマダラで大丈夫か?って事だ」
カリオンは自分の胸に指を当ててそう言った。
そこには幾万もの意味が込められていたが、ガルムはそれを正確に理解した。
マダラのイヌが王に成っても良いのか?と、未だに喚く者がいるのだ。
「カリーオンだかキャリーホンだか、そこは良く覚えていない。だが、その音から俺はカリオンと名乗った。いや、名付けられた。それは受け継がれると言う意味だし、その受け継いだモノを胸に前進する意志だと言うことだ」
カリオンは目を伏せ、床を見ながらなおも続けた。
その言葉に全く鈴の音が被らないガルムは、真っ直ぐにカリオンを見ていた。
「時々だが、まだ父を感じる時がある。きっと……心配しているんだろうな――」
カリオンは黙ってガルムの肩に手を乗せた。
大きく厚く立派な手が、その細くて小さな肩に添えられた。
ガルムはその手を立派な手だと思った。
自分も自分以外の何者をも恐れず、怯まず、退かず。
運命を打ちのめす程の強い意志と気合と覚悟とを持って対峙する存在。
ガルムはカリオン王が自分の父であると信じていた。
だが、そうでは無いのだと、それを意味する言葉を聞いてしまった。
混乱と絶望の底にあったガルムは、それよりも更に深い絶望の淵にいた。
そこには、同じような経験をして、自力で這い上がったカリオンが居た。
「……時々ふと感じるんだ。父は俺を見守っている。ただ、それが自分自身の思い込みだと言うのはとっくに気が付いているんだ。そして、いつかは父に逢いに行かなきゃって思うのさ」
何とも哀しみに満ちた優しい眼差しだ。
だが、カリオンはそれを卑下していない。
運命に立ち向かう、強い意志の発露だった。
「いつか俺があの世に逝ったら、その時はお前が王だ。そうしたら、どうか皆に知らせくれ。呪われた血を持つ俺だが、それでも必死で太陽王たらんとした。その意志を受け継ぐ者はそれでも進み続ける。進み続けるんだとな」
目を丸くしたガルムは、フンフンと首肯を繰り返した。
それを見ながらカリオンは、ただただ笑うだけだ。
「時々俺は心の中に居る父へ語りかける事がある。父よ、あなたは死んでしまったが、どうか何も心配しないで、そして信じてくれってな」
思わず『なにを?』と聞き返したガルム。
カリオンは笑いながら言葉を続けた。
「父よ、貴方の記憶は生き続ける。そして、俺は進み続ける。より良い未来の為に選び続けるのだ。だから――」
カリオンの表情にグッと力が増した。
それは強い心で語っている証拠だとガルムは思った。
「――何も心配しなくて良い……って、そう念じるんだ。だがそれでもやはり父親は心配なんだよ。俺はお前を見つめながらそれを知ったんだ。だから、あなたの息子は俺だけだから、何も心配しないで、黙って信じてくれれば良いってな」
どうだ?と表情だけでガルムに問うたカリオン。
ガルムは涙を浮かべながら首肯していた。
「サンドラがトウリに何を言ったのかは解らないし、それを聞こうとも思わない。だが、例えそれが如何なる言葉であろうとも、いかなる結果であろうとも、ここには何一つ変わらない事実が一つだけあるんだ」
カリオンの表情がグッと厳しくなった。
ただ、その険しい表情には愛があった。
愛されている。
それを実感して育った子供は強く育つ。
自分自身がそうであるように、ガルムもまたそうしよう。
カリオンはそれを決意していた。
「お前は俺の息子だ。誰がなんと言おうと、俺の息子だ」
涙ぐんでいたガルムはフッと無邪気に笑って頷いた。
それがどんな意味だかをカリオンは解っていた。
きっと、鈴の音が聞こえなかったんだろう。
それがどれ程大切な事かは、今さら言うまでも無い事だった。
「いいかガルム。お前もこれから幾つも辛い試練を乗り越えなければ行けない」
ガルムはコクリと頷きつつ『はい』と応えた。
「将来、お前はこの国の中で誰も手を出せないところへ登ることになる。その試練は本当に辛いモノだ。だが、いまからひとつひとつ、小さな試練を乗り越えていけば、あっという間にそこへたどり着けるだろう。辛いからと言って逃げ出すな。試練に立ち向かえ。そしてぶちのめしてしまえ――」
厳しく険しい表情だったカリオンは、そこに凄みのある笑みを加えた。
「――俺にも出来たんだ。お前にだって出来る。俺の自慢の息子だからな……
後の世でガルムはこう語っている。
イヌの封じ込め政策を論議する絹糸同盟会議の席でだ。
――――我が父はかつてカリオン1世を名乗ったリュカオンただひとり
――――世を照らす太陽の地上代行者たる太陽王の命以外に興味はない
――――私はそのカリオンの名を継ぐ者だ
――――受け継いだ全てをもってそなたらに立ち向かうことを通告する
――――イヌを滅ぼさんとする者全てに炎の鉄槌をくだす
――――お前達は怒り狂った民衆では無い
――――ただただ 乾いた小枝のように燃えて滅べ
その言葉と共に、絹糸同盟会議の席は、全て焼き払われるのだった……