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微睡み<中編>

~承前






「リリスこそどうした? まだ宵の口にも早いぞ?」

「うーん……」


 カリオンが見ている夢の中、リリスは小さな光の玉を造り出した。

 その中に見えるのは、遙か遠くガルディブルクの城の中だ。


「いまお義母(かあ)さまがエルムをお風呂に入れてるんだけどね」

「それを見守っていた?」

「そう」


 城の奥にある王のプライベートエリアには立派な風呂場がある。

 そもそもに風呂好きだったノーリ以来、ノーリクル一門の風呂好きは有名だ。

 毛足の長いイヌにとって湯船に浸かるのは、ノミやシラミなどの対策でもある。


 カリオンとリリスは光の玉に浮かび上がる光景に目を細めた。

 エイラは孫に当るエルムを抱え、湯船の中で毛繕いをしている。


 城の中とはいえ、毛深い姿のイヌにしてみれば常時ノミの付く可能性があった。

 そんな存在が湯船に入れば、ノミは慌てて水面の上に出ようとする。


 ――――ほら!

   ――――やだっ!

 ――――動かないの!

   ――――くすぐったい!

 ――――我慢しなさい!


 エルムの頭を押さえつつ、首周りに上がってくるノミを取っては湯船に沈める。

 湯船の中にはガラスの容器が逆さまに浮いていて、上まで湯で満たされていた。

 その中へノミを放せば、浮力のあるノミはガラス容器の天井に溜まる。

 ただ、どこへも逃げられず水中に没したまま、窒息死するのだ。


「楽しそうね」


 リリスは目を細めてそれを見ていた。

 その胸に去来するものがなんであるか、解らないカリオンではなかった。


「……孫だからな」

「そうなのよね……」


 ふと、ふたりの脳裏にレイラが浮かび上がった。

 ゼルに抱き上げられ虫の息なレイラは、痛みを感じさせること無く言った。


 ――――おばあちゃんをやってみたかったわ……


 夢の中に居るカリオンだが、それでもグッと奥歯を噛んだ。

 なぜなら、リリスが浮かべていた光の玉が大きく揺らいだからだ。


 悔しい……


 その感情がリリスの心を掻き乱している。

 負の側に振れた感情を爆発させれば、何が起きるのかわからない。


「リリス……ごめんな……」

「え? なに?」

「俺に……勇気が無かった」


 カリオンが切り出したそれは、罪の告白であり懺悔だった。

 ただ、それを理解しているからこそ、リリスはスッと歩み寄って抱きついた。


「……そんな事無いよ」

「俺にもっと度胸があれば……早いうちにトウリ兄貴を処断できていれば……」


 失敗の本質が後悔で有ることは論を待たない。

 後悔を覚えない事象は失敗とは言わないのだ。


 あの時、カリオンがもっと気を使っていれば。

 子供が出来たと言う話をする前に、トウリの様子に気を使っていれば。


 精神的に不安になった姿を悟らせまいと、必死の様子だったトウリ。

 そんなところへリリス懐妊の報を届ければどうなるかを考えるべきだった。


「良い経験したじゃ無い!」

「へ?」


 奥歯を噛みしめて悔しがったカリオンだが、リリスは明るい声でそう言った。


「いつだったかね、お母様がゼル様とお話してる時に聞いたの――」


 カリオンは視線でリリスに応えた。

 続きを聞きたいと眼が雄弁に語っていたのだ。


「――人の一生は選択の連続。時には失敗する事もあるし、後悔する事もある。だけどそれもまた前進なんだって。時間と同じで後戻りはしないんだって」

「父上の言いそうなことだな」

「いえ、それを言ったのはお母様よ」


 小さく『えっ?』と聞きかえしたカリオン。

 リリスは楽しそうに笑いながら言った。


「ゼル様も相当後悔したのね。それを告白してる時、お母様はニコッて笑ってそう言ったの。選択の結果としてこうなったんだから問題ないって。迷って悔いて歩むのを止めてしまったら、その選択の結果にたどり着けないって」


 カリオンは驚きの表情を見せつつも『そうか……』と得心したようだった。


「その後により良い選択をし続けた結果、父上はレイラさんと再会できたんだな」

「きっとそう言うことね。ゼル様は諦めたようで諦めなかったから」


 後から振り返れば、結果論として正しい選択だったと言う事がある。

 ただ、選択を行なう前には、それに対するヒントなど何も無い。


 だからこそ失敗の経験は重要なのだとカリオンは気付いた。

 そしてそこに、失敗を直視して自己批判を行い、それを記憶せねばならない。


 失敗を繰り返す者こそ本当の愚か者と言う言葉の意味をカリオンは知った。


「またひとつ学んだよ。父上にもレイラさんにも教わる事ばかりだ」

「それだけ辛い人生だったのよね、きっと」

「あぁ。それは……間違いない」


 カリオンはそっとリリスの肩を抱いた。

 エルムの様子を伺う為に夢の世界へと入っていたリリスだ。


 それはまるで鏡の中に見えるもう一つの世界。

 相手が夢を見ていなくとも、その様子を伺えるまでにリリスは進化していた。


「改めて思うけど……凄いな」

「でしょ?」


 言葉ではなく心が繋がっている。

 それを実感したカリオンは、言葉が無かった。


「悔しくない訳じゃないけど、でも、それは乗り越えられる。カリオンの役に立つ存在でいたいし、それに――」


 リリスはジッとカリオンの瞳を見ながら言った。


「――エルムは私達以上に苛烈な運命を歩むと思うの」


 その一言にカリオンの顔から表情らしい表情が消えた。

 余りにも重い現実がそこにあった。


「……だよな」


 目を伏せたリリスは普段よりも低い声になって言う。

 まるで地の底から沸き上がってくるような声音で。


「サンドラも普通じゃなかったって事ね」

「あぁ。恐らくそうだろう。無邪気に喜んでいる場合じゃなかった」


 カリオンやリリスは太古の秘薬により生み出された生物だ。

 複数の魂を身体のウチに秘めた、魔法生物だ。

 そんなカリオンの胤により子を成したサンドラが普通な生物の筈がない。


 そもそも、カリオンはリリスとサンドラ以外の女を抱いた事も無い。

 ましてやそのウチに精を放ったことすらも……だ。

 生物の常識として、交配と言う過程を経て子供は生まれてくる。

 その交配作業に立ちはだかるのが生物の種としての壁だ。


「俺は……一体何者なんだろう」

「イヌとヒトの中間よね」

「だよね」


 僅かな微睡みの中がフワリと揺れた。

 カリオンの心が乱れている事をリリスは知った。

 だが、その刹那、ふたりは信じられないモノを見た。


 ――――中間ではなく両方だよ


「え?」

「うそ……」


 カリオンが見ていた微睡みの中の夢はウィルの個人授業だった。

 だが、そのウィルはふとカリオン達の側へ向き直った。

 まだ幼いエイダとリリスは彫像の様に固まっていた。


 ――――やっと話が出来るな


 まだ若い姿のウィルは椅子を座り直し、ふたりへ向き合った。


『あの……』とカリオンが声を掛けかけた。

 だが、それよりも強い口調でリリスが割り込んだ。


「何者? 私の術に入り込むなんて大したものね」


 夢の中がギシリと音を立てて揺れた。

 リリスが強い術を使ったのだとカリオンは思った。

 だが、その術の効果が現れる前に、ウィルは動き出していた。


 ――――強力な術だが制御がよろしくないな

 ――――巨大な堤も蟻の一穴で崩れることを学ぶと良い


 ウィルは空中に印字を切って対抗する術を使ったらしい。

 らしいというのはカリオンにはその真実が把握出来ないからだ。


 理解不能なレベルでの術比べが始まり、カリオンの夢が大きく揺れた。

 どうすれば良いのかを解らないまま、ただただ黙って事の推移を見守った。


「……うそよ」


 リリスの声が悲しげに流れた。

 次の瞬間、リリスの身体からパキパキと音が響いた。

 慌てて視線をやったカリオンは、その身体がガラスに変わるリリスを見た。

 驚きの表情のまま、物言わぬガラスの塊となった。


 ――――相変わらずの直情径行だね

 ――――もう少し思慮深い人間に育ててやれば良かったものを……


 残念そうな表情になったウィルの視線はカリオンに注がれた。

 その眼差しの強さに一瞬だけ腰が引けたのだが、下がる訳には行かなかった。


「リリスに何をした?」


 ――――何もしていないさ

 ――――ただ、少しだけ黙って見ていてもらおうと思ってね


「あなたは何者ですか?」


 ――――私かい? 君が知らない筈が無いだろう?

 ――――私はウィルケアルヴェルティ キツネの陰陽師だよ


 楽しそうな表情で語るウィルだが、その向かいのカリオンは表情を一変させた。

 全身に怒気を漲らせ、奥歯をグッと噛みしめウィルを見据えた。


「……謀るのはやめよ。余の夢に入り込むそなたは何者ぞ」


 そのカリオンの様子に満足したのか、ウィルは満面の笑みだった。


 ――――ほほぉ……

 ――――あの男もそうやって気を張る術を知っていたな


 ウィルはパチンと指をスナップさせ、小気味良い音を立てた。

 次の瞬間にリリスの身体がフワッと元に戻り、驚きの表情を浮かべた。


「いま…… 何をしたの?」


 ――――それを聞かねば解らぬようでは……

 ――――九尾の狐と戦うなど土台無理だな


 クククと笑ったウィルは上着をハラリと脱ぎ捨てた。

 するとそこには、丸々の膨らむモフモフの尻尾が現れた。

 だが、その尻尾は九本を数えた。


「「……まさか」」


 カリオンとリリスの声がが見事にハモった。


 ――――私の名はウィルケアルヴェルティ 真名は紅百合

 ――――ノーリの相談役にしてイナリ・ミョージンの右腕

 ――――この世界の理を知る者 そして……

 ――――魔を導く闇の覚者

 ――――またの名を尾頭という

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