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微睡み<前編>

~承前






 シウニノンチュにそびえる砦は、北府としての政治機能を持つ城砦だ。

 だが、政治拠点であり軍事拠点でもある前に、巨大な生活の場でもある。

 そして、かつては北方総監として君臨したゼル・アージンの居城でもあった。


 そのゼルはシュサ帝の娘エイラの入り婿となり、この地で暮らしていた。

 太陽王にどのような思惑があったのかは、今さら窺い知る事など出来ない。

 ただ、ゼルとエイラ夫婦が暮らしたこのチャシはエイダ少年の故郷。

 今はもう蚕食された古き良き日々の記憶が、どこそこに残っている。


 そんなチャシの奥深く。

 懐かしさ溢れる部屋の中、カリオンはつかの間の微睡みに沈んでいた。

 王都より行軍してきた一行は、フレミナへの峠に向けて休んでいる。


 だが、幼少の砌を過ごしたこの街にいる限り、カリオンには予定が山ほどある。

 それこそ、分に刻みで謁見を求める者が控えているのだ。


 ――ふぅ……


 小さく息をこぼし、目を閉じたままカリオンは夢と現の間を彷徨った。

 面会者が余りに多く、カリオンは晩餐の席でまとめて話を聞こうと言った。

 その支度が整うまでの僅かな間、カリオンは微睡み時間を得たのだった。


 ――クンクン……


 その鼻は、懐かしく悲しい臭いを捉えた。

 遠い日、まだ若さのあったウィルを前にエイダ少年はル・ガルを学んだ。

 隣にはまだ幼かったリリスが居て、あどけない笑顔を浮かべていた


 ――――最初

 ――――オオカミは小さな都市を一つの国にしていたんだ

 ――――その都市ではオオカミだけではなく、様々な種族が暮らしてきた

 ――――仲が良かったり悪かったりしたが、まぁ、概ね平和だった時代だ


 ウィルの言葉には張りがあった。

 自信溢れる姿で子供たちに教えていた。


 ――あぁ……


 カリオンは部屋の隅に立ってそれを眺めていた。

 エイダとリリスの2人は、目を輝かせて話を聞いていた。


 ――今は平和なんだろうか……

 ――平和とはなんだ……

 ――父はなんと言ったか……


 ツラツラとそんな事を思う中、ウィルは灰を撒いた盆に指で線を引いた。

 まだ紙が貴重だった時代の知恵であり、また、無駄にしないための工夫。

 そして、いつの間にか紙の量産が行われるようになり、身の回りに紙が溢れた。


 ル・ガルは今も成長している。

 カリオンはそれを感じると同時に、それが自分の功績かどうかを考えた。

 ただ、その結論が出る前、ウィルは話を続けていた。


 ――――君らは自分達の事をイヌと呼ぶ

 ――――だが北部地域ではオオカミと呼ぶ


 カリオンは腕を組んで話を聞いた。

 倣岸な姿にも見えるそれは、太陽王にある者の姿だ。


 ――俺は……

 ――イヌなんだろうか……

 ――オオカミなんだろうか……

 ――それとも……


 急に不安感に駆られたカリオンは、数歩進んで足を止めた。

 不意にリリスがこちらを向き、ニコリと微笑んで前を向いた。


 ――気が付いたのか?


 そんな筈がない。

 カリオンはそれを確信していた。


 夢中術で見ているモノではない。

 これは確実に夢なのだと確信していた。


 ――――イヌはここシウニノンチュから南側にいたシウニン族が主流だった

 ――――フレミナ族は自らをオオカミと呼んだ


 その通りだ……

 夢の中でカリオンは唸った。


 そして今、イヌはついにオオカミの地へ足を踏み入れようとしている。

 暗黙の了解。その自粛を今踏み越えようとしている。


 北伐と称して行なってきたイヌの勢力圏へと踏み出たオオカミの掃討作戦。

 その戦闘も、実際にはフレミナ地域へ足を踏み入れた事はない。


 国境と言うべき線がきっちり決まっている訳ではない。

 だが、長年の間に自然成立した勢力圏は、双方共に納得の範囲だった。


 ――――最初に都市国家の合同体を作ったのはオオカミだったんだ

 ――――だからイヌ以外の種族国家はル・ガルをオオカミの国と呼んでいる


「そう言えば……そうだな」


 カリオンは夢の中でそう独りごちた。

 ネコやトラの国から送られてくる公式文書にはそう書かれている。

 オオカミの種族のひとつ。シウニンの作った都市国家の連合体。


 他国から見たル・ガルの形は、そういう存在だった。


 ――――統一王ノーリはフレミナ族との戦を繰り返した

 ――――その都度にシウニン族は疲弊してきた


 それこそがル・ガルの発展を阻害してきたもの。

 逆に言えば、強力な官僚制度と軍隊組織を鍛え上げてきた。


 その全てが負けない為だ。

 負ければ滅びる。その恐怖こそが原動力だ。

 まるで奴隷のような境遇だったイヌ・オオカミの行動原理そのものだ。


 ――――帝国歴前148年頃

 ――――遂に双方三万の兵力を揃え決戦に至ったんだ

 ――――ノーリの父ビルタや多くの兄弟が死んだ戦いだった

 ――――だが、シウニンは勝利した


 ビッグストンで教えられるル・ガルの歴史。ウィルの個人授業で覚えた歴史。

 王府にある機密資料と言うべき報告書や、王府の纏めた詳細なレポート。


 それら全てに精通するカリオンは、その事態の真実を知っていた。


 ――――ノーリは統一王となり

 ――――弟サウリと共にフレミナ族の姫を娶ってオオカミの王となった


 そう。ノーリにもフレミナの女が妻となっていた。

 だがそれは、あくまで形式的なモノだった。


 フレミナとの間に生まれた男は全てサウリクル家へ養子に出された。

 ノーリの直系を意味するノーリクル家には、フレミナの血は一滴も入ってない。


 ある時カリオンは気が付いたのだ。

 自分の存在が大きな矛盾を孕んでいる事に。


 サウリクル家の男は太陽王には成れない筈。

 だが、自分の父は公式にはサウリクル家のゼル。


 いや、もっと正確に表現をするなら、父親のひとりであるゼルはサウリクル。

 2人の父のうち、もうひとりの父ワタラ=五輪男はヒトだ。

 サウリクルの血を引く自分が太陽王になって良い筈がない。


 カリオンはある夜、母エイラにそれを問うた。

 その時エイラはニコリと笑ってはっきりと言った。


「ゼルはシュサの父トゥリの子よ。ただ、誰にもそれを言えなくて、仕方がないからカウリの父コウリが引き取り、サウリクル家の養子となって将来の切り札に温存されたって訳ね」


 ――あぁ……

 ――なるほど……


 ゼルとエイラの間に子が出来なかった最大の理由は、血が濃すぎたのだろう。

 近親相姦一歩前とも言うべき状態なのだから、子が出来なくて当たり前だ。


 ただ、シュサの息子たちが妻を娶らなかった以上、世継ぎが困る。

 それ故に、ゼルとエイラは禁断の措置を取った……


 様々な想いが去来する中、カリオンはウィルの個人授業を眺め続けていた。

 不意にウィルがこちらを向いてニヤリと笑った。


 全て見透かしていると言わんばかりの姿に、カリオンは背筋を寒くした。



 ――――ノーリがイヌの王。そしてル・ガルの帝を名乗った

 ――――フレミナ族を預かる形になったサウリはオオカミ王を名乗った


 そうだ。

 だからこそサウリクルの血統は太陽王にはなれない。


 ――――それ以来

 ――――ル・ガルの帝はオオカミ王を相国として臣第一に迎える約束になった


 サウリクルは王佐の家。

 その家長は常にル・ガルの丞相であり相国となった。

 あのシュサ帝の相談役だったカウリ卿は、同じだけの重荷を背負った。


 ――――なんて他の種族はイヌが怖いんだろう?


 幼いエイダ少年は、闊達な声でそう問うた。

 その問いに満足そうな表情を浮かべるウィルは、優しい眼差しで答えた。。


 ――――イヌ以外の種族は思ったんだ

 ――――自分たちの同意も無く、勝手に都市国家をまとめるなってね

 ――――ネコやトラは束縛を嫌うんだよ


 それがどれほど馬鹿馬鹿しい事かとエイダ少年は思った。

 なにも悪い事をしている訳ではない。

 ただ、その方が良いと思っている。

 それだけのはずだった。だが……


 ――――それがどんなに無駄で自分勝手な主張であったとしても

 ――――『嫌なモノは嫌なんだ』だけで抵抗する

 ――――だから話し合いの余地も無い。嫌だからやめれば良い

 ――――そうしたら自分たちは黙るってね


「……正義の衝突。そう教えてくださいましたね。父上」


 そう独りごちたカリオンだが、その前に居た幼いリリスが元気な声で言った。


 ――――ネコとかトラって馬鹿なの?


「違うよ。馬鹿じゃないんだよ。そう言うものなんだよ」


 今はもう痛いほど理由が解る。

 馬鹿だとか思慮が浅いとか、そう言う次元ではないのだ。

 本質的に自由を愛する彼らは、誰かが勝手に決めると言うのが嫌いなのだ。


 理屈ではなく本能レベルでの感情論として、存在するのだ。

 故に、ネコもトラも絶対に折れる事はないし、曲げる事も無い。

 それはもはや、正義として確信するに至るだけの思い込みだ。


 それと同じ事をウィルが説明し、エイダ少年は間髪入れずに言った。


 ――――どっちかが根絶やしになるまで続くんだね


 そうだ。その通りだ。

 ウィルも同じ事を言っている。


 ――――様々な種族同士で意見が分かれすぎたんだ

 ――――悪いことに全部が全部、自分の意見が一番正しいって信じちゃった


 ウィルの言葉に間髪要れずエイダ少年が答える。


 ――――だから戦争が無くならないんだね!


「そうだよ。だから無くならないんだよ。感情論なんだよ」


 夢の中で深く溜息を吐いたカリオン。

 ただ、その目の前でリリスが得意げな顔になって言った。


 ――――イヌの国が怖いんだ


 その言葉は鋭い刃になってカリオンの胸に突き刺さった。


 ――そうか……


 イヌの国が怖い。ル・ガルが怖い。要するに、イヌが怖い。

 巨大な組織となって一致団結し事に当る。そんな統制の取れたイヌが怖いのだ。


「あれ? こんな時間にどうしたの?」


 不意に聞きなれた声がしてカリオンは振り返った。

 微睡みの中だと思っていた夢の中にリリスがやって来たのだった。

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