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Carry On ~ 精神を受け継ぐ

~承前






 ガルムがシウニノンチュへやって来て3日目の朝。

 オスカー老人はこの世を去り、天へと召されていった。

 前夜にワインなどを嗜み、カリオンやオクルカと夕食を共にした翌朝だ。


 オスカーにとってガルムは可愛い孫なのだろう。

 膝の上に乗せ、可愛い可愛いと何度も連呼していた。


 ただ、その翌朝。朝食の時間に起きてこなかった。

 砦の担当者が不思議に思い自室を訪ねたとき、オスカーは既に息絶えていた。

 それは、なんとも穏やかな、満ち足りた死に顔だったと言う。


 ――オスカーを弔う仕度をせよ


 カリオンは短くそう命じた。

 チャシと呼ばれる砦の裏手には、大きな塚が築かれている。

 それは、この砦と街の功労者をまとめて葬る為の墓だった。


 身寄り無く砦に暮らしてきたオスカーはそこへ葬られる事になった。

 その前に葬儀が執り行われることに成り、関係者が教会へと集まった。

 人生の大半を裏方として過ごしてきた男故に、何とも控え目な葬儀だった。


 ――――光と熱とを持って人々を導く太陽よ……


 街の中央にある教会司祭は最近になって代替わりしたらしい。

 聞けば先代は数十年ぶりの北伐に同行し、命を落としたのだという。

 跡を取った司祭の息子は、未だ司祭見習いという肩書きだった。


 ――――その恩寵を持って魂を天へ導き給え……


 わずかに震える声は、まだ若い司祭見習の内心を表していた。

 その背中に多くの視線を集めながら、亡骸の前で祭祀を行っている。


 ただ、この日の弔いには他でも無い太陽王が列席している。

 それだけで無く、フレミナ公オクルカや王妃サンドラ。

 次期太陽王と噂されるララウリ少年もいる。


 ル・ガルの中枢にある者達の視線を一身に浴び、若き司祭見習いは緊張した。

 間違いは許されない。祭祀の失敗も許されない。


 口も鼻もカラカラに乾いた状態で、若き司祭は奮闘していた。


 ――――この地上で迷い彷徨う事なく引き上げ給え……


「父さま」

「なんだ?」


 カリオンとサンドラに挟まれ最前列に立つガルムは、不思議そうな顔だった。

 王都の教会と比べれば何とも小さな教会だ。


「あそこ……」

「あぁ。あそこに居るな」


 ガルムに僅かな笑みを見せたカリオン。

 2人の視線は教会の祭壇脇あたりへ注がれていた。


 そこには朧気な姿となったオスカーが静かに座っていた。

 若き司祭が厳しい表情になって行う祭祀を心配そうに見ているのだ。


「オスカーおじさん。どうしたんだろう?」

「心配なんだよ」

「しんぱい?」

「そうだ」


 ガルムへと目を落としたカリオンは、司祭に聞こえぬよう注意を払っていた。

 余計なプレッシャーを与えて失敗しないように、気を使っていたのだ。


「弔いの祭祀をキチンと出来るかどうか。まだ経験の浅いあの若者が立派に務められるか。何処かでドジを踏んで、あたふたしたりしないか。この街を見守ってきたオスカーには、全ての若者が自分の息子なんだよ」


 僅かにコクリと頷いたガルム。

 その言わんとしている事の半分も理解出来ないが、それでも解る事がある。


 ――――太陽の光は魂を導く

 ――――光溢れる清浄な地へ導く

 ――――光を信ぜよ

 ――――ただ導かれよ


 若き司祭の言葉を聞いていたオスカーは、幾度も頷いている。

 そして、その首肯が繰り返される度、オスカーの朧気な姿が消えていった。


「オスカーおじさんが消えちゃう……」

「天へと導かれるんだ」


 ――――三世の諸導は神の慈悲なり……


「三世ってなに?」

「産まれる前、この世に産まれ生きた時、死んで魂となった時だ」

「ふーん……」


 人の魂は常に神が導く。

 その教えは時に、ただ虚しいだけの運命をも肯定する。

 非業の死を遂げた者に、救済の意味を与える。


 戦や災害や人智の及ばぬ巨大な天災。

 そう言ったモノによる死を、罪障消滅という言葉で救済するのだ。

 持って生まれた罪を滅し、幸せな来世を送る為に死んだのだ……と。


 ――そんなの嘘っぱちだ……


 ガルム少年はふとそんな事を思った。

 どんな理由があったって、普通じゃ無い死に方なんてまっぴらだ。


 だが、ふと見上げた父カリオンの表情は、どこか決然としていた。

 そして、反対に立つ母サンドラもまた、仕方が無いと言わんばかりだ。


 ――――全知にして全能なる太陽神よ

 ――――どうか残されし者達に暖かな記憶だけを遺し給え

 ――――その悲しみを和らげ導き給え


 両親の表情と司祭の言葉とを聞き、ガルムは『あ……』と内心で呟いた。

 それは、死者の家族達への救済なのだ。遺族達に死の意味を与える行為だ。

 無駄な死だったと悔しがることの無いようにする為の言葉……


「オスカーおじさん」


 小さく可愛い声で呟いたガルム。

 祭壇の脇に居たオスカーの姿はもはや白いモヤだった。

 そして、そんな状態のまま教会の屋根辺りへと吸い上げられていった。


「オスカー。長く世話になった。いつかまた、何処かで出会うだろう」


 カリオンは胸に手を当て、天井を見上げてから頭を下げた。

 心からの謝意を添え、世話になった先達を讃えた。


 後から生まれる者に記憶と経験を与え、一足早く土に還る者達。


 ガルムは父カリオンの言った事をようやく理解した。

 そして、あのうす惚けた黒い姿となって自分を見守るのだろうと知った。

 父カリオンが世話になった人々は、きっと今も見守っているはず。


 それが自分に移り変わるだけなのだ……


「さぁ、行くぞ」


 若き司祭は聖水を僅かずつ射水しながら、清浄な道を作った。

 担架状の台に乗せられたオスカーは、教会の外で納棺される。


 その道の上をヨハン達がオスカーを乗せ歩いた。

 そしてそのまま、大きな塚の地下へと収められた。


 ただ、そこには人を弔う重い空気は無い。

 誰もが笑みを浮かべ、長い間に積み重ねられたオスカーとの記憶を語った。

 とても博識な人間であったと。あるいは、思慮深く博愛主義であったと。


 そんな話をしながら楽しそうにしている者達をガルムは不思議そうに見ていた。


「人の本当の価値は死んだ時に見えるものだ」


 ガルムの背中へカリオンはそんな声を掛けた。

 墓に収められた棺へ誰もが最期の別れを告げている。

 それを見ていたガルムの背に立ち、両肩に手をおいてカリオンは続けた。


「困難な時代を生きた男は、誰もが困難な闘いをしている事を知っている。だからこそオスカーは誰にでも分け隔てなく接し、人々の悩みを聞き、導きのヒントを与え、前に進む事を促した」


 8歳の少年にそれを理解しろと言うのは土台無理なことなのだろう。

 それはカリオンとて重々承知している事だった。


 だが……


「今は解らなくて良い。今は理解できなくて当たり前だ。ただ、覚えておけ。いつか思い出す日の為に、しっかりと覚えておけ」


 どこか辛そうな口調でそれを言うカリオン。

 ガルムはそれを見上げ、言いたい事の本質を思案した。


「お前にとって祖父に当たる男。私の父は良く言っていた――」


 カリオンの目がガルムを捉えた。


「――全ての者がやがて報われ、全ての者がいつか救われる。それがどのような形なのかは誰にも解らない。だがな、良いことも悪いことも全て含めて、内包して存在するのだ。悪い事ばかりなどと言うことは絶対に無い」


『ホントに?』とガルムは聞き返した。

 カリオンはニヤリと笑って首肯し、ガルムの頭をポンと叩いた。


「苦労を積み重ねた分だけ必ず報われる。どん底まで落ちれば必ず浮かび上がる。大きく揺れた所で、振り子は必ず戻るようにな。あのオスカーという人間がどれ程辛酸を舐めたかは誰にも解らない。だが、その苦労した分だけ、人の苦労に耳を傾ける余裕があったのだ。そして――」


 父を見上げるガルムは、その言葉の続きに驚いた。


「――私を育てたヒトの男は、オスカーによって救われたんだよ」

「え?」

「いつかお前が大きくなったら、その全てを話して聞かせる。だから今はアージンの家に生まれた男として、大切な事を覚えておけ」


 ガルムはコクリと首肯を返し、カリオンはグッと厳しい顔になって言った。


「ここはル・ガルだ。我らが祖国だ。イヌの国土を蹂躙する者は一切容赦しない。それがアージンの男に課せられた使命だ。いつか、私の後に続け。良いな」


 遠い日、本物の方のゼルが言った言葉をカリオンは思い出していた。

 このシウニノンチュのチャシの中、影を薄くしたゼルはそう言った。


 持って生まれた運命と、避けて通れぬ宿命とを飲み込んだゼル。

 アージンの為、恋女房の為、シウニノンチュの為、ル・ガルの為。

 逃れる術すら無い全ての物事を前に、ゼルは一歩も引かずに義務を果たした。


「全ての者がやがて報われ、全ての者がいつか救われる」


 もう一度その言葉を口にしたカリオン。

 ガルムは力強く首肯した。


「私がそうであるように、お前もまた呪われた血なのかも知れぬ。だが。それでも強く生きろ。美しく、意地を張って生きろ。いつか必ず報われるだろうからな」


 塚の前でガルムに語りかけていたカリオン。

 気が付けばその列席者達が王と王子を見ていた。


 ――皆、ご苦労だった……


 カリオンは余所行きの声を出して、全員の労をねぎらった。

 それは父親から王へと切り替わった姿だろガルムは思った。


 多くの臣下がいる席では、父と子では居られない。

 なんとなく寂しくもあり自慢の種にも思えるガルム。

 だが、それに付いて何かを言うことは出来ないのだ。


「オスカーの最期に間に合って良かった。余を育ててくれた肉親をまた1人失ったが、やむを得ないことだ」


 カリオンの目がヨハンへと注がれた。

 そろそろ齢200に迫り始め、幼い日に見たオスカーを思い出させた。


「皆も身体に気をつけてくれ。大義であった」


 皆が胸に手を当て王への敬意を示す。

 そんな中をカリオンはチャシへと引き上げた。


 ――さて……


 そもそもはフレミナ地方への行幸だったはず。

 その目的を果たさねばならないな……と、改めてそう考えた。


 ――ガルムの見識を広げねば……


 そんな事を思ったカリオンの耳に、父ゼルの言葉が聞こえた様な気がした。


 ――――男の子には冒険が必要なのです……


 と。

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