オスカーとの別れ
ル・ガル北部は典型的な大陸系の内陸気候地帯だ。
夏は乾いた熱い風が吹き、水の恩恵が無い所は僅かな間に砂漠化しかねない。
ただ、ノースランドと呼ばれるこの地域には、降雪の恩恵があった。
冬場に海から吹き込んでくる湿った風は、この地域で寒気に出会う。
それがそのまま山にぶつかれば、この広大な地域に雪が降るのだ。
だが……
「思ってたより暑い」
ボソリと呟いたガルムは馬の上で遠くを見ていた。
盛夏だというのに、遙か遠くの山並みには雪が残っている。
それでも、草原を駆け抜けていく風は文字通りの熱風だった。
総勢で200騎程の騎兵団は、堂々たる隊列を組んで街道を進んでいる。
北府シウニノンチュを目指す一行の中ほど辺りにガルムは陣取っていた。
周囲の立派な体躯を持つ騎兵に比べれば、その姿は余りにも細く小さい。
だが、それでも黒染めに仕立てられた立派な戦衣に身を包んでいた。
見る者に威圧と迫力を感じさせる姿であり、次期王の片鱗を漂わせるものだ。
「ですが若、ここにゃ湿気がありゃぁせんぜ」
ガルムの脇に居たリベラは、ネコの国訛りのままそれに応えた。
その言葉が面白かったらしく、ガルムは子供らしい屈託無い笑みを浮かべる。
山並みから吹き下ろしてくる風はサラリと乾き、僅かな砂地には砂塵が湧く。
それは、一年中湿潤な空気に包まれるガルディブルクとは違う気候。
ガルムにとっては初めて触れる『余所の空気』だった。
「あとどれ位だろう?」
北へと続く街道は賑わっていて、多くの旅人が行き交っている。
そんな中を進む騎兵の隊列には太陽王の御旗が翻っていた。
「そうだね。まぁ、ざっと半日と言う所か」
シウニノンチュへ何度も赴いているウィルは、静かな口調でそう応えた。
リベラとウィルの2人は、ガルムにとっての家庭教師だ。
同じ取りの頃のカリオンとリリスにとってウィルが教師だったように……だ。
「遠かったね」
「そうだね。だが、今回はいつもよりゆっくり進んでいるんだよ」
ガルムの疑問に対し、一つ一つ丁寧に答えるウィル。
その眼差しは優しく暖かなものだ。
内心の何処かに忸怩たる思いを抱えてはいるが、それは奥深くに押し込めた。
そして、彼本来の主から託された任務を思い出し、振り返った。
「大丈夫ですか?」
ウィルとリベラが並んで歩くすぐ後ろ。
そこには幾人もの女官に囲まれるサンドラが居た。
夏場と言う事で馬車に乗る事が出来ず、馬で移動していた。
サウリクル家へと嫁ぐのだから、馬に乗れなくては勤まらない。
そんな思惑の中で育ったサンドラは、馬も上手に乗れるのだった。
「おかげさまで。問題ありません」
サンドラは涼やかに笑い、息子ガルムの背中を見た。
まだ8才になったばかりの我が子は、身体の線が細いのだった。
「大丈夫でしょうか……」
心配そうに呟いたサンドラは、表情を曇らせていた。
「大丈夫ですよ。何も心配ありません。カリオン王の初陣も同じような姿でした。堂々たる振る舞いで、落ち着いていました」
サンドラを安心させるように言うウィル。
ただ、やや言葉を詰まらせ、グッと来るモノを飲み込んでから言った。
「懐かしい…… 本当に懐かしい…… あの頃から、王はまさに王だった」
すっかり老成したウィルケアルヴェルティは、そろそろ転生の準備が必要だ。
だが、今の彼にはそれが些事に思えていた。
この少年を立派な王にすること。
今このキツネの陰陽師は、それだけが気掛かりだった。
カリオンの気の迷いからか、ガルムは王子として育っている。
ただ、いつかは必ず困った問題が出るはず……
――若王の為に……
ウィルは内心でずっとそれを考えている。
カリオン王は何が何でも目的を果たすはずだ。
ならば自分は太陽王の為に何が出来るか。
あの呪われた存在を生み出してしまった責任は、ひとえに自分にある。
それを痛感しているからこそ、ウィルは一歩も引けないのだった。
「塔が見える!」
ガルムは嬉しそうに遠くを指さした。
加齢で霞み始めた視界の中、ウィルはシウニノンチュの尖塔を探すのだった。
――――――――帝國歴379年8月10日
ル・ガル北街道 シウニノンチュ付近
頭上に輝く太陽が僅かに傾き、午後を感じさせる頃だ。
一行はシウニノンチュの都市圏へ入り、街道は石畳へと変わった。
その街道が市街地へと差し掛かり、街道の左右には多くに市民が詰めかけた。
――――行幸だ!
――――行幸だ!
――――太陽王がお見えになった!
――――若王のお帰りだ!
色とりどりの花が大通りは文字通りの花道に変わった。
その花の中をカリオンは堂々たる姿で通過していく。
左右の街並みに目を細め、街の高台へと続く十字路を折れた。
「ここが王の揺りかごと呼ばれる街です」
「こんな街なんだね」
ウィルの教えにガルムは目を輝かせる。
シウニノンチュの街は緩やかな斜面を駆け上がるように広がっている。
その斜面を登り詰めた先には、大きな砦が築かれていた。
広いバルコニーを持つ、広大なスペースだ。
――――あの若武者は若王の子か?
――――あぁ、間違い無いだろう!
――――若王の初陣を思い出すな……
街の人々がそう囀るなか、ガルムは楽しそうな表情でカリオンの背を見ていた。
自分と同じく8才で初陣を踏み、越境窃盗団を撃滅せしめたのだという。
武帝王の異名を持つシュサ王の後継者。
話しにしか聞いたことの無い、偉大な曾祖父から可愛がられた存在。
父であるカリオンの背を、ガルムは誇らしげに眺めていた。
「ララウリ! ここへ来い!」
そのカリオン王がガルムを呼んだ。
ララウリの名で呼んだのだから、それは公的な事だと察しが付いた。
「はいっ!」
馬の腹を蹴りぐっと前に進み出たガルム。
カリオンの隣へと進み出た時、前方に黒い体躯の男が居た。
「長旅お疲れさまです」
「わざわざの出迎え、恐縮ですな」
カリオンと親しげに話をする黒い男。
ガルムは直感で『オオカミだ』と思った。
そして、それがすぐに母サンドラから見て伯父に当たる存在だと気付く。
「君がララウリかい?」
「はい!」
ニコニコと笑いながらガルムは返事をした。
フレミナ地方を所領とする大公爵、オクルカ公だと解ったのだ。
「初めまして! カリオン・アージンの息子。ララウリです!」
このル・ガルに暮らす五千万余の人々の中で、太陽王をそう呼べる者は少ない。
それこそが、このまだまだ幼い少年の出自と正体とを雄弁に語っていた。
「北府シウニノンチュへようこそ。遠いところへ良く来たね」
「楽しかったです! オクルカおじさん!」
屈託無くそう応えたガルム。
その姿にオクルカも目を細めた。
「正体がばれてたか。大したもんだな」
カリオンと共に馬から下りたガルムは、チャシの中へと案内された。
そこには幾人もの大人達が楽しそうな表情で待っていた。
カリオンとオクルカの2人が楽しそうに歓談しながら歩いて行く。
その後ろに陣取っていたガルムは、カリオンが楽しげなのに気が付いた。
「やぁ。ご無沙汰だねヨハン。オスカーはどうした?」
部屋の中で待っていたのは、この街の差配を任されたヨハンだった。
カリオンが王都へと上がってすぐ、ヨハンは功績を認められ男爵位を授かった。
その推挙を行ったのはカウリ公とノダ公。そして、ゼル公の名もあった。
アージン家の男達が3人も名を連ねた以上、それは事実上の信任だ。
存命だったシュサ帝周辺の実務団は、すぐさまそれを認めていた。
「ご無沙汰しております。オスカーは……」
すっかり良い年になったヨハンは、部屋の奥にいた老人を指さした。
もはや自力で立つ事も叶わなくなった姿だが、それでも眼光鋭い老人が居た。
「オスカー。調子はどうだい?」
カリオンは笑みを浮かべて歩み寄った。
その姿を見たオスカー老人が立ち上がろうとした。
だが、すっかり弱った両脚は、身体を持ち上げることすら出来ないらしい。
「あぁ。良いよ。構わない。立ち上がらなくとも良い」
ヨハンと共にオスカーへと歩み寄ったカリオン。
その姿を眩げに見ながら、オスカーは満足げに笑った。
「立派になったなぁ…… 何という姿だ…… あぁ…… 立派になった」
それ以上の言葉が無く、オスカーはただただ笑ってた。
目を細め、幾度も頷きながら、涙を浮かべていた。
「息子を連れてきたんだ」
カリオンは振り返ってガルムを呼んだ。
呼ばれるがままに歩み寄ったガルムは、ぺこりとお辞儀をした。
「……そうか」
オスカーはガルムの頭に手をやり、静かに撫でた。
僅かに浮かぶその笑みには、同情染みた哀れみの色があった。
「……名前は?」
「ガルムです」
「それは真名だろう?」
「はい。でも……おじさんには言っても良さそうだったから」
「聡い子だね」
ウンウンと頷きながらカリオンを見たオスカー。
その姿にカリオンは胸が一杯になった。
「ゼル様や……ワタラ殿に良い土産話が出来た……もう思い残すことは無い」
そう呟いたオスカーは、何度も何度も頷き続けるのだった。