父親の覚悟
~承前
「……カリオン。イヌの鼻は騙せんぞ?」
フラス公がボソリと呟いた。
それに続きカチン公が何かを言おうとした。
ただその瞬間、カチン公は続きを飲み込んだ。
瞬間的に部屋の温度がスッと下がったような錯覚に陥ったからだ。
その錯覚の原因は分かっている。目の前に居るカリオンだ。
カリオンの顔はこれ以上無いレベルで無表情になっていた。
表情からその内心を窺い知ることは出来ない。
だが、その必要も無い事など手に取るように解る。
――――怒っている……
それはフラスにもカチンにも覚えがある事。
あのシュサが見せた真に怒れる姿だ。
怒れば怒るほど、シュサは冷静になっていた。
同時に、周囲が驚く程柔和な状態に見えたのだ。
「おぬしが何を目的としてるのかまでは問わん。ただ、あの子では王になれぬ」
カチン公もいつの間にか一切の笑みを消していた。
踏んだ場数と潜った修羅場の数なら勝てぬとも負けはしまい。
実際の話として、数々の難しい交渉を引き受けてきたし、命の危険もあった。
交渉が決裂し、生きて帰ってきたのが奇跡だと思った時もある。
そんなカチン公は、カリオンを向こうに回し、大一番を覚悟した。
「ノーリの決めたアージンの掟は絶対だ。それはお主も解っていよう」
「……もちろんです」
ノーリの掟に従い行動してきたアージンの一門は、掟破りを絶対に許さない。
例外も矛盾も一切認めず、全員が同じ取り決めを堅持している。
不平不満を言うのは野暮天という認識なのだ。
過去、幾人ものアージンを名乗る男が涙を呑んできた。
受け入れ難きを受け入れ、飲み込み難きを飲み込み、忍び難きを忍んだ。
そうやって護られてきた血の掟は、太陽王とて逃れられぬ。
「次の王を立てる筋道を付けて置く。太陽王の背負いし最も重要な責任ぞ」
「もちろんです。ですから私は、あの子に最高の教育経験を与えるつもりです」
表情を変えずカチン公に反論したカリオン。
カチン公はフラス公と一瞬だけ視線を交わしたあと、小さく息を吐いた。
「……サクリクルの血を王にするな」
フラス公がボソリと呟いた。
伏せていた目を持ち上げ、鋭い眼差しでカリオンを見ていた。
「あの子にはサウリクル一門の臭いがする。ル・ガル滅亡の算段を狙うフレミナに対し、アージンの国を護る為の防波堤。それがサウリクル。そして、況んや要するにそれは……」
――――オオカミの臭いだ
フラス公は敢えてそれを飲み込んだ。
サウリクル家はフレミナ家から嫁を取る。
そして、ノーリクル一門はル・ガル国内の黒耀種系を優先する。
連綿と続くル・ガルの伝統は、その全てが国家の発祥と発展の歴史そのもの。
フレミナとの関係を一定レベルで安定させる為の生贄。
それこそがサウリクル家の存在理由だったはずだ。
だが……
「妻はフレミナの女です。オオカミの臭いも仕方が無いでしょう――」
事も無げにカリオンはそう言いきった。
そして、何処か誹るような眼差しで老人ふたりを見据えた。
「――時代は変わったのですよ、大叔父上どの。新しい時代には新しい掟が要るでしょう。フレミナ一門と対抗し続ける必要性は無くなったのです。一衣帯水となれば良いのです。新しい時代の母が必要なのです」
カリオンはグッと顎を引き、上目遣いの三白眼を向けた。
マダラの顔ならばその表情にグッと威を増す事も出来る。
その全てを振り向け、カリオンは勝負に出ていた。
「……時代遅れの掟など変えてしまえば良い。新しい時代は新しい世代の為に在るのです。伝統が絶たれたならば、新たな伝統を作ってやれば良いのです」
つまり。
――――老人世代は大人しくしていろ……
カリオンが言った事を要約すれば、これに尽きるのだろう。
若しくは、老い先短い者がしゃしゃり出てくるな……と。
「……ワシ等は用済みと言う事か?」
「そうは言いません。これまでの時代を連綿と紡いでこられたのです。これまでの伝統を否定するものでは無いのです。ただ――」
カリオンの表情に笑みが混ざった。
まるで涼やかな、秋風のような殺意を含んだ笑みだ。
「――これからの時代にはそぐわない。それだけの事です。それとも大叔父らは今を古い時代の伝統に合わせ、これからも毎年毎年、死者を出しながら北伐を繰り返せとでも仰るのか? 父親の帰りを待つ子等に物言わぬ骸を返してでも、無駄な事を繰り返せと仰るか?」
そう。この30年、ル・ガルの恒例行事であった北伐は行われていない。
北伐どころか、シュサの時代には毎年繰り返していた各方面への遠征が無い。
長征の無い昨今では、戦死者が出ることも稀だった。
そして、戦死者を生み出さない現状では手当てや慰労金の出費が無い。
そもそも、軍にかかる経費が大幅に圧縮され、その分が国内投資へ使われてる。
全てが上手く回り始め、正直に言えばフラス公もカチン公も文句は無い。
それぞれが管理する組織では過去最高の収益を納め、国内は空前の好景気だ。
「それについて文句を言いたいのでは無い」
「要は面白く無いのだ。ワシ等は伝統に縛られ不遇の人生じゃったからの」
フラス公に続いてカチン公が本音を言った。いや、本音に近い事を言った。
普通ならば誰もがそう思うのだろう。だがカリオンは見抜いた。
それは、話をたたみに掛かった老人達のごまかしだと。
そして、警戒した。
――おぃおぃ……
本当に言いたい事は別にある。それは解っている。
ただ、それを言ってしまえば関係の悪化が修復不可能なレベルになる。
それを警戒している老人達は、慎重に外堀辺りを瀬踏みしているのだ。
恨むなら俺を恨め……と、そう言外に言いつつ、方針転換を図れとの要求だ。
どんな泥も馬糞も被るから、とにかく現状ではよろしくないと言っていた。
――めんどくせぇ……
内心でそう呟きつつ、カリオン努めて穏やかな声音を選んだ。
「では? なにが問題なのですか?」
声音こそ穏やかだがカリオンは勝負に出た。
それを見て取った老人達は、敢えてその剣を受けた。
過去、幾多の戦場を駆け抜けてきたふたりならば、勝負所は読み外さない。
王弟達に求められたのは、後腐れ無い戦死だ。だが、ふたりは生き残った。
その強運は、敵に回すと厄介である事をカリオンは学んだ。
「あの子は……マダラですら……無いな?」
カチン公の言葉がぐっと重くなった。
歓談していたはずの部屋から音が消えた。
鉛を飲んだような沈黙が続いき、3人は押し黙って対峙した。
勝負所はここに有る。生死を分かつ一閃が迸った。
「余の息子が……何か問題ですか?」
同意せねば殺すぞ……
そんな気迫がカリオンから溢れた。
フラス公もカチン公も言葉を飲み込んでしまった。
胸中で寝る言葉は、どれも雲を掴むような状態になっている。
カリオンが見せたのは、殺意では無く覚悟だと気が付いたからだ。
「新しい伝統か……」
「……それも良いのかも知れんな」
諸手を挙げて賛成は出来ないが、敢えて反対はしない。
不承不承の承認だから、そこは勘違いするな。
ヴェテランらしい老練さで丸め込みに掛かったふたり。
カリオンは全部承知で僅かに微笑んで見せた。
「……ワシがミューゼルの家に入ってもう100年を越えておる。ワシはどうせもう長くは持たんじゃろう。だが、ミューゼルの家に努める者の中には若きが多い。彼らの未来を考えればミューゼル家を取り潰すのには賛同し難い」
カチンは薄氷を踏む思いでその言葉を吐いた。
二川白道とは言うが、一歩でも踏み外せば命は無い。
カリオンの持つ権力は絶大なのだ。
このル・ガルの中では何でも出来る神にも等しい存在だ。
だからこそ『護らねばならぬ……』と、そんな姿勢を見せた。
「ワシもじゃ。カリオン。ローズバーグの家はそもそもが荒くれ者の溜まり場だったようじゃがの。食い詰めや無宿や、そう言った破落戸をまとめ、正業に就けようとしたのがシュサじゃった。街の嫌われ者にも生きる場所をと願ったのじゃ」
カチンの言に乗っかるように、フラスは慎重な言い回しでカリオンに迫った。
何を言いたいのかと言えば、要するに現状における既得権益の死守に過ぎない。
だが、逆説的に言えば、そうでしか生きられない者が確実に居る。
そして彼らは、現状の立場を失えば社会からドロップアウトする。
結果、行き着く所は任侠の狭間なのだろう。
社会不安のタネと成り、街の治安悪化が進んでしまう。
そうならない為に、必要悪を認めろ……と、そう迫っていた。
「で、私にどうしろと?」
あくまで穏やかな表情のまま、カリオンはそう言った。
まるで永遠に溶けない氷に埋め尽くされた、極寒地獄の様な声音で……だ。
「側室を取らんか。シュサとて生涯何人の女に手を付けたか分からんが……」
フラス公はそこまで言ってからカチン公に目をやった。
言葉のパスでしか無いのだが、場合によってはキラーパスになる。
「産まれて来た子等の中で、まともに成人したのはお主の母を含め両手の指よりも少ない。ノーリの子など百人を越えたというのだが……な」
核心に触れず、周辺から外堀を埋めていく。
その際、絶対に地雷を踏まない様、細心の注意を要する。
老人の老練さが際立ち、カリオンは胸中で唸った。
カリオンの母であるエイラは、シュサの身の回り役だったメイドの娘だ。
王の身辺の世話役故に、それほど低い家の出では無い。
だが、少なくとも伯爵級などの高階層貴族では無かった。
カリオンも聞いた事が無かった話だが、その出所はどうせ男爵か子爵の娘。
言い換えれば、下賤では無いが市民より多少マシなレベルの存在。
カリオンにとっては顔も知らぬ祖母に当たる存在。
産まれる前に他界していたらしい、縁の薄い存在。
ただ、それでも肉親の1人なのだ。
ふたりはそれが解っているからこそ、逆鱗に触れぬよう、慎重に、慎重に。
「……側室を設けるのは吝かではありません。ですが、私は――」
大叔父ふたりを前にして、カリオンはグッと気を練った。
「――フレミナ公オクルカを裏切る訳にはいかない。フレミナ一門とは良い関係を築いているのです。彼の氏が私との約定の為に、フレミナの中で強権を振るったことも私は知っています。故に……」
縛られているのはお前達だけじゃ無い。
カリオンは遠回しにすること無く、ハッキリとそれを言い切った。
『今』を護る為の掟が伝統になるのだ。
自分だって今を守る為に我慢しているんだ。
自らの不遇を嘆く老人達を前に、カリオンも同類相哀れんで見せた。
全てを可能にする太陽王とは言え、その身を縛るものは余りに多い。
「故に……なんじゃ?」
「シュサじぃと同じく、身辺役にでも手を出しましょうか」
ハハハと乾いた笑いを小さく漏らし、カリオンは困った様な表情になった。
まだまだ男盛りな年齢なのだから、時にはムラムラとする事もある。
「……女房に愛想を尽かされん程度にな」
「吉報を期待して居るぞい」
カチン公とフラス公は他愛の無い言葉でその場をしめた。
やおら立ち上がったのは『帰る』という意思表示だ。
「ウォーク。そこに居るか」
談話室の外に居たウォークを読んだカリオン。
ややあって静かに扉が開いた。
ウォークはこの会話の全てを聞きつつ、黙って待っていたのだ。
「お呼びですか?」
「大叔父殿らがお帰りだ。護衛を」
「……承りました」
護衛……
その言葉に老人ふたりが総毛だった様な表情になった。
場合によっては道中で暗殺されかねない。
カリオンは非情の措置を取ることも吝かで無いと言ったのに等しい。
「カリオン……」
「大叔父殿。我が息子の成長を、黙って見守ってください」
気が付いたのは仕方が無い。
ただ、黙っていろ。
そうで無ければ……殺す。
カリオンは言外にそう意思表示した。
その姿に老人達は、ただただ、頷くしか無かった。