ララウリの秘密
「ホホホ! 可愛いもんじゃのぉ」
「そうじゃ! 実に可愛いのぉ」
好々爺の笑みを浮かべる老人ふたりが部屋の中で坊やと遊んでいる。
秋の日差しが降り注ぐ城の一室で、その遊びは続いていた。
ル・ガル北部食料公社の名誉総裁を務める男。
モサ・フラス・ミューゼル。
そして、ル・ガル運送組合名誉理事長の肩書きを持つ男。
ファサ・カチン・ローズバーグ。
今はフラス公とカチン公と呼ばれるふたり。
彼らはノーリから数えて3世代目に当たるシュサの同世代だ。
先々帝シュサの異母弟としてふたりは生まれた。
幼児の時点で既にシュサが帝位に就き、ふたりの未来は終わった。
始祖帝ノーリの定めた掟は、ノーリクル一門の男をキツク縛っていた。
――――王位継承に係わる問題で造反を出す事は許さぬ
これは、国王の専権事項として如何なる者と言えど口出しも許されぬ事だった。
継承権争いで揉めれば、それは他国からつけ込まれる弱みとなる。
立場の弱い一門は、必ず他国の手助けを求めるのだろうから。
それを危惧したノーリは、王位を継承する段階でそう取り決めていた。
同じ世代で未婚の者は未婚のままに。妻ある者は子を為さずに。
それら全てを得ている者は王権の中枢に。
ル・ガルを統べるアージン一門の結束は、すなわちル・ガルの安定だ。
その為、シュサより100以上も若いふたりは、未婚のまま老成していた。
シュサが戴冠した瞬間、妻を娶ることも子を為すことも禁じられたのだ。
「大叔父どの。それではララウリが目を回しまする」
「なんのなんの!」
「そうじゃ。アージンの子は馬の上で飛び跳ねられて一人前じゃ」
カリオンの声を馬耳東風に聞き流し、ふたりの老人はララウリと遊んでいた。
ララウリを頭上へと持ち上げ、器用にクルクルと回している。
そのララウリとて満更でも無い。遊び盛りの4歳児には、ちょうど良いのだ。
「ララウリ。いい加減にしなさいね?」
サンドラは柔らかな声でララウリを諫める。
真名であるガルムの名は城の中でも殆ど知っている者が居ない。
習慣的な問題として、真名を人に知られるのは非常に良くない事だ。
故に、この場ではララウリと呼ばれるし、ガルムも分かっていた。
自分をガルムと読んで良いのは両親以外だと、ウォークおじさん位。
そして、自分が特別な存在だと言う事も理解し始めていた。
――――――――帝國歴375年10月28日
王都ガルディブルク
未婚に終わった老人ふたりにしてみれば、ガルムは可愛い孫そのものだ。
兄であるシュサがこのカリオンを可愛がったように……だ。
「ところで大叔父さま。北部の食糧計画はどうですか?」
「なんじゃ。こんな時に仕事の話か」
やや不満そうなフラス公は、一瞬だけ表情を曇らせた。
今はル・ガル北部地域の食料計画を一手に引き受ける公社の名誉総裁だ。
それがお飾りのポジション良すぎないこ事など、自分でもよくわかっている。
「私はこの国の最高責任者ですよ? 寝ても覚めても仕事です」
「……そうじゃな。兄貴の息子達が褒める訳だ」
フラス公は厳しい表情を緩め、笑みを浮かべてカリオンを見た。
齢250を越え、そろそろ人生の終点が見えてきた老人の余裕だ。
アージン大公爵家出身とは言え、今は子爵に列せられる身分のフラス公。
それは、大公爵の周辺貴族が際限なく増えては困る故の措置だ。
同世代の次の次の王が誕生した時、彼らは大公爵を追われた。
カリオンが王座に就くと同時、アージン大公家の身分を剥奪されたのだ。
そして、ノーリの時代から続く子無し子爵家を相続し、独立させられた。
今は国家からの給与を得て生活する、ただのしがない子爵だった。
だが、仮にも王弟である以上、そこらの老人ホームというわけには行かない。
それなりの屋敷と一門を預かる貴族家として格好を付けねばならない。
故にフラス公は、食料公社の名誉総裁というポジションを引き受けた。
腐っても大公爵出身故に、太陽王との太いパイプは否定できない。
事実上の天下りは引く手あまたで、フラス公はスカウトされたのだ。
そして、名誉総裁の捨て扶持を使い、名ばかり子爵家は存続している。
組織で収益を上げ、その組織に終生の面倒を見てもらうのだった。
「まぁ、この冬の食糧計画はいつも通りの数字じゃ。飢えることはまず無い。予定通り石高の半分以上が他国への工作材料となろう」
豊かな収穫はル・ガルの胃袋を満たして余りあるのが現状だ。
それ故にル・ガルは他国への食糧支援を続けている。
周辺国家のうち、食糧計画が不安定な国家の胃袋を掴んでいるのだ。
「実質的に言えば、農業大国はトラだけですからね」
「その通りじゃ。ネコなどは自分たちで作るより買った方が早いと飛びつく」
それがネコ的な合理主義である事は説明するまでもない。
ただし、その裏にある不断の努力を見落とすと悲劇になるのだが。
「で、それを請け負うのはフラス大叔父ですな」
「左様だ。ワシの差配一つでネコの国は飢える」
フラス公はカチン公からララウリを引き剥がし、自分の膝の上に載せた。
まだ幼いララウリは無邪気に天使の笑みを見せている。
「この子が王になるまでは、ワシの目が黒いと良いのじゃがのぉ」
やや気を落としたように言ったフラス公の姿は、見事なまでに雑巾色だった。
シュサ帝の父であるトゥリ帝が手を付けたイヌは雑種だったらしい。
ただそれでも、王の子は王子。
カチン公は学を得て育ち、今はル・ガル全土の流通を差配している。
「大叔父らは元気溌剌ですからね。あと200年は大丈夫でしょう」
「そうありたいものだ。なぁファサ」
「あぁ。この子の兄弟も見たいしのぉ」
ハハハと笑って顔を見合わせるフラス公とカチン公。
共にファーストネームであるモサ、ファサと呼び合う仲だった。
「ところでカリオン。この子の兄弟はいつ産まれるんじゃ?」
カチン公は唐突にそんな言葉をぶち込んできた。
膝の上にちょこりと座り、ニコニコと笑っているララウリ。
その頭を愛おしげに撫でながら、カチン公も笑顔だった。
「……その問いは困るなぁ」
困った様な表情のカリオンは、大叔父カチンからガルムを取り上げた。
「ててさま?」
「ララウリは弟と妹とどっちが良い?」
「うーん……どっちでも良い!」
「そうか」
父子の何気ない会話に好々爺のふたりも相好を崩す。
元々が険しい顔立ちのふたり故に、こんな顔など滅多に見られない。
「ほれ、ララもそう言っとる」
「そうじゃ。兄弟は多い方が良いでの」
フラス公に続きカチン公が凶手をぶち込んでくる。
好々爺の笑みの奥に何があるのか。
カリオンは笑顔のままだが……
「……もうすぐです」
サンドラは僅かに笑みを浮かべ腹を摩った。
その下腹部は大きく張り出し、臨月近しと言った状態だ。
「そうだ。大叔父ふたりにワインでも持ってきてくれないかサンドラ。このままだとララウリが目を回す」
「そうね」
軽い笑みを交わしサンドラが席を立った。
その後ろ姿を見ていたカチンとフラスは、一瞬だけ視線を交わした。
――――何かの意志を確認し合った
カリオンは直感でそれを見抜いた。
そして、瞬間的に心のスイッチを入れた。
ここからは戦いだ……と、そんな気を入れたのだ。
「……のぉ、カリオン」
「わしらも……こんな事は言いたくないが」
何かを言いかけたふたりだが、その前にカリオンは動いた。
「ララウリ。母さんが上着を忘れていった。届けてやってくれるかい?」
「はーい」
サンドラは薄い肩掛けを椅子に残していた。
カチンとフラスはそこに、サンドラの熟達を見てとった。
ここで太陽王が老練な策士とやり合う事になる。
そんな激闘の場を子供に見せずに済まそうと種を蒔いておいた。
しかも瞬時にソレを見抜き、判断し、実行した。
「……………………」
侮り難し。その印象を得た老人ふたり。
無言の圧が部屋に飛び交うなか、ララウリは薄掛けを持って公室から出て行く。
その姿が見えなくなった所で、カリオンは老人ふたりに向き直った。
……その表情を一変させて。
「承りましょう」
言葉こそ優しいが、カリオンの顔は戦に向かう武人だった。
迂闊な一言を言えば、この場で首を刎ねるぞ?と、そう言わんばかりだ。
フラス公とカチン公は一瞬だけ気圧された気がした。
そこにあるのは、鋭い刃を背に隠した怒気だったからだ。
「のぉカリオン。老人の戯れ言と思わず聞いてくれ」
カチン公は静かな口調で切り出した。
「ワシの継いだローズバーグ家を継いでくれるシュサの息子はおらなんだ」
「ミューゼル家もだ。大公爵家の周辺貴族は38を数えるが、そのうち12は当主不在ぞ?これをなんとする」
シュサの代でアージン主家であるノーリクルは一気に細くなった。
国家を護り導く事こそ王の本義だが、家を護っていくのもまた大事だ。
カリオンはル・ガル王であると同時に、アージン大公家の総主でもある。
アージン四家それぞれの当主を束ねる本家の主なのだ。
要するに、もっと子を作れ……と。
周辺貴族の処遇にも気を配れ……と。
それは帝王の役目でもあるのだ……と。
老人達はそれを言外に要求していた。
だが、その裏にあるモノもまた、カリオンは気づいていた。
いや、気付かない方がおかしいくらいだ。
――――別の子に王位を継がせろ……
選択肢は多い方が良い。
それをふたりの老人が言外に迫っている。
ララウリの処遇はどうにでもなるのだから心配ない。
妻無し子無しでもなんら問題無い身の振り方がそこにある。
そんな人生を歩んできたふたりが、それを言い出していた。
「……あの子で良いのか? ル・ガルの王が勤まるのか?」
フラス公は気を入れた言葉を吐いてカリオンに対峙した。
老成したとは言え、フラス公もまた黒耀種の血統を色濃く残している。
グッと身を乗り出すようにしている姿には、相手を呑む威があった。
「それはどういう意味ですかな?」
「話を誤魔化すな。ワシ等が感づかぬとでも思うか?」
カチン公もまた鋭い叱責の言葉を吐いた。
その隣にいるフラス公もまた、まるで戦場にある騎兵のような顔だった。
「あの子は……ララウリは」
「お主はアレを世継ぎにするつもりか?」
ふたりの老人はララウリの秘密に気が付いた。
カリオンとサンドラがララウリを出来る限り手元で養育している理由だ。
ララウリには。ガルムには絶対に公に出来ない秘密がある。
それをふたりの老人は見て取った。そして危惧した。
この子がこのまま王になれば、それはル・ガルの危機だと言う事に。