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カリオンとサンドラ

~承前






 夏の陽気が城の中にも蟠る午後。

 熱せられた石造りの城は、それ自体が熱を放つほどだ。


 ただ、城詰めの魔法使い達は、熱を逃がし涼しくする魔法を時より使っている。

 熱を何処かへ放出すれば、城の地下にある天然のクーラーが冷気を運ぶのだ。


 だが、そんな冷気よりも冷たいものがここに有った。


 城下で謁見を終え、カリオンは悠々と城へ引き上げてきた。

 傍らには大切そうにガルムを抱き、その顔を見ながら歩いた。


 我が子を溺愛するその姿に、皆が頬を緩める。

 ただ、その場に1人だけ、その姿を正視出来ない者が居た。


「ご苦労さま。暑かったね?」


 カリオンは優しげな声音で労りの言葉を掛けた。

 ただ、それを聞くサンドラは、まるで能面の様な顔だった。


「……お役に立てましたでしょうか」


 心底申し訳無いと言わんばかりの姿に、誰もが言葉を失う。

 サンドラは、城下で見せた表情らしい表情を全て失って青ざめていた。


 夫婦の愛情が欠片も無い、仮面夫婦状態なふたり。

 あの、新年を寿ぐ場で見せた、愛ある姿だったはずのふたり。

 今はもう、氷のように冷たくなった関係の……ふたり。


 サンドラの見せる姿は、まるで親衛隊の剣士のようだ。

 燃えるような忠誠心を根幹に、自己犠牲こと至上なのだと言わんばかり。

 そしてそれは、裏を返せば別の意味を持っていた。


 ――――太陽王カリオンの后は

 ――――後にも先にもただひとり


 リリスの果たしてきた功績は余りに大きく重かった。

 常にリリスと比べられてしまう宿命をサンドラは背負った。


 彼女は日陰の部分で涙ぐましい努力を重ねている。

 立ち振る舞いや言葉使いは言うに及ばぬ事。

 全体に目を配り、城の中でも大国ル・ガルの国母として居なければならない。


 その一挙手一投足が常に誰かに見られている。

 常時監視の目に晒されるプレッシャーと戦っている。


 自分を選んだことになっているカリオンに恥をかかせないように。

 自らの出自であるフレミナ一門が蔑まれないように。


 自分の事など一切問わず、常に誰かの為に……振る舞っていた。

 それ自身が、自らの精神を蝕んでいる事にすら、気が付かぬほどに……


「……苦労を掛けて済まない」


 スッとサンドラに歩み寄ったカリオンは、耳元でそう囁いた。

 愛ある夫婦であれば、それは労いと感謝の言葉なのだろう。


 だが、サンドラの解釈は違っていた。

 自分が苦労している姿を見せる事によって、カリオン王の気を煩わせている。

 余りに多くの責任と決断を背負っている太陽王が、こんな些事にかまっている。


 ――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 サンドラは必死になって、帝后足らんと努力を続けている。

 そんな彼女にとっては、まるで真冬の冷え切った風だった。


「お役に立てず申し訳ありません……」


 上品な仕草で口元に手を当て、言葉が遠くへ漏れぬようにと気遣ったサンドラ。

 だが、そんな彼女が見たものは、表情を曇らせ不本意そうなカリオンだ。


「何故その様なことを言う。あなたに苛烈な運命を背負わせているのは私だ」


 抱いていたガルムをサンドラへと手渡し、母子を合わせて抱き締めた。

 ガルムが泣き出さぬよう、慎重な力加減をしながら。


「私は呪われた身の上だ。なまなかな方法では治められぬこの国を導く為に造り出された生き物だ。私はこの運命から逃れられぬし、もはや逃げようとも思わない。ただ、それでもより良く生きる為には誰かの手助けが必要だ。その為に――」


 一瞬だけギュッと力が強くなった。


「――あなたにもトウリ兄貴にも迷惑を掛けている」


 サンドラの見つめるカリオンは、何とも悲しそうな表情だった。

 苦渋の決断を繰り返してきた王の眉間には、いつの間にか深い皺があった。


「……この子がちゃんと生まれていれば……いえ、私が()()()()産んでいれば、王の悩みも幾分かは軽くなった事でしょうに」


 不意に、カリオンの表情が険しくなった。

 それは見る者によっては恐怖を感じるほどのものだ。


「そんな事は無い。あなたはどうやら勘違いしているようだ――」


 何かを続けて言おうとしたカリオン。

 だが、その先を取るようにウォークが声を掛けた。


 カリオン王の全ての面をマネージメントするウォークだ。

 ここでもタイミングの見計らい方が絶妙だとサンドラは思った。


「陛下。全国商工会の会頭と理事達が面会を求めています」


 ――このタイミングでそれを言うか?


 そんな表情になったカリオンは、厳しい表情のままウォークを見た。


「……わかった。もう少し待たせろ」

「畏まりました」


 スッと場を離れたウォーク。

 その背を見送ったカリオンは、クルリと繰り替えってサンドラを見た。

 そして、冷え切った感情を奮い立たせるように彼女の肩を抱いた。


「あなたの努力も懊悩も全て分かっている。だから……リリスと比べなくて良い」

「え?」

「分かっているんだ」


 サンドラはリリスへ気を使っている。

 それはカリオンも重々承知してることだ。


 カリオンの妻は今でもリリスただ1人。

 そして今は、公の場に出られないだけ。

 しかも彼女は『次元の魔女』と二つ名を持つほどの存在になった。


 きっとリリスは常に監視しているはず。

 本来なら愛する夫の存在を独占できたはずなのに……と。

 そう目を光らせているはず。


 サンドラはリリスが怖いのでは無い。

 リリスの仕打ちや報復が怖いのでは無い。

 彼女が悲しみ、打ち拉がれ、その結果としてカリオンが怒るのが怖い。


 何より、同じ女としての遠慮と配慮がサンドラの悩みの種だ。

 サンドラは完璧な帝后を演じなければならない。


 心ない者達の無責任な一言――やはりリリス妃の方が――を言われない為に。

 その言葉により太陽王が思い悩むことなど無いように。

 公式には死んだことになって居る地下のリリスを追い詰めない為に。


 ただ、そんなサンドラの健気さこそ、カリオンを追い詰める正体でもあった。

 その思いを自分はキチンと受け止めているだろうかと悩むのだ。


「あなたが足らないと思っている努力や責務は、私の至らなさの為に存在する。だから全て独りで抱え込まなくて良い。独りで悩まなくて良い。全て私にぶつければ良い。あなたの背負う苦しみの半分を私にも背負わせてくれ」


 『陛下……』と呟いたサンドラ。

 その頭を抱き寄せたカリオンは小さな声で言った。


「形だけの夫婦と言う事では無い。このル・ガルの責任を背負わなければならない同士として、あなたは私の伴侶だから」


 もっと簡単な表現があるのはカリオンも分かっている。

 『愛している……』と言ってしまえば良いのだ。

 寡婦男の情婦などでは無く、傍らにいて欲しいのだと言ってしまえば良いのだ。


 ただ、サンドラがそうであるように、カリオンも遠慮があった。

 兄と慕ったトウリへの遠慮だ。サンドラはトウリの妻なのだ。


 ――済まない……兄貴……


 サンドラを悲しませることに、カリオンは途轍もない罪悪感を感じるのだった。







 その晩


「で、あいつはソレでウジウジしてるってのか?」


 カリオンは夢の中でトウリと会っていた。

 茅街にいる案主との検非違使運営定期会議だ。


 夢中術は遠慮無く本音剥き出しの言葉が漏れるもの。

 その夢の中で、トウリは遠慮無くそう言い放った。


「ウジウジってのもどうかと思うが」


 カリオンは殊更不機嫌そうにそう言い放った。

 ただ、その場に居たアレックスやジョニーやウォークが。

 そしてもちろん、フレミナ代表のオクルカまでもが口を揃えていった。


「夫婦間の諸問題は、主に旦那の努力が足らないと思われるが?」


 そう口火を切ったアレックスに続き、ジョニーがべらんめぇな口調で言う。


「そうだぜエディ。だいたいだな、女房はしっかり耕さねぇと」


 それが何を意味する言葉かは言うまでも無い。

 女房と畑の機嫌は耕し次第。百姓の男はソレを聞いて育つ。

 夫婦の夜の営みは、互いの心を確かめるだけでは無い。


「……それとも何か? 王はフレミナの女は肌に合わないと?」


 オクルカも怪訝な顔で迫ってきた。

 どうやら少々酔っているらしいが、本音モードが炸裂する場故に仕方が無い。


「オッキーもこう言ってるけどさぁ――」


 いつの間にか案主らしさが板に付いてきたトウリ。

 だが、オクルカを気易くオッキーなどと呼ぶ姿は昔のままだ。


「――今のアイツはカリオンの持ちモンだ。遠慮無く押し倒せよ」

「……持ち物とか酷く無いか? それに、そうは言ってもだな……」


 いきなり際どい事を言うトウリ。さしものカリオンも言葉を濁す。

 だが、そこでトウリが怯むような事は、もはや全く無い。

 遠慮も容赦も無く、本音モードでガンガンと言いたい事をぶつける。


「俺のオヤジはおふくろもリリスの母親も大事にしてた。もちろん、メイド上がりなふたりもだ。妾だって側室だって、呼び方が違うだけで同じ女房だろ?」


 トウリはヒートアップするでもなく、鋭い口調で淡々と言葉をぶつけている。

 普段のカリオンではあり得ないような防戦一方の状態になる大攻勢だった。


「こんな事を言いたくはねぇけど、リリスを耕すのはもう無理だぜ。なら、アイツを耕せよ。そんで、上手く良きゃ子供のひとりも出来るかもしれねぇ」


 トウリの言葉に『無理だろ』と返したカリオン。

 だが、そこでオクルカが口を挟んだ。


「フレミナの恥をさらすようだが、主家に連なる者の血筋には色々と魔法操作の痕跡が残っている。それこそ、定期的に異常者が現れる程に。あのフェリブル公だって実態はかさなりだった。トウリが言う様に、子供が出来るかも知れないよ?」


 オクルカも今はカリオンの身の上を良く飲み込んでいる。

 その上でそんな言葉を吐くのだから、ある意味でたちが悪い。


 だが、逆の見方をすれば、それは紛れもなく本音であり、また希望だ。

 フレミナのあり方や、やや大袈裟に言えば存在意義をも探っている。


「まぁ、いずれにせよオメェの責任は重大だ。そんくれぇは解るよな?」


 やはり最後にとどめを刺しに来るのはジョニーだ。

 不本意そうに腕を組み『あぁ』と応えたカリオン。

 そんな王を相手に、ジョニーはまるで街の無頼そのままにあった。


「ならよぉ、おめぇはおめぇの責任を果たせや。所詮この世は男と女だぜ。何処まで行ってもこれは変わねぇさ。なら、手も付けてもらえねぇ女の惨めさってのも考えてやれや。だいたい――」


 スイッとカリオンを指さしたジョニー。

 その指がまるで矢尻だとカリオンは思った。


「――女遊びの遊郭で指名を貰えねぇ遊女は3週でお払い箱だぜ? 彼女はもう何年、おめぇのそばにいんだよ」


 逃げ場の無い追及を容赦無く行うジョニー。

 かなり不服そうだが、それでもカリオンは黙って聞いた。


「リリスを悲しませたくないだけなんだよ」

「んじゃ、彼女と話し合えば良いだろ」


 カリオンの言葉にスパッとアレックスが返した。

 ソレはある意味、浮気の相談でもある言葉だ。


 だが、話をしない事には始まらないのだから、あとは勇気と度胸の問題だ。


「……そうだな」


 ボソリと呟いて床へと視線を落としたカリオン。

 その姿はまるで打ち拉がれた罪人だと皆が思った。


 誰もが想像する、強くて逞しい太陽王はここには居ない。

 無明の闇を手探りで歩く哀れな迷い人がポツンと座っているだけだった。

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