公式発表
盛夏を迎えたガルディブルクは茹だるような暑さだった。
夏の日差しを受ける石畳は焼けるように熱くなっている。
沸き上がった夏の空気が蟠る城下広場には、色濃い影が落ちていた。
城下の作業員は、その石畳へ1時間に一回の割合で水を撒いていた。
ガルディアラを縦に貫く大河ガガルボルバは、真夏でも水量が痩せる事は無い。
ただ、それが文字通りの焼け石に水状態である事は言うまでも無い。
撒いたそばから蒸発し、かえって蒸し暑さを増す事になる。
夏場のガルディブルクは北寄りの風となる為、夕方には涼しくなる。
だが、それまでは地獄の暑さが続くのだ。
仕事や所用で街を行く人々も、日陰を求めて木陰を選ぶ。
街の商店街にはアーケードが差し出され、僅かばかりの日陰を拵えていた。
――――いやぁ~
――――暑いですね!
街を行く人々は、挨拶の代わりにそんな言葉を交わした。
それ以外に言葉が無いと言ったところだろうか。
正直に言えば、口も開きたくないのが本音。
――――面倒な挨拶など要らぬ……
それこそが市民の本音であり、また、共通認識だ。
だが、それでも街には活気があり経済は回っている。
この夏に入り、ニワカに王都周辺の衛星都市が活気を帯び始めた。
地方領主である侯爵家や前線指揮官な伯爵家の当主が集まり始めていた。
何故なら、各地方へと漏れ伝わった噂から勘定して、もうすぐ100日。
ル・ガルでは男の子の100日祝を盛大に行うのが普通だ。
ましてやそれが太陽王の長子である。
盛大などという言葉が陳腐なものに感じられるレベルで行われるはず。
その席へ一番乗りで参上したい地方貴族にしてみれば、距離が恨めしいのだ。
僅かでも王都の近くへと進出しておく。
そして、24時間体制で吉報の到着を待つ。
その報と同時に王都へと早馬を走らせる為だ。
馬車などまどろっこしい事はしない。
直接愛馬に跨がり、一目散に王都へと上がる。
ガルディブルク中心部ミタラスに居を構えられるのは公爵家のみ。
侯爵家以下はその周辺都市に広大な敷地の屋敷を構えるのが普通なのだ。
それら全ては王を守る為の巨大な防塁の役目を負っていた。
――――まだかっ!
逸る心のイライラがピークを迎え始めた暑い日の昼下がり。
城下の大広場には、唐突に近衛騎兵の一行が姿を現した。
どの馬も見事に手入れされ、美しく輝いていた。
その先頭に立つのは、近衛師団を預かるドレイク卿。
隣には王府の全てを預かる侍従長ウォークが居る。
――――あぁ遂に!
広場に居た市民や観光客達は、悲鳴にも見た大歓声を上げ始めていた。
盛大な手拍子をあげ、広場を行く一行を出迎えた。
その隊列が止まり、ウォークは馬を下りた。
ドレイク卿は馬上にあって様子を伺って居た。
「さぁ!」
「……えぇ」
数歩進み出て広場の中心に立ったウォーク。
広場の中をグルリと見回したあと、おもむろに懐へと手を突っ込んだ。
多くの者が興味深そうに眺める中、ウォークは巻物を広げ咳払いをした。
「ガルディブルク市民諸君。並びに、太陽王の庇護するル・ガルの臣民諸君――」
ウォークがその声をあげたとき、広場には悲鳴にも似た歓声が上がった。
幾重にも取り囲む騎兵たちは、皆一様に笑顔だった。
割れるような拍手が響き、それが静まるまでウォークは間を開けるのだった。
――――――――帝國歴371年 7月 25日 正午
ガルディブルク城下 大広場
「――王府は太陽王カリオン陛下の命により、以下の件について発表する」
巻物を広げたウォークは、再び意図的に間を置いて辺りを見回した。
何かを期待して用も無いのに広場に集まっていた市民は多い。
その中にチラホラと身形の良い者が混じっているのはご愛敬だ。
きっと何処かの貴族が人を派遣しているのだろう。
そして、王府の発表を聞くやいなや、最大限に急いで帰るのだろう。
――――良いかウォーク
カリオンは心配そうな表情で気忙しげに居室を歩きながら言った。
――――全ての者に平等にせよ
――――老若男女全てに平等だ
――――多くの者が聞きたがっている事だろうからな
カリオンはそう念を押してウォークを送り出していた。
一天四海万民平等。この30年、カリオンは念仏のようにそれを繰り返した。
そしてそれは、ウォークを頂点とする王府の共通認識となった。
「一つ。過日、太陽王はサウリクル家当主トウリ・アージンの未亡人サンドラの境遇を鑑み、慈悲を持って後宮へと迎え入れられた。そのサンドラ女史は程なく身籠もられ、正式に帝后の座に就いた」
広場からどよめきが上がり、太陽王も男だったかと誰もが笑った。
ただ、国家を安定させるのが王の努めとするならば、子作りは義務の範囲だ。
太陽王とその后となったふたりによる不断の努力に皆が安堵した。
そして、未来へと向けた明るいニュースだと期待したのだ。
「一つ。去る三月初旬。帝妃となったサンドラ様は男子をご出産された」
歯切れ良く宣言したその言葉は、広場の中を再びの歓声で埋め尽くした。
その中心にいるウォークに耳が割れる錯覚を与えるほどの大歓声を湧きおこす。
拍手と喝采が飛び交い、多くの市民が涙目になって祝福の言葉を上げた。
男達は言葉にならぬ雄叫びを上げ、抱き合ったりしながら祝福した。
この世界に次の太陽王が生まれた。
その公式な宣言が遂に世界に流れた。
多くの市民が待ち望んでいた、新しい時代への導きが生まれ落ちたのだ。
広場に溢れる声はどれもが王への祝福を叫んだ。
暗帝と誹っていた者までもが歓声を上げた。
国の慶治だと歓ぶ声は、すなわち現状への不満そのもの。
それを見て取ったウォークは、報告せねばと内心で唸っていた。
「一つ。太陽王は自らに名を付けられたが、太古の習により幼名の儀は伏せられる事になった。ただし、王はララウリの名をも長子へと下賜された。これにより長子は成人までララウリと呼称する事になった」
ララウリ……
その名に多くの者が目頭を押さえた。
今上王の実父ゼル公の弟。
大公爵家サウリクルの当主だったカウリ公の系譜を太陽王は与えたのだ。
そして、かつての帝妃であったリリスを屠った従兄弟トウリにも連なる。
太陽王はサウリクル家の者として長子を扱うと宣言したに等しい。
それは、今の今まで扱いが宙ぶらりんだったサウリクル家の始末でもある。
――余は大公爵家を取りつぶすつもりは無い……
と、公式に宣下したに等しい事だ。
カウリからトウリと続き、そしてララウリ。
産まれたばかりの幼児ララウリだが、その子はきっとサウリクル家を継ぐのだ。
ただ、穿った見方をすれば、それはある意味でル・ガル国体への配慮でもある。
フレミナ家出身の嫁を娶った事は、ノーリクル家では一度も無い。
オオカミの女を娶るのはサウリクル家だとされてきた。
故に、太陽王カリオンはそれに配慮したのだ。
複雑かつ深謀遠慮の至った先にある命名の儀。
その思慮の深さに多くの市民が感嘆した。
「一つ。ララウリ公のお目見えは改めて発表する」
この場には来ないのか……
そんな落胆が広場に蟠った。ただ、それもまた宜なるかな。
ル・ガルの社会風習として残る新生児への対応とも言える。
100日目を迎える日までは、どの家の子であろうと神の子なのだ。
新生児に対する医療水準の低い世界では、生まれても育たずに死ぬ子は多い。
王太子として立太子の儀を済ませるまでは幼名が伏せられるのと同じ。
100日祝を行うまでは、公に姿を見せてはならないのだ。
「一つ。我らの王は3日後の28日。長子の100日の祝いを行われる」
ウォークが最後に発表したその言葉に、広場は再び熱く沸いた。
王がお目見えになるかも知れない。その期待が皆を熱したのだ。
自然発生的に誰かが国歌を歌い出し、それは広場を埋め尽くす声になった。
割れんばかりの声が響き、ガルディブルクの街中にその歌声が響く。
――――王の御世の安寧なる為に
――――神よ王を護り給へ
その声はすなわち、市民の本音その物。
30年近く城に引きこもっている王の姿を見たいと願う声だった。
「一度はお出になりませぬと……」
広場を見下ろすバルコニーの奥。
サンドラは王の居室の中で寛ぐカリオンに、そう声を掛けた。
黙って聞いていたカリオンは、僅かに笑みを浮かべサンドラを見た。
「……サンディ」
「差し出がましいことを申しました」
サンドラは悲しそうな顔になって我が子を見た。
母の腕に抱かれる幼児は、天使の笑みで眠っていた。
帝妃というポジションに収まって早くも半年が過ぎている。
仲睦まじい様子を見せていたカリオンとサンドラ。
だが、それらが演技であったかのように、彼女は余所余所しい空気だ。
「いや、良いよ。言ってくれた方が良い」
「ですが……」
ジッと見つめるサンドラの眼には涙が溜まっていた。
よく見れば憔悴しきった姿にも見えるのだ。
「申し訳ございません」
サンドラは涙ながらに詫びの言葉を吐いた。
肩を震わせながら、我が子を抱き締めている。
そんなサンドラの隣へと移ったカリオンは、黙ってその肩を抱き寄せた。
「何故謝る?」
「この子が…… この子は……」
「ガルム?」
黙って首肯したサンドラ。
公的にララウリと発表された子の幼名は……ガルム。
敬愛する祖父シュサ帝の幼名・真名はダリムだった。
その韻を踏むようにカリオンは名付けていた。
公式の名称はサウリクルの韻を優先し、ララウリと呼ばれる事になった。
だが、カリオンとサンドラのみが許される真名は、ノーリの伝統を引き継いだ。
ガルム
後の世で恐るべき生体兵器となるエージェントを抱えることになる組織。
GARM機関の礎は、ここに有るのだった。
「この子は……」
悲しみを堪えきれず涙をこぼすサンドラ。
その透明な涙がガルムの頬に落ちた。
「大丈夫だよ」
「ですが…… 満足に子も産めぬと言うのに……」
「大丈夫だって。何も心配要らない」
サンドラの頭を抱き寄せ、頬を付けたカリオン。
僅かに震えるその身体を抱き締め、耳元で囁いた。
「何も心配は要らない。トウリ兄貴にもそう話しはしてある」
「ですがこの子はこのままでは立太子すら出来ません」
「あぁ、そうだろう。だが、立太子せずとも王へ至る道を作れば良い」
驚いてカリオンを見上げたサンドラ。
そんな彼女を安心させるため、カリオンは殊更大袈裟に笑った。
「太陽王の政治力を見せてあげるよ。この国は……全部俺のものだ」
サンドラの頬に手を当てたカリオン。
その掌の温もりを感じたサンドラは、恐縮した様に呟いた。
「そのお手はリリス様のもの。私には勿体ない……」
「何を言ってるんだ。今、余の妻はそなたぞ」
「でも――」
小さな声で『申し訳ありません……』とサンドラは呟いた。
俯き加減にそう呟いた姿に、カリオンも表情を曇らせる。
サンドラは、城の地下遙かに向かってそう言ったのだ。
間違い無くリリスがこの様子を見て、聞いているとそう確信している様に。
――すまない兄貴……
カリオンも内心でそう呟いた。
愛の無い仮面夫婦ではダメだとリリスは言った。
だからこそ、カリオンはわざわざサンドラの夢に出掛けていった。
それが偽りの言葉であったかどうかは本人にしか知る由も無い。
だが、それでもカリオンは精一杯にサンドラを口説いた……筈だった。
「役に立たぬ女ですが、どうかお側におかせてくださいませ――」
ガルムを抱き締め、サンドラは懇願する眼差しで言った。
「――太陽王陛下」