ブル・スペンサー
ふと目を覚ました時、太陽はほぼ天頂にまで登り切っていた。
その太陽を見上げ。ジョニーは自分の失敗を知った。
完全に寝過ごした。
いや、正確に言うならば起きられなかった。
自堕落な無頼生活をここでやってしまった。
その事に、ジョニーは猛烈な後悔を覚えていた。
――やっちまったなぁ……
跡取りと言う事で色々と無理の効く立場にジョニーは居る。
だがそれは、周囲を振り回しても良いと言う免罪符では無いのだ。
慎重に慎重に注意を払い、気を払い、配慮に配慮を重ねなければならない。
累代に及ぶ奉公や忠誠は珍しくないが、逆に言えば簡単に切れる事もある。
意地や美徳が唱われていても、現実には銭と縁が同義なのだった。
そんな中で次期当主が無様を晒せばどうなるか。
ジョニーだってそんな事は百も承知だった。
他人に気を配る事が格好悪いと思う時期は誰にだってある。
他人なんか関係無いと無頼を気取って突っ張る時期だ。
ただ、それは時期が来れば卒業すべきモノだった。
「さて……」
ジョニーはリカバリーを考えながらのっそりと起きあがった。
身体中の節々が痛むのは、きっと夜中に力が入ったまま寝た影響だろう。
眠ってる最中に見たモノと、そこからはじき出されてから見たモノ。
その二つがジョニーの心中をグジュグジュと膿ませていた。
鼻を突く膿を流しながら、それでもなおそこにあるのだった。
――クソどもめ……
ジョニーが悪態をつくのも仕方が無い。
あのキツネの女は、最後の最後でジョニーに呪いを掛けた。
それは、永遠に心中で疼痛を放つモノだからだ。
――――お主は取り殺されるぞぇ
だからなんだと思いつつ、適当なモノを羽織って部屋を出た。
屋敷の者達が『御目覚めですか?』と一斉に動き出す中、ジョニーは思案した。
――城へ行くか……
そうと決まれば動き出しは早い。
館の者達に『食事は要らぬ』と言い残し家を出た。
すっかり登った太陽は、天頂にあって街を照らしていた。
「あちぃ……」
比較的低緯度であるガルディブルクは、夏ともなれば日の角度が高い。
食事を取らずに出たジョニーは、自らの影を踏みつけながら街を歩いた。
道々思案を重ねるのは、夢で見たあのキツネの正体と、その目的についてだ。
思えば、あの多種多様な種族が居たビッグストンにもキツネはいなかった。
それだけしっかりとした社会があると言う事なのかも知れないが……
――あいつ等は何を探っていたんだ?
水盤の前で意識を集中していたリリスは、何かに邪魔をされていると言った。
普通に考えれば、それは間違いなくあの連中の仕業だろう。
フレミナが用意した水盤の水面に別の世界を移す技は恐ろしいの一言に尽きる。
だが、ある程度の術者であれば、それに干渉する事が可能と言う事だ。
――秘密文書を途中で書き換えるようなものか……
馬で駆ける伝令に秘密指令の密書を持たせる事は良くある話だ。
だが、その伝令が途中で襲われ、秘密文書を盗まれる事もある。
暗号術はその為に存在し、特定の鍵がなければ開かれないようにしてある。
もっとも、算術式暗号の場合は、相手に一定以上の算術者が居れば解かれる。
暗号が年々複雑になり、その暗号を開くのに失敗する事も増えてきた。
――夢中術はその為にあるんだよな
距離を無視し、夢を繋げて直接的にやり取りする。
それが邪魔されるようになれば、夢中術の価値は半減も良いところだ。
極秘伝達の意味を失った夢中術の利用価値はなんだろう?
魔術と言う技術体系に付いての知識が薄いジョニーだ。
実体像を得られるイライラするのはやむを得ないといえる。
だが、それでも思索をめぐらせることには意味がある。
内心で理解している事としていない事を切り分けながら歩くジョニー。
空腹を訴える自分の腹を見つつ、街角で適当に摘むモノを買うのだった。
――――――――王都ガルディブルク ガルディブルク城
帝國歴 370年 6月 3日 昼下がり
「……おっ?」
城の奥深く。王の庭へと入ったジョニーは、何処かで見た男に出迎えられた。
「……んだよ。俺の顔に何か付いてるか?」
短い首と短い手足。鋭い牙と鋭い眼差し。
やや小太りにも見えるのだが、それは、この種族の特徴でもあった。
猛闘種
公爵家の一つ、スペンサー家がこの血統だ。
その男は、明らかに猛闘種の姿をしていた。
「お前…… ジョン・レオンか?」
「……てめぇ。なんで俺の名を知っているんだ?」
露骨に不機嫌になったジョニーは、低く轟く声音で凄んだ。
幾多の喧嘩を経験してきた無頼者の顔が姿を現していた。
「俺だよ。覚えてないか?」
その男は左の肩に付いたウォータークラウンの紋章を見せた。
神の与えし太陽王の王冠を示すその紋章は、限られた者にしか下賜されない。
この城詰めにある者でそれを持つモノは、この王の庭へ出入りできるのだ。
「……誰だてめぇ」
「うーん」
やや残念そうな素振りを見せるその男は『ほらっ! ビッグストンで』と言う。
ただ、あの学校の中にだって猛闘種は何人も居た。
スペンサー家に連なる衛星貴族を含めれば、それこそ掃いて棄てるほどだ。
「覚えがネェなぁ」
「つめてぇなぁ…… まぁ、オヤジが居なきゃ俺だってこの程度か」
「オヤジ? 親父さんか?」
「あぁ」
男は腕を組んでジョニーをジッと見ていた。
その顔立ちには、あのジョージ・スペンサー卿の面影があった。
「……ブル。ブル・スペンサー。ブルか?」
「そうだ。やっと思い出してくれたか」
笑顔になったブルは、ジョニーの肩を叩きながら笑っていた。
あの、何時も何をやってもどこか抜けていたブル・スペンサーだ。
「しかし、さすがジョンだな」
「いきなりなんだよ」
「ここは普通じゃ入れないのに」
「入れない? 俺は最初から普通に入れたぞ?」
「違うんだよ」
ブルは左肩に付いた小さなタペストリー状の紋章を見せながら言う。
「コレがないとここには入れないんだ」
「まぁ、入場許可証みたいなもんだからな」
「それもそうなんだけど――」
ブルは辺りを見回し、庭の四方にある彫像を確かめた。
王の庭と呼ばれるそこは、歴代太陽王の彫像が飾られる場所でもあった。
「――ここは白の魔女により結界が張られているんだ。王か魔女が許さない限り、あの最後の階段を登りきると城の大手門脇にある扉へ強制転送される仕組みなんだよ。白の魔女が作った強力な魔法結界は誰も入れないようにしてあるんだ」
誇らしげな様子でそう言うブルは、庭の中央にあるテラスへと誘った。
「今はこの城の地下にある宮殿で王と過ごして居るはずだが……行くか?」
「……あぁ。その為に来たんだ」
「普通にここへ来たんだ。ジョンなら行けるだろう。俺はここから先へはいけないんだよ。悔しいけどね」
ブルはジョニーへテラスの椅子を勧めた。
恐らくコレが何らかの魔法装置なのだろう。
そう察したジョニーは、勧められるがままにテラスの椅子へ腰をおろした。
それを見ていたブルの顔がニコリと笑みに変わる。
次の瞬間、辺りが一瞬にして真っ暗になり、あの纏わり付くような熱が消えた。
「……どこだ?」
眩い環境からいきなり闇の底へ来たのだ。
目が慣れるまでは辺りが見えない状態だった。
だが、ややあってその暗さに目が鳴れた時、ジョニーは驚くより外なかった。
そこは驚くほど天井の高い空間だった。窓の類が一切ない密閉空間だ。
――どこなんだ?
よく見れば、その空間の壁や天井が仄かに光っている状態だ。
床までもがボンヤリを光を放っていて、ジョニーは辺りを把握しつつあった。
王の庭にあったモノと同じテラスと椅子が用意されていた。
――飛ばされたのか?
トラの国には、古代文明の築いたらしい地下迷宮があると言う。
その地下迷宮には、魔法仕掛けの転送装置が罠として仕掛けられているらしい。
旅の商人から聞いたジョニーは、目を輝かせて続きをせがんだ。
その話しに聞いた効果は、まさにコレだと思えたのだ。
「へぇ…… 面白い趣向じゃないか」
テラスを出たジョニーは、暗闇の底へと降りて行く長い階段を歩いた。
更に深くへと下って行くその階段は、所々に踊り場がある。
その踊り場には大きな画が掲げられていて、ジョニーはそれを見上げていた。
「戴冠か」
最初に見た画はカリオンの戴冠シーンだった。
多くの民衆に囲まれ、喜びを分かち合うシーンだ。
「こっちは……酒場か」
それは、城下にある食堂の中で市民と語らう姿だ。
気楽な格好で降りてきたカリオンは、エールを呑みながら市民を語らっている。
「こっちは……」
それは、愛馬モレラの鞍上にあり、軍勢を率いて出撃するシーンだ。
背後には漆黒の套をまとうゼル公が描かれえいる。
フレミナとの紛争を解決するために行なった内戦への対応シーンだ。
「幾つあるんだ?」
愛馬を駆けさせ合戦に及ぶシーン。大きな河の畔で戦うシーン。
巨大な陵の前で片ほうの膝を付くシーン。王都へと帰ってきたシーン。
それは、五代目太陽王カリオンの過ごしてきた日々だった。
だが、ジョニーは気が付いた。この画にはリリスの姿がないのだ。
つまりこれは、リリスから見たカリオンの姿であり、愛する夫の姿だ。
――そう言うことか
全てを察して階段をどんどんと下って行くジョニー。
その耳には、聞き覚えのある声が届き始めるのだった。