次元の魔女<01>
~承前
フッと意識が浮かび上がってきた。
まるで水底から沸き起こった気泡が水面へ浮かび上がるように。
ジョニーの意識は暗闇の底にあって自分を認識していた。
――あぁ……
今さらもう驚かないレベルで経験していることだ。
夢の中に呼び出された。いや、夢が繋がったと言うべきことだ。
光も熱もない漆黒の世界だが、自分が確かにここに居る感覚。
それは、どう言葉を使ったところで表現出来ない事だった。
――ん?
少し離れた所に灯があった。
なにやら人の気配がする灯だ。
――今日はあそこか
ジョニーは夢の中を歩いた。
寝巻き姿のままだった。
「あ、ジョニー君来たよ」
「おぉー! 来た来た! 待ってたよ!」
先に声を上げたのはリリスだった。
ジョニーの来訪に気がつき、カリオンも声を上げた。
灯の元には無造作にソファーが置かれ、そこにはカリオンが座っていた。
そのすぐ隣には、ピッタリとくっ付くようにしてリリスが居た。
夢の中で出会うのはこの二人が多いのだが、今日は更に別の人物が居た。
「……ウォーク?」
「こちらでもよろしくお願い致します」
「あぁ。しかし、ここでお前に会うのは意外だな」
「そうですか?」
フフフと笑ったウォークはゆるい表情でジョニーを見ていた。
「ここはリリス様の夢の中です。賭場で言うならリリス様が親なんですよ」
「へぇ~ そりゃ凄いな」
「そうなんですよ。実は王はまだこれを出来ないんです。リリス様だけです」
「そうなのか。いや、凄いな。大したもんだ。すっかり魔女だな」
素直に驚いたジョニーは思うがままの事を口にしていた。
本来なら胸のウチに留めておくような言葉までポンポンと飛び出す。
「ただ、それだけに一つ覚えて置けよ?」
三白眼の上目遣いになってカリオンは言った。
ジョニーをビシッと指差しながらだ。
「心を強く持っていないとリリスの力に飲み込まれる」
「飲み込まれるとどうなるんだ。痛い目に合うか怖い事態になるかか?」
「まぁ、客観的に言えば怖い事態だろうな。なんせ――」
流し目で隣のリリスを見たカリオンはニコリと笑っていた。
その笑みを嬉しそうに見ているリリスは、カリオンの首に手を回していた。
「――隠し事が出来ない。思った事がそのまま言葉になって流れ出る。取り繕う事や誤魔化す事は一切出来ないと思った方が良い。つまり、本音むき出しのやり取りって事だ。これは結構しんどいぞ?」
社交辞令や取り繕う事が一切出来ないやり取り。
その怖さは経験してみなければ解らないことだ。
迂闊な一言で立場を悪くしたり、身を滅ぼしたりするかも知れない。
そんな極限環境では、文字通り心の強さが験されるのだった。
「そうだな。せいぜい気をつけるさ」
「本音だな」
再びハハハ笑いあったジョニーとカリオン。
ジョニーの心に蟠っていた思いや迷いはなかった。
30年ぶりでも一昨日ぶりと同じ気分でいた。
「ところで、これなんだが」
「夢中術か?」
「あぁ」
ジョニーの聞きたい事をカリオンは正確に見抜き、リリスへと視線をやった。
リリスもリリスでカリオンの言いたい事を理解して、笑みを返した。
「明日、もう一度城へ来て。そうしたら私に会えるから」
「普段は会えないのか?」
「明日はふたつの月が両方とも新月なの。だから、安全なのよ」
「……安全?」
理解出来ない事だらけで首を傾げるばかりのジョニー。
リリスは魔術の根本を手ほどきするように説明を始めた。
「暗闇の中に明かりを点せば、光の存在が見えるでしょ?」
「あぁ」
「だけど、昼間の明るい時間は光を感じることって稀じゃない?」
首肯しつつ『そうだな』とジョニーは返答した。
素直な心で全てを聞いている状態なのか、落ち着いた声音だった。
「魔力も一緒よ。魔素はこの世界に普遍的に存在するもの。余りに当たり前にあって誰もそれを実感しないの。だけど確実に存在するもの。そしてその魔力の元である魔素は、満月の日には最も強くなるのよ」
「昼間なら良いンじゃないか?」
「いえ。そう簡単なものじゃないみたいね。月の位置が悪いから増幅されるの」
小さな声で『月の位置』と呟いたジョニー。
それはつまり、疑念や混乱と言ったものの発露だった。
もっと言うなら、騙されないぞ……と心を強く持つ時の状態とも言える。
一切隠し事の出来ない会話の真実はこういう部分にある。
つまり、相互に深い信頼関係がなければ、言葉の上っ面だけで争いになる。
「月は夜になったら見えるけど、昼間だって月は存在してるのよ?」
リリスは天体学のレクチャーを始めた。
この世界が丸い玉になっていて、その周りを月がグルグルと回っているのだと。
同じようにこの世界の玉は太陽の周りをグルグルと回っている。
「太陽も実はグルグル回っているのだけど、私の力ではまだそこまでは見えない」
リリスの夢の中だからだろうか。
全員が見ている前に、まるでホログラムの様に概念が浮かび上がった。
ふたつの月が惑星を周回し、惑星は太陽を公転している。
「この玉は俺たちのようだな。太陽の周りにあってフワフワしてやがる」
笑いながらカリオンを見てジョニーはそう言った。
太陽王の周りに存在する細々とした者達がジョニーにはそう見えたのだろう。
「上手い表現ね」
「太陽王の周りには公爵が居て、その公爵の周りには衛星貴族が居て、その衛星貴族の周りには細々したモンがくっついてやがる。同じ概念だな」
ウンウンと首肯したリリスは、そのレクチャーを再開した。
「満月の番は太陽と月の配置が良くなるのね。だから魔素が強くなるし、魔の眷属は力を発揮する。今の私はほぼ魔物だから、満月だと相手が危ないの」
あっけらかんとした調子で言い切ったリリスは悪い笑みを浮かべていた。
それは、余りにも闇の深い笑顔だった。
「だから明日は安全に逢える。私とエディが実際に会えるのも……この日だけ」
その限定された逢引を邪魔することになるジョニーは、微妙な顔だった。
まるで罪の赦しを得ようとするかのような、そんな顔でカリオンを見ていた。
実際、カリオンとてその気持ちの根の部分は良く解る。
ジョニーという男はこうなんだ……と、それを良く知っているのだ。
「気に病むことは無い。また機会はあるさ」
「……本音でやり取りするってのは善し悪しだが――」
ジョニーはぺこりと頭を下げた。
カリオンは一切取り繕う事無く本音でそう言ったのだ。
剥き出しの感情と憚ることの無い本音トークなら、文句のひとつも出てくる筈。
だが、カリオンはジョニーが恐縮するのを解っていて、そう振る舞った。
「――本当にお前は王様になったんだな」
普段なら内心で呟く事だ。
だが、今はその本音が声になって外へと漏れ出ている。
「仕方が無いさ。随分と成長したと思うが、まだまだ足りないって感じてるよ」
「ビッグストン時代に良く言われたことだが、まだ至らないって思ってるうちは大丈夫ってのを思い出すな」
「あぁ。死ぬまで勉強さ」
相変わらず面倒だな……と、そんな口調での言葉が漏れ出た。
ただ、自己研鑽を続けていくことは士官の義務でもある。
それは部下を率い国を背負い、義務を果たさんとする者の逃れられぬ運命だ。
死ぬまで付いて回るその運命的なものを背負いながら、孤独な道を行くのだ。。
そしてジョニーは、その極めつけの頂点にカリオンが居る事を知っている。
責任と言う名の避けては通れぬ怪物を前に、決断と選択を迫られ続ける。
どれ程辛くとも苦しくとも、それは絶対に逃れられない運命。
だからこそ、ジョニーは思うのだ。
「本当に……王様だよ。今のお前は」
「褒められたと思って喜んでおくよ」
「で……さ」
「あぁ。解ってる。この術についてだろ?」
以心伝心に伝わる思いは夢の中だけでは無さそうだ。
まだまだ小僧だった時代から、幾多の経験を共にしてきた者同士。
今は随分と離れてしまっているが、それでも伝わる事がある。
「リリスを失ったあと……と言っても、実際には城の地下に居たんだが、中々逢えなくてな。魔術の師として幾人もの魔法使いや魔術師を相手に研鑽を積んだが、ある日……うっかり昼寝をしてしまって――」
肩をすぼめて恥ずかしそうに言うカリオン。
ジョニーも自然に笑みを浮かべていた。
「――その時、俺は夢の中である人物と出会った」
「……どんな奴だ?」
「名は教えてくれなかったが、次元の魔女だと自己紹介した。異なる次元にあって何らかの目的があるらしいのだが、その一環でこの世界を見に来たそうだ」
カリオンの言う言葉にジョニーは首を傾げるばかりだ。
そもそも、科学的な知見の進んでない世界では、世界線を説明する方が難しい。
異なる次元にあって、その壁を飛び越えていく。
それは、誰もが難しい事だと解っているが、その想像を遙かに超える事態だ。
もし、安易にその壁を飛び越えることが出来るならば……
それは、ジョニーと手容易に想像の付く事になって居るだろう。
つまり、ヒトの世界へ続々とヒトが帰っている筈だった。
「で、どうしたんだ?」
「俺は素直に全部言ったのさ。妻に逢いたいとな。そうしたら、その願いを叶えようっていきなり切り出されて面食らったよ」
やや抜けた声で『へぇ……』と答えたジョニー。
その仕草がおかしかったのか、リリスが楽しそうに笑っていた。
「ただし、願いを叶えるのは対価を払ってからだって言われてな」
「で、幾ら払ったんだ?」
「いや、対価は金じゃ無い。願いに見合うだけの大切なモノを差し出し、それを対価として願いを叶えるんだそうだ。つまり、同じだけの価値があるものでなければ対価にはならない」
カリオンは迷いも淀みもなく、そうきっぱりと言い切った。
その向かいにいたジョニーが取り乱すほどに……だ。
「その対価って?」
「おれは城から出られなくなった。正確に言えば、リリスの心が眠っている時か、若しくは城の外に居る者がリリスの思いに勝るだけの願いを持って俺を招くか」
「つまりそれって」
「そうさ」
その核心は、何の説明を受けること無く、ジョニーの内心に浮かび上がった。
まるで最初から知っていたかのように、自然に浮かび上がってきたのだ。
「リリスがここに存在し続ける事を願ったんだよ。俺が。だから、俺の存在を媒体としてリリスはここに有り続ける」
あんぐりと口を開けたジョニーは、リリスとカリオンを交互に指さした。
「この世に偶然は無い。全ては必然なんだと、その魔女は言っていた。そして、この世界の必然は小石を積み上げた山のようなモノ。隙間があったら崩れるモノ。それ故に隙間無くビッシリと積み上げられる。その小石こそがこの世界そのものだ」