城下に誓う
~承前
夕暮れ時のガルディブルクは一際賑わう時間帯だ。
城下アッパータウンの住人達は、贔屓のレストランへと向かい晩餐を行う。。
ダウンタウンの住人達とて、家族の団欒を彩る買い出しに忙しくある頃だ。
華やぎ溢れる街には威勢の良い売り子の声が響き、人の波が途切れない。
そんな通りの中をジョニーは歩いていた。
一頻り話を終え城を辞したのだ。
「あいつめ……」
ボソリと呟いたジョニーは、内心で『信じられネェ』と笑った。
王城の中、ジョニーはカリオンから将来に向けた構想を聞いた。
その話しは、今までであれば荒唐無稽な夢物語でしかなかったものだ。
――――10年程度の時間を要するが
――――全ての騎兵に簡単な魔術の習得を義務付ける
――――歩兵にもだ
それが何を意味するのかをジョニーは良くわかっていた。
かつてのトゥリングラード戦線でカリオンが語った夢物語。
その、まったく新しい用兵思想は、恐らく軍が最も頑強に抵抗する物のはずだ。
しかし。
――――新しい戦略と戦術により国軍はより一掃の戦闘力を得る
――――だがそれは、国土防衛を最大の目的とする思想によるものだ
カリオンが示したその新戦術は、イヌの騎兵に最もフィットするモノだった。
横一線に穂先を並べた騎兵は、力技で前進しながら魔術を行使する。
騎兵の衝力に対する防御手段は遠距離からの矢しかない。
しかし、その降り注ぐ矢を騎兵は防御してしまう。
かまどに風を送り込む魔術の応用で前方に風を送り込むのだ。
数個大隊規模で同じ魔法を使った場合、かまどへのそよ風が突風となるだろう。
防御の乱れた敵陣へ切り込む騎兵は、最前列こそ槍を持ち突撃を図る。
だが、後列が持つのは槍ではなく油だ。灯明油を入れたガラス瓶を持つのだ。
それを敵に投げつけ、油を被った敵兵に着火魔法を使う。
それは究極の破壊攻撃であり、撃滅戦闘の極地だろう。
敵を1人たりとも生かして返さないと言う徹底殲滅理論だ。
それにより、イヌとやりあうなら国家の滅亡を覚悟する必要が出て来る。
敵は奴隷でも傭兵でもなく敵国の国民なのだ。
その国民を須らく焼き払ってしまう悪魔の軍隊に手を出す者など居やしない。
――――ル・ガルが侵略行動をするつもりは無い
――――ただ、ル・ガルを蚕食せんと欲する者は徹底的に撃滅する
――――打ち倒すより共存を図る方が得策だ……
――――周辺国家にそう思わせる事が大切なんだ
カリオンの語る指針は、ジョニーをして心のどこかに火をつけてしまうものだ。
新しい世界を夢見た若き王のタクトはル・ガルを新しい時代にしようとしている。
「負けんなよエディ……」
どうにも落ち着かない内心を沈めるべく、ジョニーは馴染みの酒場へと入った。
小僧だった頃から幾度も顔を出している店だが、ここしばらくはご無沙汰だ。
城下のレオン邸では夕餉の支度をしていることだろう。
あまり長居は出来ないが、火照った心をクールダウンする必要があった。
――――よぉ! ジョニーじゃねぇか!
店の店主は陽気な声でジョニーを迎えるのだが、当の本人はぎこちない笑顔だ。
「久しいな。また一杯飲ませてくれ」
その身に纏う空気が変わってしまった。
店主はそこに一抹の淋しさを感じるのだが、人とは代わるモノだ。
良い方向へ変われば成長と評し、悪い方向なら堕落と誹る。
人々の移り変わりを見てきた店主は、ジョニーの変化を吉と見た。
小僧の頃の闊達さが影を潜め、年齢相応に落ち着いてきた。
それは、成長と言う表現をして全く過不足無いものだった。
「いつガルディブルクへ来たんだ? 薄情な奴だな」
グラスに火酒を注ぎジョニーへと差し出した店主はあり合わせのつまみを出す。
横目でそれを眺めていたジョニーは、グラスへと目を落とした。
透明なグラスの中には丸い氷が浮いていた。
冬でも無いのに氷が酒の中に浮いている不思議さは、未だに中々慣れない。
だが、これもまたカリオンの功績のひとつであり、氷屋という職業の誕生だ。
火を付ける魔法の対極である、モノを懲らせる魔法の存在が産んだものだった。
「もうすぐ暑い時期だって言うのになぁ……」
ボソリと呟いたジョニーが何に感嘆しているのかは店主も理解している。
城下にある氷屋は毎日のようにトン単位で氷を出荷していた。
ガガルボルバの上流から生活用水として引いた上水道の水で作る氷だ。
雑排水の影響も無く酒の香りも邪魔しない上品な氷だった。
「その氷もまた、あの若王の功績さ。城で魔法を研究したんだろうな。お后様を助ける為に必死で」
店主は事も無げにそう言うが、ジョニーの表情はガラリと変わっていた。
リリスの為に魔法の研究をした事実を城下の人間が普通に知っているのだ。
「でも……彼女は助からなかったんだ」
「死んだ人間は生き返らないからな」
ジョニーの言葉に店主は辛そうな言葉を返す。
ただ、その回答が真実では無い事を知り、ジョニーは安堵した。
死人と暮らす王など、国民が受け入れるはずも無い。
「ただまぁ、若王も相当凹んでいるんだろうな」
「あぁ。今しがた城へ行ったんだが……窶れていたよ」
何のけなくそう言葉を返したジョニー。
しかし、その一言で店主の空気がガラリと変わった。
「逢ったのか? 太陽王に」
「……あぁ、逢って話をしてきた。なんせビッグストンの同期だからな」
グラスから目を上げ店主を見たジョニー。
そのジョニーに向かい、店の中の眼差し全てが突き刺さっていた。
「たっ 太陽王はどうだった?」
「どうだったって言われてもなぁ…… 普通だったぞ。ただ、それなりに歳を取りそれなりに窶れていた。心労だけって訳じゃ無さそうだが、それでも……」
腕を組んで考えているフリをしたジョニーは、店内がざわつく理由を考えた。
何故皆がこんなに反応をしたのか、その実を理解出来ないのだ。
「太陽王はもう30年近く城に引きこもってるんだ。前はよく城下に降りて来たのに、最近は全く出てこない。あのフレミナ王が来る時も城内で用を済ませている」
店主の嘆き節は太陽王の変質だった。
かつてはリリスを連れ、城下のレストランにひょこりと顔を出したカリオンだ。 城下のレストランは王の来訪回数を競い合い、新作料理の開発の鎬を削った。
王が興味を持ち、后を連れて『味見に来た』と来訪するように……だ。
だが。
「今はもう街の火が消えた様だ」
「栄えてるじゃねぇかよ」
「馬鹿言え。前はもっと凄かったのさ」
店主の言葉には実感がこもっていた。
「王は后と共に数名の従者のみで城下を歩いたのさ。あの若い侍従の他に、ネコとキツネをひとりずつ連れてな。信じられるか?たった5人だぞ?」
目を見開いてジョニーを見る店主は、口角泡を飛ばしながら続けた。
「それが今はどうだ。城下のレストランがどんなに案内状を出したって城から降りてこないんだ。前はバルコニーから姿を見せたが、今はそれも無い。あの岩の滴亭にすら出てこないんだからな」
店主は興奮気味に喋り続けるのだが、ややあって息が抜けたように落ち着いた。
空になったジョニーのグラスへ火酒を注ぎながら、胸中で言葉を練っていた。
「……王は病気だ。それも心が病気だ。后を失われて気を病まれたのだ。城下の我々はみな、そう噂しあった。王が壮健で無ければ国は乱れる。ル・ガルの歴史を紐解けば、そうなるのを皆が解ってるんだ」
それなりに教育水準の高い世界では、国民が歴史から学ぶことを知っている。
歴史とはそれ自体が失敗の積層体であり、堆く積上げられた後悔の墓標だ。
最善の選択を行ない続けてきた結果、斬り捨てられた最悪の選択肢が残る。
その斬り捨てられた側の恨み節を、人々は英知と呼ぶのだった。
「まぁ……」
何かを言い掛けて飲み込んだジョニーはハッと気が付いた。
気の聞いたセリフを吐こうとして、実は何も言えない自分にだ。
――俺は……
――何を言うべきなんだ?
ジョニーはそれに逡巡し、結論を得られなかった。
この城下にいる者達が等しく持つ漠然とした恐怖。
それはつまり、カリオンが暗愚の帝ではないかと疑うものだ。
何処まで行っても潜在的に付いて回る思い込み。
すなわち、マダラが王でも良いのか?と、国民がそう感じ始めている。
それはきっと、望まぬ結果をもたらすのだろう。
どうにかせねばならないのだが、ジョニーはどうすれば良いのかわからない。
「ジョニーは王の友達なのか?それとも臣下なのか?」
「……随分難しい事を聞くじゃないか」
店主は真面目な顔でジョニーを見ていた。
その眼差しには疑惑の色があった。
――マズイな……
グラスに残っていた火酒をグッと煽り、ジョニーは席を立った。
無造作に取り出した幾許かのトゥン金貨をテーブルへ置き、踵を返す。
店主へ背を見せたジョニーは一息吐いてから天井を見上げた。
「俺は……友達でも臣下でもない」
「じゃぁ?」
「背負っている家名も役職もあるが、そんなものは俺には関係ないのさ」
視線を落とし足元を見てから、ジョニーは顔を上げて店の外を見た。
拳を握り締め、それを自らの胸にあて、誓うようにしてジョニーは言った。
「俺は太陽王ではなくカリオンと言う男ただひとりに永遠の忠誠を誓った、一人の男に過ぎない。例え世界がカリオンを許さなくとも。例え国民がカリオンを見捨てようとも。例え神がカリオンを天に仇なす者としても……だ」
全く迷う素振りを見せず、ジョニーはただ真っ直ぐに前を向いて続けた。
「もし、カリオンが世界を平定すると言うなら、おれは一兵卒となって最前線を走る。世界から戦をなくすと言うなら、いくらでも相談相手になる。もし天国へ行くと言うなら、先を歩いて露払いを引き受ける。そして、もし地獄へ行くなら――」
ジョニーは振り返って店主を見た。
その顔には爽やかさを感じる漢の笑みがあった。
「――槍を持ってそれに付き従い、地獄を平定するまで暴れてやる。力尽き倒れる時にはカリオンの身代わりとなる。一切の迷いなく一片の疑念なく、一点の曇りもなくだ。この躯が朽ち果て命ほろび死ぬ瞬間まで、我が主君に全てを捧げる」
店の中に居た無頼の多くがその言葉に息を呑んだ。
店主ですらも言葉を失っていた。
それを見てとったジョニーは、畳み掛けるように言った。
「疑うは容易く、信ずるは難し。それは、己の心の強さを験される事だ――」
ジョニーは自らの胸を叩き、己の信じる神に誓うように言った。
「――我が命は我が主君と共にあり。俺が求めるのはそれだけだ」
店主は二の句を付けず、店の客は言葉を失ったままだった。
再びクルリと背を向けたジョニーは、黙って店を出て行った。
――コレで良いんだ
――それで良いんだ
――俺の選んだ道だ
通りへ出たジョニーは振り返って見上げた。
巨石インカルウシの上にそびえるガルディブルク城に明かりが入っていた。
――我が君はあそこにいる
レオン家邸宅へと向かう道すがら、ジョニーは不思議な満足感を覚えていた。