ヒトの街の自警団
~承前
――いらっしゃいませ!
その声が余りに可愛いので、ジョニーとロニーは足を止めていた。
宿の主人に聞いたヒトの自治団事務所は街外れに存在していた。
「ここは?」
ジョニー達では読めないヒトの世界の文字で何事かが書いてある建物の入口。
小さなカウンターの向こう側に立っているヒトの女はニコリと笑っていた。
「ここは府中です」
「フチュウ?」
「府とは都を意味し、中はその中心という意味。つまり府中とは都の中心です」
――都……
ジョニーの内心に何かが細波立った。
ただ、その波が何であるかはジョニーにも解らない。
「今日こちらにおいでになると伺っておりましたので、府中の自治団が全て集まっております。どうぞお進みください。ジョン・レオン卿」
唇を持ち上げ、歯を見せて笑みを見せた受付の女性は、右手をスッと伸ばした。
つまり、この建物を真っ直ぐに進めという意味なのだが……
――なにっ!
ジョニーは出来る限り平静を装っていたが、それでも僅かに表情が歪んでいた。
そのヒトの女性には牙があったのだ。いや、牙と言うには些か控え目なサイズ。
だが、その牙の形は間違い無くイヌなどのそれと一緒だった。
――この女は……
様々な事を考えるジョニーだが、その背をロニーが押し出した。
「兄貴、サクサク行きやしょう」
「……そうだな」
受け付け女性に一瞥をくれ、ジョニーは奥へと進んだ。
……刹那、なにか何処かで嗅いだ臭いがジョニーの鼻をくすぐった。
それがなんだかジョニーは必死に思考を巡らせる。
臭いの記憶は中々薄れないと言うが、ジョニーはやや合ってハッと気が付いた。
――ゼルさま……
――あと、レイラさん……
それが誰であるかを考えるまでも無い。
ヒトの世界からやって来たカリオンとリリスの育ての親。
いや、レイラさんはリリスの直接の母だ。
――まさか……
歩きつつ振り返って受付嬢を見たジョニー。
その後ろ姿のシルエットは、遠い日に見たレイラと生き写しだった。
「兄ぃ…… なんかあったんすか?」
「なんかって?」
「今朝も朝から変っすよ?」
「もってなんだ!もって!」
ロニーの頭をひねり潰す勢いで握りしめたジョニー。
馬の手綱を捌く騎兵の握力は尋常では無い。
万力で締め上げられるかのように頭蓋骨を絞られ、ロニーは悲鳴を上げる。
……この日、目覚めたジョニーは朝食もそこそこに宿の主人を呼んだ。
主人は全部承知しておりますと言わんばかりに街の中心部を教えた。
巨大な丘を持つ巨大な中洲の下流側。
典型的な沖積地形を堤で囲み、そこを更に盛り土で嵩上げしたのが茅街だ。
この中洲の丘は人工構造物だと教えられ、それがゼル陵だとジョニーは知った。
カリオンが工兵長に命じ、人海戦術によって築かれた巨大な陵だった。
――――アレが街の中心部です
――――あとは現地にて……
その一言を残し店主は店の奥に引き込んでいった。
宿代は戴かぬと言われ、宵越しの銭は持たない主義のジョニーは些か面食らう。
だが、たまたま通りかかった板長から、町役場で喜捨出来ると聞き歩き始めた。
ロニーは貰っておきましょうと五月蠅かったのだが……
「ここか」
街の実務を取り仕切る町役場の奥。
大会議室と書かれた扉を開けた時、その中には50人近いヒトの姿があった。
老若男女の全てが揃っているその面々は、やや緊張の面持ちで立ち上がった。
「私は――」
先に切り出したのはジョニーだった。
だが、その言葉を手で制し、変わった服装の男が一歩進み出た。
緋耀種であるジョニーから見ても大柄な、岩のような男だった。
「おじゃったもんせ! レオン様!」
――おじゃったもんせ?
やや首を傾げ、意味が通じぬと怪訝な表情になったジョニー。
相手の口上を手で遮る無礼は忘れていた。
「おぃは茅街自治団麾下。自警団の黒組奉行、薩摩のジローっち言いもそ。こげん遠か街までわざわざ来てくれてあいがともしゃげもした」
ジローと名乗ったその男は、不思議な言葉遣いをしていた。
ジョニーはますます怪訝な表情になったが、それを見た周囲は笑うばかりだ。
「おぃおぃジロー。それじゃレオン卿が理解出来ないぜ?」
ジローの隣に立っていた男が間を取り持つように口を開いた。
その声を聞いたジローは頭を掻きながら笑っていた。
「どうかご勘弁を。生まれた故郷の訛りがまだ抜けんでごわす」
笑いながらもジッとジョニーを見ているジローの目は、恐ろしい程に鋭かった。
「この茅街のヒトは太陽王陛下の思し召しにより全土より集められました。我々はその集ったヒトの自治管理を行なっている自治組織の代表団です――」
ジローは隣を指差し順繰りに紹介していく。
ジョニーは黙ってそれを聞く事にした。
「――こちらは私とは異なる組。紫組の奉行であるギン。そして隣が緋組のタカ。私ジローとこのふたりの三人が自治会麾下の自警団を預かっております。私はその自警団の責任者を兼務しております」
「……なるほど。で、代表となるのは?」
「特におりません。強いて言えば自警団のおよそ50人全員が代表です。全員の合議により運営しております」
――なんだそりゃ……
言葉を失ったジョニーを前にジローは淡々と説明を始めた。
黙ってそれを聞いているジョニーだが、腹の底では唸らざるを得なかった。
――ゼル様の言ってた世界だ……
それはまさに、ヒトの世界の政治そのものだ。
高度な合議制と意見の集約による方針の収斂。
その全てが高い次元で実現されている。
ジョニーはハッと気が付く。
カリオンが目指しているのはコレなんだ……と。
「この街の事は解った。説明に感謝する」
「いやいや、ご清聴賜り感謝の極みですな」
ジローは胸に手をあて、最高レベルの敬意を示した。
その答礼を送ったジョニーは、いよいよ本題に切り込んだ。
「ところで、この街に来た理由の一つに……」
「検非違使の件ですね」
ジローは全部承知だと言わんばかりに切り替えした。
ただ、その声が僅かに沈んだのをジョニーは聞き逃さなかった。
「……そうだ」
「どこからお話すれば良いか……」
「王の秘薬の件は私も知っている。だが、検非違使と言う組織は……」
ジョニーの言葉を聞くジローの顔は、まるで戦に向かう者の表情だった。
何かとても厳しい事を切り出そうとしているのでは無いか?
ふと、そんな事をジョニーは考えた。
だが、僅かに目を伏せたジローの見せる姿は、逡巡と狼狽だ。
言うべきか言わざるべきか。それを思案しているのだった。
「検非違使があの化け物の様になってしまった存在対策だと言うのも聞いた。だが、本当にそれだけか?と思うのだ。もっと何か違う目的があるんじゃないかと」
ジョニーはそうとうに神経を使って言葉を選んだ。
迂闊な一言でこの場の全員が貝になりかねないと思ったのだ。
彼らにしてみれば、厳しい事を尋ねられているのかも知れない。
いや、このヒトの町の成立を聞けば、それもやむを得ないと思う。
「シュサ帝の示されたヒトの保護は始まりに過ぎない。ノダ帝の行なった法の整備と組織の立ち上げは良く知っている。そして、カリオン王の配慮はこの街に住む者達の表情を見れば良く分かる――」
ジョニーは室内をグルリと見回してから言った。
「――皆、明るい顔をしている。生気に溢れている。街行く者には笑みがあり、幼子が普通に歩けている。ここはヒトの街だ。だが、それを自治管理する君らには驚くほどの鋭さがある。それは一体どういう事なんだ?」
ジョニーは裸でぶつかっていく事を選んだ。
真正面からぶつかっていき、真っ直ぐな心を見せる事で前開きの姿勢を見せた。
悪しき企みがある訳ではないと。
或いは、この街を牛耳り、支配し、手下に置こうと言うわけでもないと。
それを雄弁に語る手段として、ジョニーはそう振舞う事を選んでいた。
「……そもそも検非違使とは」
おもむろに切り出したのは、その自警団として居並ぶ男たちの中の片隅だった。
今まで一回も口を開いたことのなかったその男は、全く抑揚のない声だった。
まるで山の彼方から聞こえてくる風のような声。
湖の彼方から聞こえてくる沈んだ声。
冬風の中に聞こえる感情のない声だ。
「検非違使とは?」
「覚醒してしまった子供たちの親なのです」
「……おや?」
小さく声を返したジョニーだが、その男はそれっきり黙ってしまった。
続きを聞こうと忍耐強く待つじょにーだが、その男は黙ったままだった。
「ナオ…… もう良い」
横から口を挟んだジローは、その男をナオと呼んだ。
そして、堰を切ったように言葉が漏れた。
ジローの紹介したギンとタカだ。
「これはヒトの側の問題だ」
「厄介を押し付けるのは好もしくかなろう」
――やっかい?
ジョニーの表情が再び怪訝に曇った。それの内情を読みきれなかったのだ。
だが、一つだけ解る事がある。それは、そのナオと言う存在が見せる姿だ。
カタカタと小刻みに震えるその姿は、噛み殺しきれない悔しさがあった。
「検非違使は次の犠牲者を生み出さない為にいる。検非違使は……」
グッと力を入れて奥歯を噛んだナオ。
その悔しさの正体はなんだ?とジョニーは考える。
だが、その答えが出る前、ナオは突然クルリと踵を返し歩いた。
部屋の隅にある小さな扉を開け、そこから出て言ってしまったのだ。
「レオン卿…… 大変なご無礼をお許しくだされ」
「かれは……ちょっと特殊なんです」
「辛いことを沢山経験し、その傷が癒えてないのです」
ジローが口火を切り、ギンとタカがそれに続いた。
だが、ジョニーはその扉を見ていた。
「何があったかは知らないが…… 相当なことだな」
そう囁いたジョニー。
ジローは黙って頭を下げていた。