夢中術<後編>
~承前
「ジョニーは夢を見なさ過ぎる」
軽い調子でそう言いはなったカリオンは、優しい顔でジョニーを見ていた。
「夢を……見ない?」
「そうさ。夢を通じて話をする事が多いんだが――」
クククと笑ったカリオンは呆れたような表情になって言った。
「――こんなに夢に入るのに苦労したのは初めてだ」
腕を組みながらそんな事を言うカリオン。
リリスは柔らかな表情でそれを見ていた。
――な……
ジョニーはそれ以上のリアクションを取れなかった。
光の玉が広がり、気が付けばジョニーは草原の中に居た。
真っ白に染まった霧の中、可憐な花が一面に咲いた草原だった。
「ここは?」
「我が秘密の庭へようこそ」
「カリオン……いや……エディ」
「久しぶりだな」
カリオンはクイクイと指を曲げ、こっちへ来いと指図した。
それに導かれ、ジョニーはフラフラとテーブルへ近寄った。
テーブルには幾つもの珍味が置かれ、カリオンとリリスがいた。
ふたりともたおやかな笑みを湛え、ジョニーを見ていた。
「それは?」
「え?」
この時初めてジョニーは気が付いた。
左の手には、ロニーの用意した杯があったのだ。
「……俺の手下が用意した酒だ」
「呑んで良いか?」
「これで良けりゃ」
ジョニーの手から杯を取り、カリオンはそれを一口飲んだ。
すぐさまにニヤリと笑い、そしてその杯をリリスへと差し出した。
「呑むか?」
「うん」
両手で杯を持ち、典雅な仕草でリリスは杯を煽った。
ゴクリと嚥下する音が聞こえ、嬉しそうに笑った。
「思ったより美味しいね」
「あぁ。さすがジョニーだよ」
「でも……お酒は久しぶりだよ」
「考えてみればそうだな。今度は用意しておくよ」
半分ほども呑んだらしいリリスは、僅かに顔を赤くしてた。
ただ、その姿は余りに幼く、まるでビッグストンへ踊りに来ていた頃のようだ。
――まぁ……
――そうだよな……
ジョニーは解っていた。
――これは幻だ……
と。
早くカリオンに追いつきたいという自分自身の願望。
言い換えれば焦りそのものだと。
あの化け物を追ってこんな所まで来て、そして出会ったのがアレックスだ。
かつては肥満体だった凍峰種がすっきりとスマートになるほど活躍している。
王の剣として国内を駆けずり回っている。
それに比べ、自分自身の至らなさ。修行の甘さ。
なにより、地方領主の使いっ走り状態で街の治安担当をして居る。
修行と言えば聞こえは良いが、その実体はただの順番待ちだ。
上の席が上がりを向かえ、年功序列での昇級を待つだけの存在。
有能さの欠片も無く、ただ単純に奉職が長いだけで階級を上げていく存在。
「なぁカリオン」
「カリオンなのか?」
「エディで良いか?」
「当たり前だろ?」
昔のように軽い調子で気易い会話をするカリオン。
だが、ジョニーは確信していた。
これは、その姿は、今の惨めな自分を認められない自分自身が招いた幻影。
まだ王と対等に話が出来ると信じ込みたい願望の発露に過ぎない。
何とも劣等感を掻きむしられるジョニーは、奥歯をグッと噛んで俯いた。
「どうした?」
「俺は……弱い……」
「よわい?」
「あぁ」
杯の中に残って居た酒に目を落とし、ジョニーは告白を始めた。
まるで死力を振り絞るように吐き出すその言葉は、血の色を帯びたようだ。
「自分自身の弱さが招いた幻影に……甘えようとしている……」
握りしめた拳をカタカタと振るわせ、ジョニーは天を仰いだ。
真っ白な霧が青空を隠し、何も見えない状態になっていた。
「……ジョニー君。幻だと思っているよ?」
「まぁ、それも仕方が無いかな」
リリスの言葉にカリオンが軽い調子で答える。
そんな言葉を聞いたジョニーは、力無い様子でこぼした。
「……まぁ、自分の弱さを認められるわけが無い」
カリオンは自嘲するようにそう呟いた。
その姿は正に昔のカリオンそのものだった。
ジョニーは殊更に悲しそうな表情を浮かべ嘆く。
それはつまり、自分自身の弱さを突きつけられているのだった。
「なぁエディ。俺はどうすれば良い?」
「……いきなりどうした?」
「俺はどうやったらお前に追い付ける?」
「……はぁ?」
ジョニーの問いに面食らったカリオンは素っ頓狂な声で驚いた。
その余りに生々しい反応に、ジョニーが驚くほどだ。
「追い付くって何の話だ?」
「ジョニー君は負けてるって思ってるんじゃない?」
不思議そうにしているカリオン。
だが、リリスは楽しそうにそう言うのだった。
「負けてるってなんだよ」
カリオンはハハハと声をあげて笑い、ジョニーをジッと見ながら首をかしげた。
その眼差しは昔のように優しく、そして、深い知性を感じさせるものだった。
「ジョニー。ガルディブルクへ来い」
「王都へ?」
「そうだ。リリスとそこで待っている」
優雅なしぐさでティーカップを傾けたカリオンは笑みを見せていた。
その向かいのリリスは、愛のある眼差しでカリオンを見ていた。
――これは本当に俺の夢なのか?
至って真面目な顔をしていたジョニー。
カリオンはふと立ち上がってジョニーに歩み寄った。
「ジョニー」
カリオンは唐突にジョニーの胸を突いた。割りと良い角度で殴った様な状態だ。
ジョニーは胸を押さえて厳しい表情を浮かべる。
それを見ていたカリオンはニヤリと笑った。
「ジョニー。これは確かに夢だが夢じゃないんだ」
「夢じゃないって?」
再び椅子へと座ったカリオンは、優雅な仕草で足を組みジョニーを見上げた。
その姿は倣岸な権力者であり、また、多くを従える支配者そのモノだった。
「夢中術と言って相手の夢に入り込み、直接意志を交わす魔術だ」
「……そんなバカな」
「信じられないのは仕方がないが、現実は現実だ。俺の躯はガルディブルクの城の中に居て、寝室の周囲はブルの率いる近衛師団が固めている」
僅かに沈む声で『ブルって……ブル・スペンサー?』とジョニーは問うた。
その問いにはカリオンではなくリリスが笑いながら答えた。
「彼は忠義の士なのよ? どんな事にも眉一つ動かさず対処するの」
まるで鈴を転がすような、そんな独特の響きがリリスの声にはあった。
沢山の鈴が一斉に揺れて震えて囀るようなそんな響きだ。
「……現実な訳あるかよ。だってリリスが」
「あぁ、そうだ。リリスがいる。実際はまだ死んでないからな」
「死んでない?」
「そうだ。だからここに居る」
カリオンはなんら迷う事無くそう言いきった。
それを聞いているリリスは手を振りつつ『ウソウソ』と否定して掛かる。
「死んだけど、それでもまだ魂がこっちの世界にいるの」
「こっちって?」
「死者の行くところではなく、生ける者の暮らす世界よ」
「じゃっ! じゃぁっ!」
ウフフと笑ったリリスは、先ほどとはうって変わって邪悪な笑みを浮かべた。
心の弱いものなら卒倒するかのような、そんなひどい顔だ。
「私は城の奥深くにいるのよ。良かったら会いに来て。でも、リディアには内緒にしておいてね」
唖然としているジョニーを見ながら、リリスはもう一度笑ってカリオンを見た。
話を振られた形のカリオンは、リリスに笑みを返してからジョニーを見た。
「まぁ、いずれにせよ、ジョニーとの線が繋がった。最初に入るのが大変なんだ」
「最初って?」
「誰かの夢に入って話をするんだが……最初だけは術が効かないから偶然だ」
ちょっと何言ってるのかわからない……
そんな表情のジョニーは、ポカンとした顔になっていた。
「まぁいい。ガルディブルクへ来る前に茅街をくまなく歩くと良い」
「この街をか?」
「そうだ――」
カリオンはジョニーが手にしていた杯をとり、口に含んで嚥下した。
「――我が父ゼルこと渡良瀬五輪男とその妻琴莉の眠る陵の街だ。そこは最終的にヒトの街にするつもりだ。ル・ガルだけでなく、このガルディアラ全てからヒトを集めその街に住まわせる事にする。将来はヒトの国にしようと思っている」
『え?』と驚きの声を上げたジョニーだが、カリオンは涼しい顔で続けた。
「先々王シュサ帝の発した詔はまだ有効だ。ル・ガルはヒトを護る。ヒトの権利を護り命を永らえさせ、共に生き、共に栄える。イヌとヒトは信じあえる」
杯をジョニーへと返し、カリオンはジョニーをビシッと指差した。
「それは解るだろ?」
「……あぁ」
ふと杯の中を見たジョニーは、その中身が随分と減っている事に気が付いた。
そして、先ほど殴られたカリオンの拳の跡がキリリと痛んだ。
「街の自警団を訪ねると良い。茅街の全てがわかるだろう」
「全部お前が書いた画なのか?」
「いや、トウリ兄貴に任せている部分も大きい。あとはヒトの自治だ」
「そうか」
杯から目を離しカリオンを見たジョニー。
カリオンはリリスと視線を交わしてからジョニーを見て手を振った。
次の瞬間、ジョニーはパッと目を覚ました。茅街の宿の中だ。
カリオンに殴られた胸がズキッと痛み、ジョニーは驚く。
そして、慌てて杯の中身を確かめた。
「……嘘だろ」
杯の中身はふたりに飲まれた分だけ減っているのだった。